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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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夜の森(4)

加筆修正しました。

 一気にディアヌローズの頭に血が上る。


「あの子が傷つくとわかって言ったわね」


 怒りに燃える胸の中とは裏腹に、ひどく冷たい声が出た。

 男の子が声を発するよりも早く、ディアヌローズは矢継ぎ早に言う。


「森の中には獣がいるって、あなただって知ってるわよね。

 もしもふたりが襲われたらどうするの?

 命を何だと思ってる?

 ドゥドゥとグエンが追い払ってくれたことを、知らないなんて言わせないわよ!」


 気圧されたように黒灰の髪を持つ男の子は一歩後退(あとずさ)った。すぐ後ろの子にぶつかった途端、ぐっと奥歯を噛みしめてディアヌローズを睨んだ。

 取り巻く子ども達の注目を一身に集める中、男の子は見るからに空威張りとわかる態度で一歩前に戻った。


「オッ、オレの父さんは領地一の商会主だぞ」

「それが何?

 あなたのお父さまが偉いからって、何を言っても許されるとでも思ってる?」


 ずい、とディアヌローズは男の子との距離を一歩詰めた。男の子の方は頭半分ほど大きいが、負ける気はない。


「オマエ生意気だぞ! 女だからって容赦しないか、ら……な……」


 なぜか急に、男の子はぎょっとした顔で固まった。視線はディアヌローズの耳に固定され、何事かとディアヌローズが首を傾げても視線は耳から外れない。みるみるうちに顔色が悪くなった。


「……耳飾り(ピアス)……貴族」

 そう呟いた男の子は膝を打ちつける勢いで膝をつき、胸に手をあて(こうべ)を垂れた。

「ごめんなさいっ!」


 ディアヌローズは呆気にとられた。三つ編みのほつれ髪で半ば隠れた耳に手をやり、祖母から修了試験前に贈られた耳飾りに触れる。

 これがイストワールでは貴族の証になるだなんて思いも寄らなかった。領事棟ではみんな耳飾りをつけていた。アルフレデリック然り。エレオノール然り。側仕えに護衛騎士も然り。ミゼリコルドもつけていたのは少し驚いたけれど、それだけにイストワールでは普通なのだと思えた。


 しかし言われてみれば、対峙する男の子や他の子ども達は耳飾りをつけていない。確か、ドゥドゥとグエンはつけていたと思う。つまり、彼らは貴族だ。

 とするならば。ドゥドゥとグエンが出掛けたから、この男の子はレミたちに暴言を吐いたのだろうか。ディアヌローズの耳飾りに気づいたように、レミたちの服が神の家のお仕着せだと気づいて。


 恐怖心を拭い去ってくれたと喜んだ明るさがこの事態を招いてしまったのなら、なんて皮肉なことだろう。にしてもだ。


「貴族だとわかったら態度を変えるの?」

「……父さんに言われてるから。……耳飾りをしている人は貴族だから、いくら小さくても逆らっちゃいけないって……」


 男の子の旋毛(つむじ)を眺めてディアヌローズは嘆息する。自分は貴族ではないが否定することもないだろう。少しばかり説教してもばちは当たらないと思う。


「自分より立場が下なら、何をしても、何を言っても、どんなに傷つけてもいいの?

 あの子があなたに何か嫌なことでもした?」

「…………」


 エマに限ってあり得ないと思いながらも確認したのは、奏の時に一方の話だけで判断してはならないと祖母から厳しく躾けられたから。

 沈黙は肯定なのだろう。やはり一方的な暴言だったということか……。

 まだ幼いこの子ならば、諭せばわかってくれるかもしれない。期待を籠めて声の調子を柔らかくする。


「なりたくて孤児になる子なんていないし、努力して変えられるものでもないの。もしかしたらあなただってある日突然、お父さまもお母さまも亡くなって、独りぼっちになるかもしれない。

 ──ねえ。会いたくても会えない、抱きしめてくれる人がいなくなるって、考えたことある?」


 だって自分がそうだった……。ディアヌローズは睫毛を伏せる。奏の時、両親はいなかったけれど、祖母に愛情たっぷりに育ててもらった。でも。ある日突然、イストワールに転移させられた。何一つ知らない世界に、たった独り。


