魂鏡七九、乱戦前哨戦
「雲井、頼んだぞ!」
浮島区役所・特別事案対策課の職員が片手にアルミ製の盾、片手に電磁さすまたを持った状態で、車から降り立った女性に声を掛ける。
職員同士の声掛けのはずだが、出てきた雲井と呼ばれる女性はキャミソールにフレアスカートと随分と場違いな格好をしている。
「行きます! 『直居覚醒』!」
蜘蛛女と呼ばれる姿に変貌を遂げた雲井は、下半身が大蜘蛛、その頭の上に女性の上半身がくっついた姿をしている。
女性の上半身の方は腕が長く伸びて肩の筋肉が隆起しているが、元々、キャミソールなので肩周りの変身を気にする必要はなく、フレアスカートも下半身の大蜘蛛を邪魔しない長さに調整されていて、これが機能的な服装なのだと分かる。
「ウヒウヒウヒハー!
コレハ麗シキ乙女ヨ。ソノ様ニ下半身ヲ露出シテ、我ヲ誘ウトハ、ナンタル淫ラ!
下穿キハ最初カラ穿イテナカッタトイウコトヨナ。
ナラバ、望ミ通リ淫欲ノ果テニ実ル快楽ノ渦ニ落トシテクレヨウ!」
白昼の住宅街、黒山羊の頭から出た舌を、だらりと下げ、乳房を嬲る手を淫猥にくゆらせながら、バフォメットの下半身から伸びる蛇が、グネグネと踊るように蠢き、その舌を、チロチロと出し入れさせて身悶えていた。
雲井は一瞬、顔を赤く染めるも、すぐに真顔になってバフォメットをキツく睨んだ。
「パ、パンツのことはどうでもいいでしょ!
みんなが遠慮して言わないことを指摘して……いい気になるな!
智器照臨【捕縛網】!」
雲井は、すぐさま決めてやる、とばかりに蜘蛛脚を伸ばして尻をバフォメットに向ける。
「ウヒハー! 自ラ尻を差シ出ストハ、淫靡ナ!
マズハ舐メテクレヨウ。
智器照臨【儀式の火】」
バフォメットの掌に生み出された火が蜘蛛糸を燃やし、それを辿るように蜘蛛の尻まで届くと、それを舐めるように焼く。
「ツッ……」
「ウヒッ……痛ミトハ快楽ノ扉ナリ……心逝クマデ味ワイ尽スガ良イ!」
雲井が尻を地面に擦りつけて消化する様を、ニヤニヤとした顔でバフォメットが眺める。
「クフフッ……良キ様ナリ……モット激シクテモ良イゾ!」
大蜘蛛の尻を見ながら蛇に触りそうになるのを必死に堪えるバフォメットの図というのは、とても邪悪に映る。
「うう……気持ち悪い……」
心底嫌だ、という目をする雲井だが、バフォメットはそれすらも自分の糧にしていた。
「聖水弾、掃射!」
自衛隊のトラックが進路を塞ぐように横付けされると、荷台から四人の完全武装した隊員が降車、一列横隊で並ぶと同時に坂本中尉の号令が掛かる。
銃火の音が響き、それらは脅威の集弾率を持ってバフォメットに集中する。
「ウギガガガ……ッ」
バフォメットが全身から煙を発する。
「中尉、効果アリです!」
隊員の一人が報告する。
「ヨシ! そのまま聖銀弾も試すぞ。
佐々木、追い込め!」
「うす!」
坂本中尉の横に控えていた佐々木中尉が音叉を取り出すと、長い『七支刀レプリカ』の刀身を沿わせる様に叩いていく。
七つの音が揃うと同時、佐々木中尉は走り出す。
佐々木中尉は雲井たち『浮島区役所・特別事案対策課』の前を横切る形で斜め後ろの位置まで回り込むと、わざと気合いの声を上げて斬り掛かる。
「イーーーヤーーー!」
「ム、メノラーダト!
ソノ様ナ遺物ガ残ッテイルトハ……」
バフォメットは言いながらも退る。
だが、それは自衛隊側の目論見通りと言える。
退った先には中学校の校庭があり、そこには先にトラックを降りた水野少佐が待ち構えている。
一個小隊と佐々木中尉が巧みに位置を変え、半包囲のまま誘導していく。
中学校のフェンスをぶち破るように校庭に侵入したバフォメットだったが、その中央に剣気とでも言うべきオーラを周囲に放つ水野少佐を見て一瞬、動きを止める。
「来いよ、クソ悪魔……お前は俺たちが貰う!」
「クッ……堕落サセテヤリタイ顔付キノ男……シカシ、今デハナイカ……ヌヌヌ……オ前ノソドムヲゴモラシテヤロウカ!
『魔凱着奏』!」
バフォメットは瞬間的に不利を悟って、魔凱に身を包んだ。
背後からは佐々木中尉と一個小隊、さらにその後ろからは、負けじと『浮島区役所・特別事案対策課』の職員と雲井が追いかけて来る。
「各自、聖銀弾装填、包囲して逃がすな!」
自らも『七支刀レプリカ』を準備しつつ坂本中尉が号令を放つ。
「待ちなさい!
自衛隊側には『ムーンディスク』保持者を渡さないよう、『MD研究室』から通達が来ています!
この浮島区で勝手は許しませんよ!」
雲井が叫ぶが、目の前には坂本中尉が立ちはだかる。
「お相手しましょうか?
