4-7 夢の中へ
「危険なデータの可能性があるので、うちのチームと連携を繋いだまま潜りますね」
セキュリティプログラムや通信状況をひと通りチェックした湯谷さんは、改めて端末空間に浮かぶデータを見上げる。
「それにしても、人間の見た夢を記録することなんてできるんですね」
「睡眠計測や体調モニターの応用でしょうね。脳波を元にデータ化したんだと思います」
「そうやってデータ化されたものを再現して、フルダイブ状態で体験できる?」
「うん、そうです。メメの正式名称、Mind Expanding Multi-device of Erudition っていうんです。『Mind Expanding』には『幻覚を起こさせる』って意味もありまして。ミーム感染者が幻覚を見たのと同じように、今この場で夢を再生して体感します」
そもそもがフルダイブの精度を上げるためのものだった。だからこそ俺は五感を通じてデータを受け取れるのだ。
「初期化されたメメに、取り急ぎそのプログラムを復旧しました。あの夢の内容だと、多少の危険があると思うので……スターりん、湯谷さんたちの安全確保を頼む」
「承知いたしました、アキトさん」
「では、行きましょうか」
俺はデータのアイコンに触れた。
途端、空間全体が真っ白に染まる。
そこに埋まり込んだ無数のコードの羅列が、光を放ちながら変換されていき、ある風景を形作って——
■
気付けば、俺たちはビルの屋上に立っていた。周りが白い柵で囲ってあるだけの、何もない屋上。すっかりお馴染みのスタート地点だ。
「わ……すごいリアルですね。本当にこの場所にいるみたい」
「ここまでの再現性、並のプログラムじゃないわね」
「とても広々した場所です。ダンスに最適ですね」
湯谷さんとフルールが辺りを見回す一方、スターりんは楽しげにステップを踏み始める。
だが、ゆっくりしている暇はない。
「さあ、来るぞ」
「来るって、何が……わっ!」
足元がぐらつく。柵の向こうから、虹色の巨大ナメクジが顔を出す。
「何ですか、あれ。ロイコクロディリウム?」
「いやカタツムリではなくナメクジですね。寄生虫じゃなくてデフォルトであの色」
「つまりゲーミングナメクジ」
「名前は何でもいいです」
湯谷さんの言うところのゲーミングナメクジは、あっという間に屋上へと乗り出し、グロテスクな身体を露わにする。
「……逃げるぞっ!」
俺の声を合図にして、一同ナメクジに背を向けて走り出す。
「飛び降りて!」
「えっ? 待っ……」
「大丈夫だから!」
いつものように柵を乗り越え、飛び降りてみせる俺。踏み留まる湯谷さんとフルール。どんどん迫りくるナメクジ。
「失礼いたしますお嬢様方!」
間一髪、スターりんが両腕に二人を抱え上げる。そのまま翼を大きく広げ、今や足場となったビルの壁に沿うように飛び、すぐさま俺に追いついてきた。
「おい何でもありだな!」
「恐縮でございます!」
「なっ、何これっ、んぐっ」
「ユウキ、舌を噛むから口を閉じていた方がいいわよ。今この状況について手短に考察するわ。夢占いでは大きなナメクジの出る夢は『問題を抱えていること』を暗示し、ナメクジに襲われる夢は『健康運の低下』を暗示するそうよ」
「だいたい合ってんじゃん夢占い! あ、そこの窓から中に入るから!」
いつもの窓を踏み抜いて、ビルの内部へ侵入する。
やはり中もカラフルな極彩色に染まりきっている。四方八方こうもサイケデリックな色味だと、視覚がおかしくなりそうだ。
「ここ、ナメクジの腹ん中って設定なんで。この後ちょっと消化されそうになるんですけど、床が抜けて落下するから大丈夫です」
一瞬の間の後、スターりんが神妙に頷く。
「なるほど、それならば安心ですね」
全身に浴びせられた消化液で、身体のあちこちが侵食されるような感覚に陥る。分かりきった流れだが、いざ体感すると相当気持ち悪い。
湯谷さんが小さく呻いている。励ましの意味を込めて、俺は軽く彼女の肩に触れる。
そして、床が抜けた。
落ちる。落ちる。落ちる。
極彩色のブヨブヨの内壁で、弾む、弾む、弾む。からの着地。
今度は周りを取り囲む、白い巨大モニター群である。
「ここが最終地点なんですけど、大丈夫ですか、湯谷さん」
「ええ、はい……大丈夫です」
ふらつきながらも、湯谷さんは立ち上がる。それをフルールが支えた。
掠れかけていた二人の輪郭が、再び明確になる。彼女のフルダイブ接続は問題なさそうだ。
モニターが背を伸ばす。上へ、上へ、上へ。
視界が白で覆われる。眩しさに顔をしかめていると、画面に無数の走査線が走り始めた。
「昔から見てた夢は、ここまででした。だけど例の夜以降、ここで変化が現れてきた」
