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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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額の痣(2)

改稿しました。

 アルフレデリック達が執務室へと話し合いの場を移した一方、ディアヌローズはフォセットに付き添われて寝台に横になった。肩口まで寝具で包まれると、唇の端を笑みの形に持ち上げてフォセットを見る。


「もう大丈夫よ」


「、……」


 フォセットは言葉を呑み込んだ。切なそうに微笑むと、脇卓の灯りを暗くして帳を閉め、下がっていった。



 帳の中で、ディアヌローズはむくりと起きて膝を抱えた。

 側仕えたちが茶器を片付ける音を聞くともなしに聞きながら、脇卓の灯りが落とす小山のような自分の影を眺める。


 フォセットには大丈夫と言ったけれど、本当はロンタールの人生を狂わせてしまったことが心底恐ろしくて堪らない。罪悪感や後悔で押し潰されそうなこの気持ちを、フォセットにはきっと気づかれている。でも口にしたところで困らせるだけ。そんな迷惑を掛けたくはなかった。


 事件の首謀者である『然るお方』の正体をロンタールと知ってから、謝罪に訪れた彼を怖がったりしなければ──とか、彼の処分軽減をアルフレデリックに願っていたなら──といったタラレバが頭から離れない。今更何も変えることはできないというのに……。


 不毛な仮定がぐるぐると空回りして、しまいにディアヌローズは眠り落ちた────




 気づけば、ひとり暗闇にいた。

 遠くにぼんやりと白い靄らしきものが見える。この光景は、イストワールに転移してきたばかりの頃に見た夢と同じ。とすれば、これも夢なのだろう。


 白い靄は徐々に集まり形になって、記憶どおりこちらに向かってきた。やはり、()()()()()()()に追いかけられる夢であるようだ。


 ただ全く同じではなく、今回はぼやけた人型。唯一、手だけがはっきりとしている。


 一度目の夢と違って冷静でいられるのは、ロンタールに対する負い目なのか。

 この夢の中でロンタールに捕らえられたのなら、何かが変わるだろうか……。


 近づいてくる人型から目を逸らさずに、ディアヌローズはその場に留まった。


 いよいよ人型が間近に迫ってきた。

 聖堂で目に焼きついたとおりの厳つい手が、ディアヌローズの肩へと伸びてくる。

 咄嗟にディアヌローズは身を竦ませた。息を詰め、ぎゅっと目を瞑る。



 けれども。

 何も起こらない。

 身構えたまま、そっと目を開ける。


 なぜか目前に、気遣わし気に眉を寄せたフォセットの顔があった。


「怖い夢でもご覧になりましたの?」


「──怖い?

 ……ええ、そうね。怖かったわ」


 問われて漸く、ディアヌローズは自分が怖かったのだと気づいた。

 けれど、それでも捕まってしまいたかったとの思いや、せめて夢の中だけでも罰を受けたかった、との気持ちは消えないまま。


 なのに捕まりもせず、悪夢にしてはまあまあな目覚め方をした。その事実に、ディアヌローズは困惑を深くする。


「とても身体を強張らせてらしたので心配しましたわ」


 無理に起こすよりもこうした方が目覚めが良くなるのだと、フォセットは慈愛の籠る眼差しでディアヌローズの頭を髪梳くようにさらりと撫でた。


 思わず知らず、ディアヌローズの目からぽろりと涙が零れた。顳顬(こめかみ)を伝って白金の髪を濡らしていく。

 もしもフォセットに起こされずにあのまま夢の中で肩を掴まれていたなら、一体自分はどうなっていただろう……。


 思い至ったのは、夢に囚われて目覚めない可能性。それは闇に溶けることと結果的に大差ない、──自我を失くしての消滅。

 以前ディアヌローズは深い夢の中で、自我を闇に溶かしてしまおうとしたことがあった。マノワに諭されて目覚め、皆と約束した。もうそんな真似はしない、と。


 その約束を破らずに済んでつくづくよかったと思うと同時に、心配したと言ってくれたフォセットなら、抱えきれなくなったこの胸の裡を迷惑と思わずに聞いてくれるのではないか、そんな思いが湧き上がった。

