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地面を蜘蛛が這うその音は、さほど大きなものではない。にも関わらず、音量は増々上がっていく。
一体どれだけの数の蜘蛛が動き回っているのか、ティエラはそのおぞましい光景を決して視界にいれないよう、魔力感知だけを使って背後の様子をうかがっていた。
ガサ、ガサ・・・
カサカサという音が急に静寂に変わり、そしてその代わりとでも言うかのように、先程よりも重みのある音が辺りに響く。森の中から近づく魔力反応が一つ。それは無数の蜘蛛の動きよりもゆっくりとしていて、今聞こえている音も、未だ森の中から聞こえているようだった。
(あの蜘蛛が中心部にあった群れならば・・・リーダー、ってことね)
思考は冷静だ。
しかし、走ってかいた汗が体温を奪ったのか、それとも蜘蛛への嫌悪感故か、背筋に悪寒が走る。ぞわぞわとむず痒いような感覚。
それらを押し殺して、ティエラは後ろを振り返り・・・
「ぃ・・・ゃだ・・・」
地面を埋め尽くすほどの蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。
その全てが悉く大きく、長い足はさらに不気味さを強調する。
そして今まさに森から出ようとしていたあの重い音の主は、その足一本だけでも数メートルはあるであろう巨大な蜘蛛であり、不自然に細い足で支えられた体には赤い目が光っていた。
その口元は絶えず細かに動いていて、それがまた余計におぞましい。
ティエラにとっては、この光景を目にして失神せずに済んだことは非常に幸運であった。ここで意識を手放して居たならば、確実に蜘蛛たちに群がられ、そしてその餌となっていただろう。
しかし、ティエラの幸運は蜘蛛たちにとってはあまりに不幸な出来事であった。
「ぃ、やだ・・・ぃやぁああああああああああ!!」
半狂乱になって、魔力の温存など頭から完全に抜け落ち、そして。
目の前の手当り次第に火球をぶつけ、氷漬けにし、火柱で焼き尽くし、地面からは無数の土の棘が蜘蛛の体を串刺しにする。雷が地面を焦がしたかと思えばそこには魔物など跡形も無く、巨大な水球の中には大量の動かなくなった魔物が浮かぶ。
後どれほどの魔物が残っていると言えるだろうか。
ティエラの叫び声が途絶えた頃には、魔物のほぼ全てが息絶えており、しかもその殆どは死体すら残らず消し炭になっていた。
リーダー格の一際巨大な蜘蛛もまた、脚の数本を失いその巨体を支え切れず大きくバランスを崩している。
しかし、息がある。虫の生命力は侮れない。それが魔物化して拍車がかかっていたことで、リーダー蜘蛛は未だティエラを食おうとして・・・いや、より一層食ってやらねば気がすまないとでも考えているのかも知れない。その口をもごもごと動かしながら残った脚で地面をとらえ、体を引きずるようにティエラの方へズリズリと近寄らんとしていた。
他の蜘蛛たちも、リーダーが背中を見せない以上その場を逃げ出すこともできない。もしそれが可能であったとしても、傷ついた体を抱えてどれだけ生き延びられるかは怪しかったとはいえ、残る数十匹の蜘蛛もまたティエラへと殺意の視線を送る。奇跡的に無傷に近い蜘蛛たちが、己の出しうる最高速度で息を切らすティエラへと走り寄る。
これが森の外へ出ていなければ、そんな単純な移動法を取ることはなかっただろう。能力である糸を使って木々の間を駆け、そして頭上から攻撃をしかけることもできたはずだ。
森の外までティエラを追ってしまったこと。それは蜘蛛たちの明らかな失敗であった。
「やだやだやだこないでぇえええええっ!」
取り乱したままのティエラの両の手の平の間に、青い閃光が生まれ、そして急速に膨れ上がる。
球体を成すその青い光は、それほどの時間も要さずにティエラの頭の大きさほどになり、更に後には両腕で抱えなくてはならないほどになり・・・
その青く火力を増した巨大な火球を前方へと放り投げると、向かってきていた蜘蛛たちを巻き込みながらそれは地面へと着弾し、そこから未だ魔物たちが瀕死ながらも蠢いている前方へと指向性を持って内包したエネルギーを解き放つ。
球体に圧縮されたエネルギーは魔物のみならず森の中程まで容赦なく燃やし尽くし、焼き払い、あるいは溶解させて、辺り一帯にゆらめく熱を残してその役目を終えた。
こうして森の中で圧倒的な強者であった虫たちは、森の半分と共に消滅に至る。
後に残ったのは地形の変わった黒い大地と、ようやくほっとした表情で座り込むティエラだけだ。森の中から覗っていた別の魔物もいたかも知れないが、一見あどけないこの少女の明らかにやり過ぎな攻撃を見て、手出しをしようとする無謀な魔物は現れない。
「・・・ああ怖かった・・・」
魔物からしてみれば”こっちの台詞だ”と言いたいところだろう。しかしティエラにとっては大量の虫たちというのが恐怖の対象であっただけで、それが魔物であろうと無かろうと恐らく関係なかった。虫とは縁遠い転生前の意識は、旅を重ねて多少平気になった程度で、虫の大群というのは死骸に蟻が集っているのでさえ見ていて寒気が走る。それが自分に向かってきたのだから、彼女としては取り乱しても致し方なかった、というところだろう。
ティエラは何事もなかったかのように懐から出した魔導具で自身の魔力をチャージし、東の方向を探り始めた。
・・・魔物たちにとってもっとも不運だったのは、ここに現れた人間がティエラであったことだということは間違いない。




