第6章「崩」
登場人物
結城志保
警部補。機械に弱い刑事。
津田翔太
巡査。結城の同僚。
伏見智遥
結城の隣人。家電に詳しい青年。
神蔵美琴
占い師。紫月ミラの名で活動している。
朝倉義男
会社員。臨終速報に名前を告げられた男。
浅井誠人
借金を抱えた男。
岩下正雄
神蔵の知人。老衰で亡くなる。
宇佐美英充
人付き合いの少ない男。
伏見正明
市議会議員。地元の有力者。
伏見瑛子
伏見正明の妻。
調べた住所に到着すると、そこには手入れの行き届いたログハウスがあった。
壁は新しく、芝が整った庭が周囲を囲んでいる。
「ここか……特に何も変なのはないな」
津田と建物の周囲を確認していると、背後から鋭い声が飛んだ。
「おい、そこで何をしている!」
振り返ると、六十代ほどの男性が立っていた。
「私たちは警察の者です」
私と津田が手帳を示すと、男は少し表情を緩めた。
「お巡りさんでしたか。私はここの管理を任されている者です」
「失礼します。最近、このあたりで変わったことはありませんでしたか?」
「良かった。この先に先生のログハウスがあるのですが、誰かが侵入したかもしれないんです」
だとすると、このログハウスは違うのか?
「え? でもこの住所で間違いないのでは?」
「それは合ってます。二つとも伏見先生の所有しているログハウスなんです。ここのは三年前に建てられたもので、私が言っているのは以前使用していた方です」
現住所に建て替えをしたが、まだ古い方も倉庫として使用しており、管理していたとのことだった。そして、古い方の扉が開いているとのことだった。
「それで何者かが侵入したかもしれないと?」
「そうなんです。鍵は先生本人と私しか持っていません。それに車もないので、先生ではない誰かが入っている可能性があるんです」
私たちは管理人に百十番をお願いし、ログハウスの方へ向かった。
ところどころ舗装されていない道を進んでいくと、遠くにログハウスが見えた。明かりは灯されておらず、人がいるような気配は見られない。しかし扉だけは開いていた。
「なんだこれ? 入って下さいと言わんばかりの開け方は?」
津田がそう言った。もし侵入したのなら扉を閉めるはずだし、風で開いたとも思えない。私は息をのみ、ゆっくりと扉を押し開けた。
玄関ホールには特に異変は見られない。だけど危険だと直感が告げる。津田の表情にも余裕はなく、周囲を警戒していた。
――そして、リビングらしき場所に、うつ伏せで倒れている人影が見えた。
「伏見……正明さん……?」
ぴくりとも動かない。
近づくと、後頭部が鈍器で殴られたように陥没していた。
その傍らには、血のついたスコップ。そして手には藁細工が握られていた。
「……死んでる。早く応援を呼ばないと」
管理人さんが呼んだ警察官に事情を説明し、応援を呼んでもらった。すぐに現場は封鎖され、鑑識が入った。
「結城警部補、足跡の件ですが……」
差し出された写真には、鮮明な靴跡が写っていた。
「まずは警部補たちの靴型を採らせてください。現場には三つあって、一つは被害者のものと思われます」
「被害者の?」
「ええ。ログハウス内にあった靴底の型が一致しました」
私は写真を見つめた。足跡は一直線に、遺体発見現場へと伸びていた。
まるで、自ら死地へと向かったかのように。
「結城警部補?」
「いえ、ありがとう。引き続きお願いします」
言葉を飲み込んで返すと、津田は腕を組んだまま沈黙していた。
だが私の頭の中には、ひとつの疑問が渦巻いていた。
――“なぜ、足跡は一人分しかないのか”。
やがて身元が確認され、被害者はやはり伏見正明さんだった。
死亡推定時刻は明け方。頭部への強打による即死。
争った形跡はなく、無抵抗のまま襲われた可能性が高いという。
さらに、捜索願が出る五日前から飲食の形跡がなく、手足には縛られた痕跡もあった。
――監禁。そして、殺害と藁細工。
事件の輪郭が浮かび上がるにつれ、背筋が冷たくなっていった。
この発見により、上層部も動いた。
“現場に残った藁細工”が偶然ではないと、ようやく認め始めたのだ。
事件は正式に連続殺人として立件され、私はその担当に任命された。
まず最初に行うのは、家族への事情聴取だった。
私たちは伏見さんの自宅へ向かい、奥様から話を聞くことになった。
「主人は厳しい人でしたが、人様に恨まれるようなことはしていません」
部屋を見渡すと、様々な賞や写真が飾られている。そして選挙用のポスターなのだろうか、凛々しい表情でこちらを見つめる写真が置かれていた。
「では、行方不明になった日に変わったことはありましたか?」
「いいえ。主人は家でじっとしているのが苦手な性分でして、その日も出かけていました。帰りも不規則なので気にしませんでしたが、連絡もなく二日も帰らないのは変だったので、警察へ連絡したのです」
