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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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離される手

サブタイトルを【暴走する馬車と離される手】から変更しました。

表現を修正しました。

 ディアヌローズは用意された馬車に乗り込み、アンベールとクロティルドと共に城下街のフロラント商会に向けて出発した。


 領事門を抜けて城下門へ着くと、門番は申し訳なさそうな顔で、間もなくパレードが始まるために馬車は通れない旨を告げてきた。


 パレードを見たいなら馬車を降りて歩くしかなく、馬車で行くならパレードが終わるのを待つしかないらしい。領事棟で見た沢山の人たちは、おそらくパレードが終わるのを待っていたのだろう。


「このまま馬車の中でパレードが終わるのを待ちましょう」


 眉を下げてそう言ったクロティルドから、ディアヌローズはちらりと窓へ目を向ける。膝の上で手をぎゅっと握った。


「……でも……とても楽しみにしていたの」


 馬車の窓から見えるのは石組みの城下壁だけ。門を出なければパレードの様子を見ることはできない。わずか一歩ほどしかない壁の厚さがディアヌローズには恨めしかった。

 みんなが口々に語ったパレードの素晴らしさ。ディアヌローズの頭の中では、馬車から撒かれた花びらの舞う景色が広がっている。想像だけでは満足できない。この目で見てみたくて堪らなかった。


「門からフロラント商会へは歩いていけないくらい遠いの?」

「歩いていけないほどの距離ではありませんが、歩くなどありえません。

 お嬢さまが歩かれるのは『馬車から扉まで』と決まっておりましてよ」


 貴族の子女は歩いて商会に赴かないものらしい。けれど、ここで引き下がってはパレードを見ることは叶わない。

 ディアヌローズはフロラント商会で療養した際に、窓から見えた景色を思い出す。噴水広場は商会と大通りを挟んだ反対側にあった。


「でも、きょうは花まつりよ。門から噴水広場までなら歩いてもいいでしょう?

 きょうだけよ。他の日には必ずそうするわ。もう我儘は言わない。お願いします。とても、とても楽しみにしていたの」


 我知らず、ぽとりと涙がひと粒ディアヌローズの頬を転がり落ちた。


 アンベールが首の後ろに手をやって小さく嘆息した。

「……では、クロティルドの手を決して離さず、門を出てすぐの処で見ると約束できますか?」


 ディアヌローズは濡れた睫毛を(しばたた)かせる。言われた言葉を頭の中で反芻すること数舜。

「ええ。約束するわ」

 満面の笑顔で頷いた。



 アンベールとクロティルドがマントを外して先に馬車を降り、ディアヌローズはアンベールから抱え降ろされた。約束どおりにクロティルドと手を繋ぎ、三人で歩いて門を出た。


 門から車道までの歩道は寄せ植えの鉢で左右が仕切られ、見物客が入り込めないようになっていた。鉢による規制線向こうの歩道には大勢の見物客。大通り寄りの半分が人で埋まり、パレードを気にしてか皆同じ方向を気にしている。


 規制線の内側にはディアヌローズ達だけなので、ディアヌローズでも街が見渡せた。

 城下門の扉や城下壁の上には零れんばかりの花。街路樹やベンチの周囲、車道と歩道の境には、寄せ植えの鉢やトピアリー。見物客の頭越しに見える噴水の彫刻も花で装飾されている。建物各階の窓辺に置かれた花鉢は、記憶よりもずっと豪華だ。


 そして、花の主たる色はピンクと緑。おそらく、花冠やブートニエール、ポワニェージュの色と被らない為の配慮だろう。

 とはいえ、ピンクと一括りには出来ないくらい色の変化に富んでいる。たとえば青や黄色などの他色寄りであったり、濃淡の違いであったり、グラデーションがついていたりという具合だ。


 祈りの日に見た景色も絵葉書のように美しかったけれど、花が溢れんばかりのきょうは比類なき美しさ。城下が花でできている。

 花が視界を占めていて、花が無いのは空だけかもしれない。風までもが花の香りに満ちていて、この世の綺麗な色がすべて揃い、春の喜びで溢れている。色とりどりの花たちがひしめき合い、芽吹きの季節を祝福しているようだった。



 遠くから歓声が上がり、軽く爪先立ったクロティルドがディアヌローズの耳許に顔を寄せた。


「パレードが始まったようですわ」

「もう少しだけ通りへ寄ってはダメかしら?」


 門前である規制線の内側に見物客はいないが、正面にパレードの馬車が来るまでディアヌローズには何も見えない。門の幅なんて一瞬で通り過ぎてしまうだろう。馬車から撒かれる花だって遠目でしか見られない。もう我儘は言わないとの約束を忘れたわけではないけれど、つい欲が出た。これきり、とディアヌローズは自分に言い訳した。


