01 ヌードル・モンスター
俺の名前は安藤アキト。
『オータムAIサービス』という個人事業者名で、AIにまつわるさまざまなトラブルを解決している、フリーランスのエンジニアだ。
今から語るのは、俺とメメが共に過ごした日常と、共に解決した案件を記憶しておくための備忘録である。
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『僕の端末内でヌードル・モンスターが暴走しています。対処方法などありましたら、ご教示ください』
そんな依頼DMを受け取ったのは、俺が三日溜めた洗濯物を久々に外干しした、三月のある朝のことだった。
「はっ……くしょん! くしょん! ……くしょん!」
この時期にしてはやけに風が暖かく、空気そのものにむず痒さを感じるような日だった。しばらく自宅にこもりきりだったから、この季節の移り変わりはまさしく不意打ちと言えた。
生理的衝動は唐突かつ強烈で、三連続のくしゃみの後もしつこく後を引いた。鼻の奥がムズムズして、微妙に頭が重く、何となく嫌な感じがした。
「アキト、風邪でも引いたんじゃない? 早く部屋の中に入りなよ」
滲んだ視界に現れたのは、オレンジと黒のツートンカラーの小型ドローンである。フロント部にある小型レンズが、俺を正面から捉えていた。
「そうだな……っくしょん! あーもうッ、くそ……」
「くしゃみの後に悪態をつくのはおっさんの特徴だよ。三十代、自分ではまだ若いと思ってるのかもしれないけど、どんどんおっさん化してるからちゃんと自覚してね」
「くしゃみしただけで辛辣すぎない?」
こいつはMind Expanding Multi-device of Eruditionという、俺が独自に組んだプログラムを搭載した、完全自律式のドローン型AIエージェントだ。
プログラム名の頭文字を取って【M.E.M.E.】と呼んでいる。
俺は愛用のオフィスチェアに腰を下ろして、背もたれに身を預けて溜め息をついた。
そんな俺の周りを、メメはぐるりと一周した。
「体温三十六度五分。心拍数はやや高いけど、平常の範囲内だね」
「ひとまず葛根湯とか飲んどいたらいいかな。鼻水も出るし」
デスクの上に置いた箱ティッシュから一枚を取り、鼻をかんだ。二枚、三枚と使ってようやく、鼻腔の通る感じがした。
「アキト、鼻水は何色だった?」
「え? んー、透明かな」
「なるほど、アレルギー性の鼻炎という可能性があるね。ちょうど花粉症の時期だし」
「マジ? 今まで花粉症とかなったことなかったんだけど」
「花粉は蓄積していくからね。体内のIgE抗体がある一定量に達した時点で、アレルギー反応が表面化するんだよ。バケツの水が溢れちゃうみたいなイメージだね」
「とうとう溢れちまったのか、俺のバケツ」
「症状が続くようなら早めに耳鼻科を受診しなよ」
面倒なことになった。花粉症かもと意識し始めた途端、目までむず痒くなってきたような気がする。
「起きてから顔を洗ってないせいじゃない?」
と、メメに促されたこともあり、俺はしぶしぶ洗顔した。特に出かける予定もないので、服装は着古したスウェットのままだ。無精ヒゲもまあまあ伸びていたが、特に問題ないので放置である。
焼かないままの食パンを朝メシとして腹に納めたところで、ピコン!と通知音が鳴った。耳に装着したイヤーカフ端末からのものである。
空中に浮かんだMRの端末画面の片隅から、緑色のパンダが顔を出した。訳はあって俺の端末に居着き、メッセージの仕分けやスケジュール管理をしてくれるデジタルアシスタントである。
『アキトさん、ダイレクトメッセージを受信いたしました』
「ありがとうスターりん。開封して」
『承知いたしました』
イケボのパンダ・スターりんによって展開されたDMは、冒頭に紹介した通り。
『僕の端末内でヌードル・モンスターが暴走しています。対処方法などありましたら、ご教示ください』
メメがくるりと宙返りした。
「新規の依頼だね、アキト」
「『ヌードル・モンスター』って、最近ちょっと話題のやつだろ。怪しすぎて触れてもないけど」
「『ヌードル・モンスター』の基本情報を表示するね」
メメの操作で、端末画面に新たなページが展開する。
「『ヌードル・モンスター』は、このところSNSを中心に出回ってる非合法医療プログラムだね。イヤーカフ端末にダウンロードすることで、プログラムが直接的に脳波へ働きかけ、ユーザー自身の体調の不具合を緩和する電気信号を出すっていう。特に最近は花粉症の症状を抑えるために利用するユーザーが増えてるみたいで、販売者側もそれを全面に売り出してる。アレルギー症状を引き起こす化学伝達物質の効果を低減させられるんだとか」
何ともタイムリーな話題である。
Peketterのタイムラインが表示され、『ヌードル・モンスター』利用者の投稿が絞り込まれる。
——ヌーモン使い始めてから目の痒みがなくなった!
