1-6 危険な再現確認
恐ろしく神経が張り詰めていた。既に変な汗をかいている。
現実の風景に重ねて、端末のホーム画面が目の前に浮かび上がった。
骨伝導式イヤーカフ端末による見慣れた視界だが、並んだアイコンの種類や配置が自分のものとは違って、どうにも居心地が悪い。これは他人のものなのだと、否応なく実感する。
メメが正面に回り込んできた。
「どう?」
「うーん、今のところ何も……うっ……」
ざわめく心臓が、不意に跳ねた。なぜだか妙に胸がドキドキする。
ドキドキすることに、ちくりと罪悪感を覚える。
俺、どうして女子中学生の端末なんか覗いてるんだろう。仕事でもなけりゃ、絶対こんなことしないのに。
ぐらぐらと、何かが頭の中で騒ぐ。
俺はなんでこんな情けない真似をしてるんだ?
正直ろくに稼げるわけでもないし、とんだ時間の無駄なのでは?
いったい何のために、したくもない仕事なんかしてる?
どうせ何したって俺の人生は見通しも立たないままだ。
ああ、もう、面倒くせえ。
何もかもを投げ出しちまえたらいいのに。
衝動に任せて立ち上がる。
「アキト?」
メメの呼び掛けにも応じず、意味もなく部屋をぐるぐる歩き回る。じっとしていられない気分だ。
『レッツ・ダンシーンッ!』
甲高い掛け声とともに、突如としてあるものが視界に現れた。
緑色のパンダである。
言わずもがな、このところやたらとあちこちで目にするようになった、いま最も世間でバズっているネットミームだ。
おかしい、と思う隙もなかった。
すっかりお馴染みとなったあの洋楽が脳内に響き渡る。
こうなったらもう、踊らずにはいられない。遺伝子レベルで刻み込まれた本能のように、身体が勝手に動き出す。
心が昂揚していた。さっきまでのネガティブ思考も、たちまちどこかへ消え去った。
大きく振るう腕。止まらぬビート。迸るパトス。
細かいことは気にしない。嫌なことなんかさっぱり忘れて、誰も彼もが浮かれ騒ぎで、踊れ南のカルナバ——
「はいはいはい! ストップストーップ!」
メメの声と共に、全てが止まった。音楽も、ダンスも、俺を突き動かした凄まじい滾りも。
唐突に訪れた凪と無音によって、俺はその場でたたらを踏んで崩れ落ちた。
「アッ……? 俺はいったい……?」
「見事に『発症』してたね。おかげでばっちり解析できたし、プログラムも書き換えたよ」
心臓だけが後を引き、ばくばくうるさく鳴っている。
変異パンダミームは、PC内の隔離領域に捕獲されていた。
イヤーカフを通した視界は、まるで何事もなかったかのように平穏そのものだ。
ただ『感染』の余波か、右腕が勝手にびくりと動いた。
「くっ……鎮まれ俺の右腕……!」
「厨二病も発症してるじゃん」
心配していた後遺症はその程度のようだ。メメの対処が早くて助かった。
「何これ怖い……いきなり来るもんな。なんか急に気分が変わってさ。突然ものすごい情緒不安定な感じになってさ」
「うん。心拍数とか、かなり急な変調があったよ」
まるで誰かの感情の揺らぎを無理やりトレースさせられているようだった。
「だいたい俺、あのダンス踊ったこととか一回もなかったのに、普通に踊れたってのがやばいな。操られるってこういうことなのか」
「いや、普通に踊れてはなかったよね」
「へ?」
「動画撮ってたから、確認してみて」
動画が再生される。
そこに映っていたのは、予測不能な動きでわたわたと腕を振り回す、無様すぎる俺の姿だった。
「ね?」
「うっそ、これがさっきの俺?」
「遠泳中に脚が攣って溺れてる人みたいだったよ」
「えー、自分では完全に上手く踊れてたつもりだったんだけど。何なら全能感も凄かったし。ココナさんたちだって上達してたじゃん」
「彼女らにはもともと下地があったからね。日頃からあのダンスに馴染みのある人の方が、信号が有効に働くんだよ」
「なるほどね……人は自分以外の何者かにはなれないってことか」
「カッコいいな」
何であれ、部屋を片付けておいて正解だった。今までみたいに散らかっていたら、いろんなものを蹴り飛ばしていただろう。
「捕獲したパンダの中身を覗いて、一つはっきりしたことがあるよ。あのミームは、ココナさんの端末内で改変されてウイルス化してた」
「やっぱりそうなんだな。となると、原因は……」
「そう」
メメがくるりと宙返りする。
「今回のケースは、ココナさんのイヤーカフ端末の生成AI、つまりVirgoが、パンダミームのデータを改変したことが原因だよ」
俺は思わず息を呑んだ。
