【149】閑話-ジビラ・ブラックオパール
ブラックオパール伯爵家の席にて
――強くなき者ルビーに非ず!
(……頭の中に、まだ声が響いている気がするわ)
ジビラは、頭を振る。
そうしないと、耳の奥に入り込んでしまった声が、消えないような気がしてならないのだ。
(……男って、どうしてああも野蛮なものが好きなのかしら)
開会式の声には皆驚いていた様子だったのに、既に普段の調子を取り戻している兄たちを見ながら、ジビラは息をつく。
弓術大会。その大会に、ルイトポルトの侍従見習いが参加する。それだけで自分事のようにやたら興奮して盛り上がれる男の気持ちが、ジビラには分からなかったのであった。
いや、家を代表する者が参加するのだから、注目するのは分かるのだ。
ただ、その対象が弓術大会である――その一点で、ジビラにとっては興味を向けがたいものだ、という事である。
根本的な趣味嗜好が違う。そう言い表す他、ないだろう。
堂々と玄関ホールに飾られた巨大な肉食ペリカンのはく製も、正直なところ、ジビラは外してほしいと思っている。
今まで、王都のブラックオパール伯爵邸の玄関ホールは、品の良い場所だった。なのに、そこに後付けてつけられた巨大なはく製は、異物としてあまりに目立った。目に入れたくなくても入るのだ。それまでは頻度は高くなくとも、貴族学院の友人を招く事もあった。しかし今は招きたくない。茶会の際に話題に上がるのが、はく製の事ばかりになると分かりきっているからだ。
つけると決めたのがルイトポルトでなかったら、きっと父親に必死に頼んで外してもらっただろう。それぐらい、生気のない偽物の目玉がはめ込まれた顔を見るのが嫌だった。
(あんな怖いものの何がいいの?)
としか、ジビラは思えない。
ジビラはブラックオパール伯爵家本流の血を引く由緒ある貴族令嬢である。特に、次代であるルイトポルトと同世代の者の中では、ほぼ唯一といってよい、女児であった。ルイトポルトと同世代であり、かつ、伯爵家の血を直接的に継ぐ家の殆どが、男児ばかり生まれていたからだ。
そんな中で生まれたジビラは、伯爵夫人ヴィクトーリア、伯爵の妹メルツェーデスに次ぐ、ブラックオパールの女主人を担う可能性があるとして、母や祖母から、殊更厳しく躾けられたのである。
(先ほどの開会式とか……はぁ……野蛮で嫌ね)
男たち――中には女も混じっていたが、声としては低い声に紛れて聞こえなかった――の、怒声にも思える声を思い出し、ジビラは眉根を寄せた。
ルイトポルトたちが、すぐ切り替えて、大会が始まったと興奮しているのが、理解出来なかった。
(雄々しさを主張したいのか、勇敢さを主張しているのか分からないけれど、うるさいばかりだったわ)
本音を言えば来たくなかった大会である分、どう頑張っても、ジビラの気持ちは上向きにはならない。
せめて母マヌエラが欠席するというのなら、ジビラも欠席する理由が用意できたのだけれど、マヌエラまで参加するとなっては、家族の中で自分だけが行かない理由が、思いつかなかったのだ。
それでなあなあの気持ちでついてきたのだが、もう既に後悔しかなかった。
「ジビラ。喉が渇いたのかしら」
母親の声に、ジビラは顔を上げる。
「……違います。少し、耳が痛いような気がして……」
「ああ。先ほどの開会式の宣誓は凄かったものね」
「ええ。ええ!」
母親から同じ感想を得られたと思い、ジビラは声を大きくさせる。
「本当に、先ほどの開会式の声は不快でした。伯爵閣下のお声に応えるのはまだ分かりますが、あれほど大きな声を上げる必要はないですわ。あんな野蛮な態度など、貴族とは到底思えません。あのような方々が我が国の貴族として大きな顔をしているなど、他国から見れば――」
「ジビラ」
「……っ」
名を呼ぶ。その行為で、言葉を遮られた。
ジビラは、ゆっくりと、母を見た。母親の声は明らかに、怒っている時の固い声だったからだ。
母親は、微笑んでいた。ただし、その目は全く笑っていなかった。反射的に、母親の横に座している父親に助けを求めるように視線を移すが、インゴは視線もくれなかった。横の母親が怒っている事には、気が付いている筈なのに。母親の言葉を聞け、という意味であった。
なんとか母親に視線を戻して、ジビラは尋ねる。
「か、母様。何をそれほどお怒りに……?」
「怒ってなどいないわ」
(うそ)
絶対に怒っている。怒っているのに怒っていないという母に、より恐怖が沸き上がる。
「でもそうね。失望はしたわ」
ヒュッ、と変な音が、ジビラの喉からなった。
周りは、大会が始まったと盛り上がっている。歓声に会場は包まれ、既に参加者たちが矢を射始めているようであった。
だというのに、ジビラとマヌエラとインゴの家族三人が座っているこの席だけが、切り離されたように冷えている。そう、ジビラは感じた。
「ジビラ。ねえ。学院で、何を学んでいるの?」
「……っ、き、貴族として必要な、さまざまな事を、学んで、おります」
「そうよね。では、どうしてこの場で、ルビーの血族の方々をけなすような言葉が出てくるのかしら」
「それ、は」
返事に窮し、ジビラは黙った。
「……」
「……」
(な、何を言えば良いの? どうしたら怒られない?)
