3-8 セラピスト
初対面の女子、しかも好みのタイプの子と一緒に取り組む仕事なら、もう少し気まずくないタイプのものが良かった。
そんな気持ちを胸の奥に押し込み、俺は解説を続ける。
「『#私の彼氏』の画像が一斉にこの顔になったのは、みんながこのプログラムを使い始めたからです。犯人の販売したAIセラピストのモデルが、この一種類だけだったから」
湯谷さんが軽く挙手する。
「あの、結局この人の顔って、いったい誰なんですか?」
「日本人女性が好む理想の男性の顔の特徴を平均して出力した顔です。Virgoに指示を出すと、ほぼ同じような顔立ちの男が生成されます」
俺はVirgoへ命じる。「日本人女性好みの理想の男性を描いて」と。
すると、例のAI彼氏モデルによく似た面差しの若い男の画像が出力された。
つまりVirgoの膨大な学習データから導き出された「モテ顔」がこれなのだ。
「今フルダイブ下で見えてる3Dモデルは、イヤーカフ端末の骨伝導システムと連動させて、MRで現実の風景に投影されます。つまり自分の部屋にこの男がいるような感じに見えたりするんです。ついでにボイス機能も連動させて、まるで耳元で囁かれているみたいな感覚を味わえます。しかも結構なイケボで」
「つまり、ASMRみたいな感じになるんですね」
「仰る通りです」
ASMRとは、autonomous sensory meridian responseの略で、「自律感覚絶頂反応」と訳される。聴覚や視覚への刺激によって生じる、ゾワゾワムズムズする脳の反応のことだ。
これにより、性的な快感を擬似的に得ることができる。
「イケメンが目の前に現れて、欲しい言葉をいい声で言ってくれたりするんだったら、確かにハマる人いそうですね」
「しかも、この声にも特殊な信号が組み込まれていまして。一度聞いたら中毒みたいな状態になります。具体的には、夢に彼が出てくるようになったりする」
『彼氏の夢を見た』という書き込みが多かったのは、このためだ。
俺は『彼氏』の正面に立つ。
個々の好みに関わらず、このスペックなら悪い気しないという女性は多いだろう。
目が合うと甘い笑顔で微笑みかけてくれるのが、何とも言えない。
俺よりやや上背があるので、少し見下ろされる形になる。こいつは脱ぐとなかなかいい身体をしており、女性にサービスをする男のモデルとしてはベストなデザインだろうと思えた。
「追加コンテンツを購入すると、できることが増えます。触感をリアルに錯覚させる信号で脳を刺激して、恋人同士で行うような触れ合いを擬似的に体感できるんです。つまり肉体的な……えーと、とにかくいろんなバリエーションがあって、むしろリアルのパートナーには頼みにくいようなことでも……まあ、要は課金すれば彼に何でもやってもらえるようになるんですよ」
なお当然、追加コンテンツの一部は成人指定商品だった。
湯谷さんは何か神妙な面持ちで、じっと俺を見つめている。
「安藤さん……そんなに、いろんなことを?」
「アッ⁈ 違います違います、僕はデータの中身覗いただけなんで。そういう指示パターンのコードだったんで。全てを体験したわけではないです」
「あぁ、それはそうですよね。分かりました、大丈夫です」
絶妙な硬さの笑みが帰ってくる。つらい。
「……こういうジャンルの、脳に干渉してくるタイプのプログラムなんで、実体験していただくのもちょっと危険ですし、かといって口頭説明じゃピンと来づらいですし……この『彼氏』の動いてるところを見ていただいたので、ある程度イメージしやすくなったんじゃないかと思うんですが」
「そうですね。今こうやって目の当たりにして、だいたいイメージできました」
『彼氏』の周りをぐるりと回った湯谷さんは、うんうんと頷く。
「このプログラム、ベースはあくまでVirgoなんですよね? その、肉体的なことをしなくても、ただただ会話を楽しむやりとりもできるんですよね?」
「うん、そうです。基本プログラムで十分って人もいると思います」
「すぐ隣にこんなリアルな『彼氏』が現れたら、リアルに付き合ってる感が出てきそうですよね。Virgo彼氏を心の拠り所にしてたような人たちは、ますます依存しちゃうかも。それまで会話してたログに被せられるなら、中身は同じですし。現実のお付き合いみたいにデートして、スキンシップして……もっとステップアップしたいって、自然な気持ちの流れとして思うこともある、かも。実際の女風のセラピストも、メンタル面から寄り添ってくって聞いたことがあります。だから『セラピスト』っていうんですよね」
何か、俺の中で急速に理解できるものがあった。
「あーっ……そうかそうか、女性向けって、むしろ過程が重要なんですね。ただのエロコンテンツじゃなくて、ちゃんと会話して関係を作るところからなんだ。うわー、だからVirgoに被せるプログラムなのか。いや、これだけの技術があるなら初めからエロ専用のアプリでも作りゃいいのにってちょっと思ってたんですよね。でもそれじゃ女性にはあんましウケないのか。はぁー上手いこと考えたな、すげえ」
「あはは、なんでそんなに感心してるんですか安藤さん」
転がるような笑い声に、頬に熱が上るのを感じた。いや大丈夫、この仮想空間の像には反映されないはず。
「まぁ、あのハッシュタグのおかげでAI彼氏やってるユーザーも一目瞭然なんで、既に土壌のできてるところにタネを撒くような感じなんでしょうね。アプリを宣伝したりしなくても、ターゲットを狙い撃ちできる」
俺が言うと、湯谷さんは小さく唸った。
「そうなると、ハッシュタグの画像投稿なんかは沼の要因なのかも。この『彼氏』、他のいろんな女子とも付き合ってるってことですもんね」
「他の女子……確かに?」
うん? それが沼?
