甘い打算とイン・ハー・シューズ
「オヤジ、信じた?」
グラントが自宅へ帰りつくと、ソファの上に寝そべったシャロンがテレビに顔を向けたまま訊いてきた。
テレビでは、最近落ち目のセレブ男女数人が、不倫、略奪、何でもありの恋愛バトルを繰り広げるリアリティーショーが放映されている。
「まぁ、疑ってはいないけど・・・・・・」
身代金の支払いを渋っているとは、さすがに言いづらい。
「あのクソメイドには払う金があるくせに、娘のアタシに新しい車も買ってくれないなんて。父親失格。罰が当たったのよ」
寝っ転がりながら、高級トリュフチョコをポイポイ口の中に放り込む。ハイクラスな雑誌に掲載された、ベルギー直輸入の店で買ったものだ。一粒十二ドルの超高級品。値段の大部分を占めるのは輸送代だと聞いているが、その味を知っていることが大事なのだと考えたグラントは、たいして甘いものなど好きでもないのに大枚をはたいたのだった。
「あれ? もうなくなっちゃった」
トリュフチョコが入っていた金色の箱を逆さにして振りながら、シャロンが不満気に呻いた。ココアパウダーがカッシーナのソファに散らばる。ローンがまだ五年も残っていることを思い、グラントは溜息を吐いた。
「まぁ、金は出すように説得したから」
それはもう必死だった。身代金を出さないことによる不利益を、あの手この手で考え出した。最後には、渋々ながらマシューズを頷かせることに成功した。もう疲労困憊だ。
「ふぅ~ん、じゃあアタシたち大金持ちね」
シャロンは満足そうに笑い、トリュフチョコの箱を床に放り投げた。またしても、純白のカーペットの上に茶色い粉末が散らばる。
以前から、こういうガサツなところは嫌悪していた。そして、自分の城を土足で踏み荒らす、こういう行為も許しがたい。グラントは冷え切った視線をシャロンに向けた。院長の娘でなければ、人間として認めたいとも思えない輩だ。
テレビでは、一昔前に人気を博したモデルが、明らかにリフトアップ手術を施した顔を歪ませ、共演者の女の顔に赤ワインをぶっかけた。
『この泥棒ネコ!』
罵倒された赤ワイン塗れの女が元人気モデに飛び掛かり、互いに髪の毛を引っ張りあう修羅場に発展した。
「アハハハ! コイツら最高! もっとやれ! ブッ殺せ!」
シャロンは手を叩いて笑い転げている。呆れ返るほど低俗な女だが、その目に宿る残酷な光に、グラントの脈拍は急上昇し、自分もあんな風に嘲ってほしいと切に願った。
次の朝、マリアは朝早くアパートを出て伯母の家へ向かった。クレアは徹夜したのだろう、ダイニングテーブルに突っ伏して寝ていた。起こすと怒りそうなので、十分後にアラームをセットした目覚まし時計をテーブルに置いておいた。
混雑した中心街を抜け、郊外にある伯母の家に着くのに一時間半掛かった。強い日差しが、幌を開けたサムライの車内に容赦なく突き刺さる。
マリアの母の姉であるロージーは、十五年前にメキシコへ遺跡調査にやってきたアメリカ人考古学博士の助手と結婚した。伯母はアルバイトで彼らのガイドをしたそうだ。結婚してからずっとアメリカに住んでいる。ちなみに夫はもう助手ではなく、私立高校で地学の教師をしている。
「マリア、いらっしゃい!」
鉢植えに囲まれた玄関の扉が開き、伯母が出てきた。マリアの母親とは違い、ふくよかな姿が幸せそうに見える。
花が咲き乱れる裏庭のテラスで紅茶を飲みながら、マリアは伯母の話が本題に入るのを待っていた。淹れてくれた紅茶の話、最近行った外国の話、そこで買ってきた土産物の話。ひとつひとつに相槌を打ちながら、伯母はただお喋りがしたかったのかと思い始めた時だった。
「そうそう、あなた来なかったから、写真見せてあげるわ」
「え?」
戸惑うマリアには気付かず、ロージー伯母はリビングへ入り、見事なカービング装飾が入った猫足のチェストへ向かった。
「あの、写真って何の?」
「もちろん、結婚式のよ」
「誰の?」
チェストの抽斗に手を突っ込んだまま、ロージー伯母はキョトンとした顔を上げた。
「マデリーンよ。あなたのお母さん」
「はっ?」
驚きすぎてマリアは言葉を失った。
「もしかして知らなかったの?」
マリアはこくこくと頷いた。まだ声が出せない。ロージー伯母が写真の束を持って近づいてきた。
「来なかったのは仕事で忙しいのかと思ってたわ。携帯電話も全然繋がらなかったし」
誘拐されていたことを話した方がいいのか。でも、絶対に質問攻めに遭うだろう。そう思うと、マリアは口を噤んだ。それよりも重大なことがあるからだ。
母が結婚。信じられない。だって、結婚するには相手が必要だ。いったい誰が母なんかと。
