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4-2 about:blank

 また、同じ夢を見た。

 輝く虹色のナメクジと、全力疾走と、ビルの中の強烈な極彩色と、その中で消化されゆく感覚と、俺を取り囲んでどこまでも伸びていく白い壁。


 ただ最後、砂嵐が走る巨大モニターのシーン。

 無数の白黒の走査線がさざなみを作る中に、人影らしきものが浮かび上がった。

 それは次第にくっきりとした輪郭を持ち始め——



 ■



 目覚めると、ずいぶん頭が重かった。ぼうっとしたまま横たわって、なかなか起き上がることができない。手足はまるで他人のもののようだ。

 昨日あった頭痛や寒気や関節の痛みは、ただのだるさに形を変えて全身に纏わりついている。

 あれからたったの一晩と考えると、マシになった方かもしれない。


 視界の端で、虹色の何かがチラつく。

 まだ夢の中にいるのかも。そちらへ眼球を動かしたが、くすんだ色の安いカーテンがぼんやり光を透かしているだけだった。


 寝床を這い出て、のろのろとキッチンへと向かう。酷い立ちくらみがして、水を飲むだけでも一苦労だ。

 今、何時だろう。

 今、熱は何度あるんだろう。

 こういうことを、どうやって確認すればいいんだっけ。

 誰かと一緒に暮らしていたような気がするけど、それも夢だったんだろうか。朝になると起こしてくれて、体温をチェックしてくれる誰かと。

 頭の中がモヤモヤして、うまく思い出せない。


 冷蔵庫の中にスポーツドリンクを見つける。いつの間に買ったんだろう。まぁ、いいか。失った水分を取り戻すように、一杯、二杯と流し込む。


 ふと、背後から虹色のものが迫ってくるように感じた。

 反射的に首を巡らせるも、見慣れた部屋があるだけだ。

 まさか現実にまであのナメクジが現れる、なんてことはあるまい。

 深く息を吐き出す。喉の奥には痰が張り付いている。

 思えば、今日はまだ声を出していない。

 いつもはあんなに喋っているのに。


 ……いや、待て。

 俺は一人暮らしなんだから、()()()()()()()()()()はずだろう。寝過ぎてボケたかもしれない。


 そうだ、仕事。

 着けっぱなしのイヤーカフ端末は、電源が落ちていた。ひとまず充電器に繋ぐ。

 再起動に時間がかかりそうなので、先にシャワーを浴びることにした。

 汗で湿った部屋着を脱ぎ、浴室の扉を開ける。


「うわっ……⁈」


 白いはずの壁面が、まるごと極彩色に染まっていた。

 まるでナメクジの腹の中みたいだ。

 何度か目を擦ると、元の白い浴室に戻った。それはそれであの巨大モニターの壁を彷彿とさせて、妙に落ち着かない。

 

 湯上がりの脱衣所の冷気に触れて、くしゃみをする。その余韻で脳みそがくらくら揺れる。忘れていた悪寒が背筋を這い上がった。

 ゴッド・ブレス・ユー。英語圏ではそういう声掛けがあるんだっけ。神のご加護を。

 そう言えば、神が何かに宿るとかなんとかいう話を、少し前にした気がする。

 いつ? ()()

