第6章「崩」
調べた住所に到着すると、そこには手入れの行き届いたログハウスがあった。
壁は新しく、芝が整った庭が周囲を囲んでいる。
「ここか……特に何も変なのはないな」
津田と建物の周囲を確認していると、背後から鋭い声が飛んだ。
「おい、そこで何をしている!」
振り返ると、六十代ほどの男性が立っていた。
「私たちは警察の者です」
私と津田が手帳を示すと、男は少し表情を緩めた。
「お巡りさんでしたか。私はここの管理を任されている者です」
「失礼します。最近、このあたりで変わったことはありませんでしたか?」
「いえ、以前も警察の方が来られましたが、特に異常は……」
私は周囲を見回した。確かに、このあたりには何もない。
ただ——建物の裏手の林に、ふと違和感を覚えた。
「あれ?何か道になってない?」
草が倒れ、土が細く擦れた跡が森の奥へと続いている。
「すみません、この先は?」
「ああ、そちらには以前のログハウスがあります。伏見さんがこちらへ建て替えたんです」
今いる建物は三年前に建てられたもので、旧ログハウスは林の奥に残っているという。
「なんか、地面が少し窪んでる」
私は顔をしかめて津田に目を向ける。
「......ねえ、確認して」
「警部補殿、了解しました」
津田は軽口を叩きながらもしゃがみ込み、地面を指先で撫でた。
「足跡だな。だが朝露で湿ってるし、判別は難しいな」
「その先、辿ってみよう」
私たちは管理人に一礼して、獣道のような小道を進んだ。
やがて——苔むした古いログハウスが姿を現した。
「……こんなところに……」
屋根は歪み、壁には亀裂が走り、扉は傾いたまま閉じている。
「ここが……霧島さんの言っていた“緑に包まれたボロボロの木の場所”……」
現実の光景が、夢の言葉と重なった瞬間だった。
私は息を飲み、ゆっくりと扉を押し開けた。
中はひどく湿っており、腐臭が鼻を刺した。
床には工事資材のようなビニールシートが敷かれ、空気は重く、淀んでいる。
——そして、リビングらしき場所にうつ伏せで倒れている人影が見えた。
「伏見……明正さん……?」
ピクリとも動かない。
近づくと、後頭部が鈍器で殴られたように陥没していた。
その傍らには、血のついたスコップ。そして手には藁細工が握られていた。
「……死んでる。早く応援を呼ばないと」
通報を終えると、すぐに現場は封鎖され、鑑識が入った。
「結城警部補、足跡の件ですが……」
差し出された写真には、鮮明な靴跡が写っていた。
「まずは警部補たちの靴型を採らせてください。恐らく、あの足跡は被害者のものです」
「被害者の?」
「ええ。靴底の型が一致しました」
私は写真を見つめた。足跡は一直線に、古いログハウスへと伸びていた。
まるで、自ら死地へと向かったかのように。
「結城警部補?」
「いえ、ありがとう。引き続きお願いします」
言葉を飲み込んで返すと、津田は腕を組んだまま沈黙していた。
だが私の頭の中には、ひとつの疑問が渦巻いていた。
——“なぜ、足跡は一人分しかないのか”。
やがて身元が確認され、被害者はやはり伏見明正さんだった。
死亡推定時刻は明け方。頭部への強打による即死。
争った形跡はなく、無抵抗のまま襲われた可能性が高いという。
さらに、捜索願が出る5日前から飲食の形跡がなく、手足には縛られた痕跡もあった。
——監禁。そして、殺害と藁細工。
事件の輪郭が浮かび上がるにつれ、背筋が冷たくなっていった。
この発見により、上層部も動いた。
“現場に残った藁細工”が偶然ではないと、ようやく認め始めたのだ。
事件は正式に連続殺人として立件され、私はその担当に任命された。
まず最初に行うは家族への事情聴取で、伏見さんの自宅に向かう事となった奥様が対応してくれた。
「主人は厳しい人でしたが、人様に恨まれるような事はしていません」
部屋を見渡すと様々な賞や写真が飾られている。そして選挙用のポスターなのだろうか、凛々しい表情でこちらを見つめる写真が置かれていた。
「では行方不明になった日に変わった事はありましたか?」
「いいえ。主人は家でじっとしているのが苦手な性分でして、その日も出かけていました。帰りも不規則なので気にしませんでしたが、連絡もなく2日も帰らないのは変だったので警察へ連絡したのです」
この証言に矛盾はない。5日前に捜索願いを出されており、司法解剖でも5日近くは食事を取っていない。7日前の外出後に監禁されたという事だ。
