猟犬の策略と引き裂かれたふたり
「あっ! 人質を盾にした」
「何て卑怯なヤツだ!」
そうかぁ? ハケットとマシューズが騒いでいるが、俺の目には人質が犯人を庇っているようにしか見えない。みんな目がおかしいのか? それとも俺が疲れているだけか?
緊張の最中、街灯に照らされ昼間のように明るいボードウォーク。そこに突然、舞い込んできた物体が見えた。犯人と俺たちの中間で一旦止まり、考えるように左右に身体を揺すると、こっちへ向かって飛んできた。ドローンだ。誰が操作しているのか、辺りを見回していると携帯電話が鳴った。
「あっはは~ここだよ。海の上だ~」
海上に浮かぶモーターボートの一艘に、こちらに向かって手を振っている奴がいる。モスだ。あの野郎……。
「てめぇ! 何やってんだ!」
「まぁまぁ、そう怒るなよ。犯人が言ってたろ、『マスコミも呼べ』って。だから、ご要望どおり参上したってわけさ」
こいつ、盗聴してやがったな。
モスが操作するドローンは一回転半した後、真っ直ぐに犯人と人質の方へ飛んで行った。
「ななな……何だこれ?」
顔の前で静止したドローンに犯人は慌てふためいている。
「記者が飛ばしてるんだ。お前がマスコミを連れてこいって言ったんだろうが」
「そうか……こ、これって録画してるのか?」
「ああ、そうだ」
俺の言葉に犯人は力強く頷き、もう一度マシューズを問い質した。
「おい! ちゃんと聞かせろ! ジェイソンのことどう思ってるのか。あいつはいい医者だったよな?」
「もちろんだ!」
マシューズが声を張り上げた。
「あいつは優秀な外科医だった。俺が見込んだんだから間違いない! あんなことになって残念だと思ってる!」
自分以外の人間をちゃんと評価して褒めることができる男だったとは、俺は少し驚いた。しかし、俺の関心をよそにマシューズは溜息をつき、隣のグラントを睨むと小声で呟いた。
「まったく、お陰でこんな役立たずしか残っていない」
それが聞こえたらしいグラントは、居心地悪そうに顔を俯かせた。
「クロフォードがいれば、アリスみたいな性質の悪いババアの世話なんか、全部押し付けられたのに……」
やっぱりクズなんだな。犯人がこれを聴いたら激怒するだろう。しかし、マシューズの愚痴など聞こえていない犯人は、天を仰ぎ目を閉じて、どこか恍惚とした表情を浮かべている。
「あいつ……泣いてますよ」
イヤホンから聞こえる監視塔のスナイパーの声も困惑気味だ。
『ジェイソン・クロフォードはいい医者だった』
マシューズのその一言がフレディの心に染みわたる。
「ジェイソン……ジェイソン、やったぞ。やっとマシューズに認めさせたぞ……」
達成感に満たされ、自然と涙が溢れてくる。
「フレディ……」
心配そうな表情のマリアが覗き込んでくる。彼女がいたから、彼女が背中を押してくれたからやり遂げることができたのだ。
「ありがとうマリア……君のお陰だ」
フレディは頬を流れる涙を拭いもせず、マリアの肩を抱きしめた。
フレディが泣いている。マリアは胸騒ぎがした。彼は目的を果たして満足したのかもしれない。だからといって、この状況が好転するとは思えない。その証拠に、いまだ多くの銃口がこちらを狙っているのだ。ここをどうやって切り抜けるのか。彼に策はあるのだろうか。
「ジェイソン、聞いてるか……俺はやったぞ……」
フレディは涙を流しながら天を仰いでいる。この様子じゃ、策などあるわけがない。
めまぐるしく感情の変わるフレディに、周りの捜査官たちも警戒を強めているのが分かる。そんな緊張感と無縁なのは、自分に酔いしれて涙を流すフレディと、その目の前を行ったり来たりしているドローンだけだ。どうすればいい。
「おい、クロフォード! お前はどこまでバカなんだ!」
フレディを庇うため、いまだ銃口の前に身を晒したまま逡巡するマリアの耳に、いきなり罵声が飛んできた。声のした方を見れば、仁王立ちした黒人男性の捜査官が嘲るような顔でマシューズを指差した。
「こんな奴の言うこと真に受けて! バカじゃねぇのか? 人質がいるからに決まってるだろ!」
「何だと?」
涙の残る目を見開き、フレディが叫んだ。捜査官は勝ち誇ったように笑う。
「だったら人質を放してみろ! それでもこの二枚舌の院長が同じことを言ったら、俺は負けを認めてやる。お前の勝ちだ!」
フレディは唇を噛み、その捜査官とマシューズにせわしなく視線を走らせている。
「あんな煽りに乗らないで」
マリアの懇願に、フレディは迷ったように視線を彷徨わせた。
「で、でも……」
「私を放したら捕まっちゃう」
この状況で逃げられるとは到底思えないが、人質がいないよりはマシだろう。そんなことはフレディにだって解っているはずだ。
「……ごめんねマリア、こんなことになっちゃって」
決意に満ちた目、眉間には皺が寄っている。
「でもね、どうしてもアイツの本心を聞かなきゃいけないんだ」
「いや……」
マリアは力いっぱい首を振った。
「貴様! いったいどっちの味方なんだ!」
マシューズが怒り狂っている。まぁ、そうだろうな。だが、犯人が自分から人質を解放するこれが最後のチャンスだ。それに、ぴったりくっついているあの二人を、何がなんでも引き離してやりたい。クソッ! 肩に手を置いて見つめ合ってやがる。早く離れろ!
