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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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拉致

表現を修正しました。

 すし詰めの人混みの中で、ディアヌローズは腕を思い切り引っ張られた。

 掴まれた上腕と人混みに擦り付けられていく顔が痛い。眦に涙が滲んだ。


 抜け出た途端、勢いのまま誰かにぶつかった。

 腕を掴んでいるその人を見上げる。


 初めて見るその人は、キツネ目で瘦せ型の男性。灰色の髪を七三に撫でつけ、同じく灰色の瞳をしている。白シャツに黒っぽい色のジレと上着、同色のズボン。見たところ、商会の従業員のような身形だ。


 男性が掴んでいた手を離し、ディアヌローズはじんじんするその上腕を摩った。


「助けてくれてありがとう。

 あなたは……どなた?」


 小首を傾げるディアヌローズに、その男性は作りものめいた微かな笑みを浮かべた。

 すばやく周囲に目を配ると、ディアヌローズに視線を戻した。


「商会の者です。あなたをお連れするようにと申し付かってまいりました」

「……」


 男性の着ているものは全体的によれていて、一等地に店を構えるフロラント商会の従業員とはお世辞にもいえない身形だ。彼らの服装はもっと上等でシワひとつない。

 ディアヌローズは警戒する。


「一緒に来た者とはぐれてしまったの。だから探さないと」

「お連れの方は商会でお待ちです。さあ、一緒に行きましょう」


 男はディアヌローズに手を差し出してきた。


 爪の間が黒い男の手。その手を見るなり、ディアヌローズは一気に警戒を引き上げた。

 念のため、記憶しているフロラント商会の従業員を順に思い出す。だが、やはりこの男に見覚えはない。なにより、この男は商会の名を口にしていないのだ。

 ディアヌローズはすぐに走り出す心算をする。


「どちらの商会で、誰が待っているの?」


 たちどころに男は表情を一変させ、眉を吊り上げた。

「つべこべ言わずに来るんだ!」


 男は低く唸る声で言うが早いかディアヌローズに手を伸ばし、くるりと向きを変えて逃げ出すディアヌローズの上腕をすばやく掴んだ。


「いやっ! 助けて!」


 大声を張り上げて、ディアヌローズは逃れようと身を捩った。

 近くにいた大人たちの目が、一斉にディアヌローズと男に向けられた。


 だが男は動じないまま、また作りものの笑みをその顔に貼り付けた。


「パレードをご覧になられたらお帰りになるとの約束でした。さあ、我儘を仰らずに帰りましょう」


 大人たちの男に向けた訝し気な表情が、あっという間に同情のそれに変わった。『やれやれ』という笑みで首を振り、興味が失せたとばかりに離れて行く。


 男は唇の端を上げてニヤリと嗤った。


「人攫いなの! 助けてっ!」

 声の限り、ディアヌローズは叫んだ。


 だがもう誰一人として、ディアヌローズを見ようとも、振り向こうともしない。

 ディアヌローズの心が失望に染まった。


 男はディアヌローズの上腕をがっちり掴んで歩き出し、ディアヌローズはよろけながら引きずられるようについていく。

 大通りを渡って、ますます城下門から遠ざかっていった。


 途中、ディアヌローズはすれ違う大人たちに助けを求めたが、そのたびに男は同じ手を使ってディアヌローズを我儘な子どもに仕立て上げた。ディアヌローズの希望は打ち砕かれ、ことごとく失望に変えられていった。



