魂鏡五五、セミナー
冬の終わり、しかし、春は遠く、まだ冬支度は手放せないという完全防備な人々が行き交う大通りに面したオフィスビル。
そのビルの六階、貸し会議室で行われているのが、『ムーンディスクと生きるを考える会』の主催で行われている『共存と副次効果、その有用性について』というセミナーだ。
一見すると、いわゆる『ムーンディスク』融和派による生活推進セミナーという感じだが、その実態は『マナガルム』による『ムーンディスク』保持者に対する選民思想と現行政府批判を中心とした、ある種の洗脳セミナーになっている。
「皆さんは『ムーンディスク』保持者になったことで、今の世界を生きにくいと感じていらっしゃいませんか?
浮島区外の友人・知人からウイルス感染者として心配されたり、いわれなき誹謗中傷を受けたことは?
今日の帰りにでも、神浮橋の奥を見てごらんなさい。
政府の肝いりで行われている感染症対策の道路封鎖から、ほんの二百メートル先では自衛隊員たちが防護服なしでキャンプを張っています。
これが、今の政府のやり方です!」
眼鏡を掛けて髪型を変え変装した元・高校社会科教諭の犬塚信二が壇上で熱弁をふるっている。
話は次第に単純化していき、シュプレヒコールになっていく。
いわく、打倒、現行政府と我々は選ばれた人間なのだという話に収束していく。
この洗脳セミナーに潜入した『MD研究室』の左前隊隊長である左前は、トイレに行くフリをして、無線で今回の作戦参加者たちに指示を出す。
「セミナー終わりにやつらは地下駐車場に集まる。
そこで変身前を叩く。
一般参加者は、今回、眼中にない。
あくまでも『マナガルム』の中枢に近いやつらだけでいい。
それだけ念頭に置いて行動してくれ」
左前がセミナーに戻って少し、会は終わりとなり、一部の感銘を受けた参加者が、まったくもってその通りだと思います、とセミナーの主催者たちに話をしに行き、主催者である『マナガルム』側の人間たちも、それににこやかに答える。
「……では、次回のセミナーはまたメールでお送りしますので」
犬塚が言って、他の主催者メンバーと共に移動を始める。
「動いた。準備してくれ……」
左前が言って、階段へと身を踊らせる。
『マナガルム』メンバーが乗ったエレベーターは、ぐんぐんと下がっていく。
その頃には、地下駐車場内の人払いは済んでおり、左前隊の隊員たちは『マナガルム』の車両を隠れて囲んでいる。
『マナガルム』側は、犬塚を含め四人、『MD研究室』側は左前を除いても五人である。
エレベーターが着いた。
左前隊の隊員たちは、もう少し、もう少しと我慢する。
『マナガルム』の人間たちが、エレベーターから離れ、自分たちの車両に近づいた瞬間、一斉に動き出した。
「捕獲!」
狼男の『ムーンディスク』保持者、外村が叫ぶと同時に、電磁ネットランチャーが四方から放たれる。
今回のセミナー用資料を運ぶ男二人は完全に出遅れた。
紅一点、セミナーの受付を務めた女性は、瞬間的に犬塚を庇った。
庇われた犬塚は、ギリギリで包囲網から抜け出した。
「くそっ! やってくれたな、政府の犬どもが!
『魔凱着奏』!」
犬塚が叫ぶ。
「いつまでも、それで有利が取れると思うなよ!
『魔凱着奏』!」
外村はすぐさま反応して、変身スマートウォッチと認証バッヂを近づけた。
「がるるるるっ!
狼男と黒犬、どちらが強いか、教えてやる!」
軽装鎧の狼男と重装鎧の黒犬。
似て非なる二人の魔凱がぶつかり合う。
「俺をただの黒犬だと思うな!」
犬塚のパンチが外村を襲う。
外村はそのパンチを軽やかに手のひらで受け止めて、獰猛な笑みを含んだ声で返す。
「スピードもパワーも、俺の方が上のようだがな!」
外村が掴んだ拳を手前に引いて体勢を崩させると、空いた脇腹に蹴りを入れる。
「くっ……半端な変身でどうにかなると思うなよ!」
犬塚は外村の魔凱を見て、それが半端な変身だと、すぐに見抜いた。
そうして、脇腹のダメージを無視して、顔を外村へと向ける。
「智器照臨、【ガルムの火】!」
犬塚の魔凱の口から炎が吐かれる。
それは火炎放射となって、外村を包んだ。
外村は掴んでいた犬塚の拳を手放して、距離を取る。
しかし、外村を包む炎は消えなかった。
「ぐぅあああああっ!」
軽装鎧は軽装鎧。やはり、難点はその防御能力にある。
外村の二の腕と太腿、鎧の無い部分の炎が燃え上がる。
外村は地を転げ回るが、見る見る衰弱していくのが分かる。
「さあ、仲間を返して貰おうか……」
犬塚が辺りを睥睨すると、隊員たちは震え上がった。
電磁ネットランチャーを手放すべきか否か、隊員たちが迷いを見せる。
バンッ、とエレベーター横の非常階段が開かれる。
左前隊長だった。
「抵抗中か?
