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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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地下室

表現を修正しました。

 じめじめした狭い地下室で、ディアヌローズは身体を縛られたままごろりと仰向けになった。

 天井近くの壁にはレンガ二個分ほどの明り取りが三か所。そこから入ってくる光は弱々しい。おそらく細い路地に面しているのだろう。

 目に入るものは小さな机と丸椅子が一脚。粗末な木箱が二つ。あとは暖炉だけだ。


 石床に体温を奪われてぶるりと震え、身体を起こした。足を曲げ伸ばししながら壁に移動する。

 板張りの壁は処々ささくれていたが気にせず凭れかかった。


 身体に食い込む縄を緩めようと奮闘している最中に、ガチャリと鍵を開ける音が鳴った。


 姿を見せたのは拉致した灰色の髪の男。仲間にバンと呼ばれた男だ。


 思わずディアヌローズがバンを睨みつけると、バンはにたりと唇を吊り上げてディアヌローズの前にしゃがみ込んだ。


「気が強そうで何よりだ。泣かれるよりゃいい」

「どうして拉致したの? 身代金目当てなら、お金なんて無いから」

「お前の金なんざ知ったこっちゃねえ。金ならたんまり頂けるからな。半金はもう手に入れたんだ。身代金なんてアブナイ橋は渡らねぇよ」


 爪の間が黒い手で、バンはディアヌローズの頬をぴたぴた叩いた。

 途端にディアヌローズの肌が粟立つ。泣くものかと奥歯を噛み締めた。


「俺たちゃ頼まれた仕事をしただけだ。()るお方からな」


 ディアヌローズは瞠目した。自分を知っている人なんて、このイストワールには数えるほどしかいない。しかもその人たちとは浅くない交流を重ねてきたつもりだ。俄かには信じられるはずもない。


