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4-1 ハッピーバースデー

 これは、俺とメメが共に過ごした日常と、共に解決した案件を記憶しておくための備忘録である。



 ■



 夢を見ていた。

 なぜそれを夢だと認識できたかというと、高熱の時に毎回同じ夢を見ているからだ。


 俺はビルの屋上に立っている。周りが白い柵で囲ってあるだけの、何もない屋上に。

 前触れなく、足元がぐらつく。

 柵の向こうから、巨大な何かが顔を出す。虹色に光り輝くナメクジだ。

 俺はそいつに背を向けて、一目散にダッシュをキメる。

 ナメクジがいるのとは反対側の柵を、思い切って乗り越える。

 一瞬だけヒュッと落下した感覚があり、すぐさま着地する。ビルの壁面が、今度は地面になっていた。視界ごと九十度回転したのだ。


 巨大ナメクジが追ってくる。俺は必死で逃げる。逃げる。逃げる。

 ビルの壁面は障害物だらけだ。地を蹴って、通常ならあり得ないほど高く跳んで、凸凹を避ける。

 何度目かのジャンプで着地と同時に窓ガラスを踏み抜き、俺は屋内へと落ちる。


 ビルの中。内壁は全て虹色だ。まるで万華鏡の中に放り込まれたみたいに、いろんな形や色が目紛しく変化する。

 そこで気付く。これはビルではなく、ナメクジの腹の中なのだと。

 別に食われたわけではないし、今の今まで追いかけっこしていた相手の内部にいるのは整合性が取れないが、とにかくここはナメクジの腹の中なのだ。


 全身に何かが浴びせかけられた。皮膚を侵食されるような気色の悪さが襲う。熱いのか、痛いのか。今にも身体が溶かされそうだ。

 ナメクジの腹の中だから、このくらい仕方ない。

 俺はやけに冷静だった。毎回同じパターンだからだ。

 なお、この後の展開も知っている。


 まず、唐突に底が抜ける。

 続いて、暴力的な極彩色のぶよぶよした内壁で弾みながらの自由落下。ウサギを追って縦穴に落ちたアリスみたいに。

 前後左右も不覚となって、どこかに着地した俺は、不思議な飲み薬がなくともすっかり身体が縮んでいる。

 いや、周りにあるものが異様にでかいだけなのか。そこのところはいつも判然としない。


 俺は、いくつもの馬鹿でかいモニターに取り囲まれていた。どれも全面から白い光を放ち、何が写っているのか分からない。どちらを向いても、白いモニターがあるばかりだ。

 俺が縮んでいるのか、モニターが巨大化しているのか、ずんずんずんずん、天高く突き抜けるほどまでに成長していく白い塀。

 この眩しい牢獄から、俺は脱出する術を持たない。


 突如、目の前のモニターにノイズが走った。次第に黒の割合が増えていき、濃淡が生まれる。

 やがて、視界の全てが砂嵐に支配されて——



 ■



「——ト、アキト、大丈夫?」


 夢の中に紛れ込んできた甲高い声で、俺の意識は現実世界に引き戻された。


「う……」

「起きた? ずいぶんうなされてたよ。体温三十九度一分。脈拍、血圧ともに普段より高めだね」


 ベッドに横たわる俺の真上を飛び回るのは、我が相棒、Mind Expanding Multi-device of Erudition ——通称【M.E.M.E.(メメ)】である。

 ボディはオレンジのはずだが、真下からのアングルだと底部とプロペラ部の黒しか見えない。


「まずは水分を摂った方がいいよ。起き上がれる?」

「ぅ……ッ」


 喉が枯れて上手く声が出せない。全身ぞくぞくしてやたら寒い。息しづらいし死にそうにだるいし、頭もガンガンする。

 わずかな身動きすら億劫で、俺はそのままぼうっと天井を眺めていた。


 記憶を辿る。

 昨夜は寝る前に熱っぽい感じがあって、早めにベッドに入ったと思う。だけど変な悪寒と頭痛とでなかなか寝付けず、しばらくゴロゴロしていたはずだ。いつ眠りに落ちたのか分からない。


