第26話 幼馴染みは言う事を聞く
何でも言う事を聞くという言葉は、魅惑的な響きがある。それが好意を持っている女の子に言われればなおさら。
普段であれば簡単に動揺したかもしれないが、穂乃果の思惑を理解した僕は冷静さを失わない。
「・・・負けた・・・」
そうなると穂乃果に優位性は無い訳で、こうなるのは必然と言えた。
「むー」
不満そうに頬を膨らませる穂乃果。
「僕の勝ちだな」
最初と何も変わらない圧勝。動揺さえさせられなければ、結果は何も変わらない。
「いい作戦だと思ったのに」
いい作戦だったかもしれないが、出すタイミングが悪かったな。
さて。
「何でも言う事聞くって言ったよな」
「うん。言ったよ」
上目遣いで見てくる穂乃果。
「不満そうだな」
「そんな事ない。悔しいだけ」
どちらにせよ、約束は果たしてもらう。
今までなら、ジュース買って来いだとか、お菓子買って来いだとか平和なものが多かったが、今回は穂乃果に言動の危険性を教えると言う大事な役割がある。何をすればそれを示せるか。
「何でも言う事聞くって言ったからな」
僕はそう言うと不満そうな穂乃果を抱き寄せて、左手で後頭部をホールドして逃げられないようにする。
「ちょ・・・隼・・・」
そのまま動揺して目を白黒させる穂乃果に顔を近づけてゆくと同時に、左手で穂乃果の顔をこちらに近づける。
ゆっくりと、だが確実に、僕と穂乃果の唇は近づいている。
そう、言質を取ったと言って唇を狙って来る奴、という設定。『何でも言う事聞く』と言われて思いつく事ベスト3に入る行動だろう。
実際は『言う事』ではないが、まあいい。自分の言動がそんな危険を孕んでいると穂乃果が理解してくれれば。
今日この家には二人以外誰もない。つまり誰も助けてくれない。そんな中、湯上がりで薄着な状態で、力の勝る男に迫られている状況。
ほら。危険を理解したか?不用意な発言のおかげで今まさに大事なものを失おうとしてるぞ。
理解したらどうすればいいか分かるか?きちんと拒絶しろよ。言質を悪用した奴は軽蔑して拒絶すべきだ。
しかし、動揺しているせいか中々動きがない。
左手で頭が動かせないほど硬直しているが、それならこっちが近づくまで。
あと十センチまで近づく。
「あああ・・・ううう・・・」
あわあわする穂乃果。あの猫のキャラのキーホルダーにそっくり。
とは言え、僕の方も無感情ではいられない。こっちから仕掛けたと言え、至近距離の穂乃果に目が眩みそう。
でもそこは平然としていないと。『こんな事が起こり得る』と思わせるには、こっちが動揺しては意味がない。どうせそんな事出来ないと思われては台無しだ。
自分を律しながら、更に唇を近づける。
あと五センチ。
おい。早くしないとくっついちまうぞ。
僕としては本当にする気は無いんだから、そろそろ拒否してくれないと。これ以上は僕も動揺を隠せなくなる。
あと三センチ。唇の熱さえ感じる近さ。
早くしろ。早く拒絶を——
「——!」
僕の願いが届いたのか、両手で僕の口を塞ぐ穂乃果。物理的に遮られた。
距離をとって、手を放す。
「・・・こんな事する奴がいるんだから、不用意な事言うな」
無表情を装って言う。内心はドキドキ。
「はぁい・・・」
返事の通り分かってくれればいいんだが——
その後はしばらく、さすがに穂乃果は顔を上気させたままおとなしくしていた。
しかし、しばらくすると相変わらずの全戦全敗に頭に血が上ってくる。穂乃果の悪いところだ。
悔しそうに僕を指さしながら、
「もう一回やるよ!」
高らかに宣言。
「隼!今度こそ私が勝って隼に言う事聞いてもらう!」
さっきの忘れたのかよ。
「何だ。またか」
「そうよ!」
「だったら僕が勝ったらまた言う事聞いてもらうぞ」
さっきどんな事をされたか思い出した方がいいんじゃないのか?
