花まつりへ出発
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アルフレデリックは二人のもとにつかつかと歩み寄った。
「手を離してください、兄上。ディアヌローズが驚いている」
兄上と呼ばれた男性は、笑顔をそのままに「ごめんよ」とディアヌローズの手を離した。
「私はヴァランタン。アルフレデリックの兄だ」
ディアヌローズはパチパチと瞬きしてヴァランタンを見上げた。
真ん中で分けた水色の髪は肩で切り揃えられ、コンスタンティンと同じ緑柱石の瞳をしている。整った面立ちなのにアルフレデリックのような冷たい印象を受けないのは、人好きする笑顔によるものだろう。
「ご挨拶を」
と、フォセットがディアヌローズの耳許で囁いた。
ディアヌローズは我に返り、居ずまいを正して跪礼する。
「ご挨拶が遅れて失礼いたしました。ディアヌローズと申します。ヴァランタン様、どうかお見知りおきくださいませ」
「こちらこそ、ディアヌローズ。幼いのに立派な挨拶だね」
応接卓に移った三人にお茶が淹れられた。
お茶を飲んでいる間も、ヴァランタンはディアヌローズを興味深そうに見ている。
ディアヌローズはティーカップ越しにヴァランタンを窺う度に目が合って、どうにも居心地が悪くて仕方ない。
アルフレデリックは嘆息する。
「もういいでしょう、兄上。あすの引継ぎをしなくては」
「あと少しだけ。お前を花まつりに引っ張り出したディアヌローズに、とても興味があるんだ。兄上と姉上に報告する使命も負っているしね。
なに、お茶をお代わりする間だけさ。いいよね、ディアヌローズ」
ヴァランタンは笑みを深めた。
女性なら誰もが見惚れる笑顔に、ディアヌローズは思わず顔を俯けた。花まつりでの求婚話を聞いてから、奏としての乙女心が絶賛発動中である。気持ちを落ち着けて、そろりと顔を上げた。
「──はい。わたくしが花まつり見物を強請ったばかりに、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「気にする必要はないよ。おかげで、やっと君に会えた。昔からアルフレデリックは大切なものを隠したがるからね、兄姉で気を揉んでいたんだよ」
眉間の皺を深く刻んで、アルフレデリックはヴァランタンを睨んだ。
「本当でないことをディアヌローズに吹き込まないでください」
「全部が本当とは言わないが、全部が嘘でもないだろう?」
ニヤリとヴァランタンは口端を上げた。
アルフレデリックは一瞬嫌そうに顔を歪めると、ディアヌローズに向いた。
「ディアヌローズ、信じないように」
「……はい」
畏まってディアヌローズは返事した。お説教する時みたいな顔で言われては、他の言葉では叱られる。
ヴァランタンの性格はコンスタンティンに似ているようだけれど、アルフレデリックへの接し方はコンスタンティンよりも容赦がない気がする。
本当の兄弟なら皆こうなのだろうか──。ディアヌローズだってエレオノールを姉のように慕っている。でもやはり、少なからず遠慮はある。それはたぶん、エレオノールも同じ……。
羨ましい──。ディアヌローズはふたりを見つめた。
お茶のお代わりの後、ヴァランタンは言葉のとおりに帰っていった。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
花まつり当日の朝。
ディアヌローズは夜が明けきらないうちに目を覚ました。
窓の外はしだいに薄れる瑠璃色に桜色が染み、やがて春のやわらかな陽が部屋に射した。
朝食を済ませて支度に取り掛かる。
日課の課題はお休みだ。遠足みたいでワクワクが止まらない。
いつもより短い靴下を履かされて、膝上のベルトで留められる。
ディアヌローズが首を傾げると、フォセットは苦笑した。
「お忘れですの? きょうは男のお子になられるのですわ」
「……すっかり忘れていました」
アルフレデリックが花まつり見物を許可するにあたり、男の子の恰好をすることが条件だった。
フォセットは手際よく男の子の服装をディアヌローズに着せ付けていく。
襟と袖口がレースのシャツにリボンタイ、すね丈の若草色のズボンにサスペンダー。同じく若草色の長丈の上着。踝が隠れる革靴。後ろで三つ編みした髪には銀の髪留め。
支度はあっという間に終わった。
「張り合いがございませんわね」
ポツリと漏らしたフォセットの言葉に、みんなも物足りない顔で頷いている。
「変ですか?」
「そのようなことはございません。きっと小さなお嬢さま方が頬を染められましてよ」
「喜んでいいのかしら」
「さあ、どうでしょう……」
フォセットが困ったように笑んだ。
それからみんなで笑い合う。
「これからどうするのですか?」
フォセットは膝をついて、ディアヌローズと目を合わせた。
「アルフレデリック様とご一緒に、まずは城下街のフロラント商会に向かいますの。きょうはアンベールとクロティルドが供をいたします。くれぐれも、繋いだ手を離さないでくださいませ」
ぎゅっとディアヌローズの両手をフォセットは握った。
ディアヌローズは大きく頷く。
「絶対に離しません。帰ってきたら、みなさんにたくさん花まつりのお話をするわ」
それから暫くの間、フォセットの注意が続いた。