 アンベールが嘆息する。


「……決して身を乗り出さないでください」

「はい!」


 気もそぞろな返事をして、いそいそとディアヌローズは大通りの際まで移動した。規制線の内側であるこの場所には、車道との境に鉢はなかった。


 人々は車列を待ちわびて身を乗り出し、期待の声を上げている。

 ディアヌローズも噴水広場の方を見た。ゆるい曲線を描く道の先で豆粒が動いている。きっとあれがパレードの馬車なのだろう。ひときわ大きな歓声とともに、馬車はゆっくりと確実にディアヌローズの方へと近づいている。


 やがて豆粒は馬車の形がわかるまでになった。白馬に引かれた屋根のない馬車は、装飾された花で車体が見えないほどだ。車内は花で溢れ返っている。馬車の前後には花籠を持った女性が二人ずつ立ち、車内から花びらを籠で掬い上げては見物客の頭に降りかかるように空へ向けて撒いている。


 歓声の中、クロティルドが繋いでいる手を軽く引いてディアヌローズに意識を向けさせた。


「反対側の馬車が近くまで来ていますよ」


 振り向いた途端、ディアヌローズの目前に花びらが降ってきた。

 両手で花びらを受けとめ、空を振り仰ぐ。

 春らしい薄く白を刷いたような青空を背景に、色とりどりの花びらが舞っていた。

 歩道にいる見物客すべての頭上で舞う花びらは、まるで風に乗っているかのようだ。


「空も花でいっぱいね」


 ディアヌローズから漏れた感嘆の呟きは、見物客の歓声にかき消えた。

 空を見上げてディアヌローズは思う。門を出た瞬間は、城下が花でできていると思った。けれど今、世界は花に祝福されている、と思えた。



 パレードの車列は速度を落として右に折れ、ディアヌローズ達のいる歩道に入ってきた。規制はこの為だったらしい。

 ディアヌローズはクロティルドの手を引いて、腰を屈めたクロティルドの耳に顔を寄せた。


「城下門が終点なの?」

「中央聖堂前広場が終点ですの」



 突如────

 歓声とはかけ離れた悲鳴が響いた。


 振り返ったディアヌローズの視線の先、規制線向こうの歩道では見物客たちが恐怖に顔を歪めている。今にも押し寄せてきそうな勢いである。


 すぐさま、クロティルドがディアヌローズを引き寄せた。

 ほぼ同時に、アンベールが規制線とふたりの間に立った。

 ディアヌローズは繋いだ手を固く握られ、クロティルドとアンベールに庇われながら城下門へと急いだ。


 興奮した馬の嘶きと乱れた蹄の音が、見物客たちの悲鳴に紛れて聞こえてくる。

 ディアヌローズは必死に足を動かした。



 パレードの馬車は車輪を軋ませながら暴走し、車体が弾むたびに花を溢した。車体がぶつかった寄せ植えの鉢はことごとく破壊され、植えられていた花や土は石畳にぶちまけられた。

 花は逃げ惑う見物客たちによって無残に踏み躙られて土に塗れ、割れた鉢の破片は粉々に砕けていった。



 これまでとは比べ物にならない見物客の悲鳴が上がった。

 ディアヌローズはクロティルドに手を引かれながら振り返った。


 その目に映ったものは────

 首を左右に振って暴走する白馬。

 車体から投げ出された花かごの女性。

 恐怖に顔を引き攣らせて逃げ惑う見物客たち。


 そして今まさに、暴れ馬はディアヌローズの方へと鼻先を向けている。

 御者は必死の形相で手綱を引いているが、振り落とされないでいるのが精一杯のようだ。

 見物客は我先にと、規制線の鉢を越えて城下門へ逃げ込もうと迫っている。


 ディアヌローズはクロティルドに強く引かれて、たたらを踏んだ。


 そこに────

 蒼白の見物客たちが押し寄せてきた。


 圧倒的な人の圧に、繋いでいた手は引きちぎられた。

 あっという間に、三人は人の波に呑み込まれた。


「クロティルドさんっ! アンベールさん!」


 ディアヌローズの声は、見物客の恐怖の声に上書きされた。


 人波にもみくちゃにされて、ディアヌローズは転ばないでいるのが精一杯だ。

 どんどんふたりから遠ざかっていった。



 突然────

 誰かがディアヌローズの腕を掴んだ。






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