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また、同じ夢を見た。
輝く虹色のナメクジと、全力疾走と、ビルの中の強烈な極彩色と、その中で消化されゆく感覚と、俺を取り囲んでどこまでも伸びていく白い壁。
ただ最後、砂嵐が走る巨大モニターのシーン。
無数の白黒の走査線が漣を作る中に、人影らしきものが浮かび上がった。
それは次第にくっきりとした輪郭を持ち始め——
■
目覚めると、ずいぶん頭が重かった。ぼうっとしたまま横たわって、なかなか起き上がることができない。手足はまるで他人のもののようだ。
昨日あった頭痛や寒気や関節の痛みは、ただの怠さに形を変えて全身に纏わりついている。
あれからたったの一晩と考えると、マシになった方かもしれない。
視界の端で、虹色の何かがチラつく。
まだ夢の中にいるのかも。そちらへ眼球を動かしたが、くすんだ色の安いカーテンがぼんやり光を透かしているだけだった。
寝床を這い出て、のろのろとキッチンへと向かう。酷い立ちくらみがして、水を飲むだけでも一苦労だ。
今、何時だろう。
今、熱は何度あるんだろう。
こういうことを、どうやって確認すればいいんだっけ。
誰かと一緒に暮らしていたような気がするけど、それも夢だったんだろうか。朝になると起こしてくれて、体温をチェックしてくれる誰かと。
頭の中がモヤモヤして、うまく思い出せない。
冷蔵庫の中にスポーツドリンクを見つける。いつの間に買ったんだろう。まぁ、いいか。失った水分を取り戻すように、一杯、二杯と流し込む。
ふと、背後から虹色のものが迫ってくるように感じた。
反射的に首を巡らせるも、見慣れた部屋があるだけだ。
まさか現実にまであのナメクジが現れる、なんてことはあるまい。
深く息を吐き出す。喉の奥には痰が張り付いている。
思えば、今日はまだ声を出していない。
いつもはあんなに喋っているのに。
……いや、待て。
俺は一人暮らしなんだから、喋る相手なんかいないはずだろう。寝過ぎてボケたかもしれない。
そうだ、仕事。
着けっぱなしのイヤーカフ端末は、電源が落ちていた。ひとまず充電器に繋ぐ。
再起動に時間がかかりそうなので、先にシャワーを浴びることにした。
汗で湿った部屋着を脱ぎ、浴室の扉を開ける。
「うわっ……⁈」
白いはずの壁面が、まるごと極彩色に染まっていた。
まるでナメクジの腹の中みたいだ。
何度か目を擦ると、元の白い浴室に戻った。それはそれであの巨大モニターの壁を彷彿とさせて、妙に落ち着かない。
湯上がりの脱衣所の冷気に触れて、くしゃみをする。その余韻で脳みそがくらくら揺れる。忘れていた悪寒が背筋を這い上がった。
ゴッド・ブレス・ユー。英語圏ではそういう声掛けがあるんだっけ。神のご加護を。
そう言えば、神が何かに宿るとかなんとかいう話を、少し前にした気がする。
いつ? 誰と?
……思い出せない。
洗濯物が数日分溜まっていた。どうにか部屋着が一組残っていたので助かった。
デスクに向かう。
オフィスチェアの足元に、何かが落ちている。
小型ドローンだ。オレンジと黒のツートンカラーの。
「え?」
見たことある。
いや、よく知ってる。
瞬間的に脳内のモヤが晴れる。
「……メメ?」
そうだ、メメだ。俺の相棒の。
どうして今の今まで忘れていたんだろう。
メメは充電切れのようだ。バッテリー残量が十パーセント以下になったら自動で充電しに行く設定のはずが、なぜかその前に力尽きてしまったらしい。
俺はメメを充電ポートに繋いでから、自分も何か腹に入れることにした。
キッチンの三角コーナーには、お粥のパウチが二袋突っ込まれていた。洗っていない食器も二組。
軽く首を捻る。自分がいつ食事を摂ったのか、定かじゃない。そんなに朦朧とした状態だったか。
レジ袋の中を探れば、お粥が一袋だけ残っている。俺はそれを新しい器にあけて、レンチンして食べた。
急に空腹を覚えて、冷凍うどんを解凍する。それも腹に収めると、やっと生きた人間に戻った気がした。
冷蔵庫の低く唸る音がする。
薬を飲もうとしたら、喉に引っかかって咽せた。一人でげほげほ咳き込む。自由律俳句かよ。
狭い部屋がやけに味気なく見える。
メメはまだ充電中だ。