ともあれ、そうやってある意味賭けのような事をしたところで勝った試しがないのになぜやりたがるんだろうか。頭に血が上ると冷静な判断が出来ないものだな。
「今回こそ勝つ!」
元気に宣言する穂乃果だが、元々弱いのに冷静な判断が出来ないとなると、勝つ可能性が限りなくゼロになる——どころか、僕が負けるのが難しくなる。
数分もしないうちに、
「あぁーーーーーーー!」
『K.O』の文字にうなだれる穂乃果。
ちょっと可哀想になってきた。そしてつくづく、これってローレライの操縦の練習になってるのか疑問だ。
疑問は尽きないが、約束は約束。
さっきと同じように抱き寄せて、左手で後頭部を押さえて引き寄せる。
二度目なので、初手で十センチまで近づける。
「うぅぅぅ・・・隼・・・」
あわあわどころか涙目の穂乃果。
・・・悪い事をしている気しかしないが。いや、悪い事をしてるんだ。そうだ、そう思われなきゃいけないんだ。
ほら、さっきみたいに拒絶しろよ。さっき拒絶したのにしつこく迫ってくる男を、今度はこっぴどく拒絶しろよ。ビンタなんかした方がいいかもな。
覚悟しておくからそれぐらいしろ。そうでないと次もやるぞ。こういう男は。
あと五センチ。
・・・
だから。
さっきのリプレイみたいにあわあわしてないで、さっさと行動に移せって。感情的になっても許される状況だって。多少の痛みは我慢するから。
あと三センチ。
・・・
あと二センチ。
・・・
だから。
そろそろ行動してくれないか?さすがにちょっと、色々危ない。
な?頼むよ。もうダメだって。
そんな動揺直前の僕の願いが届いたのか穂乃果は、
「——」
ぎゅっと目を閉じた。
・・・
・・・
いや違う。そうじゃない。覚悟決めたみたいに目を閉じるな。ちょっと口を窄めるな。脱力して身を任せるな。まるで、受け入れて待っているかのようじゃないか。
受け入れた?
そんな訳がない——
全身から汗が噴き出る。動揺と緊張と煩悩と理性が一斉に僕に襲いかかって来る。あっという間に体が動かなくなる反面、心臓は何度も破裂を繰り返すように激しく鼓動を始める。
二人の距離は変わらずに保っている。だが、ちょっとした身じろぎ一つで事故が起こりそうな危うい距離。
まさか、罰ゲームを律儀に遂行しようと言うのか?
・・・
どうする?
穂乃果に行動を促していたつもりが、僕が行動しなければいけない状況に陥ってしまった。
現状出来る行動は三つ。まず一つは、ここで迫るのをやめて離れるというもの。事故には遭わないが、穂乃果に危険を教えると言う意味は薄れてしまう。
二つ目は、このままの状態をキープして、穂乃果の行動を待つ、と言うもの。しかし、穂乃果がいつ動くのかわからない状態でこの距離をキープするのはキツい。ただの我慢比べになってしまい、かなりの確率で僕が負けそう。
そして三つ目は——このままキスしちゃう。論外。
どうすればいい?
何か邪魔が入れば合法的に止められるのだが。
ピニョニョニョニョニョニョ
この気持ち悪い音も、今は救いの音色。
「ななな、な、何だ!?」
少しわざとらしいくらい大げさに穂乃果から離れる。
「・・・」
目を開けた穂乃果が憮然とした表情をしている。僕がおかしな迫り方をしたので怒っているのか、それとも別な理由か。
それは分からないが、とにかくハルからの呼び出し。無視するわけにはいかないよな。
ポケットからデバイスを取り出す。
『お二人は今何をされていましたか?内包型デルタエネルギーの揺らぎが見られますが』
「何でもない。とにかく、ADMだろ?」
『その通りです。ADMの転送前兆シグナルが確認されました。速やかに然るべき場所へ——』
「いいよ。ここから飛ばせば。誰も見てないし」
『柊木隼サンがそう言うのであれば。見られるのを避けたいだけなので』
「ねえハル・・・わざと?」
早いところこの状況から逃れたい僕を横目に、穂乃果がデバイスを睨む。
『言っている意味が分かりませんが。とにかくわざとではないですよ』
「ふぅん。いいんだけどさ」
穂乃果はなぜか不機嫌だ。
それからローレライに搭乗。自主練の成果があったのからかどうなのか、それまでより早くマーメイド・エフェクトを放つ時が来る。
「穂乃果、ごめんな。大好きだから」
何について謝っているか自分でもよくわかっていないが、穂乃果に申し訳ない事をした気がする。
「うん・・・仕方ないから許してあげる」
憮然としながらも頬を染める穂乃果にそう言われ、思わず胸を撫でおろす。
さて、僕は何を許されたのだろうか。