抵抗は無意味と知れ」
少し荒れた息を整えながら、左前が静かに言った。
「おや? セミナーで見た顔だな……なるほど、健気に潜入していたか」
犬塚が腕を振った。
空気を切り裂く様な音がして、一人の隊員が弾かれたように血飛沫を上げて吹き飛んだ。
「ぎゃああっ!」
隊員の脇腹から胸までが、ぱっくりと裂けた。
「よせ!」
「一般人が我ら超越種に何かしようとする時点で烏滸がましい。
神に歯向かう人間など滑稽でしかない。
仲間たちはまだ神に成り立てでね。
早く解放した方が身の為だぞ」
倒れた隊員が電磁ネットランチャーを手放さなかったために、『マナガルム』側の女性が電磁ネットから解放された。
「うっ……うう、『直居覚醒』!」
女性がそう呟いたと同時、女性の肉が、ぐんぐんと盛り上がっていく。
身の丈三メートル、緑色の肌、醜悪で凶暴な面構え、それはトロウルと呼ばれる怪物だ。
「うっ……があああああっ!」
トロウルが暴れる。
電磁ネットランチャーがまとめて薙ぎ払われる。
「ちっ……外村、いつまで悶えている。立て!」
左前が静かに叫ぶ。
「うっ……くそ……人使いが荒いなぁ……」
ちりちり、と火種が燻る腕を反対の手で無理やり押さえて、狼男の外村が立つ。
「やるぞ……『魔凱着奏』……」
左前が静かに怒りを燃やす。
すると、左前の身体が青白い炎に包まれる。
服が燃え、肉が燃え、後には黒い光沢のある骨が残り、そこにフード付きのマントがどこからともなく被さった。
「ゆ゛る゛ざな゛い゛んだがら゛!」
トロウルが隊員の一人を掴むと、左前に向けて投げた。
左前、いや、死神はその隊員に影のように巻きつく。
気付けば隊員は死神の近くに横たえられていた。
「勇器来臨、【死神の鎌】……」
死神が伸ばした右腕の骨に、その象徴のような大きな鎌が握られる。
捕らえられていた『マナガルム』の男二人が、トロウルが暴れたことによって自由になった。
二人が叫ぶ。
「『魔凱着……』」「『魔凱着奏!』」
死神が風のように動いた。
「外村、一人は連れて行く……」
「うす。せめて表の応援呼べないですかね……」
渋々といった感じで、外村は拳を固めた。
焼け焦げていたはずの二の腕と太腿は、狼男の再生力によって、元に戻っていた。
『マナガルム』の男の一人は、立ったまま事切れていた。
そして、同時にその男は死神に抱きかかえられていた。
死神はかき消えるようにしていなくなった。
『マナガルム』のもう一人の男は変身を終えた。
ライオンのような鎧だ。その背中から後光が差すように足が何本も伸びていた。
背中には大きな車輪がひとつ、その車輪から足が伸びている。
「グハハハハ……ヨウヤクノ顕現ダ!
蹂躙シテヤロウ!」
「そういうことをさせない為の俺らなんすよ!」
外村が吠えた。
「楢原、ここは任せる。
恵子くん、先導を!」
犬塚はそう言って、悠々と去って行こうとする。
「あ、こら、逃がさないっすよ」
外村が走ろうとすると、楢原と呼ばれたライオンの顔と足の光背を持つ男が、背中の足を回しながら寄って来る。
「オ前は、私という先駆者によって、道トナルノダ!
偉大ナル私ノ足跡トナレル栄誉ヲクレテヤル!」
「おおおおお!
どけ!」
外村は咆哮を上げて、パンチを放つ。
楢原はというと、結跏趺坐の体勢で背中の車輪、その車輪から伸びる光背状の足、その光背の足を地につけて、走り出す。
何本もの足が回転によって地を蹴る。
結跏趺坐の楢原の身体を軸にして、足車輪というべきものが、外村を中心に走り出す。
外村は空を切ったパンチにたたらを踏んで、体勢を立て直す。
楢原は急に方向転換して、外村を踏みつける勢いで向かった。
「もう一発!」
外村のパンチと楢原の足車輪が、バチンッ、と音を立てて衝突する。
「痛っ……」
外村の腕があらぬ方向に折れていた。
楢原の光背の足も数本、変な方向に曲がっている。
「ナント……私の足を折るトハ……」
楢原が驚いている様だった。
「ああ、いってえな!」
外村が折れた腕を無理やり伸ばす。
少し興奮したのか、口調が荒くなっている。
伸ばした腕から、シュウシュウと煙が立ちのぼる。
再生しているのだろう。
「さて、コイツには勝てるとして、肝心の犬塚は高見さんたちに任せるしかないか……はあ、また左前さんに怒られるじゃねえか……」
今回はこのビルを『MD研究室』総出で囲んでいる。
既にこちらで二人、取り逃したことを他の隊員が連絡してくれている。
後で左前に怒られるのは嫌だなあ、と外村は嘆きながらも拳に力を入れるのだった。