 ……思い出せない。


 洗濯物が数日分溜まっていた。どうにか部屋着が一組残っていたので助かった。

 デスクに向かう。

 オフィスチェアの足元に、何かが落ちている。

 小型ドローンだ。オレンジと黒のツートンカラーの。


「え?」


 見たことある。

 いや、よく知ってる。

 瞬間的に脳内のモヤが晴れる。


「……メメ?」


 そうだ、メメだ。俺の相棒の。

 どうして今の今まで忘れていたんだろう。

 メメは充電切れのようだ。バッテリー残量が十パーセント以下になったら自動で充電しに行く設定のはずが、なぜかその前に力尽きてしまったらしい。


 俺はメメを充電ポートに繋いでから、自分も何か腹に入れることにした。

 キッチンの三角コーナーには、お粥のパウチが二袋突っ込まれていた。洗っていない食器も二組。

 軽く首を捻る。自分がいつ食事を摂ったのか、定かじゃない。そんなに朦朧とした状態だったか。

 レジ袋の中を探れば、お粥が一袋だけ残っている。俺はそれを新しい器にあけて、レンチンして食べた。

 急に空腹を覚えて、冷凍うどんを解凍する。それも腹に収めると、やっと生きた人間に戻った気がした。


 冷蔵庫の低く唸る音がする。

 薬を飲もうとしたら、喉に引っかかって咽せた。一人でげほげほ咳き込む。自由律俳句かよ。

 狭い部屋がやけに味気なく見える。

 メメはまだ充電中だ。


 無理は禁物だが、仕事のメールのチェックくらいしておくべきだろうと思い立つ。

 そこそこにバッテリーの回復したイヤーカフ端末を装着し、立ち上げる。見慣れた待機画面が視界に浮かび上がる。

 Olsis(オルシス)アプリやメールボックスの通知数が、見たことのない数字になっていた。いっそ見なかったことにしたい。


『アキトさん、非常に多くの通知が届いておりますよ。どういたしましょうか?』


 画面の片隅から、スターりんが顔を覗かせた。片目の模様が星形の、ミームから派生した緑のパンダだ。背中には白い翼が生えている。

 俺は人知れずホッとした。落ち着いたテノールが耳に心地いい。


「重要なメッセージのピックアップできる? 返信が要るやつとか」

『お任せください。メメさんが()()()に『対応お待ちください』のメールを送信されていたので、先方が待ってくださっている案件もそこそこありますね』

「そうだよなぁ。休んだら休んだ分だけ溜まってくよなぁ」


 フリーランスの身なので、自分の開けた穴は全て自分でカバーしなければならない。マイペースでやれるのは良いことだけど、自分が倒れたら呆気なく全てが終了するのだと、改めてゾッとする。


 スターりんの整理してくれた新着メールリストを、ざっと眺めて。


「……ん?」


 そこで俺はようやく、ある違和感に気付いた。

 ずらりと並ぶ未読メールの受信日時を、二度見、いや三度見する。


「あれ? あのさ、今日って何日?」

『十一月二十七日でございます』

「え?」

『十一月二十七日でございます』

「……うーん?」


 昨日、寝る直前にメメから「誕生日おめでとう」と言われたはずだ。「今日は十一月二十五日だ」と。


『どうされました?』

「スターりんさ、メメが先方にメール送ったの、二日前っつった?」

『ええ、そうですよ』


 俺にとっては昨日の記憶だ。


「あのさ、俺って昨日何してたか知ってる?」

『昨日、ですか?』


 スターりんはこてんと首を傾げる。


『昨日はアキトさん、こちらを覗かれていないですね』

「マジで? でも確かに()()は朝起きた瞬間から体調ヤバかったから、端末見たかって言われると微妙だな。見てなかったかも。あれ、でもメメがメール送ったのは()()()で間違いないんだよね?」

『仰る通りです』

「んー……」


 まる一日寝過ごした疑惑が生まれた。


「ちょっとログ見てみるわ」

『どうぞ、こちらです』


 スターりんの案内で、端末設定画面に入る。


「イヤーカフ端末のバッテリーは二十六日の午後二時過ぎに切れてんな。メメもそこまで俺の端末にアクセスしてた記録になってる」

『メメさん、ずっと看病なさっていらっしゃったんですね』

「メメはいつまで動いてたのかな。イヤーカフが先に電源落ちたなら、メメの方のログを見ないと分からん」


 メメはまだ充電中だ。


「そういや、薬……飲み損ねてたってことになるよな」


 特効薬は一回のみの服用だが、風邪薬は一日三回の頓服が五日分出ていた。

 記憶にある限りでは、風邪薬の服用はさっきで二回目のはずだった。

 ところが。


「えっ嘘、五回分なくなってるんだけど」


 知らないうちに、さらに三回飲んでいたらしい。ゴミ箱をよく見れば、空になったゼリー飲料のパウチが捨ててある。こちらもやはり身に覚えがない。


「いやいやいや怖い怖い怖い」


 記憶障害? インフルエンザでそんなことある? 異常行動は聞いたことがあるけど、それとて子供に多い症状だったはずだ。


『アキトさん、大丈夫ですか?』

「うん、ちょっと落ち着いて考えてみる……」


 こんな時こそ事実検証ファクトチェックが必要だろう。

 メメに目をやれば、いつの間にか充電中を示すランプが消えている。

 ピロリン、と再起動音が鳴り、我が相棒は充電ポートから離れて浮き上がった。


「メメ、おはよ。大丈夫か? 充電切れるまで俺の体調モニターしててくれたんだろ。悪かったな」


 オレンジ色のボディが、きょろきょろ左右を見回す。前部のカメラレンズがようやく俺を正面に捉える。


「メメのおかげでだいぶ良くなったよ。それでさ——」

「こんにちは、ご用件をお聞かせください」


 それは、男とも女ともつかない無機質な音声だった。


「……え?」


 メメは、俺の相棒は、まるで見知らぬ機械のように、ただ同じ言葉を繰り返した。


「ご用件をお聞かせください」

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