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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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迫り来る手(2)

改稿しました。

「見つけた」


 ディアヌローズを見るなり、茂みから出てきた男はそう言ってニタリと嗤った。掲げている粗末な松明の炎が揺らいで、唇の片端を上げた男の顔を不気味に照らしている。


 獲物を追い詰める捕食獣のごとく炯々(けいけい)とした男の瞳。その特徴的な狐目と視線が合った途端、ディアヌローズは全身が粟立った。ふらりと半歩後退(あとずさ)る。


「…………バン……」


「探したぜ。

 仲間はみんなガキどもに捕まっちまった。アイツら何なんだ、まったく」


 オレも危ないとこだったとぼやきながら、バンは一歩前へ出た。

 左側で繰り広げられているウルラと獣の攻防を興味無さそうに一瞥し、ディアヌローズに戻した狐目を弓のように細めて舌なめずりした。


「さあ、オレと来るんだ。お前を()()()()に納品して、仲間の釈放に便宜を図ってもらわなきゃなんねぇ」


 成功報酬として貰えるはずだった残り半金を諦め、その代わりとして頼み込むのだという。


 バンの言葉はディアヌローズを愕然とさせた。

 罪人を釈放する力を、()()()()は持っている……。

 意識の外に追いやっていた然るお方の存在が、ディアヌローズの中で急速に黒い影となって頭をもたげた。


 バンは「とんだ大損だ!」と噛みつくように怒鳴って、棒立ちのディアヌローズに近づいていく。



「ナディ!」


 樹陰から飛び出したレミが、一気にディアヌローズへと駆け寄った。

 ディアヌローズを背に庇い、半身に構えてバンを睥睨した。


 バンは突然現れた子どもに一瞬ぎょっとした顔をしたが、レミと気づいた途端、盛大に引き笑いした。


「お前までいるなんざ、オレもまだまだツイてるぜ」


 ディアヌローズは自身の前に立つ鈍色服のレミを見つめた。

 やはり、レミには何かしら込み入った事情があるに違いない。

 そして、レミは拉致された原因がそれだと理解している……。



「中へ!」


 考えに沈むディアヌローズの手を、レミが強く引く。

 大樹に突っ込んだふたりは、その勢いのまま大樹の中に倒れ込んだ。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ。大丈夫よ。ありがとう」


 先に立ったレミの手を借りて、ディアヌローズも立ち上がった。

 気遣う眼差しのレミに、バンと対峙した険しさは一片もない。ディアヌローズの知る穏やかなレミの姿があるだけだ。



 ふたり並んで半透明の内壁越しにバンを見た。


 バンは怪訝な顔で幹を拳で叩いたり、足で蹴ったりしている。


 それからバンは幹に顔を近づけて、粗末な松明の小さな灯りを頼りに、ディアヌローズとレミが消えた部分を上下左右舐めるように調べ始めた。


 バンには大樹の中が見えないとわかってはいても、半透明の内壁を挟んで目が合いそうになる度にディアヌローズは目を逸らした。

 その時さえ除けば、バンの動きはパントマイムのようでどこか滑稽だ。ディアヌローズが堪え切れなくなって笑みを漏らし、そんなディアヌローズにレミが微苦笑を浮かべること数度。対峙していた時の緊迫感が嘘みたいだった。



