魂鏡七六、駆け引き
「これはギョクトに意識が切り替わった、でいいのかな、斜子くん?」
国枝がギョクトの尊大な物言いを意に介さず、斜子に検分を求める。
「は、はい、ギョクト様で間違いないかと……」
「では、ギョクト、私の質問に答えてくれ」
「愚カナ……何故、我ガ人風情ノ問ニ答エテヤル道理ガアルト思ウタカ!」
「それはお使いのその肉体が私の求めに応じて変身したからですが?」
「ダカラドウシタ?
我ニ、ソノ理屈ガ通ル訳モナシ!
ソウヨナ……我ニ問タクバ直居ヲ連レテ参レ。
直居の問ナラバ答エテヤラナクモナイ……」
「では、直居教授は反逆の意思ありとみなします……」
「ククク……好キニセヨ。
『魂鏡』ヲ取リ出セナクテ困ルノハ、ヌシデアロウ?
我ノ不興ヲ買ッテ、全テヲ無ニ帰スカ……名ヲ聞イテオコウカ……」
「く、国枝さんです!」
斜子が叫ぶ。
それに恨みがましい目を向けるのが国枝だ。
国枝は大きく息を吐くと、降参だという様に肩を竦めて、斜子へと向き直る。
「……分かりました。
直居教授を連れて来てください」
「え? まだ入院中で……」
「後は幾つかの検査を残すだけで、怪我自体は処置が終わっているはずです。
貴女が動かないのであれば、別の者に連絡させますが?」
斜子はこれも渋々ながら電話をかけに部屋を出た。
直居教授は一時間と経たずにこの場にやって来た。
頭に包帯、左腕にギプスをつけて腕を吊っている。
未だ入院着のままである。
「ギョクト様、お見苦しい格好で申し訳ありません。
お呼びと聞いて馳せ参じました」
「見目ナド気ニセズトモヨイ。
ソレヨリモ、コノ国枝ナル男ガオヌシノ進退ヲ決メルト聞イタガ、誠ナリヤ?」
「……はい。お恥ずかしながら、この島は官民一体で運営しているもので、官が私を否定するなら、私の権限は露と消える定めです」
「モシ、ソウトシテ、後任ハドウナル?」
「恐らくは、この国枝を据えるつもりかと……」
「違う……」
そう呟いたのは莉緒だった。
莉緒は先程からずっと国枝を睨んでいる。
変身はしていないものの、時折、その瞳が爬虫類のソレと人間のソレを行き来していた。
「何ガ違ウ?」
「この人は表に出ない。いえ、表に出られない。
顔もなく、名前もない、そういう風に作られた。
番号だけの存在……」
国枝が次第に顔面蒼白になっていく。
「ホウ……龍ノ顎ノ玉ガ覚醒シタカ……喜ブガイイ、国枝ヲ名乗ル者ヨ。
ヌシノ刺激デ青龍ガ覚醒シタゾ」
「嘘がバレれば、居場所がなくなる。
何も話す気はないが、自分に待つのは死だけだ。
失敗した。終わった。しくじった。ここで死ぬべきか、それとも制裁を待つべきか。
あの眼は自分の心を読んでいる。これ以上、自分の情報を取られる訳にはいかない……」
国枝が机の上の万年筆を握り、それを自分の首に突き立てようとする。
それを素早く止めたのは、ギョクトだった。
「ナルホド……コノ様ニ作ラレタ者カ……。
死ニタクバ、殺シテヤロウ……」
ギョクトが押さえた手を離すと、国枝が握っていた万年筆が餅になっていた。
「我、特製ノ毒餅ヨ。コレヲ食ラウ名誉ヲヤロウ……」
ギョクトがもう一度、国枝の手を取ると、その毒餅を国枝の口へと持っていく。
国枝は、ぶるぶると震える手で毒餅を見つめると、一瞬だけ逡巡を見せたが、それも束の間、口を大きく開けてひと口で毒餅を食らった。
国枝は恥辱に塗れながら、毒餅を咀嚼する。
その顔は、ようやく楽になれると言う様な、初めての甘露に驚くような複雑な表情をしていた。
毒を充分に染み出させたと思った国枝は、それを呑み込んだ。
「ククク……甘露デアロウ。
コレデ二十年ハ不老不死ヨ」
「なっ……毒餅じゃなかっただと……」
「我ハ薬師ゾ。
軽々ト命ヲ奪ウ様ナ真似ハセヌ!
