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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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宿

表現を修正しました。

「バン、急いでガキを宿へ」


 目を閉じるディアヌローズの耳に、声を潜める野太い声が届いた。


 聞き覚えのある声にディアヌローズが重い瞼を薄く開ければ、自分をこの地下室に放り込んだ図体のでかい男が、扉口でバンに何かを渡しているところだった。

 男は二言三言バンの耳元で話すと、すぐに階段を駆け上がっていった。


「ちっ」


 舌打ちしたバンはディアヌローズに背を向けたまま、渡された物を勢いよくバサバサ振った。その片端が大きく口を広げる。


 どう見てもそれは袋で、ディアヌローズには嫌な予感しかしない。抵抗したくても、もう指一本さえ動かせなかった。


 案の定、バンは広げた口にディアヌローズの頭を突っ込み、手慣れたようにその口を身体の半分までずらした。袋口の両端を掴んでそのまま持ち上げると、ディアヌローズを袋の中へ一気に落とし入れた。口を縛って肩に担ぎ上げる。


 埃っぽい袋の中で無様に頭を下にして、ディアヌローズは悔しさに唇を噛んだ。バンは袋に入れる間、一度も目を合わせなかった。せめて目が合ったなら睨むぐらいはできたのに──。

 モノのように扱われて、いよいよ他領に納品される。


 急ぎ足のバンに合わせて揺れる度、粗い目の袋に肌が擦れてチクチクする。お腹も圧迫されて気持ち悪い。頭に血がのぼって血管がどくどくと脈を打ち、息苦しさでディアヌローズの意識は遠のいた。




 がつっ、と突然ディアヌローズは頭を打った。咄嗟に頭を押さえようとした手がザラザラの袋を撫で、バンに運ばれていたことを思い出した。どうやら袋のまま床に放られたらしい。


 袋の口を縛っていた紐が解かれた。袋の底が持ち上がって揺すられ、ディアヌローズはジャガイモみたいに、ごろりと袋から出た。


 眩しさに目を細めるディアヌローズを、バンは仁王立ちで見下ろした。


「お前がやったんだろ!? おかげで大騒ぎだ。騎士団に目ぇ付けられちまうだろうが!」


 バンは怒鳴り声でまくし立てた。起き上がれないディアヌローズの髪をむんずと掴んで頭を引っ張り上げた。


「きょうの納品がパァだ。このまんまじゃオレ達もただじゃ済まねぇ。

 どうしてくれる? みんなお前のせいじゃねぇか!」


 憎しみの籠る血走った目でバンはディアヌローズを睨め付けると、床に叩きつけるように髪を掴んでいた手を離した。


 鈍い音が鳴り、「うっ……」とディアヌローズの顔が歪んだ。


 だがバンの怒りは収まらない。ディアヌローズの胸ぐらを掴んで自分の眼前まで持ち上げた。顔すれすれで睥睨する。


「……なんで魔術が使える?」

「し、知らない」

「洗礼前なんだよな? ……まさか領民登録してんのか?」


 訝し気に灰色の目を眇めるバンを前に、ディアヌローズはどう答えれば自分にとって有利になるのかがわからない。ただ怖がる素振りだけは見せるものかと意識して、バンとの視線を外さなかった。


「知ら、な、……い」

「ふざけんじゃねぇ! 領民登録してたら領地を越えられねぇんだぞ!」

「知らないっ!」


 バンはディアヌローズを壁に叩きつけた。


 衝撃でディアヌローズの身体は跳ね返った。激しい痛みとともに息が詰まり、ずるずると身体が壁を伝い落ちていく。こんな暴力があるなんて──。奏の時からこれまで、一度たりとも経験したことなんてない。でも、イストワールではよくあることなのだろうか。今までが幸運でありすぎたのだろうか。


 バンの激高ぶりから察するに、きっとまだ暴力は続く。暴力に屈したくは無いけれど、はたしてどこまで耐えられるだろう。ふと、死を意識した。


 なら──。いっそ闇に溶けてもいいだろうか。自我を闇に溶かす深い眠り。苦痛なんて一切ない。経験済みだから容易くできる。

 もう闇に戻らないようにと罰を与えてくれたアルフレデリックには申し訳ないけれど、『死』という結果に変わりはない。そんな甘く仄暗い誘惑に駆られた。


 でも──。せっかくみんなに惜しんでもらえた命を、簡単に手放したくない自分もいる。逃げ出す算段も、助けてもらえる保証もないけれど、こんな処で死ぬのは嫌だ。最期の一瞬だけでも自分の居場所がいい。それが偽りの無い(まこと)の心。《奏の世界》にはもう戻れないと知った故の諦念ではなく、自分は深く深くあの場所に心を置いたのだ。



