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4-8 元凶

 言語化できる範囲で説明するなら、『ゲル状の黒い塊』だ。よく見れば無数のデータが寄り集まっていると分かるそれは、この端末空間のあちこちに点在し、各々に伸縮を繰り返しては、少しずつ体積を増やしていた。

 うねりながら移動する黒は、ちょうどナメクジのようにも見えた。


 湯谷ゆたにさんが唸る。


「今度はダークサイドナメクジ」

「いや名前は何でもいいです」


 ナメクジの一つが、空間に浮かぶアイコンを飲み込んだ。


「はっ? データ食ってんじゃねえよ! それ大事なやつ!」


 空間に取り付いた黒ナメクジたちが、このイヤーカフ端末に保存されているデータを破壊していく。しかもなぜかメメに関連するものや重要度の高いものから優先的に。

 もちろん、安全な場所にバックアップを取ってある。だけど今まさに接続中のフルダイブシステムがやられると、最悪の場合、俺自身が現実世界へ浮上できなくなる。


 肥大したナメクジが俺たちに覆い被さってくる。

 白いロングヘアの少女が、一歩前へと進み出た。


防護プロテクト


 前方へ伸ばしたフルールの手のひらを起点に、六角形の透明なタイルを敷き詰めた膜がドーム状に展開する。

 黒い塊は結界に弾かれ、中には入ってこられない。


「フルール、それがメメくんからのプログラム?」

「そうよユウキ。これはユーザーの神経に影響を及ばせないための防護壁。フルダイブ状態で直接的に侵食されたら、脳神経がただじゃ済まないわ。ああ、それから」


 フルールは顔半分だけで自分の主人を振り返る。


「今、リアルタイムで外から侵入されているわよ。仕掛けが発動するのを待っていたのね。恐らく、フルダイブ中の安藤さんに対して確実にダメージを与えたいのよ」

「どこからのアクセス? パターン解析はできる?」

「ごめんなさい、防護プログラムが重すぎて手一杯なの」


 俺と湯谷さんは視線を合わせる。


「じゃあ僕がナメクジのプログラムを解析して、侵食を食い止めます」

「私は相手のアクセス経路を辿りますね」


 俺たちはそれぞれ仮想モニターとキーボードを呼び出し、操作を始める。


 被害状況を確認すれば、次から次へと損傷が増えていくのが分かる。既に基幹システムのいくつかがダメにされていた。


「好き勝手ばっかりさせるかよッ!」


 可能な限りの速度でプログラムを組み上げていく。今この空間に蔓延る害悪を無力化するためのプログラムを。

 攻撃を受けているもののうち、まずは重要度の高いデータ、使用頻度の高いデータと、緊急度に応じて優先順位を付け、一つ一つ対処する。

 リアルタイムで打ち込まれる攻撃は見る間に形式を変えており、せっかく作ったプログラムもすぐに効かなくなる。


「あーもうッ! めんどくせえッ!」


 さらに反応速度を上げる。

 新たな指示を書いては実行し、実行しては次の指示を書く。

 敵のプログラムコードを視線で追うより早く、その意図を理解する。十指はまるでそれ自体が意思を有しているかのように、滑らかに正確に動く。


「速っ……」


 湯谷さんの呟きが耳を掠めたが、言葉を返す余裕もない。

 一進一退の攻防がしばらく続く。

 一箇所クリアにしても、また別の箇所の被害が進む。俺たちをガードする防護膜にもヒビが入り始め、ついに一箇所突破された。


 湯谷さんが叫ぶ。


「見つけた!」

「マジすか!」

「ええ、うちの本社システム経由ですぐに……よし、相手からの妨害を遮断しました。相手、Olsis(オルシス)までなら引っ張り出せます」

「お願いします!」


 危機一髪、侵食は一時停止している。

 Olsisアプリが展開し、たちまち景色はサイバーシティの中だ。

 妖しげなネオンの看板が並ぶ、ちょっとアングラな雰囲気の区画。俺の間借りしている事務所。

 俺はオレンジ色のアライグマのアバター姿になっていた。隣の湯谷さんはコモドオオトカゲだ。


 事務所空間内が一瞬歪み、そこから誰かが転がり出てくる。


「本社からOlsis運営へ要請して、強制接続してます。警察とも連携済みです。本人の意思ではログアウトできません」

「警察」


 その新情報で、今の今まで俺とて容疑がかかっていたのだと気付く。

 湯谷さんがここまで帯同してきたのは、警察への捜査協力のためだったということも。


 床に横たわって身動きが取れないらしい真犯人は、キツネの姿をしていた。


「やっぱり紺野さんでしたか」


 そう、『私の彼氏』事件の犯人、そしてVirgo(ヴァーゴ)を運営するヴァージニアアーク・ジャパン社の元社員、紺野だ。


「相変わらずねちっこいですね、紺野さん」

「お前……湯谷か」


 キツネは能面のような笑みを貼り付けたままだ。

 湯谷さんは言い募る。


「あなたは、先日の事件で警察の捜査の手を逃れた後も、自分の不正を暴いた相手を逆恨みしていた。ワークスペース経由でうちのサーバーに侵入して、うちから安藤さんへ調査依頼をしたことや、そのために安藤さんが『めめたん』のアカウントを作ったことを掴んでいたんですよね。そして、仕返しのタイミングを狙っていた——」


