第34話 幼馴染みとエプロン
お盆に突入してすぐ。
日に日に距離の近くなる穂乃果は、柊木家に入り浸っている。
お盆休みに合わせて志穂さんが一郎さんの単身赴任先へ行ってしまったため、残された穂乃果の面倒をうちで頼まれたからでもある。
穂乃果は志穂さんに一緒に来ないかと打診されたようだが、アルバイトがしたいと断ったらしい。
そのアルバイトとは、うちの両親の営む洋食店。お盆の時期は忙しくなるため、例年のように二人で手伝いに行っているのだが、夜には一緒に晩御飯を作って食べるのが日課になっている。
そうして今日も晩御飯の準備をしているのだが、今日は母親も一緒。普段はもう少し帰りが遅いので、晩御飯は別なのだが。
「ほら穂乃果。まずはじゃがいもを切るんだぞ」
「はぁい。佳代子ママ。人参も切る?」
「ああ。食べやすい大きさにな。ちなみに隼は大きめの野菜が好みだからな」
「そうなんだ。じゃあ全部同じくらい?」
「そうだな。食べ応えがある方が好きらしい。まあ穂乃果が作ったとなれば、どんな出来だろうが文句は言わないだろうが」
「へーそうかなー」
「それと、隼は甘めな味付けが好きだからな。覚えておけよ」
「はーい」
こんな訳でここ最近料理の腕を上げつつある穂乃果は、うちの母親である佳代子ママと並んで料理を作っている。
父親が商店街の会合に参加するため店を早じまいしたので、珍しく早く帰って来た母親に穂乃果が料理を教えてくれとねだってこうなった。
メニューは肉じゃが。家庭的な料理を覚えようとしている穂乃果に喜んだ母親が、さっきから手取り足取り教えている。
昔から穂乃果を気に入っている母親と、その母親に懐いている穂乃果が並んでいると、嫁と姑——いや、親子に見える。
それは全然いいし、文句は何も無いのだが、穂乃果に着せた短い丈のピンク色のフリフリエプロンが気になる。可愛いのだが、もしこれが母親の秘伝の装備だとしたら親子関係を見直さざるを得なくなる。
怖いけど聞いてみよう。
「その可愛いエプロンどうしたの?母さんのじゃないよね」
「えへへ。可愛い?」
エプロンの裾をちょいと持ち上げ、お嬢様の挨拶のように小首をかしげる穂乃果。ショートパンツを履いている穂乃果は、短いエプロンのせいでミニスカートを履いているように見えて少しドキドキする。
「うん。可愛い」
それは間違いない。
「惚気るな」
母親はぴしゃりと言う。
「このエプロンはいつか穂乃果に着せようと用意しておいたものだ。別に悠介の趣味で私が着せられていたわけではないから、安心しろ」
安心しました。ここで両親の性癖が暴露されなくてよかった。それにしても、穂乃果に着せようと思って用意しておいた、って何だ。
「いいか、穂乃果。男ってのは、うまい飯を食わせておけば言う事を聞くもんなんだ。それには、料理の腕は役に立つ」
料理の指導ついでに別の指導が行われる。夫婦円満の秘訣なのか、主従関係の構築方法なのかは定かではない。
「そうなんだ」
真剣な顔をして聞き入る穂乃果。少し怖い。
「そうだ。食卓は団欒の場ではないぞ。主従関係の確認の場である事を忘れるな」
恐ろしい事を言う。だからうちの父親である悠介は、佳代子ママに頭が上がらないのか。料理人なのに。
「はあい」
「そしてたまには飴を与えてだな——おい隼」
背筋を寒くしていところでふいに呼びかけられる。戸棚の中を探っている様子の母親。
「ん?何?」
「醤油が足りないから買って来い。お前らが使ったんだろう。無くなりそうだったら買っておけよ。気が利かない男だな」
