魂鏡六四、相性
ブシュッ!
小さな亀裂からそれは始まった。
亀裂の隙間から水が漏れる。
その水圧はどんどん膨らんでいき、やがて破裂した。
パイプから水が溢れ出したかと思うと、それは泥に変わっていく。
泥は隙間を見つけるとそこから流れ出ていく。
泥の中に目玉が、ぽこんっと浮いた。
目玉は、ギョロギョロと動き、そこがどこなのかを確認する。
どこかの部屋の浴室だ。
浴室から流れ出て、部屋を侵食し、さらに廊下から各部屋へと流れていく。
泥は、やけに静かだな、と思った。
パイプが破裂していたら、アラートが鳴っているはずで、そうなれば暴走者たちを殺してしまうのをヨシとしない保守的なここの研究員たちは、慌てて暴走者たちを別の区画に移すはずで、そこを一網打尽に拐う予定だったが、地下区画は閑散として、やけに冷え冷えとしている。
ようやく、一人目を見つけた。
廊下に白い着物姿で立っている。生気がないのは、下根の毒で弱らせられているからだろう。
泥の中に取り込んで、移動させ、首輪を外してやれば、勝手に暴走して、目眩しになってくれるだろう。
泥が近づく。
ピキピキ……と動きが鈍る。
なんだと思った時には、周囲の気温が一気に下がり、泥がどんどん凍らされていく。
泥は焦って退くが、凍らされる速度がどんどん早くなる。
それが、罠だと気付くまでに身体の半分近くが凍っていた。
泥の意識は一気に退いた。
パイプを通って、外まで逃げる。
外で人型になると、泥の異空間から携帯を取り出す。
「すまん、罠だ!
犬塚も他の暴走者も地下にはいなかった。
どこでバレた? 内通者でもいたか?
まずい……凍らされる……離脱する」
冷気は泥の身体を駆け上がるように迫って来ていて、田丸は腕を振って、手首ひとつ分の泥を飛ばして逃がした。
ひと握りの泥。田丸の意識は小さくなって、回復にはそれなりの時間が必要になる。
泥田坊である田丸は田んぼの泥を吸収して体積を増やすという性質がある。
田丸は吸収できる泥を探して、地面を這うだけの存在に成り下がったのだった。
「橙山さん。たぶん、逃げられたわ。
魂を凍らせた感覚がないもの……」
雪女である先輩が、中央研究所地下の監視カメラに向かって呟く。
「大丈夫です。充分に弱らせたと思いますし、後はMD研究室に任せます!
先輩、ありがとうございました!」
地下に繋がるマイクに向かって、明里は折り目正しく頭を下げた。
それが雪女先輩に分かったかどうかはうかがい知れないが、雪女先輩は小さく頷くと、その場を後にするのだった。
「素晴らしい……閉鎖空間とはいえ、泥の体の田丸のおやっさんが何もできないまま、帰るとは……まさに相性の勝利だ……」
直居教授が呟く。
「さて、予定通りなら、次は空中戦、私は屋上待機組と合流しますね!」
明里はそう言って、指示出し用のヘッドホンを置いた。
「ああ、すまないが頼むよ」
ヘッドホンを受け継いだ直居教授が身構える。
「ここからは、私、直居が指揮を取る。
今のところは順調だ。敵影なし。警戒は怠らずに頼む!」
中央研究所を囲むように、何台もの車が同時に敷地内に入り込む。
正面のセダン車から降りた女性、白鳥彩は携帯で時計を確認する。
「時間ね。あなたたちは犬塚さんを保護することを考えなさい。それ以外は他のメンバーに任せること。いいわね」
セダン車の中のメンバーはしっかりと頷く。
それだけ確認して、白鳥は携帯を車の中に放り入れた。
「直居覚醒! 世界を啄む凶鳥、フレースヴェルグの力を見せてやるわ!」
白鳥の高そうなスーツが、ビリビリと破れていく。
白鳥は全身が羽毛に包まれ、巨大な白い鳥へと変化していく。
その大きさはジャンボジェット機ほどはあるだろうか。
バサリ、凶鳥フレースヴェルグが羽ばたく。
その巻き起こる風だけで、中央研究所のビル全体が震えるほどだ。
バサリ、バサリ、とフレースヴェルグが飛び立つ。
ビルの震えに屋上で待機していた四人の内の一人、猿渡が軽く尻もちを着いた。
「大丈夫か、猿渡」
燈里が猿渡を支えて立たせる。
「うん、ちょっと驚いただけだから……」
「猿渡くん、燈里のこと任せたわよ!」
明里が親指を立ててサムズアップする。
「うん、任せてよ、橙山さん!
絶対、役に立つからね! な、『直居覚醒』!」
「んじゃ、行ってくるわ。
フォローよろしく! 『魔凱着装』!」
燈里が黒地に白線の入った軽装鎧姿に変身する。
同じくガーゴイルの姿になった猿渡に、ひょいっと乗り込む。
「はいはい。任せなさい。
いくよ、莉緒! 『直居覚醒』」
「望月、猿渡をしっかり守ってやれよ!
