宿命の対決と板の上のターゲット
「すごい車の列だな……」
約束の桟橋へ続く道路は渋滞していた。駐車場の入口まであと百メートルほどなのに、車はノロノロとしか進まない。
「まいったな……これじゃ遅刻しちゃうよ」
フレディは指でハンドルをトントンと叩きながら呟いた。
たっぷり十分以上も掛かって、やっと駐車場の入口に近づいた。どうやら、この駐車場に入るための車列らしい。
「何だろう? 映画の撮影でもやってるのかな?」
こんな事態になっているとは思わなかった。この場所を指定したのは間違いだったか、とフレディは考えつつも、どうすることもできずに列に並んだままだ。
あと一台、というところまできた。前にいるベンツのオープンカーのオーナーは、腕組みをした尊大な態度の警備員と激しく言い争いをしている。ベンツは右にウィンカーを出しているので、駐車場に入りたいのだろうが、警備員が首を振って許さないのだ。
「入っちゃいけないのかしら?」
「困ったなぁ」
そんなやり取りをしているうちに、前のベンツのオーナーは警備員に向かって中指を突き出し、急発進してタイヤを鳴らしながら走り去った。
「…………」
唖然としているフレディに向かって、警備員は手招きをした。
「えっ? 俺はいいの?」
二人は顔を見合わせた。
「今日は国産車優先デーなのかな?」
「まさかね」と笑いながらも、不穏な空気は隠しようもない。
マリアは不安そうな顔で桟橋の方角に目を遣った。彼女もまた怖がっているに違いない。その揺れる瞳にフレディの胸は痛んだ。
「ターゲットが入った」
警備員に扮した捜査員から連絡が入った。
「よし。他の誰も通すな」
周囲に緊張が走る。特にマシューズだ。さっきまでそわそわと動いていた膝が硬直し、不自然に日焼けした顔は蒼ざめている。
「彼女も一緒です。大丈夫ですよ」
マシューズを安心させるために言ってはみたものの、正直なところは自信がない。
今のところは人質を大事に扱っているようだが、この土壇場では何が起こるかわからないからだ。最悪の結果だけは何としても避けなければ。見た目に非武装だとしても、何か仕掛けをしている可能性もある。
「全員そのまま待機だ。指示があるまで持ち場を離れるな」
さあ来いクソ野郎。その薄汚れた手に俺が手錠を掛けてやる。
通路中央に等間隔で設置された街灯と、柵のそこかしこに張り巡らされた色とりどりの電飾で、ボードウォークは昼間のように明るい。もう陽は落ちたとはいえ、まだまだ人で賑わっている。夜の海を眺めるカップル、ベンチで新聞を読む男性。そしてウィンドブレーカーを着てジョギングしている女性。
フレディと並んで歩きながら周囲を見回すうち、マリアはふと違和感を覚えた。確かに人はいる。地元らしい人も観光客ぽい人も。
「ねぇ、おかしいと思わない?」
マリアはフレディの腕を引っ張った。
「こんなにたくさん人がいるのに、子供とお年寄りがいないの」
夜とはいっても、まだそんなに遅い時間ではない。しかも今日は休日だ。これぐらいの時間なら家族連れがいたって不思議ではない。それに、こういう場所では必ず大騒ぎしているティーンエイジャーの集団がいるものだ。
「ここにいる人たち全員……」
マリアの言葉を引き継ぐようにフレディは頷いた。その顔は蒼ざめ、唇は震えている。これでは、蛇の大群の中に放り込まれたネズミ同然だ。
哀れなほどの恐怖に震えているフレディの指が、不意にマリアの手を強く握った。立ち止まると一回深呼吸をし、その後彼は大きく息を吸い込んだ。
「おい! ヘタな変装しやがって! 分かってるんだぞ!」
フレディの裏返った声が辺りに響き、マリアは仰天した。
「マシューズに用があるんだ! いるんだろ? 早く出てこい!」
握りあった手が、汗で濡れている。
犯人はかなり興奮しているようだ。売店の陰に隠れ、顔だけを出して確認する。俺たちから犯人までは距離にして二十五メートル。周りにいる捜査員たちの顔もこわばってきている。
「ああ……どうしよう、どうしよう!」
俺の背後でマシューズがうろたえ始めた。あろうことか、ハケットはそのマシューズの背後にいて恐々と様子を窺っている。おいおい、お前は野次馬か。自分の立場を弁えろ。
「これ以上刺激しないように、犯人の指示に従いましょう」
背広の下に防弾チョッキを装備したマシューズ。汗びっしょりでおずおずと前に出る。危険がないよう、俺が横にぴったりと付いた。
