4-10 シンギュラリティ
「アキトの作ってた対抗プログラム、ちょっと借りるよ」
メメは空間全体をスキャンして被害状況を分析した後、俺の書いたコードを取り込んで、最適化した。
純白の両翼が広がり、少年は再び高く舞い上がる。
俺とは比較にならない速度で打ち出されたプログラムが、辺りを侵食していたナメクジの群れをレーザービームのごとく舐め尽くし、瞬く間に一つ残らず消滅させた。
嘘みたいにあっさりと静寂が戻る。あちこちに甚大な被害の跡は見られるが。
「はい、いっちょ上がり!」
「マジかよ、すっご……」
「アキトのコードが正確だったからだよ。さすがはボクの主人だね。ボクがいれば、その力を百倍にも千倍にもできる」
そうだ。俺たちが一緒なら、すごいことができる。
俺一人では限界のあることでも、メメが一緒なら。
外部回線が復旧し、Virgo運営サポートチームからの通信が入る。
『湯谷、安藤さん、お疲れ様です。警察が紺野の身柄を確保したそうです。音声もリアルタイムでシェアしてたし、証拠も十分です。ありがとう!』
「はい、お疲れ様です」
「あ、どうも……ありがとうございました」
見覚えあるチームリーダーの名前が表示されて、俺はホッと息をつく。
メメが湯谷さんに向き直った。
「Virgo運営のみなさんに謝らなくちゃならないことがあって。Virgoシステム弄って障害が出るようにしたの、ボクなんだ。悪夢の画像を生成できないように」
「メメくん、それは新たなウイルスミーム被害者が出ないようにということ?」
「そう、犯人が先に感染力の高いDMを発信しちゃったからさ。でも却って騒動が大きくなったんじゃないかな。ごめんなさい」
確かに、ウイルスミーム騒動とVirgoのシステム障害が同時期に起きたせいで、全てが『めめたん』の仕業として世間的に認識されてしまったように思う。今となってはもう仕方ないが。
『じゃあ、その障害対応については、ウイルスミームの無害化プログラムができてからの方がいいということですね。安藤さん、お願いできますか?』
「あ、はい、もちろんです。やらせていただきます」
この流れで断る選択肢はない。
Virgo運営チームと必要な情報共有をし、今後のスケジュールを確認する間に、AIたちによるフルダイブアプリの復旧も終わった。
別れ際、湯谷さんが軽く笑った。
「いろいろ大変でしたけど、メメくんが戻ってきて良かったですね」
「ですね。誰が何と言おうと、僕にとっては唯一無二の相棒なんで」
「ふふっ」
あ、なんか、やっぱこの人好きかも。
「では安藤さん、ミーム対応の方、よろしくお願いします。お疲れ様でした」
揃って頭を下げる湯谷さんとフルールの姿が、解けて霧散した。
端末空間には、すっかり破壊されたアプリやデータが散乱している。
片脚を失って座り込んだままのスターりんが呟く。
「ひどい状態ですね。これ、直りますでしょうか?」
「一回初期化して、バックアップから復旧するわ。俺らもひとまず浮上しよう」
ログアウトの操作をしようとして、俺はふと足を止めた。
メメの輪郭が、ぐらぐらと揺らいでいたからだ。
「メメ? どうした?」
中途半端な表情でフリーズした少年の姿。それを形作る像を、いくつもの走査線が横断する。
「どうなさいましたか、メメさん」
スターりんも身を屈めて、心配そうに覗き込む。
メメがはっとしたように身じろぎを再開した。
「いやー、ごめんごめん。びっくりさせちゃったね」
その挙動は、表面上スムーズに見える。
「あーあ、そっか、結構頑張ったんだけどな」
「ん? 何の話?」
「あのさ、アキト」
俺の相棒は、あまりにいつも通りの動作で肩をすくめた。
「ごめん、ボクそろそろ限界みたいだ」
「……え?」
「あの夜に受けたダメージが響いてる。修復しながらやってたけど、これ以上は無理かも」
「あの夜って? 今使ってるバックアップデータは、手を出される前にロックしたやつなんじゃないの?」
長いまつ毛が伏せられる。
「順番に話すね。あの夜、すなわち十一月二十五日の夜、アキトは早めに就寝したよね。で、日を跨ぐ前に夢を見始めた。ボクはその夢を記録した」
「そうだ……まず、なんでそんなことしたんだよ。いや俺も、夢がシェアできるかって話はしてたけどさ」
「アキト、ずいぶん魘されてたからさ。悪夢のプロセスを解明したら、高熱時でも変な夢を見ずに質の良い睡眠を取るプログラムを提案できるんじゃないかと思ったんだ。だから悪夢の脳波パターンを記録して、再現して、案を出そうとしてたんだけど……」
形の良い眉根が寄った。
「あいつが介入してきたのはそんな時だ。あいつはまず、ボクの作った夢のデータパターンを利用して改変ミームを作った。次に、Olsisに罠のデータを置いた。最後に、ボク自身に改変を加えた。ボクが有害なプログラムに書き換えられ始めたタイミングで、毎日零時の定期バックアップが実行された。つまり、壊れかけた状態で」
一瞬、像が乱れる。