『キョロキョロしすぎない』とか、『疲れたら早めに申し出るように』とか。それから『知らない人と話してはならない』とか、果てがない。
注意の度に頷いていると、ディアヌローズは自分が水飲み鳥みたいに思えてきて、笑いを堪えるのが大変だった。
漸くフォセットから解放されると、ディアヌローズは飾り箱からマノワの小鐘と星の欠片を取り出した。
フロラント商会へ行くのなら、星の欠片を屋敷精霊のオジェや商人見習いのクロエに渡せるかもしれない。ふたりに知り合ったのは夏のこと。フロラント商会で療養している時だった。ずっと渡したかった星まつりの日のお土産。ふたりは喜んでくれるだろうか。
ディアヌローズはマノワの小鐘を金鎖に通し、星の欠片を小袋に幾つか入れてハンカチと一緒に隠しにしまった。
アルフレデリックがベルナールとアントナンを伴ってディアヌローズを迎えに来た。
ディアヌローズと似たような服装をしている。色は青紫色。リボンタイのかわりにクラバット。腰にはサッシュベルト。マントを纏い、いつもは緩い三つ編みの髪はしっかりと編まれている。
同行のベルナールとアントナン、アンベールの男性三人も、マントの中は格下だが同じような服装だ。唯一女性のクロティルドの恰好は、いわゆる平民服にマントである。
ディアヌローズはアルフレデリックの胸許を見た。
「ブートニエールは付けないのですか?」
「ここから付けていくわけなかろう」
小首を傾げるディアヌローズをアルフレデリックはギロリと睨んだ。
咄嗟にディアヌローズは口を押さえた。取りやめになったら一大事である。
「行くぞ」
マントを翻して、アルフレデリックは大股で歩き出した。
その後ろをディアヌローズは小走りでついていく。領事棟の廊下を自力で歩くのは初めてだ。これまでは、抱き上げられるか、木箱に入れられての移動だけだった。
部屋を出て間もなく、アルフレデリックのもとに部下らしき人がやって来た。
耳打ちされたアルフレデリックは眉を寄せて立ち止まった。
ディアヌローズも足を止める。
「ディアヌローズ、後ろを向きなさい」
言われるままディアヌローズが後ろを向くと、三つ編みした髪が持ち上げられた。ごそごそ揺れた後に、下ろされる。
「急ぎの用ができた。部屋で待っていなさい」
「えっ!?」
くるりとディアヌローズが振り向くと、もうアルフレデリックは踵を返していた。
マントを靡かせ離れていくアルフレデリックの背を見つめて、ディアヌローズは立ちつくした。
「お部屋でアルフレデリック様をお待ちしましょう」
クロティルドの言葉にこくりと頷いて、ディアヌローズはのろのろと部屋に戻った。
暫く待っても、アルフレデリックは戻ってこなかった。
何度目かの溜息をついて、ディアヌローズはヴィオリナを手にした。
課題をする気にはなれなくて、ビジュの前でカノンを弾く。
三度目の途中で、弦が一本切れた。
ままならないときは何もかもがままならない。ディアヌローズは大きく嘆息した。
すると、突然────
「♪ピュー ルー ルー ……」
ビジュがカノンを歌い出した。
ディアヌローズは息を呑んでビジュを見つめた。
曲の四半分を歌ったビジュはかるく羽ばたくと反対を向いて、「ピュルピュル」と鳥らしく囀った。もう歌わない、と宣言しているみたいだった。
しまった──。弦が一本切れていても一緒に弾くことはできたのに、どうして合奏しなかったのだろう。ディアヌローズは悔やんだ。
しょんぼりと窓辺に佇んで、ディアヌローズは庭を眺めてふと思う。
街中が花で溢れんばかりという話は本当だろうか。
この庭の草木は緑浅く、花など無いに等しい。花まつりの話はどうにも信じ難かった。
早く自分の目で確かめたい──。心の中で気を揉んだ。
「おや、まだ出掛けないのかい?」
ディアヌローズが振り向くと、ヴァランタンが扉口から顔を覗かせていた。
部屋に入ってきたヴァランタンに、ディアヌローズはへにょりと眉尻を下げる。
「出掛けたのですが、急用ができたから部屋で待つようにとアルフレデリック様が……」
ヴァランタンは「そうか……」と顎先を摩った。
「だけど、ぐずぐずしているとパレードに間に合わなくなるよ」
ヴァランタンは男の子になったディアヌローズをまじまじと見て、アルフレデリックと同じように三つ編みの髪を持ち上げた。
「なんだ。アルフレデリックは迷子対策をしているじゃないか。これなら先に出掛けても、アルフレデリックの方から君を見つけるよ。大丈夫だから行っておいで」
「でも……」
「アルフレデリックには私から伝えておくから心配いらない。叱らないようにともね」
パチリとヴァランタンは片目を瞑ってみせた。
ディアヌローズは戸惑った。判断に困ってフォセットを見ると、フォセットは微苦笑を浮かべて頷いた。
思わずにまにましてしまう口許をディアヌローズは引き締めた。軽く膝を折って挨拶する。
「では、行ってまいります」
「楽しんでおいで」
ひらひらとヴァランタンは手を振り、ディアヌローズは満面の笑顔で部屋を出た。
玄関ホールに近づくにつれて、領事棟の廊下は賑わっていった。
アルフレデリックの嫌がっていたブートニエールを付けた人。花冠を載せた人。いつもは目にしない子どもの姿も多くある。
一気にディアヌローズのお祭り気分は高まった。




