4-6 メメがいなくても
俺の端末の情報が、Olsisワークスペース経由でVirgoシステムに侵入した痕跡として残っていた。
冷や汗がすごい。
「あ、あの……それは何時ごろですか?」
『二十五日から二十六日へ日付が変わる直前です』
湯谷さんから伝えられたIPアドレスは。
「……イヤーカフ端末ですね、僕の」
メメ本体ではなく。
今朝起きてからのわずかな作業時間では、確認しきれなかったことも当然多い。というか、メメの動きばかりを追っていた。
頭に上っていた血が、すっと下がる。思えば、ずっと脳ミソで湯が沸いたような状態だった。
やっと冷静さが戻ってくる。さすがに何かおかしい、と。
『要は、安藤さんの端末から弊社システムに侵入した痕跡がある上、安藤さんの作った『めめたん』アカウントが不審な動きをしている、というのが弊社から見た状況ですね』
「なるほど……それは明らかに僕が犯人だと思いますよね」
『明らかにというより、個人的な見解を申し上げるなら、あからさまに、ですね。うちのシステムに侵入できる人が、そんなに分かりやすく足跡を残すかな、とも思いますし』
「まあ、確かに」
湯谷さんの声は、あくまで平坦だ。
『改めての確認なんですが、例の悪夢ミーム関連で直接動いていた『めめたん』名義のPeketterアカウントは、安藤さんご自身では動かしてないんですよね?』
「そうです。とは言っても、証明できるものはないんですが。寝てる間に操られた僕がミーム改変した可能性も当然あるわけですし」
『少なくともご自覚はないということですね。操られたというなら、何者かの介入があった可能性もあるということでしょう』
「そう仰っていただけるならありがたいです。特に『めめたん』アカウントは『私の彼氏』案件以降、特段使う用事もなかったんで……Olsisの方の『めめたん』も同様ですね。犯人と接触するのに作っただけだったんで、あれから全く触ってません」
少しの間がある。
『『私の彼氏』案件のためだけに作ったアカウント……それを安藤さんのものだと知ってる人は、限られてたわけですよね』
「ええ、僕と御社のチームメンバーの方々だけです。昨夜特定されて晒されましたけどね」
あの限られたメンバー間のみで、ワークスペースにてやりとりしていた内容だった。
『……クラウドベースの他社提携サービスは、セキュリティ管理を見直す必要がありますね。うちとしても、そこがやや脆弱だったという反省点はあります。ワークスペース利用者の情報が流出した可能性が高くて、被害の範囲もまた調査中です』
回線の向こうの声が、わずかに和らいだ。
『何にしても、今回のことは安藤さんに直接お話を伺うべきだろうということになりまして。この会話はチームメンバーにも共有させていただいております。申し訳ありません』
「いえ、問題ないです」
率直に言ってもらえて、逆にすんなり飲み下せた。
要は、今も俺が盛大に演技している可能性を疑うことだってできるわけだ。すっと背筋が伸びる。
『安藤さんから伺った話を勘案すると、メメくんが何かに巻き込まれたことによって、トラブルが発生した可能性が高いように思えました。そこに誰のどんな目的や意図があるのかは、まだ調査が必要ですが』
「メメくん」という呼び方に、うっかりじわっと来たのは内緒である。
「湯谷さん、実はですね、Olsis内の僕の個人フォルダに不審なファイルがあったんです。そこにメメがおかしくなった原因が残されてるかも。フルダイブアクセスで再生する形式で書かれていました。事前に潜るべきかと思いましたが、万が一僕の身に何かあっても不味いので、湯谷さんに報告してからにしようと思いまして。どうしましょうか。ファイルを共有することもできますが」
また、少しの間が開く。
『私もフルダイブに同行させていただきます。弊社としても手掛かりが欲しいので』
