第66話 幼馴染みと短い朝
いい匂いがする。
甘いとも爽やかとも言えない、どうにも形容しがたい匂いだが、本能を刺激するようなとにかくいい匂いだ。
目を閉じたままその匂いの濃い方へ鼻を近づける。そんな顔に何か触れる。細かい糸のような——髪の毛だろうな。穂乃果の。そして両手から伝わる柔らかい感触はやっぱり——
確信めいたものを感じて目を開ける。
カーテンの隙間から差し込んでくる、朝日と言うには少し高い太陽の光。それが照らし出すベッドの上で、穂乃果を後ろから抱き締めている。それどころか、後ろから胸を鷲掴み。そのせいか、布団もかけていないのに寒くない。
無意識にこうしてたのか。そんなに穂乃果のおっぱいが好きなのかよ。好きだよそりゃ。
もみもみ。
朝も変わらず柔らかい。さすがに大きさは変わらないが、ついつい揉んでしまうほどの心地よさ。触れるというタガが一度外れると、二度目三度目は平気になるものだな。
寝てる女の子を触るのはやめておこう、なんて思っていたのに、無意識な自分は平気で触るんだな。
「もー。いつまで揉んでるのよ」
「起きてたのか?」
「ずっと揉んでるんだもん。起きちゃうよ」
「そんなに?」
「一時間くらい」
「それは随分だな」
そんな事を言いつつも、もみもみ。
「どんだけ好きなのよ。ホント」
呆れたような口ぶりだが、
「そりゃあ・・・好きだよ。穂乃果の事」
「もー・・・朝からドキッとさせないで」
それは手から伝わってきますよ。
密着させている背中も熱くなってる気がするし。
そんな事がありつつも、胸からは手を離さない。
「で、今何時?」
「もう十時になるよ」
手が離せない僕の代わりに穂乃果がスマホで時間を確認。
窓から差し込む太陽の光を見るに、今日は暖かくなりそう。お出かけ日和かもしれない。
「どうする?今日はどこかに遊びに行くか?」
「うーん。そうだね。公園なんかでゆっくりしたいな」
「じゃあ海浜公園に行こうか。水族館行ったり、観覧車乗ったりしようよ」
「ふふふ・・・デートみたい。じゃあ、お弁当持って行こうよ。隼の誕生日に出来なかったからね」
「いいね。そうしようか」
などと決まったが、二人とも起き上がろうとしない。
「起きないの?」
「うーん。もうちょっと」
もみもみ。手を放すタイミングが見当たらない。このまま一日が終わってしまってもいい、とさえ思える。
何かきっかけがないとやめられないかも。
がちゃ。
「おい隼、穂乃果は——」
例えば突然母親が部屋のドアを開ける、とか。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
しばし沈黙が流れる。
二人ともドアの方向を向いているので、僕らがどういう体制でいるのかは母親からはばっちりと確認出来るはずだ。そして、僕の両手がどこで何をしているのかも。しかも穂乃果は彼シャツ姿で、パンツ丸出しの可能性がある。
『何かしらが終わった後』だと思われても仕方ない。
ドアから顔を出した母親は、今まで見た事のない顔をしている。恐らく、豆鉄砲を喰らった鳩はこんな顔なんだろう。
しばらくそんな顔で呆然と眺めていたが、
「ああ、そうか。悪かったな。何でもない」
ばたん。と、音をたててドアが閉まる。
「・・・」
「・・・」
取り残される二人。
もみもみ。手だけは意思を持ったみたいに動いているが、
「・・・佳代子ママに誤解されたかも」
「・・・しない訳無いよな」
「隼がおっぱい触りたがったから、触らせただけだって弁明しないと」
「元々は穂乃果が触れって言ったんだぞ」
とは言え順番などどうでもいい。放れたがらない両手を無理やり引きはがして、恐る恐る階下の母親の元へ向かう。誤解を解きに。
行きずらいな。
リビングで優雅にコーヒーを嗜む母親。
はす向かいに二人並んで座る。
「えーと、母さん。あのさ」
「お前らが何をしようと口は出さんが」
僕が言い終わるよりも先に、母親が口を挟む。妙な迫力があって、二人とも黙ってしまう。
「節度を忘れるなよ」
「せ、節度って」
「セックスの話だ」
「・・・はっきり言うんだ」
「大切な事だろう。見て見ぬふりは出来ない話だ」
まあそうなんだけど。母親に言われるとは思わなかった。
「お前らの事だから、いずれそういう関係にもなるだろうとは思っていたが、思っていたよりも早かったな。ヘタレ息子が覚醒したか」
「いやいや、ちょ、ちょっと待ってくれ。まだそういう関係にはなってないから」
「そ、そうだよ、佳代子ママ。ちょっとおっぱいマッサージしてもらってただけで」
「まあ別に白状しろとは言ってないし、詳細に聞く気もない。ただ、本能に全てを任せるんじゃなくて、節度を持って愛し合ってくれれば、それでいい」
なんだか生々しい。
「だから違うんだって。そもそもまだ付き合ってるわけじゃないし」
「付き合ってもいない男女のするような行動ではなかったぞ」
それは分かってるけども。
「ほら、私おっぱい小さいから、おっきくしようと思ってマッサージしてもらってただけだよ。そしたら隼が夢中になっちゃっただけで」
言い方は気になるが、あながち間違いでもないので否定は出来ない。
穂乃果の言葉に、顎に手を当てて考え込む佳代子ママ。
「ふむ・・・となると、隼が獣になる一歩手前だったって事か。そうか、その前に注意出来て良かった」
「そ、そんな事がある訳——」
「無いのか?本当に?」
一晩ベッドを共にしていても何も無かったのだから無いとは思うが、はっきり『無い』というのも違うか。穂乃果に魅力がないみたいに聞こえないか。
そうして僕が口ごもっていると、
「ま、男なんてそんなモンだし、女だってそんなモンだ。だからこそ、守るべきものは守れって話だな。そうすりゃあ、気兼ねなく楽しく気持ちいい思いが出来るってモンだ」
言い方はアレだけども、間違った事は言ってない。
「お前らが『まだ付き合ってない』って言うなら、もうちょっと先の話かもしれんが、知っていて損は無いはずだ。それより穂乃果」
「ん。何?」
思いの他真剣な目をして聞いていた穂乃果に母親が呼びかける。穂乃果の彼シャツ姿を眺めて、
「付き合ってもいない男の前でする恰好じゃないぞ。それで一晩一緒にいたとか。襲ってくれって言ってるようなものだろ。しかも胸揉ませるとか」
「そうかな?」
僕に聞くんじゃない。
「それで襲わなかったって事は、隼の自制心は信用できるって事なんだろうが——まどろっこしいから、お前ら早く付き合え。付き合って私と志保を安心させてくれ」
そう言われて、穂乃果と顔を見合わせる。
「ああ・・・色々あるんだよ」
「うん。色々ね」
そんな事あるわけない、って思わなくなったのは進展かもしれない。