無理は禁物だが、仕事のメールのチェックくらいしておくべきだろうと思い立つ。
そこそこにバッテリーの回復したイヤーカフ端末を装着し、立ち上げる。見慣れた待機画面が視界に浮かび上がる。
Olsisアプリやメールボックスの通知数が、見たことのない数字になっていた。いっそ見なかったことにしたい。
『アキトさん、非常に多くの通知が届いておりますよ。どういたしましょうか?』
画面の片隅から、スターりんが顔を覗かせた。片目の模様が星形の、ミームから派生した緑のパンダだ。背中には白い翼が生えている。
俺は人知れずホッとした。落ち着いたテノールが耳に心地いい。
「重要なメッセージのピックアップできる? 返信が要るやつとか」
『お任せください。メメさんが二日前に『対応お待ちください』のメールを送信されていたので、先方が待ってくださっている案件もそこそこありますね』
「そうだよなぁ。休んだら休んだ分だけ溜まってくよなぁ」
フリーランスの身なので、自分の開けた穴は全て自分でカバーしなければならない。マイペースでやれるのは良いことだけど、自分が倒れたら呆気なく全てが終了するのだと、改めてゾッとする。
スターりんの整理してくれた新着メールリストを、ざっと眺めて。
「……ん?」
そこで俺はようやく、ある違和感に気付いた。
ずらりと並ぶ未読メールの受信日時を、二度見、いや三度見する。
「あれ? あのさ、今日って何日?」
『十一月二十七日でございます』
「え?」
『十一月二十七日でございます』
「……うーん?」
昨日、寝る直前にメメから「誕生日おめでとう」と言われたはずだ。「今日は十一月二十五日だ」と。
『どうされました?』
「スターりんさ、メメが先方にメール送ったの、二日前っつった?」
『ええ、そうですよ』
俺にとっては昨日の記憶だ。
「あのさ、俺って昨日何してたか知ってる?」
『昨日、ですか?』
スターりんはこてんと首を傾げる。
『昨日はアキトさん、こちらを覗かれていないですね』
「マジで? でも確かに昨日は朝起きた瞬間から体調ヤバかったから、端末見たかって言われると微妙だな。見てなかったかも。あれ、でもメメがメール送ったのは一昨日で間違いないんだよね?」
『仰る通りです』
「んー……」
まる一日寝過ごした疑惑が生まれた。
「ちょっとログ見てみるわ」
『どうぞ、こちらです』
スターりんの案内で、端末設定画面に入る。
「イヤーカフ端末のバッテリーは二十六日の午後二時過ぎに切れてんな。メメもそこまで俺の端末にアクセスしてた記録になってる」
『メメさん、ずっと看病なさっていらっしゃったんですね』
「メメはいつまで動いてたのかな。イヤーカフが先に電源落ちたなら、メメの方のログを見ないと分からん」
メメはまだ充電中だ。
「そういや、薬……飲み損ねてたってことになるよな」
特効薬は一回のみの服用だが、風邪薬は一日三回の頓服が五日分出ていた。
記憶にある限りでは、風邪薬の服用はさっきで二回目のはずだった。
ところが。
「えっ嘘、五回分なくなってるんだけど」
知らないうちに、さらに三回飲んでいたらしい。ゴミ箱をよく見れば、空になったゼリー飲料のパウチが捨ててある。こちらもやはり身に覚えがない。
「いやいやいや怖い怖い怖い」
記憶障害? インフルエンザでそんなことある? 異常行動は聞いたことがあるけど、それとて子供に多い症状だったはずだ。
『アキトさん、大丈夫ですか?』
「うん、ちょっと落ち着いて考えてみる……」
こんな時こそ事実検証が必要だろう。
メメに目をやれば、いつの間にか充電中を示すランプが消えている。
ピロリン、と再起動音が鳴り、我が相棒は充電ポートから離れて浮き上がった。
「メメ、おはよ。大丈夫か? 充電切れるまで俺の体調モニターしててくれたんだろ。悪かったな」
オレンジ色のボディが、きょろきょろ左右を見回す。前部のカメラレンズがようやく俺を正面に捉える。
「メメのおかげでだいぶ良くなったよ。それでさ——」
「こんにちは、ご用件をお聞かせください」
それは、男とも女ともつかない無機質な音声だった。
「……え?」
メメは、俺の相棒は、まるで見知らぬ機械のように、ただ同じ言葉を繰り返した。
「ご用件をお聞かせください」




