第4章「指名」
登場人物
結城志保
警部補。機械に弱い刑事。
津田翔太
巡査。結城の同僚。
伏見智遥
結城の隣人。家電に詳しい青年。
神蔵美琴
占い師。紫月ミラの名で活動している。
朝倉義男
会社員。臨終速報に名前を告げられた男。
浅井誠人
借金を抱えた男。
岩下正雄
神蔵の知人。老衰で亡くなる。
宇佐美英充
人付き合いの少ない男。
伏見正明
市議会議員。地元の有力者。
伏見瑛子
伏見正明の妻。
出動要請が出ていたので、遺体発見現場へと向かうことになった。職務中に寄り道は駄目だが、進行方向は同じだったため、津田にお願いして一度私の家に戻った。やはり施錠はされておらず、鍵は玄関に落ちていた。拾った鍵で扉を閉め、足早に津田が待つ車へと戻った。
「うわ、また高層階か……」
津田は三十階建てのマンションを見上げてぼやいた。
既に鑑識課が入っており、検分も終わりに近づいていた。
「結城警部補。お疲れ様です」
鑑識の方が声をかけてくれた。
「お疲れ様です。状況はどうですか?」
把握している情報として、このマンションはオートロックだが、非常階段の扉が故障しており、外部から建物内に入ることは可能だった。防犯カメラはエントランスとエレベーターにしかなく、浅井さんの姿はエレベーターのみ確認されている。非常階段扉に指紋が付着しており、被害者と一致するか照合中とのことだった。
「ちょっと現場では不可解なことがあります」
「不可解?」
「仮に自殺だとしても、吊られ方が不自然なんです。このように自分を持ち上げるような形になっています」
そう言うと、写真を見せてくれた。
給水塔へ上る梯子にロープが掛けられており、浅井さんの身体はその下に吊られていた。
だが、ロープの跡は梯子に結びつけられたというより、横桟を支点にして擦れたように残っている。
「普通に自殺するなら、柵や手すりにロープを結べば済みます。ですがこれは、ロープを梯子に掛けて、身体を引き上げたような形になっています」
鑑識の言葉を聞いて、私は写真を見た。
確かに、ぶら下がったというより、吊り上げられたように見える。
自分でこの形を作るには、あまりにも複雑だった。
「そして服には砂利がついていました。携帯電話は破壊されていて、本人の指紋がついたペットボトルには沈殿物があります。成分分析をかけています」
屋上の床には、細かな砂利が擦れた跡が残っていた。
遺体がそこまで引きずられたのだとすれば、浅井さんは最初から梯子の下にいたわけではない。
そして、壊れた携帯電話。
中身の残ったペットボトル。
ポケットの中の、小さな藁細工。
どれも、自殺という言葉から少しずつはみ出していた。
「ねぇ。これって何だと思う?」
私は写真の一枚を津田に見せた。
津田はその写真を見て、少し考えた。
「何だこれ。見た感じは藁だな……小さな箒か?」
箒にしては柄が短い。私には熊手にも見えた。しかも長いところには赤い紐が結ばれていた。ただのお守りかもしれないが、私には異物にも見えた。
報告書には、索溝は明確で自殺も否定できないとしつつ、衣服への砂利付着状況および移動痕から、第三者関与の可能性を付記した。
その後、藁で編まれていた小物の写真をコピーした。
浅井さんの親族から話を伺うことができた。浅井さんは独身であり、警察署に来たのは妹さんだった。
「兄は恨まれるような人ではありません」
そう言うと、不安からか体をこわばらせていた。
「では、最近気になるようなことはありましたか?」
「いいえ、兄は一人暮らしなので私は知りません。ただ……」
「ただ?」
「昔からそうだったんですが、少しお金遣いが荒かったので、借金はあったかもしれません」
それは既に調べてあり、浅井さんは消費者金融数社から借金をしており、生活としては切迫していた。だが、それが故に殺されるような額ではないし、いわゆるグレーなところからの借入はなかった。
「分かりました。一応確認ですが、朝倉さんという方に心当たりは?」
妹さんは即座に首を横に振った。
「聞いたことはありません。実家にも顔はあまり出しませんでしたし、その……交友関係も広くなかったと思います」
