119
私の研究スペースの設置は、工房の引っ越し同様あっという間に終わった。
今日は残る2人のメンバーを紹介してもらって、本格的な活動は明日から。まだ戻ってきた気配はないので、しばらく待つことになりそうだ。
ザルツが咳払いを1つ。
「えー、決めておくべきことがいくつか。
まず1つはティエラ様が研究者として振る舞う上での・・・なんというんでしょう、スタンスのような?」
「えーとそれは、ザルツ様がただのザルツとして振る舞っている、というのと同じことでしょうか?」
「ええ、そういうことです」
うん、それは正直いろいろ考えていたのだけれど、結論が出なかったんだよね。
「研究室のメンバーはザルツ様の身分をご存知ないんですか?」
「いえ、知っていますよ」
「その上でなんと呼ばれていらっしゃいます?」
「ザルツ、ですね」
これは、私の理想がここにあるんじゃないだろうか・・・!
「では私もフルネームを名乗った上で、ティエラとして」
そこでザルツがちょっと不満げな顔をする。
なにが気に入らなかったのだろうか、全くわからない・・・
「・・・名乗らないほうがいいでしょうか?」
「いえ、それは正直どちらでもいいんです。
あの2人は身分を明かしたところで態度を変えたりはしませんから。
ただ」
「ただ?」
「我儘を言わせてもらうと、あの2人にティエラと呼ばせるのは癪といいますか・・・」
「では、カナデとして」
「そうしてください」
よくわからないこだわりだ。
それにしても、そういったスタンスという点で言うならば、だ。
「では、ここではザルツ様も私をカナデ、と」
「え、いえそれは嫌です」
「・・・ではなんと?」
「ティエラ、と」
さっきのこだわりはどこへ?
「僕のこともザルツ、と呼び捨てにしてくださいね」
まあ、これで身分を明かしつつも気にせず接してくれる、という理想形ができあがるならばなんの文句もない。周りが気にしないでいるのに本人たちが様づけで呼び合っているという図はおかしいと思うし。
「それで、もう一つに関わることなんですが・・・
指輪、してくれないんですか?
アルディアでももう公表したんですよね?」
「お揃いのリングをつけているのは対外的にどうなのかわからなくて一応外してますけど・・・
ザルツ様の」
「ザルツ、です」
「・・・ザルツの立場もあるでしょうし」
「つまり、無理に隠そうとしているわけではない、と?」
「ええ」
「では、ティエラも指輪を」
にこにこ笑顔である。さっきの不満顔といい、意外と独占欲が強い人なのだろうか。なんというのか、兄バカ?俺の妹を呼び捨てにするなー的な?
大人の中に一人幼い私がいるのは心配なんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、首に下げていた指輪を左手へ。ザルツはそれを見て満足気に頷いた。
「今日のところはメンバーとの顔合わせだけのつもりでいますし、紅茶でも飲んで寛ぎながら待ちましょうか」
「少し作業部屋を覗いてみてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。紅茶、淹れておきますね」
ミーティングルームを経由して作業部屋へ。
部屋の手前側に広い机。小さな霊石のついた魔導具が設置されているのは、多分手元を照らせるようになっているんだろう。ザルツの部屋側の壁際には棚が置いてあって、素材やら完成品?やら色々と置かれている。
部屋の奥側は資料が置かれているようで、天井まである本棚にびっしりと本が詰め込まれていた。そちらにも小さな机はあるが、椅子はない。目的の資料を見つけたらそれを借りて個室に戻る感じだろうか。
ここにない資料は図書館に探しに行くことになるんだろうな。あの蔵書の豊富さならなにかしら見つかるだろうし。
一通り見てミーティングルームに戻ると、ザルツがソファセットに腰掛けてカップを傾けていた。
「ティエラもどうぞ」
ソファの前に置かれたテーブルの上には私の分の紅茶が既に淹れられていた。相変わらず彼の淹れる紅茶は私が淹れるより美味しい。むぅ。
2人で紅茶を飲みながら、エイドの結婚式の話や、兄たちの成人パーティーの話をしてゆっくりと過ごす。そうしてかなりの時間が経ったが、研究室のメンバーは未だ戻ってきていない。
「うーん、あまり遅くなるのも・・・今日は早めに切り上げるつもりでしたから。
書き置きを残して帰りましょうか」
それから思い出したように、ザルツは付け加えた。
「明日はティエラの歓迎会をしますので、夜は予定を開けておいてくださいね」
研究室の4人で食事会だろうか。それはなんだか、とても嬉しい。
未だ見ぬメンバー2人も私を受け入れようとしてくれているのかと思うと、今までの学校生活が嘘のように感じられた。あんなに灰色だった景色が突然鮮やかになったような、そんな気分。
明日を楽しみに、その日は2人で研究室を後にした。




