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魂鏡〈たまかがみ〉〜古代変身ディスクを宿せし者たち〜  作者: 月乃 そうま


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魂鏡六八、逃走者


「はぁ……はぁ……帰るんだ……帰る……」


 男は汗と泥に塗れた格好のまま、走っていた。

 河童星人と呼ばれた男である。

 未だ毒気が抜けていないのか、意識には靄が掛かり、複雑なことを考えられないが、男の中に残された『帰りたい』という意識に縋って走っていた。


 しかし、体力的に限界が来たのか、住宅街の中ほどで男は、ふらふらと壁に手をついた。

 男の鼻が、ヒクヒクと動く。

 一軒家の庭に胡瓜が植わっていた。それから、小さな人工池がある。

 庭に出ていた主婦が、家庭菜園に水をやっている。


 男は問答無用で庭に侵入する。


「ひっ……だ、誰!?」


「帰る……俺は帰る……」


 ふらふらと、しかし、思いの外強い力で主婦の持っていたホースを奪うと、男は水を飲む。

 砂漠が水を吸い取るように、ゴクッ、ゴクッと喉を鳴らして、水を飲んでいたかと思うと、ようやく満足したのか、ホースを放り出し、家庭菜園の胡瓜をもぎって貪るように食った。

 主婦は、いきなりのことに数歩、後退ると、慌てて家の中に入った。


「電話……警察……」


 震える手で携帯を取り出すと、なんとか警察に通報する。


 男は胡瓜を貪るのを止めた。

 意識に掛かった靄がどうにか晴れて来る。

 窓の向こうには、こちらを覗き込みながら電話をする主婦が見える。

 しまったと思った。

 慌てて、二、三本の胡瓜を手にすると、一目散に逃げ出した。


 主婦は『MD研究室』から暴走者が逃げ出したことは知っていたが、気が動転していた。

 今の浮島区において、警察はほとんど役に立たない。

 だと言うのに、110番で警察に連絡を入れた。


 連絡を受けた警察は、場所が浮島区だと聞いて、これは警察の管轄ではどうにもできないと考え、せめてもの救済措置として、自衛隊のいる橋の方まで逃げるように指示を出してから、自衛隊に連絡を入れた。


 橋を守る自衛隊員たちが、その連絡を受けて、水野少佐がニヤリと笑った。


「治安維持活動ね。いい加減、中に入りたかったところだ。お題目としてはいいんじゃないか……」


「少佐、せめて防疫服は着て下さい。

 世間の目があるんですから……」


 坂本中尉が防疫服を持って来る。


「へいへい。それじゃあ、中尉は車を出してくれ、人員は俺、坂本、佐々木で行く」


「了解です」


 そうして、軍用ジープが一台、まるで猟犬の鎖を解き放つように浮島区内へと走り出した。


 そうして、自衛隊がいよいよ治安維持活動名目で浮島区内に入って来たことは、すぐさま『MD研究室』にも知れ渡った。




 左前室長代行は、決断を迫られることになる。

 『マナガルム』の台頭、テロ事件の規模の拡大、そこに来て自衛隊の侵攻。

 今まで島を封鎖するだけだった自衛隊が、『七支刀レプリカ』という『ムーンディスク』保持者への対抗手段を手にしたことによって、遂に大手を振って浮島区内に入って来た。

 治安維持活動はあくまでも名目に過ぎず、明らかに有用な『ムーンディスク』保持者を捕獲するための侵攻なのは、火を見るより明らかだった。


「今、高校生組は?」


「望月くんと藍沢さんが来てます」


 オペレーターが答える。


「じゃあ、その二人と斜子くんを呼び出してくれ」


「斜子さんですか?」


「自衛隊に『ムーンディスク』を渡す訳にはいかない。

 交渉役の大人が必要だ」


「そういうことなら、自分が……」


「いや、曲がりなりにも斜子くんは覚醒者だ。

 変身すれば銃弾くらいからは身を守れる。

 今の自衛隊は『ムーンディスク』保持者相手なら、簡単に発砲する権限を持たされているからな」


「ならば、なおのこと自分が行きます!

