すれ違った愛とエネミーライン
言葉を失くしたマリアの前に、ロージー伯母は写真を差し出した。結婚式で撮った家族の集合写真だ。逞しくなったラウルと、大きくなった双子の姿に涙が滲んでくる。ウエディングドレス姿の母親は、相変わらず歳の割に美しい。それは認めざるを得ない。
美貌を保つことに必死な、中身はからっぽの女。最愛の男を失くし、言葉通り抜け殻になったのだ。見てくれだけの母に捕まった哀れな花婿はどんな男だろう、とマリアは目を凝らした。
「あれ、この人・・・・・・」
日に灼けた顔に太い眉、タキシードに包まれた肩は広く、がっしりとした体格の男。マリアはこの人物を知っている。男に捨てられ、半狂乱になった母親を家まで連れて帰ってきた漁師だ。あの時のマリアは、母親の姿に慄くだけで、ろくにお礼も言えなかった。
その後も、学校の帰り道などに港で見かけることがあった。大抵は、ひとり黙々と漁で使う網を直していた。しかし、話し掛けることはもちろん、挨拶さえもしなかった。マリアは彼を避けていたのだ。何となく気難しそうな感じがしたし、それに他人には知られたくない家族の恥を知っている人物だ。できれば関わりたくないと思っていた。
「なんで母さんなんかと・・・・・・」
「ずーっとマデリーンのことが好きだったみたいよ。『危なっかしくて見ていられないから、面倒見てやらないと』なんて言ってたけど、彼女に夢中なのがすぐ分かったわ。少しシャイだけど、とってもいい人ね」
「・・・・・・・・・・・・」
マリアは複雑な気持ちで黙り込んだ。そこまで聞いても、どうしても素直に喜べない。子供たちのことなど顧みず、興味があるのは自分だけ。男を追いかけ深夜まで戻らないことなどしょっちゅうだった。母親のいない夜を、子供たちがどんな思いで過ごしてきたか、あの自分勝手な女に分かるはずがない。夫に先立たれて前を向くのはけっこうだが、もう少し周りのことも考えてほしかった。
「マデリーンはね、子供たちには父親が必要だって信じてたのよ」
ロージー伯母は曖昧な微笑を浮かべてマリアの手を握った。
「母親として相応しくないことも、たくさんあったんですってね。それでも、家族の幸せのためだと思い込んでいたのよ。愛情に満ちた家庭を、もう一度築くためにって」
「勘違いも甚だしいわ・・・・・・」
その思い込みのせいで、弟たちは寂しい思いをし、マリアは精神的な成熟を強いられた。
「まぁ、昔からあんまり頭の良いほうじゃなかったから」
ロージー伯母の言葉にマリアは頷いて同意した。
あんなダメな女を、しかも最悪の醜態を目の当たりにして、それでも好きでいられるなんて。それなのに、あの女は気付きもしないで金持ちの男を追いかけ続けて。幸せはすぐ近くにあったのに。
長い時間を掛けてようやく結ばれたカップルを想い、マリアの心臓は締め付けられたように痛み出した。気付くと涙が落ちている。
「本当にバカなんだから・・・・・・」
カルロスは今、学校にいる。早朝からアイツの自宅アパートの前で張り込み、スクールバスに乗り込むのを見届け、先回りして学校へ入っていくのを確認した。
今、俺はカルロスの自宅アパートに戻り、窓から中を覗き込んでいる。家の中に人の気配はない。母親は赤ん坊をどこかに預けて仕事に行っているに違いない。シングルマザーだということは既に調べてある。特になんの問題もない、メキシコ系アメリカ人一家であることも。
この家に人質がいるなどとは到底思えない。捜査に先入観や思い込みは禁物、そんなことは分かってる。でも、あの凶暴な女を赤ん坊と一緒に置いておくか? あまりにも危険だし、それだけで幼児虐待だ。この家ではないどこかへ隠しているのか? だいたい、カルロスがシャロンを誘拐できるはずがない。
結論は出ている。だが、それを立証しなくてはいけない。
「そこのお前、ちょっとこっちへ来いよ」
刑務所の運動場、なるべく目立たないよう隅で日向ぼっこをしていたフレディに声が掛かった。恐る恐る顔を上げると、ベンチにふんぞり返った男がこちらを睨んでいる。その周りには、子分らしき男が四人、やはりフレディを睨みつけている。
このまずい展開にジミーを捜すが、彼はバスケットコートでボールを夢中で追いかけている。
『鍛えてないと、ここじゃやっていけないからな』