苛立ちが頂点に達し、噛みしめた奥歯が砕けそうになった時、犯人がマリアの肩から手を降ろした。彼女は犯人の方を向いたまま、ゆっくりと後退る。正直、驚いた。こんな手に引っ掛かるなんて、あいつ、本当にバカなんだな。
ウィンドブレーカーを着てジョガーに変装していた女性隊員が、銃を構えたままジリジリと動き出した。俺が頷いて合図を送ると、女性隊員も小さく頷き唇を引き結んだ。次の瞬間、女性隊員が素早くマリアの身体を抱きかかえ、犯人から引き離した。
「人質確保! 人質確保!」
現場は一気に動き出した。
人質を解放した犯人に大勢の特殊部隊が襲い掛かる。犯人は地面に引き倒され、罵声を浴びせ掛けられている。
「放せよ! まだマシューズから聞けてないんだよ!」
身をよじって叫ぶ犯人の頭を隊員が押さえつけると、奴はボードウォークに顎をしたたかに打ち付けた。
「お願い! あの人に乱暴しないで!」
女性捜査官に抱えられたまま、俺の横を通り過ぎるマリアが訴えてきた。声までもが美しい。
「もう安全ですよ。お怪我はないですか?」
突然しゃしゃり出てきたハケット。わざとらしいほどの紳士的な態度で、女性捜査官から人質を譲り受ける。なんだアイツ、今まで恐がって陰に隠れていたくせに。
組み伏せられて身動きが取れない犯人は、なおもマシューズから答えを聞き出そうと叫んでいる。
「マシューズ! 早く聞かせろ! くそっ、放せ!」
悪態をつく犯人に歩み寄る。近くで見ると、なんかボロボロだな。目の周りには殴られたような痣もある。つい最近だろうが、もちろん今取り押さえられた時にできたわけではあるまい。マリアにやられたか? そうだとしたら、いい気味だ。
「はいはい、大人しくしろよ」
俺を散々振り回したこの男の頭を踏みつけてやりたい気分だが、こう人が多くちゃそうもいかない。背中に回されたヤツの両手に手錠を掛ける。かちゃりという金属音が耳に心地良い。
「ねぇねぇ先輩、権利は僕に読ませてください。やってみたかったんですよぉ。いつできるのかって、ワクワクしながら待ってたんです」
ここにきてやけに張り切っているハケット。スキップするような足取りで駆けてきた。せっかくのいい気分を台無しにしやがって。ハケットは俺の袖を引っ張って、子供みたいに目をキラキラさせてやがる。
マリアを取り戻したマシューズは歓喜の声を上げ、彼女を抱きしめている。マリアは無事に保護された。それなのに、何故だ? 苛々する。
「よく聞いてね。えっと、君には黙秘権があるよ。ちなみに、今後の発言は──」
「バーカ、バーカ! マリアが戻ればこっちのモンだ! クロフォードもバカだったが、お前はもっとバカだ! お前なんか一生刑務所に入ってろ!」
マリアを抱きかかえたマシューズが小躍りしながら叫ぶ。やっぱりクズだな。しかも程度が低すぎる。
「くっそぉ! 騙しやがったな! この似非医者! 地獄に落ちろ!」
逆上した犯人が罵声を浴びせる。誰もハケットが読み上げる権利など聞いちゃいない。
「あのねぇ、ちゃんと聞かなくていいの? 後で『知らなかった』なんて通用しないよ」
さすがのハケットも口を尖らせて文句を言っている。あんなふざけたノリの権利なんか誰が聞くか。
「マリアー!」
ハケットの忠告すら聞いていない犯人が叫んだ。押さえつけている俺の膝を、強い力で押し返しながら。
「フレディー!」
抱き締めるマシューズの腕の間から手を伸ばし、マリアも叫び返す。何だ? イラっとしつつ、胸の奥がチクっと痛む。でも、マシューズがどさくさに紛れてマリアの尻を触っているのを目にし、苛立ちは限界に達しそうだ。どう見ても彼女、嫌がってるじゃないか。
何はともあれ、事件は解決した。
目まぐるしく事態が変化するこの場において、ただ一人グラントは手持ち無沙汰だった。まるでドタバタB級刑事ドラマでも見ている気分だ。自分はまったくの部外者。冴えない間抜けな誘拐犯が逮捕されようが、とろいメキシコ人メイドが救出されようが、グラントは何も感じない。ただ、犯人が押さえつけられ、手錠を嵌められるのを見て、少し羨ましいと思っただけだった。シャロンを思い出す。是非あんな風に痛めつけられたい。
「あ、ヤバい。アリスに痛み止めの注射をする時間だ」
今まで興奮していたマシューズだったが、腕時計を見るなり真顔で呟いた。
「マリア、君は入院の必要がある。一緒に病院に行こう。おいグラント、すぐにポルシェをディーラーに返してこい」
言い捨てるとメイドを連れて駐車場に向かう。その後ろ姿は、まさに傲慢が服を着て歩いているようだ。
「…………」
グラントはポケットに手を突っ込み、足元に唾を吐いた。