湯谷さんと午後イチで約束して、一旦通話を終了した。
喉がカラカラに乾いていた。たっぷり水分補給する。身体が確実に快復へと向かっているのを感じる。
湯谷さんとのやりとりで、ようやく冷静に状況を整理できた。
やれるだけの対策をして臨む。
メメがいなくても。
腹が鳴った。腹が減ってはマトモな戦もできない。米を急速モードで炊き、冷蔵庫にあった冷凍うどんとウインナーとベーコンをおかずにして食べた。
溜まりに溜まった洗濯物を全部洗って、外干しした。快晴なのでよく乾くはずだ。ついでに布団も干した。
人間らしく生きるための生活をする。
メメがいなくても。
人間は考える葦だし、人間らしい衣食住は心身の安定に重要だ。
AIに頼りきりの生活は良くない。
AIたるメメにそう教えられた。
インフルエンザに感染して以降、まるで三億年ぶりにタバコを吸った。
「あー美味え……」
身体に有害なものを摂取している。いくらメメに注意されても、俺は人間なのでやめられない。
一口。頭は冴えていた。
二口。心は落ち着いていた。
三口。そろそろ時間だ。
吸い切るだけ吸いきったタバコをゴミ箱に捨て、俺はリクライニングさせたオフィスチェアに横たわった。
すぐ手元には、オレンジ色のボディの小型ドローンがある。フルダイブアプリをインストールしただけの状態だ。
それから、もう一つ。
ある大事なものを、右手に握った。何のことはない、お守り代わりだ。
見慣れた天井を背景に、端末画面がクリアに見えている。
「よろしく頼む、メメ」
「了解いたしました、マスター」
いつもと違う合成音声がそう応えた。
瞼を閉じる。暗闇の中に端末画面だけが残る。
「まずはイヤーカフ端末の待機画面へ、フルダイブを実行」
「了解いたしました、マスター」
先ほどと寸分違わぬ無機質なイントネーション。胸の奥がわずかに苦しくなる。深呼吸を一つ。
暖簾をくぐるような気軽さで、待機画面へとダイブする。
あっという間に電子の世界の中だ。周囲のあちこちに見慣れたアプリのアイコンが浮かんでいる。
「アキトさん、お疲れ様でございます」
すぐ隣から、スターりんが俺を見下ろしていた。
「何かお手伝いいたしましょうか?」
「ああ、頼む。一緒に来てよ」
「承知いたしました」
程なく、少し離れたところに細かな光の粒子が集結して、二つの人型を形作る。
パンツスーツ姿の湯谷さんと、白いワンピースの少女の姿を取るフルールだ。
「安藤さん、お疲れさまです。よろしくお願いします」
「はい、お願いします」
簡単に挨拶を交わし合う。
ビジネスパーソンらしく微笑んだ湯谷さんは、しかしスターりんを二度見した。
「えっ……と、緑のパンダ? え? これって腕振りダンスのパンダですよね?」
「でも微妙に違うわ、ユウキ。片目の模様が星の形だし、背中に翼があるもの」
「あー、説明するとちょっと長いんですけどね……」
俺が言いかけたところで、当のスターりんが一歩前に出て、腹に腕を添えて優雅に一礼した。
「初めまして、美しいお嬢様方。わたくしはスターりんと申します。本日はわたくしも帯同させていただくことになりました。どうかよろしくお願いいたします」
「あら、これはご丁寧に。こちらこそよろしくお願いします」
「あなた、とても素敵な声ね」
「恐れ入ります」
何のことはない、秒で受け入れられた。
俺は空間内に浮かぶ、とあるファイルのアイコンを指す。
「これから、あのデータに飛び込みます」
——メメは俺の夢、覗けたりする?
——レム睡眠時の脳波をキャッチできれば、そこからアクセスすることは可能かもしれないね。
——へえ……シェアできたら面白いかも。
確信に近い直観があった。
データパターンを見ても、恐らくそうだ。
「僕自身の『高熱の時に見た夢』が記録されたデータの中に」
飛び込んで、読み解く。
他でもない、相棒の足跡を辿るために。