 自分は『ムーンディスク』保持者ではありませんから!」


「いや、却下だ。

 橋の入口での『マナガルム』と自衛隊の押し問答は君も見ているはずだ。

 自衛隊の驚異的な命中率で、一般人に流れ弾が当たる事例はないが、それは拠点防衛で乱戦ではないからだ。

 今回のように、乱戦が予想される場での命中率は確実に下がる。

 ウチの班の人員以外で覚醒者でない者は派遣する訳にはいかない。

 斜子を呼び出してくれ!」


「……はい」


 こうして、変身できる斜子が自衛隊との折衝役に任じられたのだった。




「ええと、シートベルト……ギアをドライブにして、アクセル……あれ?」


「あの……エンジンのスタートボタンとサイドブレーキも上がってますけど……」


 斜子が必死に過去の記憶を思い出しながら、車を動かそうとしているが、運転免許証は高校卒業後に取ってから、ずっとペーパードライバーとして過ごして来た。

 燈里の方がゲームなどを通じて詳しいくらいだった。


「だ、黙って!

 今、思い出してるから!

 冷静に、冷静にやれば大丈夫……」


「も、もも、望月……あんたが運転した方が……」


「バカ、免許ねえよ!」


「ちょ、静かに!

 焦るとまた、分からなくなるでしょ!

 エンジンスタートして……ひっ……う、動いた!」


「あばばばば……そうだ!

 変身していいよね、変身!」


 叶和が猫仮面の魔凱を着奏する。


「あ、ズルい、俺も……変身!」


 車の中には、どう見ても運転席に埋もれるように座る斜子と軽装鎧姿の二人。


「斜子さん、変身しましょう、変身!

 それなら、事故っても平気ですから!」


「へ、変身? ああ、もう、静かにって言ったのに!」


 先程から車は、エンジンが入ったり切れたりを繰り返している。

 斜子は順番にやらないと分からなくなるらしく、いや、順番通りにやろうとして失敗を繰り返しているのだが、その度にシートベルトを外し、車から出て、最初の安全確認まで戻っている。

 車に乗りこみ、バックミラーを合わせ、シートベルトを着用、エンジンスタート……。


「……。」「……。」


「……よし、よし……ほうらね。

 冷静になればできるのよ。サイドブレーキでしょ……ブレーキから足を外して、う、動き出した!

 い、行くわよ!」


 臨時の指令室となった宇宙港管制センタービルの一画から、カーナビに自衛隊のジープの位置が送られて来ている。

 ゆっくりと、非常にゆっくりと進み始めた車がそちらへと向かう。

 外出自粛令が出ているため、車通りは少ない。

 斜子は運転に慣れて来たのか、次第に速度を上げていく。


「行ける! 私は風になるのよ!」


 調子が出てきた斜子はさらにアクセルを踏み込んだ。

 急加速。


「ふんぐ……」「うっ……」


 猫と兎の魔凱が身を寄せあって、なんとか自分の口を塞ぐ。

 斜子は完全に法定速度を逸脱して、加速していく。

 その間、斜子はひたすらひとり言を呟いている。


「加速……ブレーキ……曲がれる!

 計算通り! 回せ、エンジン! 唸れタイヤ!

 私なら行ける! 教習所でぶつけた日々を思い出せ! あの高速教習を乗り切った私なら、まだまだ行ける!」


 道は高速道路ではなく一般道だが、ほとんど車がなく、少し広めに計算された主要道路は、斜子の運転になんとか耐えた。

 曲がり角が来る度に、猫と兎は震えたが、下手な声掛けは逆に事故りそうで、必死に耐える。


「見つけた! あれ? 止まる時ってどうだっけ?」


 斜子がとんでもない発言をして、急ブレーキを踏んだ。


 自衛隊のジープは住宅街の端で止まっている。

 どうやら河童星人を補足して、今にも戦闘状態になりそうな所だった。


 その河童星人と防疫服の自衛隊員の間に車が突っ込んで、通り過ぎて止まった。


「間に合った! えっと逆の手順だから……」


 斜子が、もたもたとサイドブレーキやらを確認している。

 たまらず叶和がシートベルトを外して、扉から飛び出した。

 遅れて、燈里も出る。

 途端に車がちょっと動いて、二人は焦りながら車から距離を取る。

 様子のおかしい乱入者に、河童星人と防疫服が戸惑いながら動きを止めた。

 車のエンジンが停止して、ようやく斜子が出てくる。


「ふぅ……あ、そ、そこまでよ!」


「『MD研究室』か……こちらは自衛隊だ。

 治安維持活動のために出動している。民間組織の今までの奮闘は陰ながら感謝するが、今後はこちらに任せてくれていい。

 ご苦労だった。帰っていただけ!」


 水野少佐は最後の文言だけをジープ内の坂本中尉に投げかけると、背負っていた長い鞄のジッパーを開けて、『七支刀レプリカ』を取り出す。


「は?……そ、そういう訳にはいきません!