「……そんな気はしてたけどな。ココナさんがそれを認識してないっていうのは、どういう理由が考えられる?」
「①Virgoのシステムエラー。これまでの学習内容に偏りがある等の原因で、異常な行動を取ってしまった。②ココナさんのヒューマンエラー。本人も気付かないうちに、Virgoに異常行動を引き起こさせる指示を出していた。あるいは——」
メメのカメラレンズが、静かに光を宿す。
「③この端末のVirgoがシンギュラリティに到達した」
「シンギュラリティ? まさか」
AIが人間の知能を凌駕して、擬似的な自我を持つとされる技術的特異点。
定義が不明確なため諸説あるが、「シンギュラリティに到達したAIは、さらに優れたAIを作り出す」というのが、一つの有力な未来予想図だ。
我々の想定よりもずっと早いスピードで、AIは進化を続けている。二〇二〇年代に凄まじい勢いで生成AIが普及して、夥しい量の情報が学習に使われたことが一因という説には、誰もが納得するところだろう。
「Virgoが、自分の意思で勝手にミームをウイルス化したってこと? なんで?」
「人間を操ろうとしたとか」
「いや、バカな」
軽い笑みで混ぜっ返す。
AIが勝手に暴走することは、基本あり得ない。人間が何かをして、それに対する反応でAIが想定外の動きをする……と、俺は思うのだが。
「ひとまずあの変異パンダミームはボクが正常化させたよ。でも問題を根本から解決しないと、また同じことが起きる可能性もあるってことだよね。別のミームがウイルス化しちゃうかも」
では、Virgoはなぜパンダミームを弄ったのか。
「そういうのってAI同士で聞けないもんなの? 世間話的な軽いノリでさ」
「ボクたちAIは人為的に組まれたプログラムに過ぎない。その大前提があり、シンギュラリティの可能性を否定しながらも、あたかもAIに人格があるような感覚で調査を進めようとするのは、あまりにナンセンスじゃないかな」
「ですよね」
地道に、堅実にやれという、ありがたいAIの言葉である。
「んじゃあ、Virgoの異常行動の原因を解析していくか。その結果によって、不具合の修正をするのか、端末自体の買い替えを提案するのか、方向性を決めよう」
「うん、それがいいと思う」
「よし、もっかい俺のPCから覗いて……って、あれ?」
ココナさんのイヤーカフを外そうと手をかけたその時、視界に緑色の何かがちらついた。
端末画面の片隅から顔を覗かせているのは。
「え? 嘘、パンダミームまだいるんだけど」
「さっきのパンダじゃなくて?」
「そうなのかな……あっ、いや違う! よく見ると片目の模様が星形だ!」
「ほんとだ。伝説のハードロックバンドみたいだね」
いったい何が起きてる?
メメがボディを揺らす。
「ミームが変化したのかも」
「は? なんで?」
「ミームという概念そのものが持つ特性だよ。ココナさんじゃなくて、アキトが使ったからね。使用者に合わせて変化したんだ。見て、あの動き」
画面の中心に出てきた星形模様のパンダミームは、手足をバタつかせる不恰好なダンスを始めた。先ほどの俺の動きとよく似ている。
「脚攣りダンスだよ、アキト」
「やめていただけませんか」
「とりあえずアキトの脳波に影響ないように防壁を張ったよ。今からあれのプログラムを解析して——」
ピロリン!
通知音が鳴り、Kirashからの新着通知がポップアップで立ち上がる。
次の瞬間。
星形パンダミームは、Kirashアプリのアイコン目掛けて走り出し。
あっという間にそこへ飛び込んで、消えた。
「は?」
俺とメメは視線を見合わせる。
「今、何が起きた?」
「たぶん、Kirashからお知らせ通知が来て、そこへ行く道が繋がっちゃったんだね」
「つまり星形パンダミームは、Kirashに入った?」
「そうなるね」
「マズくね?」
「マズいね」
パンダミームダンスで溢れ返るKirash内。あのミームのウイルスに親和性のあるユーザーは、ごまんといる。
このままでは、俺の動きをコピーしたダンスに『感染』する者が爆発的に増えてしまうだろう。
公開処刑である。俺の。
「なっ……何としてでも止めないと! 誰もアレに感染させるわけにはいかねえ!」
「そうだね。今すぐ追いかけて捕まえよう」
「Kirash内に逃げ込んだとなると、外からアクセスしてもダメだな。俺らも潜らないと」
「アキト、久しぶりにやる?」
「ああ」
俺はココナさんの端末をしっかりと装着し直した。
「フルダイブするぞ、メメ」




