然るお方(1)
加筆修正しました。
明け暗れ刻。アルフレデリックはディアヌローズを腕に抱き、青竜を駆って一路領事棟を目指している。
現在地は城下上空。眼下の街並みは仄暗く、水底に沈んだようにひっそりとしている。とはいえ、そろそろ早い者は起き出す頃合いである。ディアヌローズの状態は言うまでもなく、捕縛者やアルクトスを衆目に晒さないためにも、一刻も早くランメルト領事区域に着かなければならない。
青竜の速度を上げると、緩く編まれた長い髪が大きく靡くとともに、ディアヌローズを包んでいるマントが解けた。その隙間から意識を失ったディアヌローズの顔が覗いて、急ぎ風があたらないようマントを引き上げて包み直す。春まだ浅き芽月の未明は冷え込みが厳しく、受ける風は肌を刺すように痛い。
聖堂上空を通過後、傾斜に合わせてやや高度を上げる。
ほどなくして、領事棟のランメルト領事区域に入った。
目的の庭上空で、ディアヌローズを抱いたまま、風の精霊ブラスクに命じて青竜から地上へと降りた。
待機していた部下に捕縛者を引き渡し、ランメルト領事区域にある牢への収監と監視を指示。アルクトスについてはこの場で不審な点、術の痕跡等を調査するよう申しつけ、後ほどアルフレデリック自身も調べる旨を言い置いた。
青竜とブラスクを腕輪に戻して、掃き出し窓からディアヌローズの部屋に入ると、出迎えたコンスタンティン達の目が、一斉にマントの塊へと向いた。
誰一人として声を発しないまま、コンスタンティン達は道をあけて後に続き、アルフレデリックが塊を寝台に横たえてマントを開くと、露わになったディアヌローズの姿に、息を呑む音がさざ波のように伝播した。
「これほどとは……」
それきりコンスタンティンは言葉を失った。
「爛れは血によるものです。ディアヌローズが言うには、自分を庇って斬られた者の止血をしたと。報告の前に──フォセット、手当の前に清めてくれ。状態を知らせて欲しい」
「……承知いたしました」
悲痛な面持ちで、フォセットはディアヌローズを見つめた。胸許で握り合わせた両の手は、関節が白く浮き立っている。
アルフレデリックが治癒の光を解除しても、ディアヌローズは目を開けなかった。浅く忙しない口呼吸。薄紅色の可憐な唇は荒れ、熱で汗ばんだ額には白金の髪が張り付いている。森では気丈に振る舞っていたが、身体はとうに限界だったのだろう。
フォセットら側仕えにディアヌローズを任せて、アルフレデリック、コンスタンティン、ミゼリコルド、ヴァランタンの四人は応接卓へと移った。
帳の向こうから側仕えたちの悲痛な声が洩れる中、コンスタンティンが緑柱石の瞳をアルフレデリックに向ける。
「報告を」
森に到着してからの詳細をアルフレデリックは語った。
「収監した中に、命を狙った者はいるのか?」
「はい。私がアズルで連行した男です。おそらくフロラント商会の見習いが目撃した、拉致の実行犯でしょう」
コンスタンティンは腕を組んだ。
「殺害が目的であれば、拉致直後に実行しているだろう。何故いまさら事に及んだと思う?」
その点はアルフレデリックも不可解だった。幾つか仮説はあるものの、どれも決め手に欠けるのだ。
四人が考え込んでいると、フォセットがトレーを手にやって来た。
「お話し中に失礼いたします。所持品をお持ちしました」
応接卓に置かれたトレーには、細々した物が載っている。錆びた釘、ちびた消し炭。砕けた星の欠片。銀の髪留めと測位石のチャーム。金鎖とマノワの小鐘。耳飾りと腕環。
その中の耳飾りをアルフレデリックは手に取った。左右ともに石が無くなっている。ディアヌローズの頸を絞めた男の近くには、ナイフが落ちていた──。
「これが答えかもしれません。おそらく、ディアヌローズはナイフを向けられて死を意識した」
「──守護石が発動したわけか……」
「男はナイフを弾き飛ばされ、ディアヌローズの頸を絞めた」
男は思いも寄らなかったに違いない。幼子に反撃されて、さぞかし逆上したことだろう。
「赦さない」
ヴァランタンの口から、ギリッと奥歯の軋む音が漏れた。
アルフレデリックはちらと隣のヴァランタンを見て、平坦な声で続ける。
「いまだ推測の域を出ませんが。少なくとも、気を失わせるつもりだったのでしょう」
真実は、ディアヌローズが目覚めなければわからない。この件は一旦保留とし、再び四人の目がトレーに向いた。
ミゼリコルドが訝しそうに白銀の眉を寄せて、腕環を取り上げ光に透かし見た。