 腕を掴む男に強引に歩かされながら、ディアヌローズは逃げる機会を求めて周囲を見渡した。

 元いた歩道に噴水広場を見つける。とするなら──。

 今進んでいる道の先にフロラント商会があるはず。顔見知りの従業員が気づいてくれれば、きっと助けてもらえる。一筋の希望を見出した。


 記憶どおり区画の角にフロラント商会が見えてきて、ディアヌローズの心拍数は跳ねあがった。

 商会の入口を凝視する。

 どうして!? ──。

 いつもは店の入り口に立っている従業員が、きょうに限っていなかった。


 引きずられて通り過ぎる間際、客が入って行く扉の隙間から大勢の客で賑わう店内が見えた。花まつりで繁盛しているのだとすぐに理解した。


 一縷の望みは断たれ、ディアヌローズは尚も引きずられていく。

 掴まれてジンジンする腕と、その手を一度も緩めない男。もう逃げられる気がしない。



 諦めかけたその時、前方から歩いてくる顔見知りを見つけた。

 療養中に仲良くなった、フロラント商会の見習い店員クロエだ。たぶんお使いの帰りなのだろう。


 きっと、これが最後の機会。クロエなら、この危機に気づいて助けを呼んでくれる。

 ディアヌローズは思い切り息を吸い込んだ。

 そして────

 そのまま息を吐き出した。ぎゅっと目を瞑る。

 大切な友人を巻き込むなんてできない。下手をしたらクロエまでもが捕まってしまう。


 すれ違う瞬間、ディアヌローズはクロエに別れの笑顔を向ける。おそらくもう会うことは叶わない。最後の挨拶は笑顔でいたかった。


 クロエはディアヌローズには気付かずに、変わらぬ歩調のまますれ違っていった。


 一方的な別れの挨拶を済ませて、ディアヌローズはふと気づく。きょうは男の子の恰好だ。もとより気付いてもらえるはずなどなかったのだ。これで良かったんだ……──。



 ディアヌローズは引きずられたまま、フロラント商会脇にある商会通りを越えて更にまっすぐ進んだ。

 大通りの反対側はもう噴水広場の終わりだった。


 男が歩みを速めた。

 大通りの少し先の路傍に幌付き荷馬車が停まっている。

 この大通りでは荷馬車は通行禁止だと、以前クロエから聞いたことがあった。嫌な予感が、ざわざわとディアヌローズの神経を逆撫でした。


 案の定、男は幌付き荷馬車の前で歩みを止めた。

 ディアヌローズの腕を掴んだまま片手で幌の入口を開け、軽々とディアヌローズを持ち上げて雑に中へと放り込んだ。


 ぶつけた肩と背中の痛みを堪えて、ディアヌローズは解放された腕を庇って立ち上がった。

 荷台に乗ってきた男と距離をとり、逃げ場のない荷台でじりじりと後退る。

 背中に荷台の壁があたった。


 追い詰められたディアヌローズを、男は歪んだ笑みで見下ろした。両手に縄を持っている。


「いやっ!」


 あっという間に上半身と足を縛られ、荷台に転がされた。


 土と埃が、汗と涙の滲んだディアヌローズの顔に貼り付いた。土ともカビともつかないニオイが鼻につく。たった幌一枚で隔てられただけなのに、城下に満ちていた花の香りが嘘みたいだ。

 ガクガクと身の内からの震えが止まらない。諦めたらダメ。逃げる機会を窺うべき。ディアヌローズは自らに言い聞かせた。



 男が荷台から下りると荷馬車はすぐに動き出し、ぐんぐん速度を上げていった。


 激しくガタガタ揺れる荷台で、ディアヌローズは身体をくねらせて、少しずつ荷台の入口へ近づいていく。上手くすれば飛び降りられるかもしれない。


 急に、荷台が大きく左に振られた。大通りの角を右に曲がったらしい。

 ゴロゴロ転がったものの何とか入口に辿り着き、幌の隙間から外を窺う。

 かなり速度が出ていて、飛び降りるには減速するのを待つしかなさそうだ。


 街並みは進むほどに建物の間口が狭くなり、門構えも貧相になっていった。

 同様に石畳の凸凹も酷くなって、荷台は激しく弾んだ。

 これまでならとうに馬車酔いしているディアヌローズも、今ばかりは恐怖心が勝っている。


 一度曲がったきり、荷馬車は通りをひたすらまっすぐ走っていく。


 建物が商店といった風情の建物ばかりになった頃、馬車は速度を落として路地へと入った。

 ディアヌローズが飛び降りる暇もなく、停車寸前まで速度が落ちた。おそらく、建物の裏手に搬入口があるのだろう。


 ここで飛び降りても状況は悪くなる可能性が高いだろう。ディアヌローズは転がって入口から離れた。



 馬車が停まった。


「遅かったじゃねえか、バン」

「少しばかり手間取っちまった」


 外から聞こえてきた男二人の会話。

 どうやら、拉致した男の名は《バン》というらしい。



 バサッと幌が乱暴に開けられて、バンが荷台に乗ってきた。

 体をくねらせ抵抗するディアヌローズをバンは軽々と小脇に抱えると、外の男に荷物のように渡した。

 図体のでかいその男もディアヌローズを小脇に抱えた。


 ディアヌローズの目に入ってきたのは、荷馬車一台がやっとの細く薄暗い路地だ。


 男はまっすぐ建物の中に入った。

 やはり搬入口だったらしく、木箱が壁に沿っていくつも積んである。


 奥へと進んだ男は、木箱の影にある薄汚れた木の扉を開けた。

 暗がりの中にあるのは地下への階段だ。


 石段を下りて突きあたりの部屋に入ると、男は一切の躊躇いなくディアヌローズを抱えていた腕を開いた。


 咄嗟に、ディアヌローズは頭をのけ反らせて横を向く。石床に、肩と膝を強かにぶつけた。


「痛っ!」

「ここでおとなしくしてろ」


 男は破れ鐘のような声でそれだけ言うと踵を返した。


 ギッギィと扉が軋み、扉の閉まる重い音がバタンと短く鳴った。


 ガチャリ、と金属音が地下室に響く。


 地下室は静かになった。






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