なら、この二人に対する接点は少ないか……。現場は似たような高層階だけど関連性が見当たらない。けれど、臨終速報だけが絡んでいる。これは偶然なのか。それとも必然なのか。胸の奥に不快感だけが募る。
「ご協力ありがとうございます。また改めてご連絡します」
私は妹さんを警察署の出口まで誘導して送り出す。帰り際に深く頭を下げて去っていった。たとえ疎遠でも、家族を失った悲しみは同じ……早くこの事件を終わらせる必要がある。
臨終速報について情報が欲しかった私は、報告書を提出した後、神蔵さんに連絡をし、会う約束を取り付けた。勤務時間が終わり、私は神蔵さんと会うため、ファミレスに向かうことにした。
津田にそれを伝えると、「ファミレスまで送るぞ」と言ってくれて、車を出してもらうことになった。
神蔵さんの姿を思い出す。同じ“臨終速報”に触れた者同士。彼女の言葉の中に、何か手がかりがあるかもしれない。そう信じたかった。
私は簡単にこれまでの経緯を津田に話した。津田は黙って聞いてくれた。
「何で浅井さんは亡くなったんだろうな」
信号待ちをしている時に、津田はそう呟いた。
「それは私が知りたい。あの二人には接点がなかったし、犯人像がまったく浮かばない」
どちらの事件も状況は似ているのに、関係性が見えてこない。唯一の共通点は“臨終速報”だけで、それは何の意味も持たなかった。浅井さんの職歴から見ても、朝倉さんとの繋がりは見当たらなかった。
「でも別に接点がなくてもいいだろ?」
津田は何が悪いのか分からないような顔をして言った。
「日本の殺人事件における犯人は、顔見知りを含めた身内がどのくらいの割合か知ってる?」
「半分くらい?」
「八十パーセントは超えてるのよ。だから調べる際は、家族や周辺トラブルを重点的に見てるでしょ?」
「マジか……血の繋がりが憎しみに変わるのか」
なんかロマンチストなことを言ってる気がするけど、私はスルーした。
「そして通り魔的犯行は僅か五パーセントほど。もし無差別なら、犯人を探すのは難しいの」
津田は「なるほどな」と短く返すと、信号が青に変わった。
車が静かに発進し、窓の外の街灯が流れていく。数字を並べて冷静さを保とうとしても、心のどこかでは分かっていた。――この事件は、統計では説明できない。
私が考え込んでいる間、津田はそれ以上何も言わず、静かにハンドルを握っていた。
目的地のファミレスに着くと、私は軽く息を吐いた。少し待つと、神蔵さんがやってきた。以前のような特徴的な服装ではなく、落ち着いた格好だった。隣に座る津田を見て、一瞬顔を硬直させる。
「本当に私は何もやってません」
開口一番に何を言っているのか。やっぱりこの人の自宅を一回調べた方が良いのではないか。
「まだ何も言ってません」
それよりも、同じ“臨終速報”に触れた神蔵さんに聞きたいことがあったのだ。
「先日、臨終速報を見たと言って警察署に来ましたよね。あの時の状況を、もう少し詳しく聞かせてもらえますか」
呼び出した理由を聞いた後、神蔵さんはほっとした表情になり、「あ~そっちなら良いですよ」と言った後、「何か頼んで良いですか?」とメニューを開いた。
「どうぞ、折半ですけどね」
「情報提供料みたいなのはないのですか?」
やっぱり図々しくなるな、この人は。そう思いながら、少し脅すことにした。
「それだと違法になるので、捕まりたかったらどうぞ」
「なら大丈夫です」
目を伏せ、メニューを閉じ、コップに水を注ぎ、それだけで済まそうとした。
「……まぁ常識の範囲であれば奢りますよ」
また同情してしまい、つい言ってしまった。神蔵さんは嬉しそうな顔でパスタを注文した。
パスタが届くと、神蔵さんは「わあ、美味しそう」と嬉しそうに声を上げた。フォークを手に取ると、迷いなく麺を巻き、口に運ぶ。以前もそうだったけど、上品に食べている。私は水をひと口飲みながら、ぼんやりとその様子を眺めていた。
「なら何でも答えますよ。今なら占いも無料でやりますよ」
生き生きとした表情で言ってきた。
「占いは結構です。臨終速報を見た流れを聞きたいのです」
食べ終えた神蔵さんは口元を拭き、思い出すように目線を逸らしていた。