——症状が完全にゼロになったわけじゃないけど、くしゃみの回数減っただけでも結構ラクだよ
——薬漬けの毎日から解放されたー!!
なるほど……と頷かせた首を、俺はこてんと横へ傾ける。
「しかし、なんでまた『ヌードル・モンスター』なんて名前なんだ?」
「元ネタは『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』だね」
「空飛ぶ……何て?」
「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」
続いて端末画面に大きく映し出されたのは、奇妙な怪物のイメージ図だ。ごちゃごちゃ絡まったミートボールスパゲッティに、二つの目玉のついた。シルエット的にはクラゲに近い。
「『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』は、パロディ宗教、あるいは模擬宗教に類されるものだよ。二〇〇五年アメリカのカンザス州において『インテリジェント・デザイン説』が公教育に持ち込まれようとした際、それを批判・諷刺するために創始された宗教なんだ。表示したイメージ図が、この世界の創造主とされる『スパゲッティ・モンスター』だよ」
「へえ」
「なお『インテリジェント・デザイン説』とは、『宇宙・自然界にみられる精巧さや複雑さについては、自然的要因だけではすべての説明ができない。何らかの知性によって意図的にデザインされたものだ』という理論だよ。『神が世界や宇宙を創った』という創造論から、宗教的な色を抜いたものだと考えればいい」
「ほう」
「スパモン教の創始者ボビー・ヘンダーソンは、『インテリジェント・デザイン説を公教育に持ち込むなら、スパゲッティ・モンスターについても学校で教えるべきだ』と主張した。インテリジェント・デザイン説における『何らかの知性』が『スパゲッティ・モンスター』である可能性も否定できないから、という建前でね。要は宗教的な主張を逆手に取って、教義主義の在り方に疑問を投げかけるのが狙いだったんだ。その後、空飛ぶスパゲッティ・モンスターはインターネットミーム化し、世界に広まったってわけ」
ブーン……と、ドローンの小さなプロペラ音が響く。
「……ごめん、つまり?」
「つまり例のプログラムについては、『我々が知性によってデザインされた存在だとか言うならば、病気やアレルギーの問題も知性によって解決していいはずだ』ってことなんじゃないかな。だから、スパモン教をオマージュした名を付けた」
「あーうん、なるほど、だいたい分かった……ような気がする、かも」
そもそも名前の由来なんか何でもいい。訊いたの俺だけど。
「問題は、依頼人の身に何が起きてんのかってことだよ」
そんなわけで、俺はさっそく依頼人に連絡を取った。
ネット上の仮想空間を介し、動物アバター姿での文字チャットにて事情を伺う。
『花粉症がやばくて、『ヌードル・モンスター』を試してみたんですよ。毎年なるんですけど、今年はいつもよりひどくて、薬飲んでてもキツい日とかあって……少しでもマシにならないかなと思ったんです』
と、イワトビペンギンアバターの依頼人は言った。
やはり例に漏れずそのパターンだったらしい。まあ気持ちは分かる。
俺も今まさにくしゃみの衝動や目の痒みと戦っているわけなのだから。
『最初のうちは良かったんです。目や鼻のむず痒い感じが軽くなって、だいぶラクになりました。だけど途中から様子がおかしくなってきて。夢に『ヌードル・モンスター』が出てくるんです。それに、妙なこともあって——』
曰く、買った覚えのないものを購入していたり。
SNSで身に覚えのない投稿をしていたり。
知らないうちに友達や彼女に変なメッセージを送っていたり、したのだという。
『風の強い晴れた日とか、花粉の多い時は『ヌードル・モンスター』プログラムがよく作動するんですけど、その後は不具合が特にひどいです』
『つまり、作動した分、揺り返しのようにおかしなことが起きるということですね』
『そうです』
オレンジ色のアライグマ姿の俺は、誠実さ溢れる素敵な笑顔でこう告げた。
『例のプログラムが端末内部で悪さをしている可能性があります。よろしければ、端末を見せていただけますか』




