02 神にも縋りたい
そんなこんなで数日後、問題のイヤーカフ端末が届いた。
依頼人は俺と同世代らしく、ネイビー単色で男性的なデザインのものだ。
その端末を、自分のPCにローカル環境で接続し、中身を覗く。
MRで視界の中に展開する画面の端、麺の怪物のイラストのアイコンがある。
「『ヌードル・モンスター』、これだな……はっくしょん! ロ、ログを……」
「ログを確認だね、アキト」
「くしょん! くしょん! はっ……ん……?」
「不発」
「うるせえ……はっ……くしょん! あーもうックソがよ!」
「やれるとこまでボクがやっとくから」
くしゃみ一発目の時点で俺の肩の上から離脱していたメメが、プログラムに関わる記録を出してくれる。
俺はいったん顔を洗って目薬をさし、鼻をしっかりかんでから、作業に戻った。
「とりあえず『不具合』の正確な内容と再現性を確認しないとな」
「ユーザーの体調と連動するプログラムだから、体調管理系のアプリとの連携をチェックしてみよう」
まずはAPI連携の確認。
依頼人がこのプログラムをダウンロードして以降の動作の記録を、ヘルスケアアプリや脳波システムの動きと照らし合わせていく。
とにかく地道な作業だ。気を抜くと眠気が襲ってくる。
しかも花粉症の影響か、どうにも頭が回っていない感じがする。
俺はでかいあくびをしながら、モニターを指した。
「やっぱり、ユーザーの症状が重い日ほどプログラムがよく動いてるな。ヘルスケアの記録を受けて、動作する設計で……はっ……くしょんっ」
あくびかくしゃみか、どっちかにしてくれ。
「薬飲んでんのにな」
「もともと花粉症の人は、ちょっと前から薬を飲み始めて対策しておくんだよね」
「厳しいぜ花粉症ビギナー。急に発症しなくても良いのによ」
「今年は花粉の飛散量が例年の約二十倍だってデータがある。アキトみたいに急に発症する人も多いだろうし、もともと花粉症の人も今年は特にひどいみたいだよ」
「依頼人もそう言ってたな。何なんだよスギ花粉。何のために存在してんだよ」
だんだんとスギ花粉に対する殺意が育ってきて、俺の集中力は完全に途切れた。
「はぁ……俺も使ってみようかな『ヌードル・モンスター』」
「いい考えだね。『不具合』のヒントも見つかるかもしれないし」
というわけで、俺も『ヌードル・モンスター』を試してみることになった。
依頼人のイヤーカフ端末を使い、問題点も一緒に体感してみようという一石二鳥の作戦だ。自分の身を使った再現実験は日常茶飯事である。
もちろん多少の危険は織り込み済み。そのために、頼れる相棒へと指示を出す。
「メメ、プログラムと連携アプリ全ての動作を監視して。トラップもよろしく」
「了解、ご主人様」
異常をキャッチし、自動で処理作業へと移るトラップを仕掛けておく。これで大抵のことには対処できる。
俺は借り物のイヤーカフ端末を装着した。一時的な簡易ユーザー登録をして、『ヌードル・モンスター』アプリを立ち上げる。
画面上で、大昔のレトロゲームみたいなアニメーションが始まった。
空を飛ぶ麺の怪物。シルエットだけなら、昇っていく天空の城みたいに見えなくもない。それが無数の触腕をうねうね動かしながら、小さな丸い物体を打ち消していく映像が展開されているのである。
「なるほど、これで花粉をやっつけてますってイメージね」
実際のプログラムの動作とは合っていないところがミソだ。そもそも別に花粉自体を消してるわけでもないし。でもこれを見て効いてる気分になる人も一定数いるんじゃないだろうか。
さて、この『ヌードル・モンスター』が最も効果を発揮するであろう状況を作らねばならない。
本日は快晴。窓の外に見える街路樹の揺れる様子から、風が強いことが分かる。
俺はベランダに続く窓を開け放った。
途端に吹き込んでくる暖かな春風。
刹那、粘膜という粘膜に強烈な刺激を覚え、俺はたまらず顔を覆った。
「目がッ……目がぁぁッ!」
もちろん、くしゃみも止まらない。息継ぎするとさらに花粉を取り込んでしまって、ますますくしゃみを続けてしまうという地獄みたいなハメ技を喰らう。
「うう……くしゅん! くしゅん! もうやだぁッ……」
「三分間待ってよ。もうちょっと動作確認したいから」
「クソッ滅びの呪文唱えてやるッ! バ……ッくしゅん!」
もはや心身ともにめちゃくちゃだった。どうして俺がこんな目に。
しかし次第に目鼻のむず痒さは治まり、三分も経つころには通常の呼吸ができるようになっていた。
「アキト、ひと通り記録は取れたよ」
「うん……」
もう外には出たくない。虚脱感が身を襲う。疲労と息苦しさとが相まって、頭の中に霧がかかり始めた。
空を飛んでいくヌードル・モンスターが見える。その触腕が、花粉に見立てた黄色い粒を次々と消滅させていく。いいぞ、もっとやれ。
現実もそうだったらいい。誰であれスギ花粉を根絶やしにしてくれたら、俺はそいつを神と崇めるだろう。
「……ト! アキト!」
「……ふぇっ?」
メメに名を呼ばれてハッとした。突っ伏したパソコンデスク。窓から差し込む日光はやや角度を変えている。ほんのわずか、寝落ちていたらしい。
着けっぱなしのイヤーカフ端末では、今も例のプログラムが動いている。
「悪ぃ……なんか頭ボーっとして……」
「アキトが寝落ちた瞬間に異常信号を検知したよ。いやむしろ、プログラムから異常信号が出たことによってアキトが寝落ちたと言った方が正しいね」
「マジか……」
「すぐに例のアプリと脳波システムの連携を切り離して、影響を最小限に抑えたから安心して」
「ありがとう、メメ」
よくできた相棒だ。俺がプログラム組んだんだけど。
俺はメメが提示したログを確認し、『ヌードル・モンスター』の異常の原因を突き止めた。
「なるほどね……依頼人にも正確な感染状況を確認する必要があるな」
チャットを開き、依頼人に質問を投げる。
『無意識時の異常行動について、もう少し詳しく教えてください。それから、花粉症の服薬状況についても』
『ああ、それなら——』
回答を得て、仕事に戻る。
「今ちょうど俺も感染状態だし、潜った方が手っ取り早そうだな。メメ、フルダイブしよう」
「了解、ご主人様」
俺は愛用のオフィスチェアに深く腰掛け、背もたれをリクライニングさせた。白い天井を背景に、端末画面がクリアに見えている。
メメが俺の肩に乗ってきた。
「そのまま解析できるように、イヤーカフ端末とPCを再接続したよ。準備はいい? アキト」
「ああ、いつでも」
ゆっくり瞼を閉じれば、暗闇の中に端末画面だけが残る。
かつては専用ゴーグルが必要だったVRも、今やイヤーカフを着けて両目を瞑るだけで簡単に展開できるようになった。
俺はメメに次の指示を出す。
「メメ、『ヌードル・モンスター』アプリへのフルダイブを実行」
「了解。『ヌードル・モンスター』アプリを選択」
麺の怪物のアイコンが拡大し、画面いっぱいに迫りくる。それを暖簾のように潜り抜けると、一瞬視界が真っ白に眩んだ。