「結城さんと夕飯を食べた夜に、急にテレビが点いたんです」
……やっぱり似てる。私もあの日に見た。
「ぼーっと眺めてたら、ニュースキャスターが原稿を読み上げてて、『ここで臨終速報です。朝倉義男さん。次は貴方です。ごきげんよう』と言ったんです。普通に考えたらありえないことじゃないですか。でもそれから朝倉さんが亡くなったので、冗談じゃなかったんだと思って、怖くて行ったんです。でも『変なテレビで見ました』って言ったら何て言われるのかって思って、踏ん切りがつかない時に結城さんに会ったんです」
神蔵さんが話した内容は、私が見たものと類似している。
「実は私も似たようなものを見たんです」
「結城さんも? やっぱりそんな感じでしたよね?」
「いや……そんなにくっきりじゃなかったの」
「そうなんですか……でも二人が見てたら、やっぱり現実だったんですね」
神蔵さんはそう言うと、デザートを注文していた。怖くないのだろうか。
「神蔵さんは大丈夫なの?」
「別に? 変なモノを見たってぐらいですし。どうしようもないじゃないですか」
言われてみればそうだが……この人の神経はかなり図太いのかもしれない。
神蔵さんを見て、ふと思った。この人は何か変なところで知識がある。なら、これも分かるかもしれない。
そう思い、鞄からコピーした正体不明の藁細工を神蔵さんに見せた。
「神蔵さん。これってなんだと思います?」
私が聞くと、神蔵さんはじっと写真を見て、
「藁で作った鶴ですね。縁起物としては定番ですよ」
と即答してくれた。
「鶴?」
「ほら、鶴は千年亀は万年って言いますよね。あの鶴です。しかもこの鶴は結構上手くできてますね。結城さん、手作業が得意なんですか?」
神蔵さんの言葉を聞いてから写真を見ると、確かに鶴に見えてきた。なら、この広げたのは羽で、長いのが首ってことになる。
「……でも鶴って首に赤い線はないよね?」
「そうですね。作った人のアドリブとかじゃないですかね? 同じじゃつまらないし」
この藁で作られた鶴は浅井さんが作った物だろうか。それにこの赤い紐……少し嫌な感じがする。
「これって模様だったら塗るだろ? わざわざ紐にしたってことは、吊ってるって意味じゃないか?」
津田の一言で、嫌な考えが浮かんだ。
もしこれが偶然ではなく、犯人が残した印なのだとしたら――この鶴は、浅井さんの死に方を示していることになる。
「吊るって、鶴にかけてます?」
何も知らない神蔵さんは冗談として受け取っている。でもその言葉も合っている気がしてきた。長寿の縁起物である鶴を使って首吊りなら、犯人の異常な執念を感じてしまう。
神蔵さんはお腹が満たされると、「また今度」と言い、帰ってしまった。
その後、私たちも食事を取り、食べ終わった時に私は津田に声をかけた。
「ねぇ。今回の事件はどう思う?」
津田はコーヒーを一口飲んだ後、腕を組んだ。
「“臨終”だし、結局は死ぬってわけだよな。気味が悪いし……なんだそれ?」
「そんなもの、知るわけないでしょ」
「しかも“速報”って言うわりには時間がかかる。“速報”というより“予告”だな」
津田はコーヒーにミルクを足しながら言った。
「しかも今回は他殺の線が高い。なら、あれは犯行予告としても成立するよな?」
「確かにそうね。しかも直前に連絡も取ってたみたいだし」
自殺する人が、相手が分からなくなるような手段で連絡を取る――それは、ありえるのだろうか。
津田は少し間を置き、低い声で続けた。
「……つまり、あの“臨終速報”は“死を告げる放送”じゃなく、“殺す相手を指名する放送”ってことになる」
「指名……?」
「そう。放送に名前が出た瞬間、その人間は“殺される対象”として選ばれる。つまり、“誰かが意図的に”それを流してる。自殺でも予知でもなく、殺人ってことだ」
津田の言葉が、空気を冷やした。
「放送が流れた時点で、次の“犠牲者”が決まる。なら、“臨終速報”ってのは“犯行予告”であり、同時に“宣告”だ」
その理屈があまりにも単純で――だからこそ、何も考えられなかった。
「だったら、なんでお前と神蔵は見たんだろうな?」
津田の疑問に、私は答えることができなかった。