 バンは足音も荒く部屋を出ると、壊す勢いで扉を閉めた。


 壁際に転がったまま、ディアヌローズは部屋を見渡した。『宿』と図体のでかい男は言っていたが、この部屋に寝台は無い。机や棚はあるので、事務室なのかもしれない。


 急いでディアヌローズは隠しから釘を取り出した。汚れてどす黒い床に『奏』と刻み、白く目立ちすぎる文字に指先の固まりかけた血を擦りつけて斑にした。開いた傷口からは血が滲んできて、生きていることを噛みしめた。


 ごろりと仰向けになって息をつき、煤けた天井を眺める。

 バンによれば大騒ぎになったらしいけれど、アルフレデリックは探してくれるだろうか。痕跡だけは残したので、気づいてもらえることを願うしかない。


 まだ釘を手にしていることに気づいて、慌てて隠しに突っ込んだ。何かにつっかえて取り出してみれば星の欠片を入れた袋で、先に釘を入れてから袋をしまった。そこで、ふと思う。

 ラヴァージュを使えば、窓から逃げられるかもしれない──。


 以前ミゼリコルドから、宿街の近くに礼拝門がある、と聞いたことがあった。礼拝門に駆け込めば、きっと門番がいる筈。仮に礼拝門が閉じていたとしても、フロラント商会や城下門だってある。逃げられなくても時間稼ぎにはなるだろう。中立領にいる時間が増えれば増えるほど、逃げ出すチャンスだって増えていくに違いない。

 服の上から、ぎゅっと星の欠片の袋を握った。




 ドタドタと足音がして乱暴に扉が開き、バンが現れた。


「くそっ! 何なんだ」


 言うなりバンはディアヌローズを脇に抱えた。勢いよく扉口を出る拍子にバンは肘をぶつけたが、止まりはしなかった。酷く慌てている。



 廊下の突き当たりでバンは足を止め、壁の腰板飾りの一部をずらした。現れた窪みに手を掛けて、壁を横にスライドさせた。

 壁の無くなった目の前には、似たような廊下が続いている。


 隠し戸を抜ける時、ディアヌローズは指先の血を戸の縁に擦りつけた。さらに、バンが隠し戸を戻している隙に髪を抜いて落とした。気づかれるかとドキドキしたが、バンは自分の手許だけを見ていたようで助かった。



 新たに出現した廊下を進み、バンは幾つかある扉の一つを開けた。物置部屋らしいガラクタの間を突っ切って外に出ると、そこには幌付きの荷馬車が停まっていた。


 バンは垂れ下がった幌を上げないまま、無造作にディアヌローズを荷台へと放り込んだ。


「痛っ!」


 ディアヌローズが声を発したのと同時に、薄暗い荷台の奥から息を呑む声が聞こえてきた。

 顔を上げると、怯えた表情の子どもが幾人もディアヌローズを見ている。思わぬ展開に、ディアヌローズは目を丸くして固まった。どうやら納品されるのは自分だけではないらしい。


 バンは幌の入口を捲り上げると、花でいっぱいの木桶を運んできた。


「邪魔だ! 奥へ行け!」


 バンはディアヌローズを気にすることなく花桶を荷台に載せ始め、ディアヌローズは慌てて荷台の奥に四つん這いで移動した。


 左頬に傷のある年配の男もやって来て、バンとふたりで次々に花桶を載せていく。


 とうとう荷台の入口は花で塞がった。一目見ただけでは奥に子どもがいるなんて気づかないだろう。


「大声で助けを呼ぼうなんざ考えんなよ! ぶっ殺すからな!!」


 花で見えなくても、バンがどんな顔をしているか想像できる声だった。

 数人の子どもが泣き出した。


「うるせぇ! 泣いてもぶっ殺す」


 再びの怒声に、泣いていた子ども達は皆、恐怖を呑み込むように唇を引き結んだ。震える喉が嗚咽を漏らしている。


 バンが荷台の縁に上がってきて、花越しにディアヌローズ達を睨み付けた。

 震えあがった子ども達は身体を寄せ合い、必死に泣くのを我慢している。

 その様子に満足したのか、バンはニヤリと嗤って荷台を下りていった。


 間を置かずに御者台から話し声が聞こえてきて、ディアヌローズは聞き耳を立てた。


「全部で何人だ?」

「十人でさ」

「出せ。街中(まちなか)は走らせるなよ。目立っちまう。だが、街を抜けたらアジトまで一気に走らせろ」


 声の一人はバン。もう一人は年を取った声なので、おそらく花桶を載せていた男だろう。話の様子からバンの方が偉いようだ。



 話が終わると、ガタンと大きく荷台が揺れて、荷馬車は動き出した。






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