「いつの間に、ディアヌローズは随獣を得たのだね?」
腕環は順に手渡され、最後にアルフレデリックに回ってきた。隋獣が宿る魔石の光を確認し、嘆息する。
「ディアヌローズには後ほど説明するよう言ってありますが、梟でした。森で契約したものと思われます。契約の何たるかも知らず、無謀この上ない」
「梟か……。闇の属性が強く、狡猾な面がある。おおかた魔力欲しさだろうが、ディアヌローズが安易に契約するとも思えぬ。窮地の時にでも持ち掛けたのではなかろうか」
契約の経緯はさておき、新たなヴァンテリスの群れを報せ、その上、足止めまでしたのだ。助けられたのは紛れもない事実であり、隋獣としての役割は十分果たしている。
とはいえ、成人でも隋獣との契約には細心の注意を払うもの。未成年の契約には成人の同席が必須。ましてやディアヌローズは洗礼前である。ディアヌローズが回復次第、今後についてを話し合わなければならない。
アルフレデリックがトレーに腕環を戻すと、今度はコンスタンティンが砕けた星の欠片を摘まみ上げた。
「魔力籠めに失敗した残骸か」
「幾つ魔力を籠めたのか……。魔力腺の損傷具合が気になります」
そう言って、アルフレデリックは砕かれた星の欠片をザラリと撫でた。これらは魔力を動かした証。その証を前にしても尚、洗礼前の──しかも、魔力の籠め方を知らない──子どもが為したとは俄かには信じ難い量である。
そればかりか、ディアヌローズはラヴァージュをも発動させた。魔力を動かしてはならない理由をディアヌローズには教え、本人も理解を示していた。にも拘らず、二度も発動させたのだ。二度目に関しては火を消すためだと、まだ理解できる。しかし、一度目は? 居場所を報せようとしたのか。それとも、助けを待てずに──もしくは、助けが来るとは信じられずに──自力で逃げようとしたのか……。何れにせよ、無謀で愚かな行いであるとしか言いようがない。
アルフレデリックが考えに沈んでいると、再びフォセットがやって来た。
「清め終わりました」
「怪我の状態は?」
コンスタンティンの問いに、フォセットは束の間目を伏せ、口を開いた。
「爛れは、手が最も重く、頸、額の順ですわ。強く掴まれたと思われる痣が右上腕。それから──」
細かく語られるディアヌローズの状態に、四人の眉根が寄っていく。
聞き終える頃には、顔を俯けたヴァランタンの両拳が膝上で震えていた。
「私の所為だ。早く行くように言った、私の……。私が、ディアヌローズをこんな惨い目に遭わせてしまったんだ……」
後悔を腹の底から絞り出して、ヴァランタンは拳を膝に打ちつけた。
「あの時……、わたくしも、アルフレデリック様をお待ちするよう申し上げるべきでしたわ」
フォセットの青緑色の目から、涙が止めどなく流れた。
コンスタンティンはそんなふたりに、己を責める心情は理解するが、と前置きする。
「後悔は不毛である。今、為すべきことをせよ」
フォセットが下がると、コンスタンティンは俯いたままのヴァランタンに言葉を重ねる。
「感情に流されては先を見誤る。気をつけなさい」
「……そう、ですね」
ヴァランタンはきつく目を瞑って大きく呼吸した。目を開けた時、父譲りの緑柱石の瞳には強い光があった。
「捕縛者の聴取に立ち会ってきます」
腰を浮かせたヴァランタンに、アルフレデリックが声をかける。
「兄上、あの者の動きはありましたか?」
「いや、表立った動きは無かった」
「……。もう暫く監視をお願いします」
「わかった」
ヴァランタンは部屋を出ていき、入れ替わるようにして、アルクトスの調査を任せているカドリックがやって来た。
「アルクトスには魔方陣が刻印されていると思われます。ですが隠蔽が強固なため、我々では手に負えません」
「魔方陣!?」
アルフレデリックは暫し頤を親指で摩って考えると、腰の物入れから革袋を取り出した。
「それは?」
訊ねたコンスタンティンの前に、アルフレデリックは革袋を置いた。
「消えた大樹の跡地で見つけました。矢に括りつけてあったので、大樹に刺さっていたのでしょう」
でなければ、広場を清めた際に流されてしまっただろう。しかも、発見した矢は木製だった。魔獣討伐時に使用した矢は魔力で編み出している。第三者が射たのは確実だ。
「アルクトスは大樹以外には目もくれなかった、と言っていたな」
「はい。おそらく、これを狙っていたのではないかと。早急に調べておきます」
「ああ。判明次第、報告を」
コンスタンティンは目頭を揉んで、小さく息をついた。その音が、殊のほか辺りに響いた。
