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2-7 スプラリミナル

 想定通りであれば、またしても俺は知らないうちにフェアリーストロングを購入し、そのタイミングで発生した端末異常をメメがキャッチしてくれるはずだった。

 異常プログラムの詳細さえ確認できれば正常化プログラムも組めただろうし、もしかすると改変者に繋がる手掛かりも得られたかもしれない。

 しかし見事に当てが外れてしまい、俺は軽く頭を抱えた。なぜ異常を再現できなくなってしまったのか。


「メメ、念のため買い物中の記録をチェックして」

「了解!」


 メメが確認作業を始める。待つこと数秒。


「何も異常ないよ、アキト」

「えーマジかよー。もう何なんー」

「アキトの視線の記録を解析すると、ばっちりフェアリーストロングの缶を認識してるね」

「うん、見た記憶ある」

「でも買わなかったんだ」

「買うつもりなかったし」

「つまり」


 メメはくるりと宙返りする。


「商品を認識して、買わない選択肢を取った」

「え、うん。普通のことじゃない?」

「そうだよ、これが正常だ。認識したからこそ、買うか買わないかの選択肢が現れた」


 あれ? この話、つい最近した覚えがある。

 俺はホバリングするメメを上目遣いに見やった。


「……潜在意識下サブリミナルの情報じゃなくなったってこと? フェアストが、俺にとって」

「そういうことだよ、アキト。おそらく異常プログラムの中身を解明するヒントは、その辺りにある」


 メメはオレンジ色のボディを大きく前後に揺らした。


「これまでは、フェアリーストロングの存在が潜在意識下に沈んでた。だから、お店の棚にあるのが視界に入っても認識しなかった。認識しなかったから、買うか買わないかを自分で選ぶこともできなかった。だけど例のCMのオリジナルをしっかり確認して、制作者からCMに込められた思いも聞いて、フェアリーストロングの存在を改めてちゃんと認識した。つまり閾下サブリミナルから閾上スプラリミナルの状態になった」


 あらゆる情報はそもそもがサブリミナルだと、人間は意識している事物よりも意識していない事物の方がずっと多いのだと、先日もメメは言っていた。


「でもさ、意識もできてない状態なのに買わされちゃうって、なんかちぐはぐな感じじゃね? 例えば逆に、意識した途端に欲しくて欲しくて堪らなくなる、とかだったら話も分かるんだけど」

「そうだね、ちぐはぐだ。ただし『購買行動を促す』ということだけを切り取れば、C()M()()()()は果たされたことにはなる」

「オリジナルCMをよく知らない状態でも?」

「そう」


 メメのカメラレンズがきらりと光った。


「分かりやすく整理すると、『オリジナルCMを知らず、変異ミームのみを知ってる状態の場合、本人の意思を問わずに購買行動が起きる』」


 俺はハッとした。


「つまりそれが、変異ミームに仕込まれたプログラムの動作なんだ。『フェアストを認識してないことが発動の条件になる』ってことなんだな。それなら確かに、ウイルスが発症したりしなかったりするのも分かる」


 端末とユーザーの脳神経が双方向に働き合うからこそのプログラムだ。

 ユーザーの認識範囲を端末が判断し、それに応じてウイルスが動作する。


「俺が認識してなかったから、メメもスルーしちゃってたわけだ。意識の端にも引っかからないことについて、メメに指示を出すって発想にも至らなかったから」

「買い物って、その時々で適当に買うものを決めることもあるしね。普通に予算内だったこともあって、ボクの動作のトリガーにはならなかった」

「うわーそうかー……今後おかしな買い物してたらアラート出るように設定しとくわ」


 メメもまたプログラムに他ならないのである。AIは決して万能ではない。


「誤購入ポストは決して多くはなかったわけだし、他にも感染の条件はあるかもしれないね。ウイルス化したミームも限られてるのかも」


 俺の見たショート動画がその一つだとするならば。


「……俺さ、フェアストを認識できてなかったこともそうなんだけど、他にも似たような感覚だなと思ったやつがあってさ」

「うん、何」

「あの猫の翼だよ」


 あれもまた、俺の潜在意識下にあった情報だ。

 最初に触れたミームの印象が強く残り、その後オリジナルの猫が視界に入っても翼の存在を認識しなかった。


「もしかしたら翼以外にも何かあるのかもしれないけど、要は『オリジナルにある重要な要素が欠けたミーム』ってことなんじゃねえかと思う。『粗悪な模倣物』に対して、誰かが改変を加えたんだ」


 だけど、いったい何のために?