「ここだ! ここにいるぞ!」
俺の声に反応した犯人の目がマシューズを捉えた。それは激しい怒りを孕み、燃え上がる炎のように揺れている。
すぐそこにマシューズがいる。ジェイソンの人生を滅茶苦茶にした、あの憎いマシューズが。
変装していた捜査員全てが一定の距離を保ち、銃を構えて取り囲んでいることなど、フレディの目には入っていない。マシューズと、その隣に立って怒鳴っている恐い顔をした黒人の男だけだ。
「望みのモノは用意した! 早く人質を解放しろ!」
「望むモノ? 用意したって?」
望むモノは、まだマシューズから何も引き出せてはいない。フレディは大きく頭を振った。
「まだだ!」
「金も車も用意してある! あと他に何が必要なんだ?」
ドラマに出てきそうな、いかにもFBI捜査官という面構えの男が苛々した声で訊いてくる。フレディはその男の背後に半ば隠れるようにして立っているマシューズを指差した。
「アンタに、訊きたいことがある」
「な、なんだ? 何でも答えるから、早くマリアを放してくれ!」
マシューズの焦りは頂点に達していた。金もポルシェも用意した。なのに、犯人はマリアを解放しない。この期に及んで質問に答えろと言う。あと三時間もしたら、アリスにまた注射をしに行かなければいけないというのに。
まったく冴えない風貌の男。貧相で、見るからに学もない。自分たちとは明らかに違う種類の人間だ。そんな奴がマリアの手を握っている。かつて、マリアの手に触れようとすると、いつもさりげなくかわされていたことを思い出したマシューズは悔しさに歯噛みした。
「クソッ! あんなゴミみたいな奴に……」
まる二日も一緒にいたのだ。
「きっとマリアはもう……」
絶対に自分の方が先に目を付けたはずなのに。マシューズは頭を抱えた。突然現れて自分を苦しめる疫病神。焦りを通り越して段々怒りが込み上げてくる。
「訊きたいことがあるなら早く言え!」
ほとんど悲鳴に近い声だ。犯人は目を吊り上げ、怒ったような顔で息を大きく吸い込んだ。
「ジェイソンのことだ!」
「ジェイソン? 誰だ?」
後ろのグラントに訊いた。
「ええっと、ドクター・クロフォードのことじゃないですか?」
呆れたようなグラントの声にイラっとしつつ、姓を聞いて朧げな姿が頭に浮かぶまで十秒以上掛かった。
「ああ、アイツか……」
FBIの捜査官まで冷たい視線を送ってくる。なんだか居心地が悪い。
「今日は色々あって、ちょっと忘れてただけだ。なんだ、俺は被害者だぞ。もっと労われ!」
マシューズは毒づいた。
「いったいクロフォードが何だってんだ? 早く言え!」
マシューズは苛立った声で怒鳴り出した。
金だの車だの、訳の分からないことばかり言っているマシューズにフレディはうんざりしてきた。
「やっぱり、誠意のかけらもない男だな」
これは尊厳の問題なのだ。フレディは軽蔑すべき金満クズ院長を指差した。
「アンタがジェイソンのことをどう思っているのか知りたい。ジェイソンはいい医者だったよな?」
「…………」
マシューズは背広のポケットに手を突っ込み、不機嫌そうに口を結んでいる。
「マシューズさん、お願いです!」
突然マリアが叫んだ。
「本当のことを言ってください!」
必死の懇願にマシューズがひるんだように見えた。
「ああ、分かったマリア! クロフォードは──」
「ちょっと待った!」
ここへ来る直前に、ディスカウントショップでボイスレコーダーを買ったことを思い出したフレディはマシューズを止めた。
「証拠だ。録音しなくちゃ」
ジーンズのポケットに手を突っ込もうとした時、マリアの息を飲む音が聞こえた。
「あ……あ……」
「え、何? ……何だ、これ?」
フレディの白いTシャツ一面に、小さな赤い水玉模様がたくさん付いている。周りを見れば、数えきれないほどの銃口が自分に向けられていた。ポケットに手を入れたことで武器を出すと思われたのだろう、死の危険を感じたフレディは、慌てふためくだけで何もできない。こめかみから額から、だらだらと汗が流れ落ちてくる。
「危ない!」
マリアがフレディの前に立ちはだかった。無数の赤いレーザーの点が、小柄な彼女を染め上げる。
「マリア! 何やってんだよ! 危ないよ!」
「大丈夫。私のことは撃ちません」
フレディが肩を掴み、自分の前からどかそうとしてもマリアは足を踏ん張り、頑として動こうとしない。