 顔を上げた男の子と目が合った。赤銅色の瞳に後悔の色を認めて、あと一押しと言葉を紡ぐ。


「想像してみて欲しい。自分がされて嫌なことはしないで。それでもしてしまったときには、心から反省して謝って。わたしもよく間違えるの。でも、間違いに気づいたら謝るわ。とっても勇気がいるけれどね」



 男の子の視線がディアヌローズを越えた。覚悟を決めたように立ち上がり、小さく一歩を踏み出した。歩みの先には、エマ。その後ろにはレミがいる。


「…………その……ごめん」


 エマは涙の残る茶色の目を大きくして「……うん」と笑った。


 その光景に、ほぅとディアヌローズは感嘆の吐息をつく。子どもの心の何と柔らかいことか。



「戻ってきてくれてありがとう。エマ」


 ディアヌローズはエマをぎゅっと抱きしめて、榛色(はしばみいろ)の髪を梳いた。

 されるがままになっていたエマはディアヌローズが腕を解くと、真っ赤な顔でレミの懐に飛び込んだ。


「仲直りもできたし、寝ましょうか」


 ディアヌローズの提案に「えー」とあちらこちらで声が上がる。口々に眠くないと言い出した。

 レミが困ったように肩を竦める。


「不思議な体験をしましたからね」

「うーん。なら、子守歌を歌おうかしら」

「いいですね」


 レミの賛同を受けて、ディアヌローズは歌を聴いてとみんなに呼びかけた。


「月が綺麗だから寝転がって聴いてね」


 子ども達は思い思いの場所で寝そべった。

 レミは子ども達を見渡せる場所で胡坐(あぐら)をかき、ディアヌローズもその隣で横座りになった。

 一面ふかふかな草に覆われた地面はまるで上質な絨毯みたいだ。大樹の中はまだまだ冷え込む芽月の夜とは思えないほどに暖かく、穏やかな月の光に心が和む。これなら子ども達もすぐに眠くなることだろう。


 ディアヌローズはすぅと息を吸い込んだ。幼い頃に祖母がよく歌ってくれた子守歌を口遊(くちずさ)む。

 一曲歌い終える頃には眠りについた子がちらほら見えて、もう一曲を歌い終えれば起きているのはディアヌローズとレミだけになった。


 手足を投げ出してすやすや眠る子ども達を眺めているうちに、自然とディアヌローズの頬は緩んだ。アジトで怯えながら身を寄せ合っていたのが嘘みたいに思えた。



「やっぱり疲れていたのね。怖い思いもたくさんしたのだわ。みんなも花まつりで拉致されたのかしら……」


 独り言のように落とされたディアヌローズの言葉に、レミは話しているのを耳にしただけですがと話し出した。


「露天に夢中になっているうちに迷子になったり、馬車の暴走ではぐれたという子もいました。親の処へ連れていってやると言われて、ついて行ったら荷馬車に乗せられたそうです。私とエマは森で薪を拾っていたときに。そのままあのアジトの部屋に監禁されたのです」

「なら、アジトとレミの……す、住まいは近いのかしら?」


 神の家、とは言いたくなかった。


「どうでしょうか……。袋に入れられて運ばれるうちに気を失ったので」

「わかるわ。わたしも同じだったもの」


 眉根を寄せて答えたレミに、ディアヌローズもうんうんと頷いた。

 目の粗い袋でも息苦しく、担がれたり抱えられたりとお腹が圧迫されたのだ。おまけに逆さになった頭に血が上って、頭が爆発するかと思うほどだった。悲惨な経験に唇がうんざりと歪んだ。

 まさかレミも同じ経験をしていたなんて。共感を覚えてレミを見ると、僅かに口角を上げたレミの表情が気まずそうなものに変わった。


「申し訳ありません。あなたの表情が、その……」


「謝らないで。思い出せばまた同じ顔になると思う。それより……」

 身の内の勇気をかき集めて、ディアヌローズはまっすぐレミを見つめた。

(むし)ろ、わたしがあなたに改めて謝らないといけないの。案内役を頼んだ時、断れなかったのね。ごめんなさい」


「どうしたのですか? もう謝罪は受けましたよ」

「わたし、知らなかったの。耳飾りの意味を」


 困惑顔のレミに見えるように、ディアヌローズは耳飾りに触れた。


「……あなたはこれを見て、断れなかったのでしょう?