 欠けた重要な要素。

 翼。黒猫の翼。そこに込められた意味。


 社外秘。

 生成AI。

 アクスタ。


 ——メインのキャラクターは広告の魂ですからね。


「……あ」


 頭の中で、ぱちんとピースが嵌った気がした。瞬く間に情報が整理されていく。


「あー……そういうことなのかも」

「考えが纏まったんだね、アキト」

「犯人はきっと、元ネタのCMを大事にしたいっていう考えの持ち主だ。黒猫のキャラクターや、CMのコンセプトに深い理解のある誰か」

「つまり?」

「やっぱり()()()の仕業の可能性が高いってこと」


 ただし。


「内部犯だとしても、『知らずにフェアストを買っちゃう』なんて結果が、はたして狙い通りなのかって疑問はあるな」


 メメは俺の周りをぐるりと回る。


「アキト、ここからどうする?」

「そうだな。もう()()()()のが手っ取り早いかも」


 俺はさっそく梶浦さんに声をかけに行った。


「梶浦さんのPCをお借りして、もう一度ログを確認させていただいてもいいですか」

「ええ、いいですよ」

「ありがとうございます。ちょっと今から集中力の必要な作業を行うので、どうかお気遣いなくいただけるとありがたいです」


 再び小会議室に籠る。

 自分のイヤーカフ端末と梶浦さんのPCをローカルで繋ぎ、環境を整える。

 安全のために体勢を安定させたいが、愛用のオフィスチェアがないので、キャスター付きの椅子を三つ並べた。椅子を互い違いの向きにすることで、寝転がった時に背もたれが両サイドに来る。それがちょうどベッドガードのような役割を果たすので、転落の心配もない。社畜時代に培った経験の賜物である。


 俺は即席ベッドに横たわった。見慣れない天井を背景に、端末画面がクリアに見えている。メメが俺の胸の上に着陸する。


「いつでもオッケーだ。よろしく頼む、メメ」

「了解、我が主人(マスター)


 瞼を閉じる。暗闇の中に端末画面だけが残る。


「メメ、Virgo(ヴァーゴ)内へのフルダイブを実行」

「了解。Virgoを選択」


 そう。今回は潜る先は、対話型生成AI〈Virgo〉だ。


 梶浦さんが言っていた。


 ——実はそういう方針も、Virgoと相談しながら決めまして。


 例のCM作成には、Virgoが関わっている。

 紛れもなく重要参考人というわけだ。


 メメはともかく生身の俺は、フルダイブした方がより多くの情報を短時間で処理することができる。

 Virgoのアイコンが拡大し、画面いっぱいに迫りくる。それを暖簾のようにくぐり抜けると、一瞬視界が真っ白にくらむ。


 気付けば俺は、無数のパネルの浮かぶ空間にいた。前後左右を数えきれないほどの画面に取り囲まれた状態だ。その一つ一つが、ありとあらゆるジャンルへの窓になっているらしい。


「なるほど、Virgoの中はこういう感じなんだね」


 すぐ隣、俺の肩ほどの位置から声がする。

 鮮やかなオレンジ色の髪をした少年——メメだ。

 羽織ったジャケットは、髪と揃えたようなオレンジと黒色のツートンカラー。理知的な光を灯す透き通った水色の瞳が、俺を見上げている。


「わたくしもお供させていただきます、アキトさん」


 メメとは反対側の隣、やや高い位置からイケボが聞こえた。

 片目の模様が星形をした、緑色のパンダ——スターりんだ。穏やかな表情で俺を見下ろしている。


「ああ、うん、頼もしいな」


 図らずも水戸黄門みたいなフォーメーションである。


 俺たちの目の前に、文字が現れる。


『ご用件をお聞かせください』


 さあ、ここからだ。

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