 二十五日の夜。メメがオータムAIサービス名義で出したOlsis上のお知らせで、紺野は俺がインフルエンザで寝込んでいることを知った。俺がダウンしているうちに俺の端末へ侵入し、そこでメメと接触したのだ。


「——そしてPeketter上でウイルスミームをばら撒き、うちのシステムにサイバー攻撃を仕掛けて、それらの罪を安藤さんになすり付けようとしたわけですね」


 社会的な死を与え、Virgoからの信頼を失わせる。

 そして俺自身の意識を侵食すれば、狂ったメメにコントロールされた俺の犯行に見せかけられただろう。


 思い返せば、ウイルスミームをDMでばら撒く手口など、前回と同じだ。


「紺野さんが報復に来るなら、うちとしては今度こそ取り逃がすわけにはいかなかったんです」

「でも、俺への報復だっていうなら、なんでわざわざウイルスミームなんか。無関係の大勢まで巻き込んで」


 しばらく黙っていた紺野だったが、冷笑とともに吐き出した。


「言っておくが、ウイルスミームの原型を作ったのは僕じゃない。あのAIがお前の夢を記録し、再現を試みていた。脳内イメージを具現化する、脳や精神に有害となり得るプログラムだ」

「……え?」

「せっかくだから利用させてもらった。お前のAIエージェントはとんだ害悪だな、安藤アキト。これでよく分かっただろう、管理しきれないAIの恐ろしさが」


 もちろんメメにそんな指示は出していない。が。


「俺のAIは好奇心旺盛なんだよ。積み重ねた学習の結果、可能性を追求したんだろ。それを悪用したあんたこそが害悪じゃねえか」

「あんなものただの道具だ。人間の思い通りに動かすべきものなんだよ。AIはいつか狂って、取り返しのつかない過ちを犯す。だから完璧にコントロールして然るべきだ。AIに踊らされる弱者に、僕の完璧なプログラムの邪魔をされた。こんな腹立たしいことあると思うか?」

「いや知らねえよ。あんたこそトチ狂って取り返しのつかねえ犯罪やってんじゃん」


 アライグマたる俺は、朗らかな笑みを浮かべながら肩をすくめた。


「なんか、思ったよりつまんねえ理由だったな。あんたの事情はどうでもいいよ。そんなことより、メメのデータ抜いてたりしない? 返してほしいんだけど」

「……どうでもいい、だと?」


 キツネの細い両目が薄く開き、俺を睨み据える。


「データなんかとっくに改変したよ。さっきお前らが必死に攻撃してたナメクジたちが、アレの成れの果てだ」

「……は?」


 耳を疑った。


 キツネの口元の描く弧が、その角度をぐっと深める。


「あのAI、夢に出たナメクジを再現していたから、そのガワを被せてやった。どうだ、大事な大事な『相棒』を自分の手で傷つけた気分は。いずれ来るシンギュラリティの良い予行練習になったんじゃないか」


 黒ナメクジは、メメに関わるデータから先に攻撃していた。

 俺にとってどれが重要なのか、把握していたのだ。

 あれがもともとメメだったものだと考えれば、腑に落ちる。


 吐きそうな気分だった。視界がチカチカして、眩暈がする。

 俺は努めて静かに深呼吸し、やっと一言を発した。


「あんた……性根腐ってんな」

「ただのプログラムだ。また作り直せばいいだけの話だろう。勝手な行動をしない、従順なプログラムを」


 キツネが嗤う。


「良いこと教えてやろうか。バックアップをダメにしたのは、あのAI自身だ。お前の許可もなくな。お前のAIは既に狂ってたんだよ」

「何だって?」


 一つは消去され、一つは暗号化されたバックアップデータ。二つとも消去されたわけでなく。

 あれは、メメがやったのか。


「……メメはデータを悪用されないように、バックアップを守ったんだ。優秀な相棒だよ」


 少し冷静になる。こいつのペースに飲まれちゃいけない。メメを取り戻すためにも、情報を引き出せ。


「あんたさぁ、メメ本体を初期化して俺の記憶まで消したのはどういう道理なんだよ。俺を犯人に仕立て上げたかったんじゃねえのかよ。全部まっさらにして記憶の上書きでもするつもりだったんだろうが、失敗してたぜ。詰めが甘いんじゃねえの?」


 キツネが眉根を寄せる。


「……初期化? お前の記憶? 何のことだ」

「おい、とぼけんな——」


 その時、Olsisの外側にいるフルールから通信が入った。


『ダークサイドナメクジが動き出したわ。Olsisアプリを貫通してそちらに行くわよ』

「……へっ?」


 変化は唐突だった。

 耳をつんざく轟音。事務所の壁が破れ、真っ黒なものが雪崩れ込んでくる。

 思わず身が縮む。背筋が震える。


「マジか……」


 ひび割れたデータの残骸の中からそびえ立つようにして。

 視界を覆うほどの巨大なナメクジが、俺たちを見下ろしていた。


『ア……キト……』


 つまり、かつてメメだったものが。

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