「・・・・・・ないわ・・・・・・」
やっと声が出た。でも、それは口にしようと思っていたわけではない。独り言が漏れてしまったのだ。
「何?」
ロージー伯母が困惑した顔を向ける。
「冗談じゃないわ、結婚なんて!」
棘を含んだ口調に、マリア自身も驚いた。それでも止めることができない。
「いっつも自分のことばっかり! よりによって結婚なんて、勝手にもほどがあるわ!」
「ど、どうしたの?」
ロージー伯母が怯えているのも目に入らず、怒りに任せて激しい言葉を吐き出し続けた。
「長続きなんてするわけないのに! あの人、いい歳して避妊の仕方も知らないのよ。不幸な子供が増えるだけだわ!」
「マリア、どうしてそんなこと・・・・・・」
ロージー伯母は写真を胸に抱え、真っ赤な顔で怒っているマリアに問いかけた。
「だって、私たち姉弟の父親だってみんな違うのよ。しかも、どこの誰かもよく分からない人たちで││」
「それは違うわ」
ロージー伯母が椅子に腰掛け、マリアの方へ身を乗り出した。
「少なくとも、あなたの父親は誰だか分かってる」
「・・・・・・そうなの?」
ロージー伯母のきっぱりとした言葉が、今まで熱く燃えたぎっていたマリアの怒りに冷水を浴びせた。
ロージー伯母は写真を胸に抱いたまま、遠い目をして話し出した。
「私たちが住んでいた町に、ある日マリアッチがやって来たの。知ってるでしょ? 町から町へ渡り歩く楽団よ」
マリアは頷いた。カンクンにもそういう楽団はいる。ただ、彼らはホテルや観光客向けのバーで雇われている、専属の楽団なのだが。
ロージー伯母は両手の指を胸の前で絡め、空想に耽る少女のように話を続ける。
「ステキだったわ、町中の女の子が彼らに夢中になったのよ。特にリードシンガーがね。でもね・・・・・・」
ロージー伯母は声を潜め、芝居がかった調子でマリアに顔を寄せた。
「彼が選んだのは、マデリーンだったのよ」
目を閉じてゆっくり頭を振る。まだ芝居は続いているようだ。
「しかも、とても情熱的でね。毎晩、マデリーンの部屋の窓の下で愛の歌を歌っていたのよ」
そんな話、マリアは聞いたことがなかった。まるで恋愛映画のあらすじを聞かされているような気がした。
「もちろん両親は反対していたけど、彼は諦めなかったわ。水を掛けられても、ゴミを投げつけられても歌い続けたの。まぁ、私が犬をけしかけた時は、慌てて逃げて行ったけどね」
「犬を? 何故そんなことを・・・・・・」
眉をひそめてマリアが尋ねると、ロージー伯母は肩をすくめた。
「だって悔しいじゃない。その時、マデリーンはまだ十五歳よ。私からしてみれば、まだ子供よ。まぁ、彼女は既にとびっきりの美人だったけどね。それにひきかえ私は──」
ロージー伯母は花柄のワンピース越しに自分のお腹をさすった。
「今ほどじゃないけど、いわゆるおデブちゃんだったし。う~ん、いつもマデリーンのおやつを横取りしてたせいね」
「ひどい・・・・・・」
マリアの呟きにロージー伯母は苦笑した。
「とにかく、周りの全員に反対されて、余計に燃え上がったのね。とうとう二人は駆け落ちしちゃったの。それでも、時々手紙はきてたけど。そして一年後に産まれたのが、あなたよ」
ロージー伯母はマリアの手を両手で包み込んだ。
「私の父は今どこに・・・・・・?」
「もう天に召されたわ。あなたがまだ赤ん坊の時、演奏していた店で起きた喧嘩に巻き込まれたんですって。それまでは、とても──」
ロージー伯母は嘆くように溜息を吐いた。
「とても幸せな家族だったのよ」
「そ、そんなの聞いたこともないし、写真一枚見たことない・・・・・・」
まったく実感も持てない、顔も声も何も記憶にない父親の話を聞き、マリアはもどかしい気持ちでいっぱいになった。
「マデリーンは忘れたわけじゃないわ。でも、彼は死んでしまったの。もう戻ってはこないのよ。だから、前に進むしかなかったの。あなたのために」
「・・・・・・・・・・・・」
「よう、シェルビーの旦那、いい話聞きたくないか?」
「何だ?」
モスからの電話に溜息が出る。コイツが言う『いい話』は良かったためしがない。
「マシューズの娘が、今度は本当に誘拐されたぞ」
「はぁ?」
半信半疑の俺に、モスはこの情報を得た方法を説明した。おいおい、盗聴は違法だろうが。
「なぁ、逮捕されたあの男、共犯者がいるんじゃないのか?」
「・・・・・・・・・・・・」
そう聞いて、思い当たるのはカルロスしかいない。でも、アイツにそんなことができるか?
「調べてみる。お前はそのまま盗聴を続けろ」
言い置いて通話を切った。
盗聴を続けろだと? 大丈夫か、俺。




