魂鏡六一、水槽
じゃぼんっ、ぶくぶくぶく……。
病院内を散策中の燈里はその耳慣れない、病院にあまり似つかわしくない活動的な音を聞いて、思わずそちらに目をやる。
大きな水槽だった。
入院用の個室が埋まるくらいの水槽で、ヒーターと酸素の機械が動いている。
目が合った。
最初、燈里はソレがなんなのか理解するのに数瞬の時間を要した。
「……仁美ちゃん?」
水槽の中にいるのは、義己の妹である仁美だった。
たしかに、義己の説明を聞いてはいたが、実際にこうして見るまでは想像の埒外だったのだ。
仁美の下半身は人魚よろしく魚になっていて、上半身は病院着、首筋にえらが、ぱっくりと開いている。
ばしゃり、と水面が跳ねる。
仁美は喜びなのか、動揺なのか分からないが、人間大の大きさには少し狭そうな水槽の中で、バシャバシャと暴れている。
それから、水中用のホワイトボードのような物を取り出して、そこに『トーリくん!!』と書いた。
燈里は、もしかして仁美は喋れないのか、と思う。
「仁美ちゃん、元気にしてた?」
なるべく簡単な質問をしてみる。
だが、仁美は顔にハテナマークを浮かべている。
それから、こっちに来いという風に手招きして、水槽のガラス面に手で拡声器を作って、パクパクと口を動かしたかと思うと、今度は耳を押し当てた。
なるほど、と燈里は思う。
やはり、仁美はホワイトボードに書いてやり取りをするくらいだ、喋れないらしい。
しかも、一連の動きを見ると、こちらの声も届いていないようで、ガラスの振動で話せと言っているようだった。
燈里も手で拡声器を作って、ガラス面に押し当てる。
「仁美ちゃん、元気だった?」
仁美はガラス面に耳を押し当てたまま、コクコク、と頷く。
それから、ホワイトボードに文字を書く。
『水から出られない以外は元気だよ!』
「出られないんだ……」
『出られるけど、出たら迷惑掛けちゃうから、出られないの』
なんだか難しい話を聞かされているような気になるが、とにかく出られないらしい。
『トーリくんはどうしてここに?』
「任務でやらかしたと思ったけど、平気だったから、入院したけど退院するんだ」
『間違いだったとか、そういうこと?』
「まあ、そんな感じ」
『お兄ちゃんと一緒に悪い人を捕まえるお仕事って聞いたけど、大丈夫なの?』
「変身ヒーローだぞ、かっこいいだろ!」
『お兄ちゃんがトーリくんは頼りになるって!』
「え、マジ? 義己っちが!
いや、まあ、それほどでもあるかぁ」
燈里はガラスを震わせることなく、照れてみせる。
それでも、ニュアンスは伝わったのだろう。
仁美は嬉しそうに水中で、くるりと回転してみせる。
『トーリくんは兎人間なんでしょ?
かわいくって、いいなぁ』
「そういう仁美ちゃんは人魚姫じゃん!
物語にも出てくるお姫様じゃん!」
仁美は両頬を押さえて、その場で、モジモジとしている。
それから、ホワイトボードを引き寄せて、こう書いた。
『私、お姫様に見える?』
燈里は大きく頷く。
「見える。見える」
仁美を元気付ける為、燈里は殊更、大きく答えた。
それは思いのほか効果があったらしく、仁美は身体の割りには小さめな水槽の中を、くるん、くるんと回っていた。
それを、ニコニコと見ていた燈里だったが、スマートウォッチが小さく鳴って時間を知らせる。
「あ、そろそろ行かなきゃ!
今度は義己っちと一緒に、来るよ!
あ、そだ、今は俺も入院だったから、何もないんだけど、今度は差し入れ持って来るよ。何がいい?」
『トーリくんが選んでくれたら、それがいい!』
「おっけー、何か水中でも暇つぶしになるようなもん、考えとく!」
仁美は、コクコクと頷くのだった。
そうして、燈里は手を挙げて去っていく。
じゃぽん!
仁美は水槽から顔を出して、名残惜しそうにそれを見送る。
何か言いたそうに口を開くが、「ラ……」と音が漏れそうになって、慌てて自分の口を閉じた。
少しだけ悲しい顔をして、燈里が消え去るまで、その後ろ姿を見つめるのだった。