 だから謝りたいの。謝らないといけないの」


 あの時、理由を問われず願いを聞き入れてもらえたのは、多少なりともレミから信用してもらえたからだと思い込んでいた。けれど。

 イストワールに於いて、貴族の願いは命令になるのだろう。断ってくれて構わないと言われたところで、レミに断るという選択肢などない。身分差によってレミが理不尽を受け入れていたなんて爪の先ほども思わなかった。

 毒を吐いた男の子を説教したくせに……。せめて心からの謝罪をしなければと強く思う。


「ごめんなさい」

 深く頭を下げた。


「違いますよ。ナディ、あなたを信用したんです」


 頭を上げると、レミの萌木色の瞳と目が合った。レミは穏やかに微笑んだ。


「……ありがとう。本当にそうなら嬉しい。

 あの、……もうわかってると思うけど、精霊に助けてもらったの。でも詳しくは話せない。話す許可を精霊からもらっていないから」

「はい。助けていただいたのですから」


 相変わらずレミの言葉遣いは丁寧で、ふとグエンの話を思い出した。ディアヌローズ自身が奏として成人していたことや子どもと触れ合う機会の殆どなかったこと、イストワールでも大人たちの中で生活していたこともあって気づかなかったが、確かにレミはこの中にあって異質だ。神の家で他の子ども達を見た限り、そこで会得したとは思えなかった。

 かと言ってグエンのように訊ねる勇気はないけれど……。いつの日か、うんと仲良くなったら教えてもらえる日が来るだろうか。来たらいいなと思う。



「……レミってとても落ち着いてるわよね。傍にいるとわたしまで穏やかな気持ちになれるの。見習わないと、って思ってる」

「そんなことはありません。迷いばかりですから」


「そうなの? でも、やっぱり見習いたい。わたし、そそっかしいから。……こんな風にね」

 玻璃(ガラス)で切った指を見せて、それから額を指さす。

「血で爛れるって知ってるのに、うっかり血の出た指で触っちゃったの」


「たしか……、沼の畔に薬草が生えていました」


 すかさず腰を浮かしたレミを、ディアヌローズは慌てて制止する。


「いいの、いいの。大丈夫だから止めてね。そんなつもりで言ったんじゃないわ。そそっかしいって言いたかっただけよ」

「わかっています。私がしたいと思っただけですから。庇ってくれたのが嬉しかったので」

「当り前のことをしただけだわ」


 困ったようにレミは笑んだ。


「当り前のことが一番難しいのですよ、ナディ。

 ……孤児、と言うのは事実です。たとえ事情は様々であっても、私たちはその事実に慣れなくてはならない。けれど、エマにはまだ難しいんです。これからも同じような経験を重ねて、強くなっていくしかないんです」


 レミの言葉がディアヌローズの胸に重く沈んだ。

 本当は、ディアヌローズも鈍色の服を着ていた筈だった。アルフレデリックとエレオノールが危ない橋を渡って手許に置いてくれたおかげで、レミやエマの経験をせずに済んでいる。まあ、その前にアルフレデリックの治癒を受けられなくなった時点で死んでいただろうが。

 強くあらねばならないのは同じでも、過程があまりにも違いすぎる。けれど、同情や憐憫は失礼だ。


「この二日の間、わたしも思いがけない経験をしていろいろ考えさせられた。拉致されて怖い思いもたくさんしたけれど、あなたやエマ、ドゥドゥやグエンとも友だちになれた。決して悪いことばかりではなかったわ」