「失礼ですが他にご家族は?」
「子供が2人居まして。長男は海外で働いています。主人が亡くなったので近々帰国する予定です。次男はお恥ずかしい話ですが、主人と折り合いがつかなく家を出てしまいました」
「そうですか...その次男さんは今はどちらに?」
「実は昨日の晩にやって来まして主人を探していました」
「失踪について連絡したのですか?」
「いいえ。ですが帰ってこないと伝えると、また去って行きました」
この次男は失踪を何処で知ったのだろうか?こういうケースは大事になるのを避ける為、少数の人しか知らないようになっているはずだが。
「では次男さんのお名前は?」
「伏見智遥と言います」
その名前を聞いた瞬間、私の頭の中に、あの夜の絶叫と伏見さんの歪んだ表情が蘇った。まさか、あの時——。
私は奥様の話を終えると、その足で署へ戻り、智遥さんの所在を確認した。
智遥さんはすでに見つかっており、私達が最初に到着したログハウスの付近で、周辺を捜索していた警察に保護されていた。
「結城さん……」
憔悴しきっった表情で伏見さんは私の前に現れた。しかし何処か匂う。
「どうして私に言わなかったんですか?」
「まさか父だと思いたくなかったんです。でも不安になって実家に帰ったら行方不明だと言うし、もうどうしていいか分からなくて……」
伏見さんによるとあの後に実家に帰り、父親の捜索願いを聞くとそのまま別荘まで移動して探していたとの事だった。
「俺って今、どんな状態なんですか?もう家宅捜索とか入ってるんですか?」
「いいえ、まだ参考人です。もし容疑が固まれば調べられるかもしれませんが」
「でも近くにいただけで疑われるのは変ですよ!俺やってないのに」
彼の声は裏返っていた。私だって信じたい。だが死体に最も近い場所にいて、アリバイもない。立場はあまりに不利だった。
「なら私は貴方を信じるので情報を下さい。何でも良いので」
伏見さんは怯えながら必死で思い出そうとしていた。
「そうだ。別荘に戻った際に外から物音がしたんです」
「どんな音だったんですか?」
「……最初は熊かと思ったんですが、庭先に“男”を見ました」
「男?」
「はい……でも思い返してみるとあれは父だったかも……」
伏見さんによると、夜遅くに別荘に到着し中を捜索していると庭の方から物音がしたので、ふと外を見ると男が歩いていた。最初は変だと思ったが、父親の件を嗅ぎつけたマスコミかもしれないと思い、深追いしなかったとの事だった。遠目で見ているとすぐに立ち去ったので、それ以上は気にしなかったという。
「でも…なんて言えばいいのか、父ではないと思うんです。違う人だったと」
そして伏見さんに別荘の地図を書いてもらい、男を見た位置を示してもらう。そこはまさに、私たちが発見した足跡の近くだった。
「確かにこの付近で足跡を見つけました」
「だったら、あの影は父だったのでしょうか?それならあの時に声をかけていれば……」
伏見さんは言葉を途中で詰まらせ、俯きながら拳を握りしめた。
「いや、まだ分かりません。鑑識の結果もまだですし。現場も確定していません」
現場の血痕が少ない事から犯行現場が確定されていなかった。
「でも」
伏見さんはそう言って俯いたまま、拳を握りしめた。『救えたかもしれない命だった』その思いが伏見さんを苦しめているのだろうか?
「大丈夫です。犯人は私達が必ず見つけます。そうすれば伏見さんの容疑も晴れるので待ってて下さい」
「結城さん。お願いします」 伏見さんは深々と頭を下げ私は席を立ちかけて、ふと何かが引っかかった。
「伏見さん、失礼ですが——何か匂いますね?」
「ああ……少しワインの匂いが残ってるかもしれません」
「ワイン?」
「あのログハウスの地下に、父のワインセラーがあるんです。昨日そこに居たら、一人だと寂しくなって……つい飲んでしまいました。強くもないのに」
「でも前回の捜索では、そんな場所は見つかっていませんでした」
「改装のときに増築したんです。外から見ても分からない構造で。父が“避難用”に作ったらしいです」
「……なるほど」
「古い棚だったので、ちょっと当たったらワインが雨みたいに降ってきて。もうぐちゃぐちゃですよ」伏見さんはワインに塗れて泥酔している所を発見されたとの事だった。
伏見さんは、ワインに塗れて泥酔していたという。服は署で洗われ、体に染みついた匂いだけが残った。