 とはいえ打ち明けるまでの勇気はなくて、己の不甲斐なさになお一層涙が零れる。


 そんなディアヌローズの目許に、フォセットは優しくハンカチをあてた。


「よほど怖い夢でしたのね」


 そっと涙を拭われて、ディアヌローズは涙と一緒に迷いまでをも拭われた思いがした。

 打ち明けると決心して起き上がろうとするところを、察したらしいフォセットに抱え起こされる。

 クッション代わりに挟まれた枕から背を離して居ずまいを正し、包帯の巻かれた手を握ると、やはり包帯の巻かれたもう片方の手でぎゅっと包んだ。


 途端に、爛れた両手のじくじくとした痛みが増した。昨日よりもひどい額の疼きも相まってつい顔を顰めてしまったが、慌てて表情を戻す。勇気を振って口を開いた。


「……あのね、フォセットさん──」


 ロンタールに対して抱いた罪悪感や後悔、タラレバといったものをディアヌローズは包み隠さずフォセットに話した。


 その間フォセットは口を挟むことなく、最後までディアヌローズの話に耳を傾けた。そして。


「お嬢さまはロンタールの身になって考えられたのですね。その心根はご立派です。

 ──ですが、アルフレデリック様の立場になって考えておられません。

 片方だけの視点で判じるなどもってのほか。情に流されてはなりませんよ」


 思いがけないフォセットの厳しい表情と物言いに、ディアヌローズは息を吞んだ。まるで祖母に諭されているかのようで、知らず背筋を伸ばして傾聴する。


「上に立つ者は全体を見なければなりません。指示に従わぬ者が一人でもいれば、全体を危険に晒すかもしれないのです。そもそもロンタールは見習いであれ、騎士でしてよ。指示を守らねば命に係わりましょう。お嬢さまは一度の失敗と仰いましたが、聖籍をもたない者の命は一つ。失敗は許されません」


 確かに、聖籍でなければ人は死ぬ。フォセットは正しい、とディアヌローズも思う。それでもやはり、割り切れない思いが心の隅から消えてはくれない。堪らず目を伏せた。


 そんなディアヌローズの頬にフォセットは優しく触れた。おずおずと目を上げたディアヌローズを見つめる。


「人は失敗をします。けれど本来であれば、同じ失敗を繰り返さないため、失態を挽回するために精進するものです。現に、そうして認められた者は少なくないのですよ」


 しかし、ロンタールはその失敗を挽回しようとはしなかった。そればかりか、逆恨みをしてディアヌローズに酷い仕打ちをした。同情の余地などない、とフォセットは断じた。


「……本当に、わたくしは悪くないの? あの人の将来を奪ったのに……。わたくしが聖堂にいなければ、命令違反だってしなかったのよ」


「ヴァランタン様も仰っておられましたでしょう。わたくしも同じ考えですわ。制止命令すら守れないなんて、もとより資質がないのです」


「……いいの?

 わたくしは、本当にこのままでいいの?」


「ええ。もちろんですわ」


 フォセットに即答されて、ディアヌローズの顔は大きく歪んだ。堰を切ったように涙が溢れ、頬を伝っていく。顎先から涙を滴らせながら、本当の幼子のように咽び泣いた。


「そんなにも心を痛めていらしたのですね……」


 気づくのが遅れて申し訳ありません、とフォセットはディアヌローズを抱きしめてくれた。

 ディアヌローズが泣き止むまでずっと、背を撫で続けたてくれたのだった。




 ◆◇◆




 ピュル、ピッチュ……ピュルピュルル…………


 ビジュの囀りでディアヌローズは目を覚ました。

 瞼が腫れぼったくて重い。きのうフォセットの前で散々泣いたことを思い出して、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。精神は大人のはずなのに、まるで子どもみたいな真似をした。


 でもその代わり、心はとても晴れやかだ。額の疼きもない。さすがに両手の痛みはそのままだけれど。


 一夜明けて冷静になって思うのは、祖母から受けた月詠家次代当主としての教育がまるで活かせていなかったということ。動揺したとはいえ、俯瞰的に捉えることがまったくできなかった。


 フォセットの言葉で、思い出した祖母の教えがある。

『一方を聞いただけでは正しい判断などできないのですよ』


 祖母が神からあてがわれたと知った時、それでも思い出を大切にしようと思った。けれど無意識に、祖母を、祖母から受けたものを、記憶の底に追いやっていたのかもしれない。月詠家もろとも。すべてが虚構だったわけでも、無価値だったわけでもなかったのに……。何と愚かだったことか。


 思い出させてくれたフォセットはどこか祖母に似ていて、だから尚の事、その言葉が特別胸に響いたのかもしれない。




 控えめな靴音が近づいてきた。

 庭に面した後ろ半分の帳が静かに開かれて、陽光を背に現れたのはフォセットだ。今朝は当番ではなかったはず。きっと心配してくれたのだろうが、きのうのきょうでディアヌローズとしてはかなり気恥ずかしい。


