海の男と死刑宣告
あいつは違う。
カルロスの自宅にシャロンがいないことは確認した。母親が共謀しているとも考えづらい。だとしても、どこか秘密の場所に隠しているかもしれない。ほんのわずかでも可能性があるならば、それをひとつひとつ潰していかなければ。
あれ? 俺はアイツの無実を願っているのか? あのクソ生意気なガキの。
そりゃ、子供が犯罪に加担しているなんて思いたくない。だが、犯罪者の低年齢化は確実に進んでいる。俺は捜査官なんだ。先入観も私情も禁物。
俺はアパートを離れて再び車に乗ると、カルロスが通う学校へと向かった。
終業のベルが鳴ると、先を争うように生徒たちが飛び出してくる。迎えに来た親の車に急ぐ者、友人同士ふざけ合いながらスクールバス乗り場へ向かう者。その中にカルロスの姿を見つけた。背負ったナップザックのストラップを握り、俯いてトボトボと歩いている。誰と話すわけでもなく、大勢の子供がカルロスを追い越していく。
「なんだアイツ、友達いないのか・・・・・・」
明らかにためらいながらスクールバスに乗り込んでいく。そういえば、自慢の自転車はどうした?
走り出したスクールバスを追尾する。カルロスが途中で降車して、どこか別の場所へ向かうのではないかと思って。しかし、アイツは自宅アパートの前でバスを降りると、真っ直ぐに帰っていった。その後、二時間アパートの前にいたが、カルロスが出掛けることはなかった。安堵とともに、どこかモヤモヤした気分だ。カルロスがバスを降りる時、身体の大きな男子生徒に小突かれまくっていたのを見ちまったからだ。こういうイジメは許せないタチなんだ。それにカルロスのヤツ、俺には生意気な態度をとるくせに、何であの生徒には黙ったままやられっぱなしなんだ。
ロージー伯母の家から自宅へ戻ると、クレアはもういなかった。ダイニングテーブルには開いたままのノートパソコン、それに大量の資料やらが積まれたままになっている。
マリアは電話を手に取った。電話代は折半だが、もう気にしないことにする。クレアだって共用スペースを私物で占領しているのだから、お互い様だ。マリアは、ロージー伯母からもらった番号を押した。ラウル専用の携帯電話らしい。アルバイトでもしているのだろうか。あの母親の経済力で、子供に携帯電話など与えられるはずがない。そういうものを持ちたい年頃だというのは分かるが、バイトなどにかまけていないで、しっかりと勉強をしてほしい。マリアは苦々しい気持ちで呼び出し音を聞いていた。
「もしもし?」
訝しむような低い声。まるで別人のようだ。
「ラウル? 私、マリアよ」
「ああ、姉さん。ロージー伯母さんに会ったの? 姉さんの携帯、全然繋がらなくてさぁ、どうしたの?」
急に明るくなった声で矢継ぎ早に質問をしてくる。マリアがよく知っている無邪気なラウルだ。懐かしさと愛しさが込み上げてくる。
「ああ、壊れちゃったのよ。そんなことより、母さんのこと・・・・・・」
『携帯電話は誘拐された時にポルシェと一緒に爆発した』などと言ったら、ラウルは心配するだろう。心配をするのは自分の役目だと思い、携帯電話の件は適当にごまかした。それよりも、大事なことがあるからだ。
母親の方は結婚したばかりで幸せなのは結構なことだ。しかし、連れ子であるラウルや双子たちは、肩身の狭い思いをしているのではないか。マリアは心配でならなかった。
「母さんは今いないんだ。まだ市場で片付けとかしてると思う」
「母さんが、市場で? 働いてるの?」
マリアには驚きだった。
あの母親が、重労働であるはずの市場での仕事など、やりたがるわけがない。それに、今までは夜の仕事ばかりで、早起きしたところなど見たことがないし、まるで想像ができない。
「ミゲルは漁師一家なんだ。漁に出ない女性陣は市場で働いてる」
「母さんには無理でしょう?」
マリアの声には侮蔑の色が滲んでいた。ラウルは気付いていないのか、それとも気にしていないのか、屈託のない笑い声を短く上げた。
