第5章 彼女が歴史好きになった理由
そもそも彩海が超ハードな旅行をするきっかけになったのは、彼女が歴史好きだったからだ。
では、なぜ歴史が好きだったのかといえば、好きにならざるを得ない家庭環境にあったせいだった。
彼女の記憶に残っている最初のテレビ番組は、某公営放送の長編歴史ドラマだった。幼児番組や教育テレビどころか、アニメや歌番組でもなかった。
彼女の父は、テレビのチャンネル権を誰にも譲らなかった。それがたとえ遊びに来た親類の幼い子供であっても関係がなかった。
泣き叫ぶ幼い甥を無視して自分の好きな番組を見続けていた父親を目にしたときは、さすがに呆れたものだった。
彩海の父は地元の国立大学の教育学部に入学したが、弟や妹を高校へ通わせるために中退して国家公務員になった。
父親を早くに亡くして片親で育ったため、いくら名家の出身で山や田んぼを持っていても、現金収入がなかったからだ。
父自身は奨学金とアルバイトで高校を卒業したが、妹達にそれは無理だった。そのために母親に泣きつかれたのだ。
もちろん父が一人で家を支えていたわけではない。上に兄が二人いて、彼らもやはり仕送りをしていた。
その二人は大学を卒業していた。なぜなら東京で働いていたから、夜間大学へ通えたからだ。
父は教師になりたかったから地元に残ったのだろうが、それが裏目に出たわけだ。
男兄弟五人のうち、大学を卒業していないのは父だけだった。
産業のあまりない地方において、昔のエリートコースは教師か一般の公務員になることだったらしい。特に貧困家庭にとっては。
父親の兄弟や姉妹の結婚相手は皆公務員だった。彩海は大人になって思った。うちの親類って皆税金で暮らしているんだなと。
まあ、母親の方の親類は商売したり普通の会社員だったが。
そして従兄弟達はなぜかみんな公務員にはならず、大手企業の研究員とか技術者とか、医療機関などの理系の職種に就いていた。
まあ、話はズレたが、父親の末の弟は教師になったのだが、数学の分野ではかなり有名な教師だったらしい。
その叔父が数学の研究会の集まりに参加すると、いつも彼女の父の話が話題になっていたという。
「君のお兄さん、凄く成績が良かったよな。特に数学が。みんなに数学の神様って呼ばれていたんだよ」
と。しかしその数学の神様は、役所の経理部でその才能の無駄遣いをしていた。しかも、仕事はできても上役にはよいしょができなかったので出世には無縁だった。
なんでも彼女の父は公務員だというのに、周りからは「社長」というあだ名で呼ばれていたらしい。
彼はヒラにも関わらず仕事ができたので、無能な上司や同僚を無視して、ワンマン社長のように振る舞っていたかららしい。どうせ出世できないからと開き直っていたようだ。
どうせ大きなヘマをしたり、犯罪を犯さない限りクビにはなはないからと。
当時は当たり前に行われていた盆暮れの上司への贈り物も、父親は一切しなかった。
まあ、普通そういうことは夫に代わって妻がするものだろうが、気配りを一切しない、できない母親がやるわけもなかった。
彼女もまた公務員であったが、同じく出世などに興味はなかったのだ。
彼女は、世間に取り残されるのが嫌だからと仕事を続けていた。
しかしその割に、ずいぶんと世間知らずだし、人に対する配慮もできない人だった。
雑誌を含めて文字の書いてある書物は絶対に(子供の学校からのお知らせや連絡帳も)読まないし、ニュースも見ない。
あれでよく公務員が務まるものだと、彩海は思っていた。
そもそもこの母親は流行を追うのが好きで、皆がやっていることは自分もしたいという、ミーハーな性格をしていた。
そんな風だから、過去のことにあまり拘らなかった。つまり歴史にも全く興味がなかった。
なにせ江戸時代の前が何時代かも覚えていなかったのだから驚きだった。
学校の成績は良かったというから、頭の良し悪しって一体なんなのだろう。
まあ、歴史を知らなくても別段困ることはないが。単に家族の会話に加われなかっただけで。そう彩海は思っていた。
というのも、普段寡黙であった彩海の父が日曜日の夜だけ饒舌になったからだ。例の歴史ドラマを観ながら熱くその時代や人物像について語ったのだ。
そう数学好き父は歴史好きでもあったのだ。数学は上手く教えられないくせに、なぜか歴史については熱く語ったものだ。
そしてそんな父親に対して二人の息子や娘が反論するというのがお決まりのパターンだった。
数学と違って歴史の解釈はコロコロ変わる。それを父親はどうしても理解できなかったみたいだ。
教科書が記されていたことが唯一正しいと信じていた。
大人になって、それまで当然だと信じて疑わなかった知識が間違いだったというニュースが流れるたびに彩海は思った。
新しい知識や考えを受け入れない、アップデートできないということは怖いことだなと。
