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非道の要求と茨の一本道

 自己主張するように鳴り続ける電話。強張った顔のマシューズが、目を剥きながらそれを見つめている。額に玉のような汗をかいて。俺が電話を取るよう促すと、震える手で受話器を上げた。

「マシューズか?」

電話の相手の声に、マシューズの顔からさらに汗が溢れ出した。奴だ。


 モーテルとダイナーの間にある公衆電話。憎い相手の電話番号はもうすっかり覚えてしまっていた。呼び出し音が続く。早朝とはいえ、すぐに出ないとはどういうことか。メイドなんかどうでもいいのか。それとも、もう早々と新しいメイドを雇ったか。フレディは憤慨した。マリアが蔑ろにされているような気がしたのだ。

「マ、マリアは無事なのか?」

「え?」

憶測とは裏腹に怯えたようなマシューズの声。フレディはうろたえた。それじゃあまるで、自分がマリアに危害を加えているみたいじゃないか。マシューズの切羽詰った声は続く。

「お、お願いだ! 声を、彼女の声を聞かせてくれ!」

何か誤解してる、このオッサン。フレディはすっかり調子を狂わされてしまった。何か言わなくちゃ、と思うが困惑のあまり口から言葉が出てこない。

「私は大丈夫です! お願いですから、このひとの話を聞いてあげてください!」

いつの間にか隣りにいて、フレディが持つ受話器に耳をくっつけていたマリアが送話口に向かって叫んだ。

「マ、マリア! 良かった!」

芝居掛かった感涙に泣き叫ぶマシューズの声。ベタなテレビ映画を見てるようだ。

「何だこれ?」

思わず呟いたフレディの声などまるで聞こえていないマシューズが畳み掛ける。

「金か。幾ら欲しいんだ? 金なら出すぞ、だからマリアを早く返してくれ!」

その物言いにフレディはカチンときた。

「アンタさぁ! さっきから金、金、って! 金で全てが解決すると思ってんのかよ!」

「金に困ってるんだろう? さあ、必要な金額を言ってみろ」

「え……?」

マシューズの押しの強さにフレディはたじろいでしまい、言うとおりに当面必要な金額を頭の中で計算した。

 家賃の滞納分はまだ残っている。でも昨日、大家に十ドル渡したばかりだし、あと一週間くらいは大丈夫だろう。いつも怒っているが、別に彼女は悪い人間ではない。親からアパートを相続し、家賃収入があるために働かなくても生活ができてしまう。加えてテレビが大好きなため、ほとんど家に引きこもっているから異性との出会いがなく、婚期を逃してしまって住民に八つ当たりしているだけなのだ。そうだ、彼女が悪いわけではなく、その境遇が彼女をあんなに怒りっぽくしてしまっただけなのだ。フレディは寛大な心の持ち主ではないが、嫌悪感が顔に出るとまずいので、そう思い込むようにしていた。

 すぐにでも新しい仕事を探そう。マリアとの将来を思い描いたことで、フレディは人生の建て直しに前向きになっていた。しばらくは節約生活が続く。でも彼女となら、そんな日々もきっと乗り越えられる気がする。

「えっと……三十ぐらいかな」

三十ドルあれば、何とか当面のやりくりはできるのではないかと思い、フレディは素直に口にした。


「三十って、ミリオンですよねぇ。三千万ドル……」

「何て強欲なやつだ」

「家族でもない使用人にそんなに払うわけないだろう」

犯人からの電話をモニターしながら、俺たちは囁きあった。しかしマシューズは受話器を耳にあてたまま黙りこくっている。

「あれ? まさか、検討してる?」

すっかり無精髭だらけになったマシューズの顎から汗がたらりと落ちた。

「そ、それだけあれば満足か?」

マシューズのその言い方に犯人はキレたようだ。

「何だよ! 貧乏人だと思ってバカにしてんだろ! ったく、あったまにくるなぁ!」

まずい展開だ。あんまり犯人を刺激しないでほしい。

「ちょっとアンタ! あたしの車弁償しなさいよね! アンタのせいでどこにも行けやしない!」

それまでソファにふんぞり返り、コーラを飲んでいたシャロンが電話口まで突進してきて怒鳴った。この娘、邪魔でしかない。

 シャロンの勢いに、電話の向こうの犯人が唾を飲み込む音が聞こえてきた。

「お……おい、マシューズ!」

気を取り直したように咳払いをして犯人は怒鳴りだした。心なしか声が震えている。

「いいか、よく聞けよ! 車だ! 車を買え! ポルシェの新車だ! おまえの──」

そこで電話は切れた。


「お前の、娘に──」

話の途中で突然、ガチャンと音がしたかと思うと通話が途切れた。見れば、マリアが受話器のフックを下ろしている。

「えっ、何で……?」

まだ受話器を耳にあてたままのフレディがマリアに訊いた。

「あまり長電話はしないほうが……」

「そ、そうか! 逆探知されたら大変だもんね。いやぁ、頼りになるなぁ」

冷や汗を拭いながらフレディは感心して何度も頷いた。

 マリアが言った通り、シャロンは車の弁償を迫ってきた。自分にあんなに高い車を買えるはずもなく、それならば諸悪の根源であるマシューズに買わせよう、と思いついたのだ。

「いいアイデアだと思ったんだけどなぁ。ちゃんと伝わったかなぁ」

不安そうに首を捻るフレディに、マリアは「大丈夫」だと言いたげに微笑んだ。それを見てフレディも安心する。

「とりあえず、ここは早めに離れた方がいいね。害虫駆除も終わってるだろうし、そろそろ帰ろうか」

マリアがいてくれて良かった。彼女がいれば、何だか全てが上手くいくような気がしてくる。それに何より、早く二人きりになりたい。

 頷いたマリアの手を取り、フレディは車へと歩き出した。


「こいつ、逃走用にポルシェの新車を要求しやがったか……」

他人の車をぶっ壊しておいて、なんて奴だ。

「公衆電話からですね」

分析官がパソコンのモニターから眼を離さずに言った。今の時代、逆探知に時間を掛けたりはしない。通話記録は電話会社を通し、瞬時にこちらへ送られてくる。発信元の位置を特定するため、アメリカ、カナダ、メキシコまで表示された広域地図が徐々に拡大されていく。