「最初はね、市場のみんなもそう思ってたよ。失敗もしてたけど、寝坊は一回もなかった。母さん頑張ったんだよ。今じゃ市場の人気者になってるし、魚を捌く腕前も大したもんだよ」
誇らしげな声。
やっぱりそうだ。どんなに頑張っても母親には敵わない。子供の面倒もろくに見ない、自分勝手な母親のことをラウルはとても愛している。マリアは唇を噛んだ。
「もうすぐ帰ってくると思うけど、どうする?」
母と話をしたくて電話をしたのではない。マリアは深呼吸した。
「いいの。それより、あなたの進学のことなんだけど──」
「ああ、俺大学には行かないよ」
マリアが言い終わらないうちに、ラウルはきっぱりと言い切った。
「俺、漁師になるんだ」
弟の言葉に絶句し、マリアは受話器を耳に強く押し当てたまま、その場にしゃがみこんだ。
「な、何を言ってるの?」
やっと出てきたマリアの声は、ほとんど囁きだった。
「もう船にだって乗ってるんだぜ。まぁ、まだ雑用しかやらせてもらえないけどね。ちゃんとソナーもあってさ、獲れた魚はホテルやレストランに卸してるんだ。どこも一流だよ、すごいだろ?」
ラウルは誇らしげだが、そういうホテルやレストランはほとんどが外国の企業だ。
世界中からやってくる裕福な観光客が多額の金を落としていくが、地元の住民は安い賃金で雇われ、恩恵を受けることはほとんどない。なんだかんだ言ってもラウルはまだ子供で、世の中の仕組みのことなど分かっていない。搾取の実態について熱弁をふるうマリアを、ラウルは軽く笑い飛ばした。
「姉さん、何にも知らないんだなぁ。ああいうところに持っていくのは、見てくれがいいだけの二流品だよ。本当に美味くて貴重な魚は、漁師だけが持ってるんだ」
自信満々な声。誰かの受け売りだと想像できるが、すでに漁師という仕事に誇りを持っている。
何も言えないでいるマリアにラウルは続ける。
「そんなわけだからさ、もうお金は送ってこなくていいよ」
「そんな・・・・・・」
打ちひしがれてマリアは呟いた。自分の存在自体が不必要だと言われた気がする。
「姉さんが稼いだ金は、もう自分のために使いなよ。言っとくけどさ、今まで姉さんが送ってくれた金、母さんちゃんと貯めてるだよ。う~ん、全部じゃないけどね。知っての通り、貧乏だったからさ」
屈託のない笑い声が響く。それから、改まるようにコホンと咳ばらいをした。
「姉さんが、いつか結婚する時に渡してやるんだって。母さん、少しずつだけどコツコツ貯金してるんだぜ。だから、姉さんは自分の幸せのためにお金を使いなよ、ね」
「・・・・・・・・・・・・」
フレディは狭いベッドの上で膝を抱え震えていた。寒いわけではない。どうしようもない恐怖に、身体中の細胞がここから逃げ出したくて右往左往しているような感じだ。
「今のうちに遺言書でも書いといたらどうだ?」
上のベッドからジミーの声が聞こえた。
「無理だよ・・・・・・」
こんなに手が震えていて字など書けるわけがない。そもそも自分には家族も財産もない。
まったくの無意味な提案に首を振っていると、いつも不機嫌な看守が眉間の皺をさらに深くしてやってきた。
「おいションベン野郎、お前に面会だ」
昼間、運動場で漏らしたことは、刑務所中の誰もが知っているようだ。夕食の時も、嫌なあだ名を付けられ散々からかわれた。
「えっ? こんな時間に?」
「FBIの捜査官様だってよ。オラ、早くしろよ」
たっぷり十分は待たされた。看守に小突かれながら入ってきたクロフォードは、鎖で繋がれた手錠と足枷で今にもつんのめりそうだ。
「あの・・・・・・何ですか?」
項垂れていた顔を上げると、左目の周りに真っ黒な痣が見えた。誰かに殴られたのか。
「とりあえず座れよ」
ヤツはぎこちなくパイプ椅子に近づき、難儀しながら腰を下ろした。時々顔をしかめて背中を押さえているところを見ると、顔だけじゃなく身体も痣だらけなんだろうと察しが付く。
看守が消えるのを待ってから、まずは様子伺いだ。
「よぉ、調子はどうだ?」
「良さそうに見えるなら、アンタ相当目が悪いよね・・・・・・」