この証言に矛盾はない。
正明さんが家を出たのは七日前。二日経っても戻らなかったため、五日前に捜索願が出されている。
司法解剖でも、五日近く食事を取っていないことが分かっていた。
つまり、少なくとも捜索願が出された頃には、どこかで監禁されていた可能性が高い。
「失礼ですが、他にご家族は?」
「子供が二人いまして。長男は海外で働いています。主人が亡くなったので、近々帰国する予定です。次男はお恥ずかしい話ですが、主人と折り合いがつかなくて家を出てしまいました」
「そうですか……その次男さんは今はどちらに?」
「実は昨日の晩にやって来まして、主人を探していました」
「失踪について連絡したのですか?」
「いいえ。ですが帰ってこないと伝えると、また去っていきました」
この次男は失踪をどこで知ったのだろうか。こういうケースは大事になるのを避けるため、少数の人しか知らないようになっているはずだが。
「では次男さんのお名前は?」
「伏見智遥と言います」
その名前を聞いた瞬間、私の頭の中に、あの夜の絶叫と伏見さんの歪んだ表情が蘇った。まさか、あの時――。
私は奥様の話を終えると、その足で署へ戻り、智遥さんの所在を確認した。
智遥さんはすでに見つかっており、私たちが最初に到着したログハウスの付近で、周辺を捜索していた警察に保護されていた。
「結城さん……」
憔悴しきった表情で、伏見さんは私の前に現れた。しかし、何か匂う。
「どうして私に言わなかったんですか?」
「まさか父だと思いたくなかったんです。でも不安になって実家に帰ったら行方不明だと言うし、もうどうしていいか分からなくて……」
伏見さんによると、あの後に実家に帰り、父親の捜索願を聞くと、そのまま別荘まで移動して探していたとのことだった。
「俺って今、どんな状態なんですか? もう家宅捜索とか入ってるんですか?」
「いいえ、まだ参考人です。もし容疑が固まれば調べられるかもしれませんが」
「でも近くにいただけで疑われるのは変ですよ! 俺やってないのに」
彼の声は裏返っていた。私だって信じたい。だが、死体に最も近い場所にいて、アリバイもない。立場はあまりに不利だった。
「なら、私は貴方を信じるので情報を下さい。何でも良いので」
伏見さんは怯えながら、必死で思い出そうとしていた。
「そうだ。別荘に戻った際に、外から物音がしたんです」
「どんな音だったんですか?」
「……最初は熊かと思ったんですが、庭先に“男”を見ました」
「男?」
「はい……でも思い返してみると、あれは父だったかも……」
伏見さんによると、夜遅くに別荘に到着し、中を捜索していると庭の方から物音がしたので、ふと外を見ると男が歩いていた。最初は変だと思ったが、父親の件を嗅ぎつけたマスコミかもしれないと思い、深追いしなかったとのことだった。遠目で見ているとすぐに立ち去ったので、それ以上は気にしなかったという。
「でも……なんて言えばいいのか、父ではないと思うんです。違う人だったと」
そして伏見さんに別荘の地図を書いてもらい、男を見た位置を示してもらう。そこは旧ログハウスへの道になっていた。
「だったら、あの影は父だったのでしょうか? それなら、あの時に声をかけていれば……」
伏見さんは言葉を途中で詰まらせ、俯きながら拳を握りしめた。
「いや、まだ分かりません。鑑識の結果もまだですし、現場も確定していません」
現場の血痕が少ないことから、犯行現場が確定されていなかった。
「でも」
伏見さんはそう言って俯いたまま、拳を握りしめた。『救えたかもしれない命だった』その思いが伏見さんを苦しめているのだろうか。
「大丈夫です。犯人は私たちが必ず見つけます。そうすれば伏見さんの容疑も晴れるので、待ってて下さい」
「結城さん。お願いします」
伏見さんは深々と頭を下げた。
私は席を立ちかけて、ふと何かが引っかかった。
「伏見さん、失礼ですが――何か匂いますね?」
「ああ……少しワインの匂いが残ってるかもしれません」
「ワイン?」
「あのログハウスの地下に、父のワインセラーがあるんです。昨日そこにいたら、一人だと寂しくなって……つい飲んでしまいました。強くもないのに」
「でも前回の捜索では、そんな場所は見つかっていませんでした」
「外から見ても分からない構造で。父が“趣味兼避難用”に作ったらしいです」
「……なるほど」
「古くから使ってる棚だったんです。ちょっと当たっただけなのに、瓶が何本も落ちてきて……もうぐちゃぐちゃですよ」
発見時、伏見さんはワインにまみれて泥酔していたという。服は証拠品として預けられ、伏見さんは署で用意された服に着替えていた。
それでも、髪や肌にはワインの匂いが残っていた。