 どうかレミやエマも辛いことばかりでないように──。ディアヌローズは願わずにはいられなかった。


「友だち……」

「あっ、ごめんなさい。こういうところが迂闊なのだわ。勝手に『友だち』って嫌よね。忘れて」

「……いえ。友と思ってくれるのですね」


 しみじみとレミに言われて、ディアヌローズの胸が熱くなる。思えば奏がディアヌローズの歳の頃、子どもの友人はいなかった。


「レミが嫌でなければ、友だちになってくれたら嬉しい」

「ありがとうございます。ナディ。どうぞよろしくお願いします」


 できれば敬語を止めてほしいけれど、それは追々で。


「こちらこそ、レミ。後でエマにもお願いしないと」

「喜びます。でも、エマはとても恥ずかしがり屋なんです」

「そうね……ふふっ」


 抱きしめたディアヌローズから解放されると、エマは真っ赤な顔でレミに飛びついていった。いつの日か、今度はエマの喜ぶ顔が見てみたい。もしもビジュとの合奏を披露したら、エマはどんな表情を見せてくれるだろう。


「どうしました?」

「照れていたなと思って」

「ああ。そうでしたね。ところで、ナディ。あなたも横になってください。寝てないですよね?」

「大丈夫よ。ドゥドゥとグエンに『お帰りなさい』って言いたいの」

「おふたりが戻られたら起こします。熱があるのでしょう?」

「どうして……」

「エマが教えてくれました。抱きしめてもらったら熱かったって」


 しまった、とディアヌローズは思ったがもう遅い。ドゥドゥとグエンを出迎えたいのは本心だが、一番の理由は横になったらもう起き上がれない気がするから。


「よく気のつく子ね。初めて会った日も水を持ってきてくれたわ」

「そういう子なんです。誰よりも気がついて、誰よりも傷つく。

 ナディもですよ。ここはもう安全なのでしょう? ドゥドゥとグエンに任されたのは私ですから、ナディは(やす)んでください」


 これ以上ごねても無理そうだ。自分達しか出入りできないなら危険は無いだろう。


「じゃあ、お言葉に甘えて少し眠るわ。必ず起こしてね」

「ええ」


 ディアヌローズは横になって目を閉じた。子ども達の寝息がまるで子守歌みたいに耳に心地いい。あっという間に眠り落ちた。




 レミはディアヌローズが眠ったのを確かめると、すっと立ち上がった。


「すぐに戻ります」


 眠ったディアヌローズにそっと告げ、夜の森へと出て行った。




 ◆◇◆




「ドゥドゥ、終わった?」

「ああ、終わった。あっけなかったな、グエン」

「僕たちがいた部屋に入れておこう」

「そうだな」


 グエンが扉の取っ手に引っ掛けてあった鍵で錠を開けた。

 手足を縛った男たちの足首を掴み、中へと引きずっていく。魔石の力を使えば楽勝だ。

 サクサクと全員を運び終えた。


「グエン、早く来いよ。鍵を掛けるぞ」


 ドゥドゥが扉口でグエンを急かした。


「──ねぇ、ドゥドゥ。一人足りない。四人しかいないんだ……」

「えっ!?」


 ドゥドゥとグエンはアジトの中を探し回った。

 閉じ込められていた部屋の隣や(かまど)の中、水甕(みずがめ)の中までも隈なく。

 外へ通じる扉は一つだけ。

 だが、何処にもいなかった。



「グエン、どいつが居ないかわかる?」


 不揃いな石壁の隙間から洩れる月明かりは、脱出した時よりも明るい。その明かりを頼りに、グエンは気を失った男たちの顔を一人ひとり間近で確認していった。


「この二人は見たことない。たぶん、後から来た奴らだ」


 三人目の男は樽のようにずんぐりしている。体形だけで見当がついたが、きっちり顔を確かめる。


「やっぱりな。こいつは出迎えた奴だ」

「じゃあ、残った奴らは僕も見てるってことか。どっちだ」


 ドゥドゥとグエンはふたりで四人目の男の顔を覗き込んだ。


「……まずいな」


 どちらからともなく声が洩れ、ふたりは立ち尽くした。



「「まさか……」」


 ドゥドゥとグエンの呟きは重なって混じり合い、アジトの薄汚い石床に転がり落ちて弾けた。






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