 存在しない入口を探していただろうバンは、樹皮の凹みに爪を立てて実力行使に出た。僅かに剥げた樹皮がポロポロと地面に落ちいく。


 次第にバンの顔は険しさを増していった。

 口も盛んに動いているので、きっと蛮声を上げているのだろう。声が届かなくて何よりだ。もしも子ども達が目を覚ましたら、怯えてしまうに決まっている。


 バンは苛立ちを滲ませた表情で右足を大きく振り上げると、靴底で幹を何度も何度も蹴った。本当に扉があれば蹴破ってしまうのではないかと思うほど、激しい。


 大樹を散々蹴ったバンは、息も荒く膝に手をついた。

 だが諦める気はないのだろう。肩で息をしながらも、目は大樹に固定されたままだ。


 案の定、バンはこれでもかと目を吊り上げて、腰からナイフを抜き取った。

 幹にナイフの刃をあてて樹皮を削ぎ始めた。樹皮はささくれ、削ぎ取られた樹皮がバンの足元に溜まっていった。


 一頻(ひとしき)り幹を削いだバンはナイフを収め、その手でベルトの物入れから小瓶を取り出した。手の中にすっぽりと収まる小さな瓶だ。



「レミ、何かしら? お酒じゃないわよね……」

「……嫌な予感がします」


 小瓶から目が離せないまま会話して、ふたりで眉を寄せた。


 その小瓶の栓を、バンは奥歯で引き抜いた。

 勢いよく地面に栓を吹き飛ばして大樹を睨めつけ、盛大に唇を歪めて嗤った。



「やめてッ!」


 ディアヌローズが声を上げ、ほぼ同時にバンが行動を起こす。


 バンは一瞬の躊躇いもなく、小瓶の中身を大樹にぶちまけた。

 瓶を投げ捨て、すかさず液体が滴るささくれた幹に松明で火をつけた。

 炎は瞬く間に猛炎と化し、幹を這うように広がっていく。



 炙り出す気だ──。

 勢いを増す炎は、今やディアヌローズの背の倍はある。

 ディアヌローズの耳に、聞こえるはずのないパチパチと大樹の燃える音が鳴った。


 内壁の向こう側はドレープを描く紗幕のごとく炎が揺らぎ、その燃え盛る炎の色で顔を染めたバンが愉悦に浸るように醜く嗤っている。



「どうしよう……」


 我知らず言葉を落としたディアヌローズは、ぎゅっとズボンを掴んだ。

 手の感触に、瞬間、閃いた。

 隠しに手を突っ込んで、ザラザラとした感触の中から、たった一つ残った()()を探り当てた。


 星の欠片────

 小さな星の欠片でしかないけれど、窮地を脱する大きな希望。

 今この時。唯一、自分だけができる事。

 足手まといになりながらも、ここまで来た意味はあった。

 この一粒にすべてを託す。



 取り出した星の欠片を握りしめ、ディアヌローズは覚悟を持ってレミに貝紫の瞳を向けた。


「お願いがあるの」

「駄目です! ナディ、危険なことなら私がやります」


 ディアヌローズが願いを口にする前に、レミは大きく(かぶり)を振ってディアヌローズの両肩を掴んだ。


 痛いくらいに掴まれた手から、レミの必死さが伝わってくる。

 ディアヌローズは困ったように笑んで、レミの萌木色の瞳をまっすぐ見つめた。決意と願いを声にのせる。


「ありがとう。でも、これはわたしが為すべきこと。わたしの役割なの。

 わたしなら、あの火を消せる。

 レミはみんなを守って。ドゥドゥとグエンからも任されたはずよ」



 尚もレミが言い募ろうとした、その時。


「どうしたの?」

 眠たげに目を擦りながら、エマが起きてきた。


 はっとした顔で、レミはディアヌローズの肩から手を離した。(そむ)けた顔の、きつく瞑った瞼が震える。


 ディアヌローズは口角を上げて「何でもないわ」とエマに笑んだ。

 周りを見れば、他にも目を覚ました子がちらほら見える。どうやら、かなり大きな声で話していたらしい。



 すると。

「火事だ!」と、誰かが叫んだ。


 たちまち子ども達の間に動揺が走った。

 眠っていた子も騒ぎで次々に目を覚まし、大半が炎を見て泣き出した。互いに縋りつく子、炎から目を逸らせずに立ち尽くした子もいる。


 (うろ)の中は騒然となった。



「みんな、大丈夫よ」


 ディアヌローズは泣き声に負けないように声を張り、口角を上げて最高の笑みを(かたど)った。自身の不安を押し隠し、お使いの留守番を頼むような口調で語りかける。


「わたしが火を消してくるわ。みんなはレミの言うことをきいて、ここで待っていてね」

「消せるの?」


 半べその子がおずおずと尋ね、ディアヌローズはいかにもな得意顔で腰に手をあてる。


「ええ、勿論よ。見ていてね」


 子ども達が頷くのを確かめて、ディアヌローズはレミに向き直った。

 瞳を揺らすレミと視線が合う。騙されてはくれないらしい。


「レミ、後のことはお願いね」

「……わかりました」


 ふたり無言で頷いて、炎の上がる反対側に移動した。



「行ってくるわ。……何があっても、ここから出ないでね」

「……お気を付けて」


 レミは絞りだすように言うと、唇を噛んで俯いた。


 震えるレミの拳を目の端に映して、ディアヌローズは内壁に潜った。


 抜けた途端、パチパチと大樹の燃える音が耳朶を打ち、焦げたにおいが鼻をつく。漂う灰白の煙を吸い込まないよう、肘で鼻を覆った。



「出て来やがれ! 焼け死にてぇのか!」


 怒声は裏側からだ。バンはまだ炎の前に陣取っているらしい。


 ディアヌローズは目を伏せて、手にある星の欠片に集中する。初ラバージュの感覚を思い出しつつ、加減の意識も忘れない。あの時と同じ轍を踏むつもりはない。


 大きく深呼吸して目を開けた。手の中に視線を落とす。

 煌めく星の欠片は、魔力満ちし証。

 どうか成功しますように……。祈りを込めて握った。



 息を潜めて幹に張りつくように忍び足で進み、炎が見えるギリギリで止まった。心臓の音が身体中に響いて煩い。口の中はカラカラだ。


 そっとバンを窺えば、運良く反対を向いていた。


 成功の場面を強くイメージし、確固たる意思を持って唱える。


「ラバージュ」


 その刹那────

 眩い光が握った指の隙間から漏れ、水が噴出した。

 水勢で弾かれるように開いた手から、星の欠片は流れていった。


 うねる水は火元を目指し、燃え盛る炎を呑み込んだ。

 瞬く間に炎を消して、森の奥へとさらに流れを伸ばしていく。星の欠片を源頭として、森に新たな川が生まれたかのようだった。



 やがて。

 水は跡形もなく消え去った。


 ざっと見た限り、勢いがあった割には倒れたり折れたりした樹々は無い。今は乾いている水の通り道だけが、掃き清めたみたにきれいになっている。

 多少加減を間違えた気がしなくもないが、バンも流されたようなので結果オーライだ。ひとまず成功とみていいだろう。



 ディアヌローズが胸を撫で下ろした、その時。

 背後で、チカリと空が光った気がした。


 振り返った直後、光がまっすぐ腕輪の魔石に飛び込んできた。


 頭の中に、恨みがましいウルラの聲が響く。


 ──獣との戯れが、(なれ)の横やりで台無しである。

 獣は水に流され、逃奔した。


 ──ごめんなさい。わたしも必死だったのよ。


 ──……(われ)は控える。


 それきりウルラは静かになった。

 もしかしたら拗ねたのかもしれない。どうやら、新しい友は気難しいらしい。


 小さく息をついて、ディアヌローズは踵を返した。ウルラには申し訳なかったが、総じて上手くやり遂げたと思う。

 心も軽く、大樹へと歩き出す。



「あぶないっ!」


 月明かりの下、レミの声が森の静寂(しじま)に響いた。






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