公務員なら通達は行っているはずですが?」
「嘘をついて、私たちを閉じ込める人たちがどうやって私たちを従えられるのか、不思議でなりませんが?」
「心外ですね。貴方たちを守るための嘘なんですが?」
「『ムーンディスク』保持者以外も閉じ込めておいて、良くそんなことが……」
「私たち軍人は上の意向に沿うのみなので、そういった意見は然るべき窓口にお願いします」
「そんな言葉は聞き飽きたんですよ!」
雲井は下半身の蜘蛛の大顎を威嚇するように動かして突進する。
「雲井、『MD研究室』が来るまで無理するなよ!」
「分かってます!
智器照臨【捕縛網】!」
雲井が蜘蛛の尻から糸を放つ。
「絡め取られれば、暴走者の膂力でも抜け出せない強靭な蜘蛛の糸ですが、私たちに与えられたコレなら斬れるんですよ!
古の退魔武器、魔物の鎧を斬り裂くと謳われた『七支刀レプリカ』ならね!」
言って『七支刀レプリカ』を振るう坂本中尉は、こともなげに蜘蛛の糸を斬り裂いた。
また、坂本中尉の発言は雲井のことを研究済みだと白状するような言葉だった。
雲井は蜘蛛の糸を斬り裂かれたことよりも、知られている、情報を取られているという事実に驚愕する。
一方、その頃、『MD研究室』の高見班は、高校で自習中の望月、黒木、両名をピックアップ、現場へと急いでいた。
「ウヒッ、ウヒッ、ウヒヒヒヒ。
マサカ狙イガ、被ルトハ!
コレゾ、神ノ思シ召シ!
サァ、ソドムヲゴモラシヨウゾ!」
バフォメットは自衛隊に囲まれた状態で笑う。
中学校から教師と思しきスーツ姿の男が出てきた。
生徒指導の教師だろうか。
眼鏡で表情が見えないが、その口元は微かに笑っているようにも見える。
「さて、僕の時代を始めよう。
『直居覚醒』……ウィロロロロロロロ……」
眼鏡教師の中身が消えた。
後には服と眼鏡だけがその場に落ちるのみかと思われたが、教師のスーツから黒い影が飛び出した。
一匹の黒猫である。
右の後ろ足だけ不自由そうに、びっこを引いているが、動きは速い。
「ヨウジョ電器先生、予定と随分、違いますよ」
黒猫が流暢に喋った。
「仕方アルマイ。予定ガ狂ウノハ、イツモノ事。
オ互イ、上手ク切リ抜ケテ来タデハナイカ。変隊ピンク先生」
「確かに。ならば、いつも通りに共闘と参りましょう!
親器君臨【我らは彼の奴隷】!」
黒猫が毛玉を吐き出した。
毛玉はその一本、一本が線虫のように、もぞもぞと動き、空中へと拡散、校庭内にいる人々に向けて、スルスルと向かって行く。
そこまで速い訳ではない。だが、猫の毛一本に意識を集中するには、ここは戦場だった。
聖銀弾を装備した小隊は二手に別れて、バフォメットと黒猫を狙った。
水野少佐はバフォメットに一気に詰め寄る。
「佐々木、山羊頭を一気に叩く。
合わせろ!」
「信用ねえっすね。
了解です!」
水野少佐が剣気を吐き出しながら迫り、バフォメットはそちらに意識を向けざるを得ない。
佐々木中尉が背後から来ているのは分かっているが、本能が水野少佐へと意識を向けてしまうのだ。
「ウヒッ、ウヒ……痛ミガ……死ガ迫ル……」
バフォメットの内側では痛みへの歓喜と死への恐怖がないまぜになって、複雑な心境を描いている様にも見える。
大迫こと、ようじょ電器は、闇インターネット上で生徒の危ない写真を上げることを趣味としていた。
高校教師になりたての頃は、生徒たちにモテた。
しかし、それも若い頃だけ。
十年、十五年と経てば、ただのおじさん教師として扱われる。
モテた頃は、色々と良くないこともやった。
その頃は上手くいっていた。
モテなくなって、元の欲に塗れた生活を取り戻そうとして、ズレた。
ズレて、盗撮に手を出した辺りから戻れなくなった。
しかし、同志もできた。
変隊ピンクである。
変隊ピンクは中学校教師。ようじょ電器は高校教師という、出会ってはいけない二人が闇のインターネット上で出会い、意気投合した。
目的は徐々にエスカレートし、失敗を庇い合った。
しかし、それも束の間、他の教師たちから怪しまれたことで、二人は同時期に浮島区の高校と中学に赴任することになった。
インターネット上だけの付き合いが、現実とリンクするようになった。
そうして、あの日。
『魂降りの災禍』と呼ばれるあの時から、二人は欲望を隠す必要性がなくなった。
ようじょ電器はすぐに捕まったが、変隊ピンクはその後、『マナガルム』に世話になるようになる。
それから『センタービル倒壊事件』があって、ようじょ電器は解放され、変隊ピンクを頼ったことで今に至る。
『マナガルム』は変革期に入っている。
ここで力を示せば、より高い地位と大きな自由が約束される。
自由。変態にとっての自由は、あまり考えたくないが、二人にとって隠れ潜む生活は到底、我慢できるものではない。
敵を減らし、力を誇示する。
それが二人にとっての自由への近道なのだった。
しかし、バフォメットは超古代、第一人類を滅ぼすため、『七支刀』、『メノラー』などと呼ばれる第二人類が作った武器への対抗手段をついぞ見出すことができないままに眠りに着いた。
大迫、または、ようじょ電器と呼ばれる肉体との融合率はかなり良かったが、ここまでかと諦念を持った。
ああ、夢の都、ソドムとゴモラ。
この浮島区ならば、それが実現できただろうに……とバフォメットは静かに目を閉じるのだった。




