夜の森(3)
加筆修正しました。
「ナディだったんだね。……君、精霊と契約してるの?」
「違うわ」
即座にディアヌローズは否定した。精霊と契約だなんて烏滸がましいにもほどがある。
森の精霊エリィオンは、共通の友である職工精霊テチュの願いに応えて力を貸してくれただけ。そう心の中で付け加えた。
「もしかして、アジトの扉も?」
「…………そうよ」
グエンの問いは当然ディアヌローズも予想していたし、覚悟もしていた。けれど。
「──手を差し伸べてくれたの。お願いよ、誰にも話さないで。善意で助けてくれたのに、わたしのせいで困らせたくない。だから何も話せないわ」
これ以上訊ねられたくなくて顔を俯けた。ふたりを信用していないわけではないけれど、精霊たちの許可を得ずにぺらぺら話すなんてできない。手を固く握りしめた。
「うん。誰にも話さないし、これ以上訊かない。約束する」
ドゥドゥの口から願っていた言葉が齎されてディアヌローズは顔を振り上げた。
頷くふたりの顔を認めると、固く握っていた手が解けた。
「……ありがとう」
「初めから言ってくれればよかったのに」
「グエン……。ふたりともごめんなさい。精霊のことを知られたくなかったから」
「でも、彼には話したんだろ?」
ドゥドゥはちらりとレミを見て、口をへの字に曲げた。グエンは苦笑している。
「レミにも話してないわ。ただ道案内をお願いしただけよ」
ディアヌローズはしょんぼりと肩を落とした。
あの時はこの森に詳しいと思わせられる人が必要だった。となれば自ずと候補は絞られる。ドゥドゥとグエン、そしてレミ。ドゥドゥとグエンに頼まなかったのは、精霊について追及されたときに誤魔化せる気がしなかったから。それに要らない事まで話してしまいそうで怖かった。
だからといって消去法だけでレミに決めた訳ではなく、子どもあしらいが上手い様子を神の家で見ていたことも大きい。実際レミと話してみて、人選に間違いはないと確信した。一刻も早く脱出しなければならない中、深く理由を訊かずにレミが引き受けてくれた時は本当にありがたかった。
けれども。
最初のひかり茸を見た時の安堵感を思い返してみれば、レミのそれはいかばかりだっただろう。レミの立場になってみれば、精霊から直に聞いたならならまだしも、ほぼ初対面の年下からいきなり荒唐無稽な話をされたのだ。
最善、とした行為はディアヌローズの都合でしかなく、丁寧な説明もしないままレミに案内役を押し付けた罪は軽くはない。何より、命が懸かっている状況で焦っていたとはいえ、無茶な依頼だと自覚していたのだから。
「わたしね、わたしが案内するって言っても、誰もついてきてくれないって思った。だからレミに押し付けたの。……酷いことをしたわ。レミに謝ってくる」
「じゃあ僕たちも行くよ。僕らが抜けた後のことを彼に頼みたいんだ」
レミが適任だからとドゥドゥは続け、三人で向かうとレミは首を傾げた。
ディアヌローズはおずおずと口を開く。
「レミ、案内役を押し付けてごめんなさい。自分勝手だったわ」
「助けてくださるのですから、とお伝えしましたよ。ですが……それでナディの気持ちが楽になるのでしたら受け入れます」
微苦笑を浮かべたレミを見て、ディアヌローズはほっと息をつく。
「ありがとう」
ドゥドゥはそんなディアヌローズの肩をぽんと軽く叩いて下がらせる。
「レミ。僕とグエンは暫く出かけるから君に留守を頼みたいんだ。いいかな?」
「私でよろしいのですか? どちらに行かれるのかお聞きしても?」
「もちろん、君に頼みたい。アジトに行って奴らを捕まえてくる。すぐに戻るよ」
レミは眉を寄せた。
「危険ではありませんか?」
「大丈夫。洗礼のために必要なんだ」
「……そうですか。どうぞお気をつけて」
ドゥドゥはグエンと肩を組んで、ふたりして「ああ」と自信たっぷりに笑った。
レミがすぐに引き下がったところをみると、洗礼前の通過儀礼とはやはり避けては通れないものなのかもしれない。これでは説得を試みたところで聞き入れてもらうのは無理そうだ。ディアヌローズは胸の内で嘆息する。願わくば、陰で見守る人がいてほしい。
そう思ってふたりに目を向けると、グエンがレミを見つめていた。
「ねえ、レミ。出身はどこなの?」
「どこなのでしょうね……」
ほんの僅かに目を瞠ったレミは、そう答えると睫毛を伏せた。
「ごめん。変なこと訊いて」
「いえ」
「……じゃあ、僕らは行くね」
「お気をつけて」
「見送るわ」
視線を上げたレミは、微笑んではいても瞳は物哀しく揺れているようだった。ディアヌローズはひどく気になったものの、まずは見送ろうとドゥドゥとグエンについて行く。
ところが。
内壁の前で三人で立ち止まった。ぐるりと見渡しても扉が無い。
「どうやって出たらいいのかしら。……まさか上からってことはないわよね」
ディアヌローズが冗談めかして見上げると、ドゥドゥとグエンも見上げて「だよねぇ」と声を揃えた。
「うーん」
困り果てた顔でドゥドゥが内壁に手をついた、その時。
「「「えっ!?」」」
三人同時に目を瞠った。内壁にめり込んだ腕を凝視する。
いち早く我に返ったドゥドゥが自らその腕を引き寄せた。無事を確認するように、手を開いたり閉じたりする。
