3-6 虎穴に入らずんば
〈Olsis〉は、誰でも使える仮想空間だ。
ビジネスでの活用はもちろん、アーティストがライブ配信を行ったり、オンラインゲームとリンクしたサービスがあったり、ショッピングサイトとの提携もあるので買い物できたりもする。
ログイン方法は多岐に渡るが、各種SNSのアカウントを利用してOlsisアカウントを作るケースが最も多いだろう。
「あのDMのQRコードは、PeketterアカウントからOlsisへ入るものになってた。だからその手順通りに『めめたん』のOlsisアカウントを作ったよ。引き続きトラップもばっちり張ってあるから安心して」
「さすが相棒、仕事が早いぜ」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そんなわけで俺は、薄桃色のリスをアバターとする『めめたん』のアカウントにて、Olsisにログインしている。
端末画面上に展開するサイバーシティの景色は、やたらと見慣れたものだった。
妖しげなネオン揺らめく、ちょっとアングラな雰囲気の区画。
なんと例のURLは、俺の間借りしている事務所のすぐ近くの地点のアドレスだったのだ。
『めめたん』はいかにも「こんな場所初めて来ました」という挙動をしながら、正面にあるブースの扉を叩く。
こうしたアクションで向こうに通知が行く仕様だが、相手が常駐しているなら画面上にこちらの姿が映った時点で接近に気付かれる。
相手が人間ではない可能性も、頭の片隅に置いておく。
すぐに扉が開く。
中から姿を現したのは、笑顔のキツネのアバターだった。
『いらっしゃいませ! 初めてのお客さまですね?』
俺は薄桃リスのセリフを打ち込む。
『こんにちは。PeketterでDMをもらったんですけど』
『ご訪問ありがとうございます! 初めての方にはこちらをご案内しております!』
妙に高いテンション。
向こうにいるのは人間なのか、それともAIの自動応答なのか。
画面上に買い物モードのウインドウが展開される。
『こちら、VirgoのAI彼氏専用プログラム、スターターキットです!』
提示されたのは、何かのダウンロードデータだ。
お値段は、家庭用ゲームソフトが何本か買えるくらい。決して安くはないが、出せないほどではない。
メメが事前に解析した結果、DMのQRコードに仕込まれていたのは、「Olsis内ブースに飛ぶ」、「そこで提示された商品に対して購買行動を取る」、そして「購入した商品を一度使用する」という行動指示のプログラムだった。
つまり、あのQRコードを経由してきた設定である以上、迷うことなく購入しなくてはならない。
俺の隣で端末画面をシェアする我が相棒は、呆れたようにボディを揺らした。
「要はミームを利用したマーケティングじゃん。そういう観点で見れば『THIS MAN』と共通するところはあるね」
「『購買行動を取らせる』……猫ウェイウェイの時はAIが勝手にプログラム書いてたパターンだったけど、今回はどう考えても人間が意図的に仕組んだパターンだろうな」
目の前に、犯人に紐付くアバターの姿がある。
その事実に、自然と身体が熱くなってくる。
どうにか捕えられないだろうか。
「メメ、相手の素性を辿れない? Olsisサーバーに侵入してさ」
「できなくはないけど、違法だよ。そういうのはVirgo運営からOlsisへ正当な開示請求手続きを取ってやるべきじゃないかな」
「う……仰る通り」
「アキトの役割は、ミーム異常を解明することだよ。まずはこのデータを手に入れて解析しよう。あんまり返信に間を空けると、怪しまれるかもしれない」
相棒が冷静で良かった。変に高揚していた頭が、すうっと冷える。
入れ替わるように満ちてくるのは緊迫感だ。
これだけの仕掛けを組める技術を持った犯人。相手は只者じゃない。隙を見せたらマズいことになると、俺の勘が告げていた。
「じゃあ、可能な限り相手のアカウント情報を記録しといてよ。アクセスログの残らない方法で」
「了解!」
「支払いはOlsisコインでいいよな。直接決済だと、入力したクレジット情報を抜かれる危険性もあるし」
「『めめたん』のアカウント、コイン持ってないよ。チャージしないと」
「間にOlsis挟むならよっぽど大丈夫だとは思うけど……念のためプリペイドからチャージするか。こういう時デジタルの手段しかないと、どうにも安心しきれねえな」
もたついていたのは三分程度だろうか。決済手段を準備するのに手間取っていたと想像してくれればありがたいが。
相手が自動応答のAIならまだいい。リアルタイムで生身の人間と繋がっているのなら、このタイムラグで疑念を与えかねない。何せ『めめたん』は相手のプログラムに操られている設定なのだから。
俺はようやく代金の支払い手続きをし、『AI彼氏専用プログラムのスターターキット』なるもののデータをダウンロードした。
Olsisの画面上で、キツネはどうにも胡散くさく見える笑顔を浮かべてこう言った。
『気に入っていただけましたら、多種多様な追加コンテンツもございますので、ぜひご利用くださいね!』
やっと合点が行く。
「掲示板に書き込みのあった『課金』って、追加コンテンツのことだったんだな」
「使ってみて、良かったから課金しようって、そういうユーザーも割と多いのかもね」
つまり、それほどまでに中毒性のあるプログラムということなのか。
『まいどあり! どうぞご贔屓に!』
どこまでも朗らかなキツネの見送りを受けて、『めめたん』はOlsisからログアウトする。
薄暗いサイバーシティの画面が消失し、視界は平常の色を取り戻す。
途端に緊張の糸が切れて、俺は椅子の背もたれに思い切り身を預けた。
背中や腋の下に嫌な汗をかいている。
「はぁ……」
「お疲れさま、アキト」
「うん……メメもお疲れ」
「ボクは疲れてないけどね」
俺はほぼ無意識にデスクの上の加熱式タバコを手繰り、スティックを差し込んで電源を入れた。
加熱が終わるまでの三十秒、つい放心してしまう。
最初の一口目を深く吸い込み、いろいろ入り混じった溜め息と共に吐き出して、俺はようやく再起動した。
「メメ、大丈夫だった? 追跡とか」
「うん、問題ないよ」
「相手のアカウント情報は?」
「言われた通りに記録した。ボクたち、やれるだけはやったと思うよ」
確かに何の問題もなかったし、ミスらしいミスもしていない。
少なくとも、俺やメメが感知できるレベルの何かは起きていない。
「それで、データは?」
「データは安全な隔離領域に保存してある。ひと通りスキャン済み。これ自体はウイルスの類じゃない。中身はね——」
メメからその概要を聞いて、俺は脱力した。
「なんつーか……幽霊の正体見たり枯れ尾花だな」
「何せ『デジタル怪奇現象』のカラクリだからね」
「こういうことなら、そりゃあ同じ顔の男の画像ばっかり出せるはずだよな」
だが、まだ謎はある。
「あのキツネ、これのことを『スターターキット』とかって言ってたな。何のスターターキット? 結局、例のTHIS MANは誰の顔なんだ」
「少なくとも、このキットを使用したユーザーを規約違反行為に走らせるプログラムってことだね」
俺はメメと視線を合わせる。無機質なカメラレンズの向こうに、理知的な光を幻視する。
「じゃあ、一つずつ中身を見てくとするか」
「念には念を入れて、しっかり用心していくよ」
「頼んだぜ、相棒」
「了解、我が主人」