「悪かったな」
穂乃果と二人で料理作ってて、楽しかったんだよ。
そんな事を思いつつ醤油を買いに行き、五分程で帰って来る。
玄関で靴を脱いでいると、
「おかえりなさ~い♡」
ザ・新婚さんと言っても過言ではないエプロン穂乃果がそんな事を言いながら奥から迎えてくれる。何だかさっきまでと雰囲気が違う。
どこで覚えたのか、あざとい上目遣いでこちらを見ながら、体をクネクネさせる。
何だ何だ。何が起こってる。可愛いけど。
「ねえ隼」
「どうした?」
「ご飯にする?」
「え?」
「お風呂にする?」
「んー?」
「それとも」
穂乃果は数秒の間を空ける。ゆっくりと瞬きをし、
「あ・た・し?」
口元に指を添え、片目を閉じてそう言う。
「・・・」
穂乃果の衝撃の発言に、言葉を失って思考が停止する。よく耳にする、新婚さんの決め台詞。穂乃果がエプロン姿でそんな事を言うと、言い知れぬ破壊力がある。
いや。よく考えろ。穂乃果が本気で言う訳がない。
そうだ。穂乃果が新婚さんごっこを仕掛けてきただけだ。せっかく新婚さんルックなのだから、悪戯心が疼いたのだろう。
そう思うとすっと熱が下がる。これは、ただのお遊びだ。
ならばこっちも乗ってあげるべきかな。新婚さんごっこに。
「そうだなぁ」
三つの選択肢に迷うフリをする。魅力的なのは一つしかない。一つは主従関係の確認だし。
「ふふっ」
ニコニコして僕の答えを待っている穂乃果。そんな可愛い穂乃果を、少し困らせたくなる。
「じゃあ今日は、穂乃果にする」
「え?」
僕は笑顔から戸惑う表情に変わった穂乃果を、有無を言わせぬスピードでお姫様抱っこする。
急に慌て始める穂乃果。
「ちょ、ちょっと待って!なにするつもりなの!」
「そりゃあ、ねー。分かるだろう?」
「ち、違う、違うの!そういうつもりじゃないの!」
「いてて!頬つねるなよ」
「だったら下ろしてよ!」
「穂乃果がそう言ったんだろ?穂乃果がその選択肢を提示したんじゃないか」
「で、でも、それ選ぶと思わないじゃない!」
「それ以外を選ぶ訳ないだろ」
「ちょっと待ってよ!まだそんなのは——」
「いいから、向こうに行くよ」
僕は腕の中で体温を上昇させる新妻を連れ、廊下を進んで扉に向かう。
「新婚さんをお姫様抱っこして運ぶ場所は、一つしか無いよな」
「ちょっとちょっと!ちょっと待ってって!」
穂乃果は僕の腕に抱えられたまま、足をじたばたさせて抵抗を試みる。その勢いにバランスを崩しそうになるが、どうにか踏みとどまって扉を開ける。リビングに繋がる、その扉。
「待ってって!シャワーもまだだし、可愛いパンツじゃない——」
変な事口走るな。
「何やってるんだお前らは」
リビングからつながるキッチンから、呆れた視線を向ける佳代子ママ。その姿を確認してようやく落ち着く穂乃果。そしてみるみる顔を赤くしていく。
何を想像したんだか。こんな状況で僕が何をするつもりだと思ったんだか。
「ちょーっと!何言わせるのよ!」
僕に抱きかかえられたままぽかぽか叩いてくる穂乃果。痛くはないし子供みたいで可愛いのだが、少し涙目。
仕方なく穂乃果を下ろす。
「ごめんごめん。冗談だって」
「冗談にしていい事と悪い事があるでしょ!もうすぐ覚悟するところだったじゃない!」
「ははは。でも、次もこうするからな」
「むぅ・・・」
頬を膨らませて下を向く穂乃果。
「ったく・・・」
母親の嘆息が聞こえてくる。
「そういう事は結婚してからやれ」
今はまだ『ごっこ』だけどね。