必死にジビラは考える。けれど焦れば焦るほど頭の中は真っ白になってしまう。
これが、母親相手でなければ、もう少し言葉が出てくるのだ。けれどいくつになっても、母親相手には、どうにもうまい言葉が出てこない。体感的な差でしかないけれど、上手く、話せなくなってしまう。
黙り続けるジビラを見て、母親がどう思ったかは分からない。最終的に、彼女はジビラから視線を逸らし、こう告げた。
「――ルビーの血族は、我が国を守る護国の象徴。あの方々を貶す事は、己を守る盾であり剣を貶している事と同じ。しかも、この場はそのルビーの血族の方々で溢れているわ。そのような場で、軽々しく先ほどのような言葉を口にするなんて……。はぁ、もう一度家庭教師を付けるべきかしら」
母親の言葉を聞いているうちに、ジビラもお叱りの理由を理解し、血の気が引いて行った。
ルビーの血族は、武に長けている。なので領地を持つような大きな家は、殆どが国境沿いに領地を持つ。何かあった際、最前線で戦えるようにだ。
ジビラが生まれて以降、他国との大がかりな戦は起きていないけれど、戦争が起きれば、彼らは皆武器を手に取って戦いに出る。その恩恵を誰より受けているのは、ルビー以外の血族の貴族たちだ。
恩恵を受けている側が、恩恵を与えている側を見下す発言をした事を、ジビラは咎められたのだ。
勿論、それだけではないのだ。母親が言った通り、そのような言葉を、周囲がルビーの人間ばかりがいる場で言った事も、咎められている。
時と場合を弁えられない。そう、見られた。
顔を青くし、俯くジビラを見て、黙って事の次第を見ていたインゴが口を開いた。
「マヌエラ。本日の本題は、そちらではない」
「あなた」
「親子喧嘩は止そう。それこそ、場所が場所だ。……ジビラ」
父親に名を呼ばれ、ジビラはゆっくりと視線を上げた。
「レヒタールたちと共に、ルイトポルト様の横で試合を見ておきなさい」
「……はい。父様」
ゆっくりと立ち上がり、移動する。
助かった、と思った。
立ち見で長時間も試合を見るなどとんでもないと思っていた。しかしこの状況で、母親の横でゆったりと腰かけたまま試合を見るなんて恐ろしい真似は、ジビラには出来なかった。
ジビラに付いている傘持ちの侍女も共に移動してきた。
「ジビラ嬢! こちらで共に見るのかい?」
「はい。お隣、よろしいでしょうか?」
「勿論だよ」
ルイトポルトは屈託ない笑顔をジビラに向けてきた。距離はそれほど離れていないが、会場の熱気と歓声が凄く、ジビラとマヌエラの会話はこちらには聞こえてきていないようだった。レヒタールは妹の顔色から何か察したようであったが、突っ込むことはしてこなかった。
「ほら、ルキウスはあそこだ。真ん中のあたりだね」
見れば、確かに、見慣れた侍従見習いの姿がそこにはあった。左右は誰も彼も赤い髪の、ルビーの血族ばかりである。その中でごくごく普通の、平民という風貌の男が立っているので、目立っていた。
恰好は、インゴが用意したものに身を包んでいるので立派に見えるが、周囲の鍛え上げられた騎士たちに囲まれると子供のようで、見劣りする。
「もう数巡しているが、彼はずっと当てている」
と、レヒタールが補足するように付け加えた。
そうですか、と曖昧に返事をしながら、ジビラは試合を見下ろした。
ともかく必死に見ていれば、背後から突き刺さっているように感じる母親の視線から逃れられる。そう、思って。