再度慎重に伸ばした手は内壁にすっと入り、そのままするすると腕までもが潜っていった。
腕を引き抜いたドゥドゥはその腕を摩りながらグエンに言う。
「完全に出たら戻れないかもしれない。まずは僕が出てみる」
「わかった」
ドゥドゥは内壁にまっすぐ伸ばした両腕を入れ、鼻先で一旦止まると大きく息を吸い込んだ。
意を決したように一歩を踏み出す。つま先から足、顔と身体も内壁に潜らせ、最後に束ねた一房の髪がするりと入っていった。
森に出たらしくドゥドゥがこちらを向いた。半透明の向こう側で何かを言っているようだが、声は聞こえない。
こちら側からもグエンがドゥドゥの名を呼んだけれど、やはり聞こえていないらしい。試しにディアヌローズが手を振ってみても反応はなかった。
内壁からドゥドゥが出てきた。
「うん、戻ってこられる」
「何か喋ってたみたいだけど聞こえなかった。僕が呼んだのも聞こえなかったんだろ?」
「うん。聞こえなかった。僕は『出られた』って言ったんだ」
「じゃあ、わたしが手を振ったのは見えた?」
「ううん。外から中は見えない。ただの大きな樹にしか見えないんだ。でも……。中の音が外に漏れないのはいいけど、外の音が聞こえないのはちょっと気になるね」
グエンは腕組みする。
「まさかとは思うけど、誰でも出入りできたりするのかな」
「えっ……」
ディアヌローズは言葉を失った。
確かに、森の精霊エリィオンは獣から護ることも、獣を排除もしないと言っていた。となると、ここは隠れるだけの場所なのだろうか……。
──不要な懸念である。出入許可は其方らのみ。
突然エリィオンがディアヌローズの頭の中に語りかけてきた。
──エリィオン、ありがとう。
思わず知らず、ディアヌローズは安堵の笑みを漏らした。
早く知らせようとふたりを見ると、怪訝な目をディアヌローズに向けている。
「あっ、ひとりでニヤニヤしてたんじゃないから。教えてもらってたのよ。出入りできるのはわたし達だけだって」
声は抑えたが、手だけはぶんぶんと振ってこれでもかと否定した。
グエンはドゥドゥと顔を見合わせる。
「すごいや、ナディ。これで安心して行けるよ」
「うん。本当にすごい」
「ありがとう。でも、お願い。誰にも──」
ね、とディアヌローズが人差し指を唇にあてると、ふたりとも同じ仕草をして請け合った。
「じゃあ、僕たちは行くね」
ドゥドゥがグエンの肩をポンと叩いた。
「わたしも出て見送るわ」
「すぐに中に戻るんだよ」
「ええ」
三人横並びで内壁に潜る。但し、グエンとディアヌローズは前に伸ばした腕から慎重に。グエンは腕を下ろしたまま普通に。
内壁を越えるのは、水の中を歩くような、靄の中でつり橋を渡るような感覚だった。経験はないけれど、雲を渡ると表現した方がより近い。ふわりと身体が内壁を抜けていく。まるで重力なんて無いみたいに。
紗がかかっていた森がはっきりと見えて、ディアヌローズは後ろを振り返る。
樹皮に覆われた一際大きな樹が聳え立っていた。
「じゃあ、行ってくる」
ドゥドゥの声でディアヌローズはふたりに向いた。どうしても訊いておきたいことがある。
「ねえ、グエン。どうしてレミに……」
「出身を訊いたこと?」
「……うん」
「レミは、神の家の子。鈍色の服は神の家だけ。誰もが知ってる。そして、中立領の神の家にはいろんな領地の子どもがいる」
「知らなかった……。なら、どうして訊いたの⁉」
親を亡くしたのか、それとも捨てられたのか。どちらにしても傷を抉るような問いとしかディアヌローズには思えない。正にあの時、レミの瞳は揺れていた。ましてや、グエンはレミが神の家の子だと知っていた。
グエンは眉を下げた。
「レミの雰囲気と言葉遣いは、とても神の家で育ったとは思えなかった……。だから、ついね。彼には悪いことしたよ」
「そうだったの……」
「行こうグエン。遅くなった。ナディは中に入って」
「ええ。ふたりとも気をつけてね」
「「ああ」」
じゃあ、と手をあげて、ドゥドゥとグエンは背を向けた。
ディアヌローズはふたりの姿が樹々の中に消えるまで見送って、大樹の中に入ろうと踵を返す。
ふと、視線を感じて振り返った。
空き地を見渡せる大枝に、梟がいた。
目が合った、気がした。
まさかね……。そんな風に思ったことが可笑しくて、ふふっと小さく笑って大樹を潜る。もう腕は上げなかった。
内壁を抜けた途端────
「向こうへ行け! お前たち孤児じゃないか!」
悪意のこもった声が洞の中に響き渡った。
目前の光景にディアヌローズは息を呑む。
毒づいた声の主は黒灰色の髪をもつ上等な身なりの男の子。その表情は吐き出した言葉そのままに醜く歪んでいる。
対峙しているのは鈍色の服を着たレミと女の子。レミは今にも泣きだしそうな女の子の肩を抱き寄せて、静かに男の子を見つめていた。
ふつふつとディアヌローズに怒りがこみ上げる。
「止めなさい!」
声を張り上げて、つかつかと間に割り込む。毒を吐く男の子の前に立ち、嘲弄の滲む赤銅色の瞳を見据えた。
「嘘は言ってないぞ! 孤児を孤児って言っただけだ」
「エマッ!」
レミの声にディアヌローズが振り返ると、内壁に向かう女の子と追いかけるレミの姿が見えた。