「ふざけんなぁ!」

シャロンが怒り狂って怒鳴り出し、持っていたコーラのボトルを振り回した。

「おい、誰か止めろ!」

「ちょっとちょっと、落ち着いて!」

シャロンの手からコーラのボトルがすっぽ抜けた。ボトルはヒュンヒュンと音を立て、回転しながら分析官目掛けて飛んでいく。

「あぶない!」

ただのオタクかと思っていた分析官が、驚異的な反射神経を見せた。顔の前、あと一インチというところで、飛んできたボトルを両手で掴んだのだ。まるでニンジャのように。

「おお~!」

感嘆の声があがったのも束の間、現実はそう上手くはいかなかった。分析官が掴んだボトル、口が下を向いていたのだ。泡だらけの茶色い液体が、今まさに犯人の居場所を特定しようとしているパソコンに降り注いだ。

「ああ……あああ……」

固まってしまった分析官は成す術もなく、自分の大事な相棒がコーラを浴びるのを見つめている。やがて嫌な臭いのする火花が小さく飛び、アメリカ南西部を映し出していたモニターは真っ暗になった。

「なんてことを……ひどい!」

涙混じりに訴える分析官に、シャロンはふてぶてしく鼻を鳴らした。

「そんなの税金で買ってるんでしょ? うちは高額納税者なんだから、文句言われる筋合いはないの!」

すねかじりの放蕩娘が何言ってやがる。これじゃ犯人の居場所が分からないじゃないか。役に立たないどころか、邪魔ばっかりして。

「コーラがこぼれたところ、ちゃんと掃除しといてよね」

横柄に命令すると、欠伸をしながら出て行った。

「どこの公衆電話か、場所の特定は?」

分析官はうなだれたまま力なく首を振った。

「無理です。ここからそう遠くないってことぐらいしか……」

 うら若き美女を人質に取り、傍若無人な要求をしてくる犯人が近くにいるってのに、詳しい場所が分からない。俺の胃の中でチリチリと何かが蠢いている。その感覚にとうとう耐え切れなくなって爆発しそうになった時、ハケットが俺の目の前に携帯端末を差し出した。そこには、顔写真のついた運転免許証。

「クロフォード」

あいつだ。

「交通局のシステムに入って調べました。南カリフォルニアだけで同姓同名が二十五人。さらに、おおよその年齢から絞り込んで十一人。一人一人調べていって、やっと見つけましたよ。間違いなく、昨日ガソリンスタンドで会った彼です」

住所もばっちり載ってる。でかしたハケット。マザコンにしては上出来だ。

俺からの指示を待たずにちゃんと仕事をするようになったか。それとも、下着姿のシャロンを見なくて済むように携帯にかじりついてたか。多分後者だろう。しかし、そんなことはどうでもいい。結果がすべてだ。

「よし、一度戻って作戦を練るぞ。奴のアジトに突入だ」


 砂漠をひた走る白いマスタング。ハンドルを握っているのはマリアだった。一晩ぐっすり寝たとはいえ、フレディの身体はまだ痣だらけで見た目にも痛々しく、マリアが運転を買って出たのだ。それに、昨夜運転した時、この車の持つ荒々しいフィーリングがすっかり気に入ってしまった、と嬉しそうに運転席に乗り込んだ。

「いい天気。ドライブ日和ですね」

楽しそうにマリアが笑う。車の窓から差し込む光を浴び、その美しさにフレディは目を細めた。やっぱり彼女には太陽がよく似合う。荒涼とした砂漠に、どこまでも澄み切った青い空。そこに美しすぎるマリアが加わると、まるで映画でも見ているようで現実感を失ってしまう。見つめているだけで幸せだ。こんな時間が永遠に続けばいいと思う。

 だけど、そう上手くいくのだろうか。喜びを感じた瞬間、それをかき消す黒い雲がいつもどこからか湧き出してくる。実際、あんなに意気込んでマシューズに電話を掛けたのに、一瞬で相手のペースに飲み込まれてしまったじゃないか。

「はぁ、結局マシューズにジェイソンのこと言えなかったな……」

溜息をつくフレディにマリアは慰めるような笑みを向けた。

「またチャンスはありますよ」

「うん、そうだね……」

自信はないものの、マリアの言葉を否定したくない一心で頷いた。

 いつもこうだ。するべきことの半分もできずに、後になって「ああすればよかった、こうすればよかった」とぐずぐず考え込む。悪い癖だ。でも、もうしくじるわけにはいかない。人ひとりの尊厳が掛かっているのだ。

 フレディは後ろを振り返った。舞い上がる黄色の砂煙がリアウィンドウを覆い隠し、今まで走ってきた道がもう見えない。もはや、前に進むしかないのだ。



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