「お目覚めでしたのね」


 フォセットは微笑みとともに声をかけて、残り前半分の帳も開いた。


 一気に陽を浴びたディアヌローズは眩しさに目を細めながら、羞恥心を押し隠して尋ねる。


「おはよう。フォセットさん。それとも『こんにちは』?」


「『おはよう』で合っておりましてよ。じきに三の鐘ですわ」


 フォセットは何事もなかったようにそう言ってディアヌローズの身体を起こすと、髪を手櫛で背に流した。


 おそらく、フォセットは羞恥で赤くなった顔に気づかないフリをしてくれている。ディアヌローズはその心遣いに甘えると決め、精一杯普通を装う。


「寝坊しちゃった。ビジュに起こしてもらわなければまだ眠ってたわ、きっと」


 拉致される前は、目を覚ますのは大抵二の鐘の頃。遅くとも二と半の起床時間前には目を覚ましていて、起こしにくる側仕えを庭を眺めて待っていた。もうじき三の鐘が鳴るのなら、朝食を終えて課題の準備を始める頃合いである。



 ディアヌローズが目覚めたことで、ベアトリスが四方の柱に手際よく帳を纏め、マリレーヌが湯気の立つ洗面具を運んできた。

 包帯で手を濡らせないディアヌローズのために、フォセットが湯に浸した布で顔を清めていく。


随獣(ずいじゅう)が現れたからでしょうか。ビジュは盛んに囀るようになったような気がしますわ」


「ウルラがビジュの止まり木に留まったせいかしら……」


 ディアヌローズは眉を寄せた。これから一緒に暮らすのだ。できれば仲良くしてもらいたいけれど、先住の動物はやきもちを焼くと耳にしたことがある。ウルラ専用の止まり木が要るのかもしれない。


 考えているところに小鐘(ベル)が鳴り、アルフレデリックがやって来た。朝から眉間の皺が深い。


「どうした?」


 挨拶もそこそこにディアヌローズが止まり木の相談をすると、あっという間に許可が下りた。ウルラにはビジュの止まり木は細すぎるとのこと。


 やきもちしか思いつけなかったディアヌローズが感心していると、アルフレデリックは困惑と驚きが混じったような表情を浮かべた。


「昨日とはかなり様子が違うな……」


 ぼそりと言ったアルフレデリックの声は、小さくても低音でとてもよく通る。当然ディアヌローズの耳にも届いた。


 ……気にしてくれていたの……⁉


 昨日のアルフレデリックは事実しか言っていなかった。なのに、ディアヌローズは受け入れることができずに醜態を晒したのだ。その非を謝罪しなければならない。まっすぐアルフレデリックを見上げる。


「昨日は申し訳ありませんでした。アルフレデリック様のお立場を考えておりませんでした。……あの方の将来を閉ざしてしまったことが、ただただ怖かったのです」


 フォセットに教えてもらって漸く気づけたのだと、正直にディアヌローズは話した。


 するとアルフレデリックは片眉を上げて、視線だけフォセットに向けた。頷きを見て視線を戻す。


「──わかればよい。額を見せなさい」


 アルフレデリックは包帯を解いて、露わになった額に目を走らせた。

 ほんの僅かに目を大きくして、数舜動きを止める。

 表情を戻すと、爛れの治り具合を診はじめた。


 本来この爛れ程度であれば、治癒魔術であっという間に完治する。だがどうしたことか、ディアヌローズには効果が薄い。そもそも、血で爛れる体質など前例がないのだ。


 アルフレデリックはディアヌローズに目を瞑らせて、額の爛れと目許を治癒の光で包んだ。



 治癒の光が消えてアルフレデリックの手が離れ、ディアヌローズは目を開けた。腫れがひいたのか、瞼が軽い。パチパチと瞬いた。


「ありがとう存じます。アルフレデリック様」


「よい」


 そっけなく返事すると、アルフレデリックは包帯を巻き直し始めた。


 ディアヌローズは不満げな顔をする。額の爛れは、指の出血に気づかず額を触ってしまっただけで患部は浅い。なのに包帯を巻いているだけで重症に見えてしまう。何より鬱陶しくて嫌なのだ。


「もう瘡蓋(かさぶた)なのでしょう?」


「其方のことだ。うっかり瘡蓋を剥がしかねぬ。また出血して爛れたいのか?」


 否定できない点をつかれてはディアヌローズも黙るしかない。


 アルフレデリックは早々に包帯を巻き終えると、そのまま手の処置へと移った。


 その間、ディアヌローズは手から目を背けている。手の爛れは深く、見てしまおうものなら一気に痛みが増す気がするからだ。レミの止血をしたことに後悔は微塵もないが、痛いものは痛い。見ないに越したことはないのだ。



 手の処置も終わり、ディアヌローズは真新しい包帯に目を落としてほっと肩の力を抜いた。幾分か痛みも和らいだ気がする。



 ふと視線を感じて、目を上げた。

 見据えるアルフレデリックと目が合った。


「私に申告していないことがあるはずだ。言いなさい」


 確信をもった静かな声だった。誤魔化すなんて欠片も思えないほどの。






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