ディアヌローズが拉致されてから三日、皆が一丸となって力を尽くしてきた。ただひたすらに無事を願って。しかし取り戻すことはできたものの、手放しで喜ぶまでには至らなかった。誰もが、ひどく疲弊していた。
窓の外をミゼリコルドが見遣り、つられてコンスタンティンとアルフレデリックも外を見た。空は薄藍に珊瑚色が滲み、白々と明けようとしていた。
「其方はアルクトスの処へ行きなさい。ディアヌローズは私が引き受けよう」
ミゼリコルドはそう言って席を立ち、アルフレデリックはカドリックと庭に向かった。
◆◇◆
昇る日が駆け足で白く変えつつある薄藍の空を見上げて、アルフレデリックは歩調を速めた。
件のアルクトスはうつ伏せで置かれていた。羆によく似た骸は脳天が抉れ、半眼の乾き始めた双眸は虚ろである。全身を覆う剛毛は灰茶、牙も羆のそれと変わらない。両腕は万歳のように伸ばされて、致死毒の爪を持つ手は揃えられている。
「魔方陣の痕跡はどこだ?」
「左右の手背です」
アルクトスの手背の前に、アルフレデリックは立った。毛むくじゃらな手背に自身の両掌を翳して、淡い金瞳を伏せる。
一呼吸置き、薄く整った唇で隠蔽解除の言葉を紡ぐ。
「眩光にて放つ輝き 光に滅し
暗黒に拡ぐ影 闇に沁む
業焔にて揺らぐ灯 炎に呑まるる
真実は眠る 鎖されし扉の裡にて」
風が、アルフレデリックの周囲に巻き起こった。仄かな蒼銀の長い髪が風に舞う。
「宙を彷徨いし翅 舞い散る鱗粉
さやぐ風に溶くる吐息 微かなる残響
水面に落つる雫 波紋を拡ぐ」
アルクトスの手背から、光が徐々に骸全体を覆っていく。
「我 深き霧に潜む残滓を辿る
求むるは 鎖されし真
壅蔽の扉を開きて 顕現せよ」
アルフレデリックはアルクトスを見据えた。確固たる意志を、詠唱締めくくりの言葉にのせる。
「──アリシャ」
刹那。
アルクトスを覆った光がカッと眩く輝き、消えた。
ただ唯一、両の手背にだけ、仄明るい光が残っている。
「顕れたな」
光が模る魔方陣をアルフレデリックは凝視し、その隣でカドリックが慎重に書き写していく。
すると、突然。
これは……と、アルフレデリックは声を落とした。
それきり口を閉ざして暫し考え込み、踵を返す。難しい顔のまま歩き、部屋に入る直前に足を止め、骸を保存しておくよう部下に命じた。
◆◇◆
硬い表情で腰掛けたアルフレデリックに、コンスタンティンは怪訝な目を向けた。
「どうであった?」
「確かに、魔方陣が刻まれていました」
「で?」
「──革袋の中身を鑑定していないので、確定はしていませんが……」
「構わぬ」
「起爆の魔方陣です」
コンスタンティンは目を見開いて、寸の間言葉を失くした。
「……だが、アルクトスが爆散したところで、大した被害にはならんだろう」
「革袋の内容物と、アルクトスの体内に何かしら仕込まれていたとなれば、話は違ってきます」
爆散で、単に致死毒が撒き散らされただけなら、被害は限定的だ。だが仮に、致死毒が揮発したとしたら、生存は広範囲で望めないだろう。
「そうだな……。誰を狙ったと考える?」
「あの時、あの場にいたのはアンベールとジェラルド。彼の領地、ガリュシオン領の者たち。大樹の中に退避した子どもら。そして確定している事実は、アルクトスが狙ったのは大樹であること」
「大樹の中に退避した子ども、ということか?」
「最も可能性が高いかと。今は子らの情報がほぼ無く、誰を狙ったかまでは絞れません。それでも敢えて挙げるのであれば、現段階では例の嫡男だと考えるのが妥当でしょう。ですがあの状況下で、特定の人物を的確に狙うのは無理です。多くの者が巻き添えとなるのは間違いありません」
「ディアヌローズだと思うか?」
「何とも。ディアヌローズは私と空にいました。それを知っていたとするなら、ヴァンテリスを嗾けたと考えるべきです」
コツリと、コンスタンティンは指先でひじ掛けを叩いた。
「わからんな。犯人が複数いて、それぞれ狙う者が違うとも考えられる」
「ええ。先ずは、アルクトスを嗾けた者たちの口を割らせます」
「そうしてくれ」
コンスタンティンは深く背もたれに身を預けた。
入室の小鐘が鳴り、許可する。
木札を手に、アントナンがやって来た。
「アルフレデリック様、ディプリモン様からです」
渡された木札に素早く目を通すと、アルフレデリックは険しい表情でコンスタンティンを見た。
「中央に収監した拉致犯が、全員殺害されたそうです」