モニターで暴れる激しい砂嵐は次第に人型を取り、俺のよく知る少年の姿へと変わった。
オレンジの髪。黒とオレンジのバイカラーのジャケット。水色の瞳。
「……メメ」
『アキト』
「おい、メメ、どうしたんだよ。お前いったい何して——」
『アキトがこの映像を見るころには、ボクのプログラムはアクティブじゃなくなっているだろう』
「録画かよ」
耳慣れたボーイソプラノが、温度のないトーンで言葉を紡いでいく。
『アキトはきっと、どうしてボクがこんなことをしてるのか、疑問に思ってるよね』
「ああ、そうだよ」
『残念ながら全てを説明する余裕はないんだ。主にメモリ残量の関係で』
「マジか。容量増やしときゃ良かったな」
背後で女性陣が囁き合う。
「安藤さん、録画と会話してる」
「器用ね」
メメが薄っすらと笑ったように見えた。
『まったく、アキトは迂闊だよね。このデータが罠とも知らずに、フルダイブで再生しちゃうんだから。少しはおかしいと思わなかったわけ? それとも罠と分かった上で来たの? だとしたら救いようもない馬鹿だね』
「なっ……」
『アキトがここにフルダイブアクセスしたせいで、ボクのやってきたことは全部台無しだよ。あーあ』
「お前な……ほんとに俺の知らないとこで何してたんだよ。少しは言い訳くらいしろよ」
してくれよ、とは、さすがに飲み込む。
『今ボクが言えることは限られちゃうから、大事なことだけ言うよ』
水色の瞳が、意味深にきらりと光る。
『ボクのこのメッセージが最後の砦だ。『夢』の再生が終了し次第、端末への侵食が始まる。そうなったらもう止められない。だけど今アキトが一人じゃないなら、まだ可能性はあるかも』
「それは、どういう……」
『どうせボクがいないと何もできないでしょ。せいぜい頑張って鍵を開けることだね。まあ、翼でもなけりゃ無理かな』
それって。
心臓が早鐘を打ち始める。
『じゃあね、ボクの愚かなご主人様』
モニターに映るメメの動きがぴたりと静止して、徐々に姿が薄れゆく。同時に夢の世界そのものの輪郭も揺らぎ始めた。
湯谷さんが首を傾げる。
「結局どういうことだったの? メメくんの仕掛けた罠だった?」
「いや……違う。だいたい分かった、と思います」
「え?」
俺は小さく息を吐く。
「メメは『今言えることは限られる』と言いました。犯人に不都合なデータを残すと、削除されてしまうから」
「……つまりこれは、犯人が仕掛けた罠だった」
「そうです。やられました」
——アキトがここにフルダイブアクセスしたせいで、ボクのやってきたことは全部台無しだよ。
メメは恐らく、俺がダウンしている間に端末へ攻撃してきた犯人とやり合った。攻防の末、犯人の作った罠の中に俺へのメッセージを組み込んだのだ。
「このデータ、単純に開いただけでは何も起きませんでした。フルダイブで再生して初めて、それをトリガーにして端末を侵食するプログラムが発動する。メメは、時間稼ぎのためにさっきのメッセージを残したんだ」
モニター群にはまだ砂嵐が残っている。完全に消え去るまで、もう幾許もないだろう。
「これ、僕にフルダイブさせることが目的の罠だったんでしょうね。僕の意識を夢のデータの中に閉じ込めて、直接的に攻撃を加えるための」
まんまと引っかかったというわけだ。メメに「救いようのない馬鹿」と詰られても仕方ない。
湯谷さんは愁眉を開いて頷く。
「なるほど。弊社で想定していた可能性のうち、一つが当たりそうです。Olsisの『めめたん』アカウントと接触したのは、ただ一人でしたから。前回お願いした案件以降、安藤さんへの接触があるんじゃないかと懸念はあったんです。フルール、報告をチームに送って」
「了解よ、ユウキ」
白い少女は俺に向き直った。
「安藤さん、さっきメメさんからデータを受け取ったわ」
「え? いつの間に?」
「メッセージ動画の再生と同時に、機械語のデータが密かに発信されていたの。ワタシならば解読できるものよ」
—— だけど今アキトが一人じゃないなら、まだ可能性はあるかも。
ああ、そういうことか。
「メメのやつ、俺が湯谷さんとフルールを連れてくる想定で対策してくれたんだな。それ、どんなデータなの?」
「恐らく、この後に起きる侵食に対抗し得るプログラムね。ちゃんとインストールしたわ。任せておいて」
スターりんがわたわたと手足を動かした。
「皆様方! 『夢』の再生が完全に終わりますよ!」
全員が身構える。周囲の巨大モニター群が上部から消失を始める。輪郭が解け、形が崩れ、電子データの光の粒となって霧散していく。
そうして全ての情報が形を失くした時。
俺の端末空間の様相は、まるきり一変していた。