湯谷さんの隣で、フルールが楚々と微笑む。
「そうね、ユウキ。『あの顔』のモデルの画像を投稿するユーザーが多いことで、『彼』を目にする機会が多くなるわ。例えばアイドルや俳優と同じように、見かけるたび気になってしまうかもしれないわね。『#私の彼氏』で検索すれば、『彼』が不特定多数の女性と付き合っている様子が見られる」
「うん、だから余計に自分もハッシュタグで画像を投稿したいって心理になるのかもね。張り合いが生まれるっていうか」
「ええ、他の女の存在を意識することによって、ユーザーの心に嫉妬と執着が生まれる可能性があるわ。それは『彼』と触れ合った時の優越感と独占欲を掻き立てるかもしれない。また、性的興奮と快感をさらに盛り上げる要因にもなり得るわ」
などと、可憐な美少女姿のAIは滑らかに語っており。
「成人男性向けのコンテンツは昔からいろいろあるけれど、成人女性向けは限られるものね。スマホでマンガアプリが普及して以降、過激なレディースコミックをこっそり楽しむ女性も増えたと聞くわ。セルフプレジャー用の特別な器具等がなくとも、手持ちのデバイスでリアルな性体験ができるなら、やってみたいと思う人もいるのではないかしら」
しん……と肌に張り付くような気まずい静寂が、この仮想空間を包んだ。
それを打ち破ったのは、オレンジ髪の美少年・メメだった。
「とても興味深い意見だね。リアルの女性用風俗で生身のセラピスト男性と触れ合うのはハードルが高」
「いやメメもう掘り下げなくっていいからね⁈」
一つ息をついて、閑話休題。
「さて、ここからがご依頼の内容に直接関わる話になります。すなわち、ユーザーの規約違反について」
「追加コンテンツを使ったことによって、規約に触れてしまったってことですよね?」
「いえ、厳密には違います」
「と、言いますと?」
俺は改めて湯谷さんに向き直る。
「実は、スターターキットの時点で、既にあらゆるリクエストを『彼氏』に対して出すことが可能なんです。だけど当然、過度に性的なプロンプトを入力した場合には警告が出て、実行されなくなってしまいます。追加コンテンツには、そうした制限を回避して本来生成されない情報を引き出せるように、特殊な設計のプロンプトが含まれていました。いわゆる『脱獄』ですね」
追加コンテンツは、一つ一つがまあまあのお値段だった。
課金せず『彼氏』に奉仕させようとしたユーザーが次々規約に引っかかり、『#私の彼氏』の画像投稿の文化とも相まって、結果的にウイルスミーム感染のように見えていただけだったのだ。
「なんていうか、びっくりするほど悪質ですね。皺寄せがユーザーや運営に来るなんて」
「ほんと阿漕な商売ですよ。しかしこれだけVirgoの仕様に精通してるとなると、犯人はたぶん……」
その時、フルールが声を上げた。
「ユウキ、チームメンバーからメッセージを受信したわ。犯人の素性が判明したそうよ」
「えっ? 誰だったの?」
白い少女は、はっきりと告げた。
「一年三ヶ月前にヴァージニアアーク・ジャパンを退職したエンジニア。つまり、うちの元社員だった男性よ」