 そして、久々にあの夢を見た。


 子供の頃は年に何回かのペースで高熱を出していた。その度に見ていたのと同じ夢だ。

 ああいうのって大人になっても変わらないものなんだなと、そんな場合でもないのに謎の感慨でしみじみする。


 昔は体調を崩すと母親が世話を焼いてくれたものだ。

 そういえば、最近ぜんぜん実家に連絡していなかった。母さんも親父も元気かな、最後に連絡取ったのはいつだったかな、盆には帰らなかったからその前か——


「アキト!」


 白くぼやけた視界に、黒が割り込んでくる。

 四つの小さなプロペラの起こす風が頬や鼻先を撫で、俺は思い切りくしゃみをした。喉に響く。頭に響く。痛みの勢いで身を縮める。


「ぅぅぅ……」

「頑張って起きて! 水分摂って! 病院へ行こう!」


 ああ、うるさい。関節がどこもかしこも痛くて動きにくいんだよ。ちょっと休ませ——


「自力で動かないと死んじゃうよッ!」


 相棒の言葉の切実さに、ようやくハッとする。

 そうだ。少し前に「若い世代の孤独死が増加傾向」とネットニュースで見たのだ。

 今の時代、ネットが便利すぎて家から出ずとも生活できてしまうため、隣近所とのつながりが希薄になり、一人暮らしの人間がひっそり死んでも気付かれにくいのだとか。

 急に致命的に体調を崩して、うまく対処できなければ、いくら若かろうと簡単に詰む。

 だから俺は自分に何かあった時のために、メメの行動パターンを設定していたのだった。


 無理やりに身を起こす。ベッドから降り、軋む身体に鞭打ってキッチンへと向かう。狭い部屋なのに、やたらと遠い。


「頑張れアキト! 超頑張れっ!」


 メメの励ましで気を保つ。

 震える手で出しっぱなしのコップに水道水を汲み、どうにか一口二口と飲み下す。

 変な味がする。喉が焼ける。

 気持ち悪い。


「タクシー呼んだよ!」


 運転手へ行き先を告げるのも、内科の窓口で病状を伝えるのも、メメが代わりにやってくれた。あまり声が出せないので助かった。

 検査の結果、インフルエンザと診断された。


「外出したのって、こないだ近所のスーパーに買い物行ったくらいだよね。その時に拾ったのかな。今年は早くも大流行みたいだよ」


 朦朧としたまま、特効薬と解熱剤を飲んだ。

 体温が三十八度あたりまで下がると、凄まじい勢いで汗が出てきた。人間の身体はよくできている。


「食べ物とか、ネットスーパーで注文しといたよ。スポーツドリンクとゼリー飲料と、パウチのお粥と冷凍うどんね。二時間後に宅配されるよ。玄関前の置き配にした」

「助かる……」

「仕事関係のメールには、『インフルエンザ罹患中につき対応が遅れます』って旨を返信しとくね。あ、あとOlsis(オルシス)の方も同じように注意書き出しとくよ」

「うん……」

「あと、何か他にやっとくことある?」


 少し考える。


「いつも通りに、流行ってるミームとか、チェックしといて……」

「了解!」


 大して頭が回らなかった。


「こういう時、看病してくれる彼女がいたら良かったのにね。あったかいお粥とか作ってくれるような」

「んー……」


 パウチのお粥も、レンジでチンすればあったかい。


「ありがとう……俺、メメがいなかったら死んでた」

「何言ってんの、大袈裟だよ。そもそもボクをこういうふうに設定したのはアキトでしょ?」


 それはそうなんだけど。


「久々に、変な夢も見たよ。でかくて派手なナメクジに追っかけられる夢」

「発熱時の悪夢は、熱によって脳の扁桃体が活性化することが原因だっていう研究結果があるよ。扁桃体は不安感や恐怖心を司ってる。だから悪夢を見てしまう。興味深いな。AIは電気羊の夢を見ないから」


 ぼんやりした頭で思い付く。


「メメはさ、俺の夢、覗けたりする?」

「レム睡眠時の脳波をキャッチできれば、そこからアクセスすることは可能かもしれないね」

「へえ……シェアできたら、面白いかも」

「さて、どうかな」


 メメがボディを傾ける。人間だったら肩をすくめる動作だったに違いない。


「何にしても体調の変化をモニタリングするから、寝る時も端末装着しといてよ」

「分かった」

「あ、バタバタして言い忘れてたけど」

「ん?」

「アキト、今日は十一月二十五日だね。誕生日おめでとう」

「あ、うん……ありがとう」


 彼女かよ。

 何とも言えない誕生日になったな。

 そうこうするうち、すとんと意識は途切れた。


 よもやそれがメメとの最後の会話になるなんて、思ってもいなかった。

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