 『ムーンディスク』の所有権は我々にあります!

 危険ですから、自衛隊の方々はお戻りください!」


 斜子が一瞬、目を白黒させてから、慌てて反論する。

 すると、ジープから斜子と同年代くらいなので、二十代半ばと思しき、やはり防疫服を着込んだ女性が出てくる。


「治安維持活動は政府から依頼された公務です。

 危ないですから、お引き取りを!」


 敬礼する坂本中尉に、油断なく河童星人の後ろを取った叶和が聞こえるようにごちる。


「そんなこと言って、私たちを浮島区に縛り付けて出さないようにしていただけの自衛隊が、なんで急に治安維持とか言い出したんだかニャ……」


「それはもちろん、治安維持に必要な戦力が整ったからです」


 坂本中尉はひとり言に聞こえる叶和の言葉にも律儀に答える。

 だが、叶和のひとり言も斜子にとっては反論の呼び水になったようだ。


「『七支刀レプリカ』のことを言ってるんでしたら、もうひと月以上前から運用されてましたよね?

 『マナガルム』が台頭してきてから、治安維持に出るまで、随分と時間があります。

 その間にも大きな事件はあったはずなのに、何故このタイミングなんです?」


「それは……」


「ああ、ウチが疲弊して手が回らなくなるのを待っていた訳ですか。

 でも、残念。そう簡単には行きませんでしたね!」


 斜子が、ふん、と胸を張る。

 低身長ゆえに子供の強がりにも見えるのは少しばかり威厳に欠けるが。


「……頭は回るようじゃないか。

 仕方ない。こっちもサンプルが欲しいんでね。

 後は実力行使させてもらおう。

 坂本、佐々木と一緒に向こうの覚醒者を抑えろ!」


 水野少佐が途端に粗野な一面を見せて、命令を下す。


「はい。佐々木、出番ですよ」


「うぃーす……」


 ジープから眠たげな目をした長身の男が出て来る。

 すでに抜き身のやけに長い『七支刀レプリカ』を帯刀していて、反対の手には坂本に渡す用のジェラルミンケースを持って来ている。

 佐々木と呼ばれた男は、ケースを坂本に渡すと防疫服の中で首を回して、コキリと音を鳴らした。


「んじゃ、先、やってまーす……」


 佐々木は気怠げに宣言すると、音叉を刀身に添わせる。それから、一足で叶和の目前まで迫る。


「うわニャッ!」


 上段から振り下ろされる長い『七支刀レプリカ』を、叶和は殺気を読んで、ギリギリで回避する。


「おお……避けやがった……」


「いきなり、何するニャ!

 勇器来臨! 【殺戮者の顔(セクメト)】」


 叶和はハテナマークの剣、ケペシュをニ本生み出して構える。

 それを見た燈里もすぐさま【生太刀(イクタチ)影打ち(カゲウチ)】を生み出した。


「望月は下がるニャ!

 コイツ、ヤバいニャ!」


「オオ、七支ノ灯火!

 ダガ、ナンダコノ違和感ハ!」


 いきなり燈里の中のギョクトが話し始める。


「え、これが!?」


 佐々木が燈里をいぶかしげに見やる。


「気持ち悪っ……話し方が一瞬で変わって、二重人格かよ……」


「佐々木、そういう物言いは慎みなさい。

 暴走の前触れかもしれません……」


 言いながら坂本も前に出る。

 荒事に向かない斜子は、すっかり後方に下がって、車の物陰に隠れてしまう。


 事態の変化の中、分が悪いと感じていた河童星人は、逃げ出す隙を窺っていたが、水野少佐が、じり、と少しだけ移動する。


「逃げられると思うな……お前は我々が連れて行く」


 静かな宣言だが、水野少佐が発する気に当てられたか、河童星人は追い詰められたように水野少佐の動きに釣られて、じり、と動いたのだった。



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