ジミーは有言実行の男だ。だからこそ、人生の大半を刑務所で過ごすことになったのだが。そのいきさつを聞かされた時のように、またちびると困るので深く考えないようにした。
とにかく、ジミーの助けは得られそうにない。フレディは震える足を男の方へ進めた。
「あ、あの・・・・・・何ですか?」
情けないほどに声も震えている。
「やっぱりコイツだ。間違いない」
昨日入ってきたばかりの男がフレディを指差し、ベンチにふんぞり返ったボスに告げる。
「な、何が?」
「お前、メキシコ人の女を誘拐して捕まったヤツだろう?」
「マジか? こんな青っちろいヤツが俺たちの同胞を酷い目に遭わせたってか?」
ボスが眉間に皺をよせ、鋭い目つきでフレディを睨む。
「い、いや・・・・・・あの、その・・・・・・」
フレディは後退りしながら首を振った。新入りはさらに強く指を突き出した。
「絶対お前だね! 俺、ニュースとか見てるし!」
自信満々に言い放った。自分はインテリなのだと言いたいようだ。
「お前、いい度胸じゃねぇか」
ボスが立ち上がり、囚人服の袖を捲り上げながらフレディに近づいてくる。拳を固め、手の甲に彫られたサソリの刺青を見せつけながら。周りにいた子分たちがフレディを取り囲んだ。みんなお揃いの刺青が入っている。ギャングだと悟った瞬間、重い衝撃とともに目の前が真っ暗になり星が瞬いた。
地面に倒れ込んだフレディに激痛が襲い掛かってくる。左目が燃えるように熱く、開けることができない。殴られたと理解した時、脇腹に蹴りが飛んできた。
「ご、ごめんなさい。やめてください」
謝りながら、身を庇う腕の隙間から相手を見ると、男たちはみな薄笑いを浮かべている。こいつらは別にマリアの知り合いなんかじゃない。ただ他人を痛めつけたいだけだと分かった。
殴られている理由が分かったところで、その攻撃の手が弱まるわけでもなく、フレディは身体を丸めて激痛に耐えるしかない。
「おい」
低くくぐもった声が聞こえて顔を上げると、食堂で見たあのヤバい真ん中分けの男がいた。フレディに話し掛けたのではない。笑いながらフレディを踏みつけているボスを睨みつけている。
「何だ、テメ──」
ボスが言い終わらないうちに、真ん中分けは左の拳をボスの太腿にあてた。
「ぐああっ!」
ボスは悲鳴を上げ、もんどりうってもがいている。少し大げさに見えたが、そうではない。真ん中分けに触られた太腿から血が流れている。ヤバい真ん中分けの手にはスプーンが握られている。食堂にあるやつだ。その柄は何かで削られているようで、鋭く尖った先端から血が滴り落ちている。
「うわっ!」
フレディは地面に座り込んだまま、逃げることもできないでいた。腰が抜けてしまったのだ。
「てめぇ、俺が何したってんだよ!」
ボスが悲鳴のような抗議の声をあげた。しかし真ん中分けは顔色ひとつ変えない。
「お前みたいなヤツがイキがってるとムカつくんだよ。この〇△□✕野郎」
耳を塞ぎたくなるような差別用語を吐き捨てた真ん中分けは、さらにスプーンの柄をボスの太腿に突き刺す。
「テメェ! この野郎!」
子分たちが真ん中分けに襲い掛かろうとした。
大乱闘を予想したフレディはジタバタと必死に手足を動かし、抜けた腰で後ろに下がろうと試みる。その時、甲高いホイッスルの音が空気を切り裂いた。
「お前ら! 何してる!」
棍棒を手にした数人の看守が駆け寄り、真ん中分けとボスを引き離した。
「おい、大丈夫か?」
ようやく騒ぎに気付いたジミーが、へたりこんでいるフレディの顔を覗き込んできた。
「放せ! 畜生! おいコラ! テメェのせいだぞ、おぼえてろ!」
看守に羽交い絞めされたボスは暴れながら、フレディに向かって唾を飛ばした。真ん中分けは抵抗もせず、看守に抱えられるようにして棟に向かって歩いていくが、フレディを陰気な目つきで睨んでいる。
「ありゃ、みんな独房行きだな」
フレディの肩に腕を回しながらジミーが呟いた。
「独房から出てきたら、お前を殺しにくるかもな」
「! な、何で? 俺なんにもしてないのに?」
「バッカだなぁ、お前が何したかなんて問題じゃない。お前が原因で独房に放り込まれたってことが問題なんだよ。アイツらにとっては」
蒼ざめたフレディは再びジタバタとやみくもに動いてなんとか立ち上がり、棟を目指して脱兎のごとく駆け出した。濡れたパンツを履き替えるために。




