【151】弓術大会Ⅲ
ルイトポルトの願い空しく、ルキウスは見事なほどに、集中を欠いた状態であった。いや、集中を欠いているという段階を超え、意識が飛んでいた。
彼の体が今認識しているのは、「隣の人間が矢を飛ばした後、自分も矢を飛ばす」という事だけだった。
それでも弓を放てているのは、訓練の成果が表れているお陰と言えた。
無理な態勢でも矢を当てる訓練。それから度々やらされた早打ちの訓練。それらが合わさった結果、意識がほぼ飛んでいるのに、的を外さず保っていた。
だがしかし、トビアスの懸念通り、綱渡りのような状態は、何かあったら崩壊しかねない危うさを伴っているのは、変わらない。
弓の名手であれば、ルキウスの番が二回回って来た段階で、その不安定な状態には気づいただろう。それぐらい一目瞭然だったが、それが理由で特別視はされなかった。
こういう事は、初めて大会に参加する参加者には、よくある話だったからだ。
焦って早打ちになる事も。
緊張から、周りが見えなくなる事も。
だからそういう意味では、特別視される事もなく、進んでいった。はらはらしているのは、ブラックオパール伯爵家の者ばかり。……だった、のだが。
次第に、ルキウスは自身も知らぬうちに、周囲に影響を与え始めた。
◆
始めに影響を受けたのは、ルキウスの前に矢を放つ枠に立っていた、参加者だった。
順調に、落ち着いて、的を狙っていた参加者。今回は前回より良い成績を残し、帰宅するつもりであったこの参加者は、段々と隣で異様な早打ちをしている隻眼の男に意識が持っていかれ始めた。
自分が落ち着いて、やっと放った矢。
その矢がしっかりと的に当たっているかどうかを確認し、安心しようとしている間に、隣の奴が矢を放っている。そしてちゃんと的に当たっている。
順番は守っている。審判が合図を出した後に、矢を放っている。……筈なのだが、合図から撃つまでが早すぎて、まだ、体感では己の番と思えるタイミングで、隣の奴が矢を放っている。それに、段々と、感覚が狂わされていった。
ルキウスは周りの事など見えていない。意識が飛んでいるので。
だから、自分の横にいて、自分の前に順番が来ていた参加者の事も、全く眼中になかった。
しかし参加者は哀れにも、自分が弓を構え、狙いを定めている間にも、「早く打たせろ」という圧が隣から来ている……そんな錯覚をし始めてしまったのだ。
そうして追い詰められ、精神の安定を欠いた彼は、ついに的を外した。退場の指示を受け、呆然としながら彼は会場を去った。
◆
次に影響を受けたのは、ルキウスの次に順番が回ってきていた参加者だ。
こちらは、「まだ俺の番は次の次だな」と気持ちを落ち着かせていたり呼吸を整えていた。ところが、やはりというか、それを、ルキウスが乱した。
まだ自分の番ではないと思って悠長に待っていたのを、審判に「次は貴方だが」とジェスチャーで示され、慌てて矢を放つ。的には当たったが、落ち着いて的を狙えなかった。
体感では、『次の次の次』が『次』ぐらいまでに一気に縮まってしまい慌てる。
そんな状態で放った矢は、安定性に欠いて、理想通りに刺さらない。
それを繰り返すうちに「前の時は思ったように狙えなかった」「今度も狙った通りに矢を放てないかもしれない」「次は外してしまうかも」なんて恐怖が連鎖するように生まれていけば、もう止まらなかった。
あっという間に自分のペースがなくなった参加者は、的を外し、退場していった。
◆
今まさに矢を射ている者たちより、順番待ちをしている人間から見た方が、こういう違和感は顕著に見える。
あっという間に、ルキウスの両隣が外れ枠……いや、『危険枠』となった。
それでも、
「隣で早打ちをしていようが関係ない!」
と意気揚々と前に出る者もいたが、数回目に的を外して去っていく。
それが、ルキウスの異様な早打ちに引っ張られたせいなのか、それとも単に実力不足なのかは、判別が出来ない。
ただただ、「ルキウスの隣に立っている者は外す」という事実だけが積み重なっていっていた。
もしこの大会に参加している者たちが普通の人間であれば、嫌な空気を感じて、ルキウスの隣になど入りたがらない状況が生まれていた事だろう。
それがそこまで目立たなかったのは、ルビーの血族の者たちの性格故である。
「なんの! 俺こそ、あの危険枠をあたり枠にしてみせよう!」
と、次から次へと、空いた枠に入る志願者が出てくるので、ルキウスの横がぽっかり空いてしまう事態は避けられていた。
逆に、自分の腕を見せるためにルキウスの横に入りたいと、他の枠が空いているのに出てこない参加者が増え始め、審判は「そこ! そこ空いてます! その枠に入ってください!」と指示を飛ばす羽目になっていた。
自身がそんな影響を与えているとは露知らず。ルキウスはただただ矢を射ていた。まるでそれだけをするカラクリのような動きだった。ずっと集中してみている者がいれば、足踏みすらせずずっと立ったままなのにも気が付いただろう。
隻眼という不利も感じさせず、次から次へと的に当てる。中心の赤い丸にずっと当たる訳ではないし、たまに中心からもそれるけれど、的にはしっかりと当てているので、問題もない。審判の合図に合わせて矢を放っているので、こちらの決まりにも従っているので、問題ない。
「あの早打ちは作戦か? 緊張かと思っていたが」
「あの者はどこの家の者だ? ルビーの血族ではないだろう」
「確かブラックオパールだ。ほら、聞き覚えはないか、数年前、ヘークレスの寵児が現れたと話題になった……」
隠す気のない声量での話し声が、広まっていく。
それが自分を指しているとすら気付く事すら出来ない事だけは――不幸中の幸いだと言えた。