ダガ、此度バカリハ、毒トシテ使ワセテ貰ッタ。
秘密ヲ抱エ鬱屈シタ生ハ満喫シタデアロウ?
役目ヲ果タセズ、二十年ノ不老不死ヲ得タノダ。
好キナ様ニ生キテミヨ……誰ゾノ思惑ガ届カヌココデナラ、ヌシヲ縛ルモノハナイ」
聞いた途端、国枝は舌を噛み切って喉の奥に血を詰まらせて突っ伏すように倒れた。
しかし、五分と経たずに国枝の意識は帰って来る。
「……不老不死……死なずに生きよと……」
国枝は、わなわなと震えていた。
机の上に落ちた噛み切られた舌が未だ艶やかさを保っている。
しかし、国枝の口中には新しい舌が生え、血の味も消えている。
莉緒はまた瞳を龍のソレと人のソレに代わるがわる変化させながら呟く。
「困惑。それ以外の生き方を知らぬと思い込まされている。未知への恐怖。
死による解放がなくなったことで希望は絶たれた。
国への奉仕こそが自身を高める手段として正当。
逸脱への恐怖がこの人を縛っている……」
「全テハ、教育ノ賜物カ……。
ヌシハ、コノ世ガ煉獄ニデモ見エテオルカ?
ココハ現世ゾ。
魂ノ修練ノ場デハアルガ、自ラ考エヌ者ニ、道ガ開ケル事ハ無イト心得ヨ!」
国枝の顔に、ほんの小さな変化が訪れる。
「兆し。傾倒。新たなる思考……」
「ギョクト様……私はどうすれば……?」
「フム……傾倒カ……。
ヌシガ連絡ヲ絶テバドウナル?」
「……死んだものとして、別の策が立てられるでしょう」
「ドノヨウナ?」
「分かりません。私に課せられたのは、『ムーンディスク』の付け替え方法の確認。または奪取。
そのためには手段を選ばずとも良いという権限が与えられていました」
「フム……魂鏡二テ眠ル者ニハ、アル程度ノ運命力ノ行使ガ認メラレテイル。
言ワバ、相性ト言ッテモ良イ。
ソウイウ意味デハ、魂鏡ヲ外スダケナラ兎モ角、別ノ者ニ与エルトナルト、乗ッ取ラレルノガ、オチデアロウナ……」
「運命力の行使ですか……では、暴走の原因というのも……」
直居教授が呟くように聞く。
「相性ガ余程悪イカ、余程良イカデアロウ……」
「悪ければ乗っ取られ、良いというのは?」
「欲望、嗜好ガ完全ニ合致シタナラ、魂ガ混ジリ合ウ事モアロウ。
ソウナレバ、取リ外スノモ困難ニナル」
「その様なことが……」
直居教授が唸る。
「コレデ四ツ集マッタナ。
程ナクシテ、最後ノヒトツモ姿ヲ表スデアロウ。
ソレガ運命トイウモノ。
次ニ見エルノハ、燕ノ子安貝ヲ手ニシタ時デアリタイモノヨ……。
デハ、我ハソロソロ……」
そう行ってギョクトが消え行こうとした時、国枝が椅子から転ぶ勢いで地面に膝を着いた。
「お、お待ちを、ギョクト様!
こ、これから自分はどうすればいいか……どうぞお導きを!」
「オオ、忘レルトコロデアッタ……。
シカシナガラ、我ハヌシヲ導ク師、足リ得ナイ。
好キニ生キヨト申シタハズ……ダガ、ヌシニ毒ヲ食ラワシタ身トシテ、何モナシトモ行クマイ。
ソウサナ……今日コノ時ヨリ、ヌシノ名ハ『岩鬼 唯人』ヲ名乗ルガ良イ。地守ノ国津神ト成リシ、唯人トシテ生キヨ」
「この地を守る唯人……」
そう自分に言い聞かせる国枝、いや岩鬼はまるで洗礼を受けた聖人のように静かに目を閉じたのだった。