『直居覚醒』!」
明里が考えたのは単純で、相手が飛んでいるなら、同じく飛べる者と遠距離攻撃で落とせばいいということだった。
猿渡にちょっかいをかけさせ、龍人である莉緒の【水神の咆哮】と自分の【満ちる光】で撃ち落とす。
猿渡に燈里を乗せたのは、猿渡が暴走しないための制御役兼回復役としてだ。
フレースヴェルグが中央研究所のビルに取り付いて、ビル上部の窓を壁ごと、その巨大な嘴で突く。
おやっさんこと田丸の予想では、捕まえられた暴走者と犬塚は、中央研究所内からは出さないだろうという話だった。
地下に居ないのならば、必然的に脱出が困難な上階、そこに捕らわれているという考えによるものだ。
実際、それは間違いではなく、最上階ではないが、上階の生活に支障がない場所、仮眠スペースや中、小会議室といったスペースが新たな監禁場所として利用されている。
残念ながら白鳥にはその場所の知識はないが、上の方から崩していけば、すぐに見つかるという目算があった。
「返してもらうわよ!」
フレースヴェルグが別の場所を啄む。
中央研究所は強固な建物だが、ジャンボジェット並の巨大鳥に嘴を突っ込まれる想定はしていない。
ズガンッ! 一撃で穴が空き、誰かの執務室が破壊されて、廊下まで見えてしまう。
「待てーい!
それ以上の横暴は、僕と燈里くんが許さないぞ!」
ガーゴイルがフレースヴェルグの身体目掛けて、突っ込む。
ガーゴイルがその鋭利な爪を立てて、フレースヴェルグを傷付ける。
フレースヴェルグにとっては小さな傷だ。
だが、無視できる程でもない。
煩わしそうに、翼を震わせた。
「猿渡、離脱、離脱!」
「おっけー、燈里くん!」
翼の躍動に巻き込まれる前に、ガーゴイルが離脱する。
フレースヴェルグの瞳が、逃げるガーゴイルを捉える。
ごうっ、と風が渦巻き、フレースヴェルグが一度、大きく離れる。
フレースヴェルグはその巨体のため、小回りが効かない。
だが、ガーゴイル程度なら、その羽ばたきに巻き込むだけでも相当なダメージを与える。
だから、少しだけ方向を調整したら、後は真っ直ぐ飛ぶだけでいい。
そう思って、白鳥が翼に力を入れようとした瞬間、屋上から水弾と光弾が飛んで来た。
水弾に翼を撃ち抜かれ、光弾が胴体に直撃する。
フレースヴェルグが体勢を崩す。
背中に当たった光弾の位置から、肉が拗られていく。
巨体ゆえに大きく吹き飛ぶようなことはないが、逆にそれがフレースヴェルグの肉体に負荷を掛けた。
フレースヴェルグが地上へと落下する。
『マナガルム』の人員と思われる者たちが乗って来た車が二台ほど潰れる。
さすがに運転手は逃げ出したようだった。
「くっ……うあああっ!」
白鳥は自身の敗北を悟った。
光弾の捻れは内臓まで達していて、今も尚捻れながら奥へと進もうとしている。
水弾に撃ち抜かれた翼も羽ばたけば、羽ばたいただけ、自身を傷付けるだろうことが分かる。
『魔凱着奏』すれば、この苦しみから逃れられるだろう予測はついた。
だが、『魔凱着装』で元の白鳥の大きさに戻ってしまっては、今の『直居覚醒』より威力は増しても、範囲は一気に狭まってしまう。
それでは、仲間を見つけるのに時間が掛かる。
時間が掛かれば、田丸が残した地下にいないという情報と情報漏洩があるかもしれないという情報を無駄にすることになる。
情報漏洩対策として選んだ電撃作戦。
急遽立てた作戦のため、人員が充分とは言えないが、それでも相手の虚をついた作戦になるはずだった。
田丸の撤退からほんの数時間で行われたこの作戦で、情報漏洩が起きたとは思えず、それでも中央研究所の警備が緩むどころか、ここまで的確に配置されているのは、まったくもって予想外と言わざるを得ない。
しかし、まだ終わりではない。
いや、終わらせる訳にはいかないと、白鳥は闘志を奮い立たせた。
犬塚のプロパガンダとカリスマ性は『マナガルム』の正当性のために必要な素材だ。
ここで失う訳にはいかなかった。
「もう一度、だけでもーーーっ!」
白鳥はその全身全霊で、中央研究所ビルへの体当たりを敢行する。
飛べずとも、あと一度の羽ばたきを。
跳ぶのだ。
ドガンッ! 巨体が中央研究所ビルに沈む。
中央研究所ビルに大穴が開く。
避難させられた暴走者たちが見えた。
「後は、任せる……」
車から降りて、事の成り行きを傍観していた高桑は、ニヤニヤと笑う。
気を失って元の人の姿に縮んでいく白鳥を見て、遠巻きに見ていた他の人員に告げる。
「よーし、何人かあそこに行って、犬塚と暴走者どもを突き落として来い」
「き、危険じゃありませんか?
いくら暴走者といっても、あんな高さから落ちたら助かりませんよ」
車を運転してきた一人が高桑に意見する。
「白鳥が運ぶ予定だったのが、不可能になったんだ。
落ちて来たのは俺が受け止めてやる。心配すんな。
じゃあ、お前が落とす役な。
『魔凱着装』!
行ってこーい!」
高桑が変身すると、手近にいた男を掴んで、ビルの上層に向けて放り投げる。
「ちょ、高桑さーーーん!」
「他のやつらは、俺にうるさい蝿がまとわりつかないようにしろよ。
ほら、総力戦だ」
高桑が無造作に白鳥を掴むと、そこにいた人員に引き渡す。
それから、上に投げ入れた男に声を上げる。
「おーい、もたもたすんなよー!
しっかり働けば、その分はきっちり査定してやっからよ。『ムーンディスク』がもらえる順番も早くなるぞー!」
お前らもだぞ、と周囲の男たちに言い聞かせる。
男たちは俄然、やる気を出すのだった。