俺の挨拶が気に障ったか。まぁ、わざと怒らせる意図がなかったとは言わない。基本的に、俺はコイツが嫌いだからだ。
クロフォードは機嫌悪そうに唇を引き結び、自分の身体を抱えるようにして小刻みに震えている。
「哀れだな。まだ一か月経ってないぞ。そんなんで三十五年ももつのか?」
クロフォードは項垂れた頭を振った。否定でも肯定でもない。ただの絶望だ。
「彼女は・・・・・・、マ、マリアは元気でいるの?」
絞り出すような声で訊いてきた。こんな質問に、ありったけの勇気を奮いだしたってわけか。やっぱりヘタレだな。
「ああ、元気だぞ。あ、でも色々と悩みも多いんじゃないかな。なんせマシューズ氏からプロポーズされたからな」
「えっ!」
素っ頓狂な声を上げたクロフォードは椅子から転げ落ちた。そこまで驚くか。まぁ無理ないか。俺だって、雷に打たれたぐらいの衝撃だったんだ。
「でも! マリアはマシューズのことなんか好きじゃないだろう?」
「彼女には家族のために金が必要なんだ。自分の好みだけでどうにかなる人生じゃないんだ」
「そんな・・・・・・」
俺だって納得なんかできやしない。悪態をついて椅子を蹴飛ばすのを必死で我慢してるんだ。
「それはそうと──」
気を取り直し本題に入る。
「お前は知ってると思うけど、マシューズ氏も大変だよなぁ。身内が次々と・・・・・・」
「へ? 何かあったの?」
驚き、そして純粋な好奇心に満ちたアホ面。これが演技だとしたら、アカデミー賞ものだな。だが、それで決めつけるわけにはいかない。
「何って、分かってんだろ?」
クロフォードは床にへたりこんだまま、俺の尋問にぽかんと口を開けた。
「えっ? 分かんないよ。ねぇ、何が起こってるの? まさか、マリアに何かあったの?」
血の気の失せた顔になり、鎖で繋がれた手足をぎこちなく動かしながら、俺の方へにじり寄ってきた。教えてくれと懇願している。教えてほしいのはこっちだ。俺はヤツの胸倉を掴んだ。
「マリアは元気だと言っただろ。それよりお前、誰かの指示で動いてたんじゃないのか? 黒幕がいるなら今のうちに白状した方が身のためだぞ」
鼻がくっつきそうなほど顔を近づけて威嚇したが、ヤツの目にやましい光は見えなかった。ただ驚き、困惑している。それから、真っ黒な痣に囲まれた目から涙がひと筋こぼれ出した。
「く、黒幕がいるって言ったら、ここから出してもらえるの? もしいるなら喜んで教えるけど、ほんとに・・・・・・そんなのいないんだよ・・・・・・」
大粒の涙が傷だらけの頬を流れていく。
扉が開き、さっきとは違う看守が入ってきた。
「時間ですけど・・・・・・」
跪いた囚人が、泣きながら男に縋っている。その光景に眉をひそめながら看守が言った。
袖口で涙を拭うと、ヤツは立ち上がった。今回のシャロン誘拐の件とは関係ないことが分かったから、俺としてももうコイツに用はない。
「あのさ、マリアに・・・・・・」
「何だ?」
ヤツは唇を震わせながら、やっとのことで声を出した。
「・・・・・・幸せになれって伝えて。マリアには、その価値があるからって。俺のことは・・・・・・忘れてくれて構わないって・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
胸に顎がつくほど頭を垂れ、やはりぎこちない動きで出口に向かう。
「よう、ズボンはもう乾いたのか?」
意地の悪い笑い声を上げた看守は、クロフォードのケツを蹴り上げた。首を絞められた鶏みたいな声を上げ、アイツは飛び上ると鎖をジャラジャラいわせながら姿を消した。
ここでもトラブルを抱えているらしい。
「もうすぐ死ぬな、アイツ・・・・・・」
帰ろうと立ち上がった時だった。携帯電話が震え出し、ハケットからの着信を伝えてきた。
「何だ?」
「先輩、今どこですか? 大変ですよ! マシューズさんのところでまた誘拐です」
ハケットの興奮した声が響く。マシューズが通報したのか? ともかく、これで正式に捜査ができる。
「すぐ行く」
そう伝えて通話を切り、俺はマシューズ邸に向かった。