自分が苦労人だったからか、父親は豊臣秀吉が好きで徳川家康が大嫌いだった。
彩海からすれば、家康の方が幼いころから人質にされて苦労しただろうと思う。妻子を殺さなくてはならなかったわけだし。
それに比べて我が子可愛さに甥一家を皆殺しにした秀吉は人でなしだと思う。ある意味信長より非情じゃないかとさえ思った。
それに、秀吉が信長の忠臣だったのなら、自分がトップに立つのではなく信長の子に仕えて天下統一を目指せば良かったのにと、ずっと思っていた。直江兼続のように。
まあ、歴史の教科書には信長の子供のことなんて長男が父親を助けるために死亡したくらいしか書いてなかったから、できのいい息子が他にいないのかと思っていた。
大人になって信長が子だくさんだったと知ったときは驚いた。そして濃姫もよく時代劇や漫画の題材にはなるけれど、その生涯はほとんど分かっていないことにも。
忙し過ぎる旅行を始めたころ、彩海は「歴史まちカード」を求めて、群馬県の甘楽町へ出かけたことがあった。
その地にある楽山園という庭園でそのカードが配布されていたからだ。
それまで知らなかった庭園だったが、大層広くて立派だった。築山や池、腰掛け茶屋が造られ、遠くの山並みを含めて壮大で美しい景色だった。
その庭園は小幡藩邸に造られてあったらしいのだが、そこの藩主こそが織田信長の次男、織田信雄だったのだ。彼は養蚕業を盛んにしてその地を豊かにしたらしい。
信長の血は脈々と続いていた。身内を蔑ろにした秀吉の血は途絶えたが。感慨深いものがあった。
さて、彼女がそこでもう一つ感心したのは、建物があった場所の地面に色分けされた平面図が記されていたことだった。
全ての建物を再建するにはお金が掛かる。しかし説明文の書かれた立て札だけではイメージしにくい。
しかし、地面にその跡がしっかり記されているとその広さが実感できる。
今では3Dモデル映像で城の内部まで案内してもらえるサービスもあるらしい。
しかし、全部の史跡を3Dにするわけなはいかないだろうから、この表面図はなかなか良いアイディアだと思った。
その後群馬の絹遺跡を巡ったときもそれがあったので、群馬県で推進された方法なのかな?と思った。
群馬県は関所跡もしっかり整備保存されている。
関所といえば普通箱根の関所を思い浮かべるだろうが、当然ながら関所は日本のあちこちにあるばすなのだが、あまり知られてはいない。
群馬は歴史跡を大切にしているなと、彩海は感心していた。
楽山園近くには武家屋敷の通りがあったので、彩海は夫と共にそこを散策した。
しかしそれは、その日の二人の旅のほんの一部分に過ぎなかった。
そもそもそこへ行く前にすでに藤岡市にある竹沼ダムと水内川ダムを訪れて散策し、チェキで写真を撮った。
その後、同じく藤岡市にある世界遺産である高山社を見学していたのだから。
そして甘楽町に着くとまず道の駅へ行き、スタンプを押して「道の駅切符」と「道の駅ガード」を購入した。
それから「歴史まちカード」をもらいに行ったのだが、その他にも雄川堰の「名水百選カード」がもらえるので、彩海はいそいそと役場へ向かった。
ちなみにその役場のすぐ近くには群馬ではかなり有名なテーマパークがあった。大型連休近くになると、無料で食べて遊べるとよく報道される場所だ。
その誘惑に駆られながも、彩海はプランニングブック通りに雄川堰を辿ることにした。
歴史好き、ダム好きには堪らないコースだったからだ。
古い町並みは歴史を感じさせてとても素晴らしかった。その後栃木市や佐原市などの水郷へも出かけたが、こちらの方が脈々と続く人々の生活の歴史を感じさせる街だった。
そして帰りの道すがらに「上野三碑」の一つ、多湖の碑を見に行くことになったのだが、住宅街にあって辿り着くのが大変だった。
しかも建物の中に置かれていたのでよく見えなかった。
この「上野三碑」を知ったのは千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館へ行ったとき、特別展示されていたそのレプリカを目にしたからだった。
佐倉市へ行ったのは勿論、佐倉城と本佐倉城が目的だった。しかし、博物館は高台に建っていてとても目立っていたので、ついつい立ち寄りたくなったのだ。
ここは珍しく旧石器時代の展示があってとても興味深く、ためになった。
本来ならついでではなく、ここを目的に来るべきだと思った。全部回ろうとしたら一日ではとても無理だろう。彩海はそう思った。
どこかを訪れると、その場所が次に行く場所への道標になる。だから旅行はいつまでも続くのだと、すっかり暗くなった上州路をドライブしながら、彩海はそう思ったのだった。
秀吉に対する批評はあくまでもヒロイン彩海の個人的な考えであり、作者は秀吉ファンを敵に回したり、議論を交わすつもりは全くありませんのでご了承ください。