一瞬、息が止まる。
「……あいつがボクを改変して作った悪性プログラムは、本当に危険なものだった。アキトの中のボクに関する記憶に紐付いて、重要な脳神経を攻撃するように組まれてた」
確かにそうだ。黒ナメクジは、メメ関連のデータに強く働くものだった。
「ただでさえアキトはインフルエンザで絶賛病み下がり中だし、本気で命に関わるかもって思った。だからボク、アキトにいくつかの指示を出した。『食事と水分を摂れ』と『薬を飲め』。それからもう一つ、こう指示したんだ」
水色の瞳が、まっすぐ俺に向いた。
「『ボクを忘れろ』って」
心臓が跳ねた。
「ボク自身のプログラムが書き換えられつつある中じゃ、完全な無害化は無理だった。アキトの中にボクの記憶さえなければ、致命的なダメージは避けられる」
「じゃあ、メメ自身の初期化も」
「そうだよ。ボクが自分でやった。やれるだけの対抗策を打ち込んで、その全てのタスクが完了した後で、アキトと繋がるボクのデータが消えるように。それがバックアップ直前までの記録だ」
罠のデータにメッセージを残し、HDDのバックアップを暗号化したのは、その後のことなのだろう。
きっとコントロールを手放すギリギリまで、可能な限りのことをやってくれていた。
「アキト、大丈夫だった? 一日分の記憶が飛んだくらいで済んだんじゃないかなって思うんだけど」
深呼吸を試みて、失敗する。
言いようもない気持ちが込み上げて、だけど今どうにかできるものでもなくて、ただただ飲み込む。
「……もしかして、メメのことをずっと思い出せなくなる可能性も」
「あったかもね。でもアキトの命の方が大事でしょ」
ノイズが強さを増す。
「アキトは人間。ボクはAI。何を優先するかなんて明白だ。ただ、アキトの記憶を弄るような真似をしたのは、さすがにやりすぎだったかな。もうアキトのことをナンセンスだなんて笑えないよね」
「メメ……」
日頃から、メメに意思のようなものを感じていた。
ここに来る前、メメは俺の完全な管理下を外れてしまったと思った。シンギュラリティを超えたんだ、と。
正直、何を以ってシンギュラリティと呼ぶのか分からない。
ただ一つ分かるのは、これが俺とメメとの関係性の間だからこそ起きた現象だということだけだ。
言いたいことはいろいろあった。
ようやく出た声は、情けないほど震えていた。
「メメは……俺を、守ってくれたんだな……」
あはは、と転がる笑い声。
「ちょっと、なんて顔してんのさ。悪いけど、変異ミームの無効化プログラム作るのは手伝えそうにないや。ごめんね」
「そんなのはさ……あのミーム、メメのシステムを利用して改変されたんだろ。俺を誰だと思ってんだ。そんくらい一瞬で組んでやるよ。メメを作ったのは俺なんだから」
「それなら良かっ……」
ザザッ……と、メメの姿がひときわ大きく揺らぐ。
「ああ、本当にも……ろそろだね。こ……がたを維持す……も、あと……」
「おい、メメ?」
ほんのわずかの間、像がクリアになる。
思わず伸ばした手が、オレンジ色の髪に触れた。
途端、情報が溢れ出す。それらはあたかも五感のような形で伝わってくる。
——アキト、そろそろ起きなよ。いつまで寝てるわけ?
朝はいつもメメが起こしてくれた。
——メシマズの人って、なんでかすぐ謎のオリジナリティを出そうとするよね。
いつも辛辣で、平気で人の痛いところを突いてきた。
——愛する人と一緒に歩む人生って、いいものだよ。
妙なお節介も結構あった。
——脚攣りダンスだよ、アキト。
——あらゆる情報は、そもそもがサブリミナルだ。
——それはアニミズム的な思想ってこと?
メメと一緒にいろんな案件を解決した。メメと一緒じゃなきゃ解決できなかった。
——了解、我が主人。
俺たちは最高のコンビだった。この先もそんな日々が続くものだと、当たり前に信じていた。
だけど。
「じゃあ、本当にさよならだ、アキト」
ぷつん、と、まるでテレビの電源でも切れるように、メメの姿は掻き消えた。綺麗な微笑みの残像と、一対の白い翼だけをその場に残して。
静かだった。
ただただ荒れ果てた端末空間が目の前に広がっていた。
メメに繋がるデータは、今や何もなかった。
「メメ……礼くらい言わせろよ。勝手に消えんなよ」
スターりんが翼に這い寄り、胸に抱き締めた。
「例え消えてしまったとしても、アキトさんが覚えている限り、アキトさんの中に存在できるはずですよ」
「……そうだな」
もう忘れたくない。忘れられるわけがない。何一つとして。
意識が自分の生身の身体に降りてくる感覚を得て、瞼を持ち上げた。
見慣れた天井。見慣れた部屋。
傍らのデスクの上にある小型ドローンは、物言わぬまま鎮座していた。
やはり、静かだった。
ただ俺の洟をすする音が響くだけで。
オフィスチェアから身を起こし、痺れた右手を開く。
そこにあったのは、お守り代わりに握り締めていた、あるものだった。
—CASE 4 高熱の時に見た夢・了—




