第6章 念願の場所
彩海の父は夏になると人の波に逆らって、涼を求めて那須や日光方面へ出かけた。
しかし、日光の神社では絶対に手を合わせなかった。家康が嫌いだから。それなら行くなよと彼女は突っ込みを入れたくなった。
子供にとって、山や社寺など面白くもなんともなかった。日光江戸村や、猿軍団を訪れるのならばいざ知らず。どうせなら夏は海へ行きたかった、と思ったものだ。
せめて紅葉の季節だったら、子供でもそれなりに綺麗な景色を楽しめたかもしれない。
しかし、夏の海同様に秋の日光は道路が渋滞する。そんな時期にそんな場所へ父親がドライブに行くはずはなかった。
成人してから、まだ行ったことがないという西出身の友人達と日光へ行ったことがあった。
その時一番印象に残ったのは、その後世界遺産になった立派な社寺でも、風情のある温泉街でもなく、途中のはげ山の続く風景だった。
高校時代に学んだ、田中正造足と尾銅山鉱毒事件を思い出した。100年以上経ってもまだこんな状態なのかと。
しかし、それでも多くの人々による植林のおかげで、少しずつ緑が増えているということは、その後のニュースで知っていた。だから、いつかは足尾銅山へ足を運んでみたいとずっと思っていた。
そしてそれはコロナの時期に実現したのだ。そう。例の忙し過ぎる趣味の旅行の一環で。
どうせ出かけるのならば、多くの場所を一日で回りたい。しかしだからといって、朝早く出発すればいいというわけではない。
前にも言ったが、ただダムや城趾を見に行くだけならいざ知らず、ガードをもらったりスタンプを押すためには、営業時間が重要だからだ。
役所なら基本8:30から。しかし観光協会なとなら9時や10時だったりする。そして終了時間も様々。せっかく行ったのにタイムオーバーでがっかりしたことが何度もある。
もちろん休みの日も要チェックだ。
それと同時に、やはりしっかり優先順位を決めておかないと、後悔の大きさが変わる。再度チャレンジしたことも度々あったのだ。
これに関しても「また来れればいいよ」といつも寛大だった夫には感謝しかない彩海だったのだが。
さて。栃木。
ここも標高の高い山が多いので、群馬と同じくダムが多い。とてもじゃないが、一日二日では回り切れない。
しかもマンホールカードをもらうとなるとなおさらだ。おそらく何度も足を運ぶことになるだろうと彩海は覚悟した。
その時もまず最初に、マンホールカードの配布状況について調べた。品切れになっている場合も多々あるので、無駄足になることがあるからだ。
最初に日光へ行こうと思ったとき、マンホールカードを調べたら、配布中止となっていた。
人気の「道の駅日光」敷地内にある観光協会で配布されるマンホールカード。これはすぐに配布終了になる。
そこは数種類のダムカードももらえる、カードマニアには垂涎の場所だから仕方ない。今回はスルーしよう。
足尾銅山跡をメインで計画を立てた。これは彩海にとって珍しいことだった。
九月の半ば、まだ暑さが残る中、彩海は夫の陽久と共に車で出発した。最初の目的地は群馬県みどり市にある草木ダム。
音が反響しやすい構造になっていると書いてあった。つまりこだまが返ってくるということだろうと彩海が考えていたら、突然陽久が隣で叫んだ。
「彩ちゃん、好きだ〜!」
「あやちゃん、すきだ〜」
小さくこだまが返ってきた。
「え〜!」
彩海は喫驚した。横にある夫の顔を見ると、照れた様子となく、普段と変わらなく平然としていた。
「なんで突然叫ぶの? 録画できなかったじゃない。もう一回言って、スマホで撮るから」
彩海が興奮してそうねだったが、治久は「嫌だ」と言うと、
「早く事務所へ行ってダムカードをもらいに行こう」
と、さっさと歩いて行ってしまった。
(以前、群馬の嬬恋村へ行ったときも突然愛を叫ばれて録画できなくて悔しい思いをしたのに、まただわ)
嬉しく思いながらも、非常に残念がった彩海だった。
それからテレビでよく中継される丸美屋という、レトロな自販機が並ぶ道すがらの店に立ち寄った。
そして次の黒坂石ダム(みどり市)へ向かった。多目的で造られた最初の草木ダムと違って、発電目的的の狭い山間にあった。それほど古くないのに、少しレトロ感があった。ローラーゲートのある重力式コンクリート製だったからだろうか。これはこれで風情があって良かった。
二枚目のダムカードをゲットした。
そして再び車に乗り込み、栃木県日光市の足尾町に入り、足尾銅山観光をした。トロッコに乗って暗い鉱山跡へ。狭い坑道を歩きながら、説明書を読み、リアルな人形で再現されている作業風景を見ながら進んで行った。
重機もなく手作業でこれらの事業をしていたのかと思うと、昔の人々の苦労が忍ばれた。
熱風が引き出していた場所を目にしたときは、恐ろしさで震えそうになった。いつどんな事故が起きてもおかしくなかった環境下で働いていたのだと、しみじみと実感したからだ。
ここで砂防カードなるものをゲットした。そして、どうせなら本物の砂防ダムへ行ってみようということになった。
実は足尾銅山関連の施設がいくつかあったので、どこにするか珍しく決めかねていたのだ。
はっきり言って、そこを選んだのは正解だった。
足尾砂防堰堤。
足尾銅山の塩害や山火事などで荒廃した山からの土砂流出を防ぐために造られた、日本最大級の砂防ダムだという。
たしかに大層立派で、今思い出してみても、他の砂防ダムとは一線を画すほど壮大な造りをしていた。
言い換えば、それだけ足尾の山は足尾銅山の公害の影響が大きかったと言えるのだろう。
砂防ダム周辺は銅親水公園となっていて、綺麗に整備され、立派な橋や、施設が造られてあった。
ぐるりと辺りを見渡すと、植林した山々が目に入った。昔のはげ山とは大分印象が違うなと思った。
ここまで再生するのに、どれほどの時間と尽力とお金が必要だったことだろう。
そう思いながら、足尾環境学習センターの建物に足を踏み入れた。するとそこには足尾の歴史と環境問題がよく分かるようにと、大きな写真の展示だけでなく、映像が映し出されていた。
そしてスタッフの方々が、親切かつわかりやすく説明してくれた。
昔本で読んだときよりも、リアルであり、さらに深く理解できたと思う。こんなにも酷い酷い公害だったのだと改めて思い知らされた。
その中でも特に心に残った展示は、立つことさえままならないような急斜面で、植林作業してきる人々の写真だった。
その多くが自分とそう変わらない年齢の女性達だった。思わず涙があふれそうになった。
こんな過酷な場所で作業した人々のおかげでここまで再生したのだと、頭が下がる思いだった。
帰り際にパンフレットを数冊、職員の人に手渡された。
「もっと多くの人に、足尾の公害のことを知ってもらいたいのです。どうか知り合いの方に伝えてください」
コミュ障だった彩海はそれを聞いて心苦しく思った。
SNSどころか、メールやラインをする相手もいないため、誰かに伝える方法が分からなかったのだ。
しかしその後彼女は、親類やダム好きな人を見つけると、日光方面へ行くなら、足尾砂防堰堤がいいよ、と話すようになった。
マニアの喋りは引かれる恐れがあるので、そこはできるだけ感情を抑え込み、なるべく自然にお勧めするようになったのだった。
この日の旅行は盛りだくさんだったので、後半は次章で語ろうと思います。