「ウソ言わないで!」

「一ピエスの得にもならねぇ嘘なんざ言わねえよ。

 お前、ガキのくせに何やらかしたんだ? そのお方はめっぽうお怒りだそうだ。

 まあ、おかげで俺たちゃいい商売ができたがな。お前に感謝するぜ」


 嘘……。ひやりとした痺れがディアヌローズの背骨を駆け下りた。全身を巡る血が止まったかのよう。指先が急激に冷えていくのがわかった。


 バンは顔色を悪くしたディアヌローズを見ると、灰色のキツネ目を細めた。


「ひーっ、ひーっ」


 下品な引き笑いをするバンを前に、ディアヌローズは空唾を呑んで平静を装う。


「わたしをどうするの?」


 バンは待ってましたとばかりに、にぃと顔を歪め、唇を舌でベロリと舐めた。


「お前は、明日の昼には()()領地のお方へ納品される。

 そしたら残りの半金が俺たちの懐に入るって寸法だ」

 じゃあな、とバンは立ち上がった。


「待って! 縛られたところが痛いの。この縄を解いて」


 バンは目を眇めると、暫く無言でディアヌローズを見下ろした。


「おとなしくしてろよ。逃げようなんて余計な真似すんじゃねぇぞ」


 縄を解いてバンが出ていくと、また鍵を掛ける音が地下室に響いた。



 独りになった薄暗い地下室で、ディアヌローズは抱えた膝に突っ伏した。

 怒らせた人って誰だろう──。

 みんなに迷惑を掛けてきた自覚は、ある。

 でも……。ディアヌローズは唇を噛んだ。


 ぽとり、ぽとり、と涙が落ちていく。

 みんなとは良好な関係を築けている、と思っていた。

 けれど、どうやら違ったらしい。


 みんなの顔を順に思い浮かべては、ありえないと首を振る。

 その作業を何度も何度も繰り返した。


 他領に追いやりたいほどに疎まれていたことが、純粋に哀しい。

 それが誰なのか。知るのも、考えるのも、怖い。


 でも、確かなことが一つある。

 拉致犯のされるがまま、自分の行く道を決められたくはない。



 ディアヌローズは左右の手の甲で順に涙を拭うと、すっくと立ちあがった。

 逃げなくては──。まずはこの地下室を調べよう。


 手始めに木箱から。一つ目の仕切りのある木箱には三本の空き瓶が入っている。二つ目は壊れた木箱で中は空っぽ。側面の外れた板からは釘がとび出している。


 次は引き出しの無い机。机上には蝋が溶けて固まった蝋燭立て。ガタつく背もたれの無い丸椅子。


 それから暖炉。灰と燃えかすの残る炉内。潜り込んで上を見上げると、小さく光が見えた。


 最後に扉を調べる。耳をそば立て、忍び足で近寄った。

 古めかしい頑丈な一枚扉で、覗き穴は見当たらない。



 一通り調べ終えると丸椅子を机脇の壁に寄せ、よじ登って腰かけた。壁に寄りかかって逃げる方法を考える。

 扉からは無理だ。

 明り取りも小さすぎて逃げられない。仮に「助けて」と叫んだところで、たちどころに気づかれてしまうだろう。

 あとは暖炉の煙道しかないけれど、たとえ一階分の高さだって登れそうにない。


 万事休す。項垂れた途端、板壁のささくれに髪が引っかかった。

「痛っ……」

 三つ編みした髪が肩を滑り落ちてきて、銀の髪留めに目が留まる。

 出掛けのヴァランタンの言葉を思い出した。


『アルフレデリックは迷子対策をしているじゃないか。これなら先に出掛けても、アルフレデリックの方から君を見つけるよ』


 迷子対策? 別れ際、アルフレデリックは髪を持ち上げて何をしていたのだろう。


 髪留めを凝視すると、透かし彫り細工の中に石のチャームを見つけた。

 揺らめく光を内包する石。これが迷子対策だと確信した。


 迷子の基本はその場を動かないこと。

 はたして、拉致でも通用するだろうか。


 見つけて欲しいと、そう願う心をバンの言葉が嘲笑う。

『そのお方はめっぽうお怒りだ』


 もしもよく知っている人だったら……。

 でも──。

 震える両掌で髪留めを包み込み、祈るように額に押しあてた。




 遠くで昼を知らせる四の鐘が鳴った。

 丸椅子から明り取りを見上げ、ディアヌローズは思う。

 アンベールとクロティルドは探してくれているだろうか。きっとアルフレデリックだって用事は終わっているだろう。だから──。

 そろそろ見つけてもらえる。遅くとも日暮れまでには見つけてもらえる。

 震える心を宥めるように、心の中で繰り返した。




 明り取りからの光が弱くなるにつれて、心細さが増していく。

 花まつり見物を満喫して、愉しい一日になるはずだった。

 フロラント商会ではクロエとオジェに再会し、星の欠片を渡せていたはずだった。


「ふ、ぐっ……」


 堪え切れず言葉にならない音が漏れた。

 押し潰されそうな不安に、手を重ねて胸に寄せた。

 手に伝わる固い感触。一瞬、心臓がドキリと跳ねた。

 もどかしい思いでブラウスの襟口をまさぐって金鎖を引き出した。金鎖の先にはマノワの小鐘(ベル)が付いている。オジェを呼ぶために持ってきていたものだ。


 どうか屋敷精霊が棲んでいますように──。


 ディアヌローズは祈りを込めて小鐘を振った。


 だがしかし、どんなに待っても屋敷精霊は現れなかった。


 冷静に考えてみれば、犯罪者のいるところに精霊が棲むなんてありえない。

 理解はしても失望は大きく、ディアヌローズは肩を落としてぼんやりと石床を見遣った。



 明かり取りの光が夕暮れに染まり始めた頃、ガチャリと鍵の音がして扉が開いた。


 膝に置いた手を眺めたまま、誰なのかを確かめる気にもなれずにいると、聞こえてきたのはバンの声だ。


「メシだ」


 バンは木の盆を机に置くと出て行った。


 お盆には黒パンとスープが載っていた。黒パンは釘が打てそうなほど固い。冷めたスープの木椀からは生臭いニオイがする。肉か魚が入っているのだろう。

 ディアヌローズは嘔吐きが止まらない。お盆を机の反対端に押しやって、椅子から降りた。



 気づけばもう夕方。とうに花まつりは終わった筈だ。

 助けは来ないのかもしれない……──。


 バンが言っていた『然るお方』の存在が、胸の内で幾度となく頭をもたげた。

 一体、何をしてその人を怒らせてしまったのか。


 それに。

 馬車で待つようにとのクロティルドに、パレードを見たいと我を張った。

 アンベールとは門のすぐ前で見ると約束したのに反故にした。


 全部自分が悪い。


 不意に、自分の我儘のせいでアンベールとクロティルドが罰せられるのではないか、と気になった。

 自分が我を通したことを知らせなければ──。

 でも、どうやって?

 残された時間は少ない。ディアヌローズは焦りを滲ませて地下室を見渡した。


 これだ!


 ディアヌローズは壊れた木箱から、錆びついた釘がとび出た板を手にとった。気の急くまま釘の頭を引っ張ってみる。だが、びくともしない。

 扉向こうの気配を気にしながら、釘先を下に板を踏む。釘は錆をこぼしながら僅かずつ抜けていき、最後は手で釘を左右に揺らして引き抜いた。必要なのは釘だけだ。


 板を木箱に戻したところで、鍵の音が鳴った。隠しに釘を突っ込む。

 急いで椅子によじ登ったのと同時に、バンが入ってきた。


「食ってねぇじゃねえか」

「食べられないわ」


 プイとディアヌローズは顔をそむけた。


「お前は大事な商品だ。元気でいねぇと困るんだよ。食え!」


 バンは言い終わるが早いかディアヌローズの頭に腕を回して鼻を摘まみ、スープの椀をディアヌローズの固く結んだ口に押し付けた。


 息苦しさにディアヌローズが口を開けた途端、生臭いスープが口いっぱいに流れ込んできた。

「がほっ、ぐふっ……」


 バンに頭を押さえつけられて、息継ぎするたびに容赦なくスープを流し込まれた。大半はこぼれたが、気持ち悪くなるには十分な量を飲まされた。


「うぇっ、……ごほっ、ごほっ」

「手間かけさせやがって」


 バンは木盆を持って出ていき、鍵が掛けられた。


 口の中が気持ち悪い。顎や首、服までもが生臭いスープに塗れた。床はこぼれたスープで汚れている。

 むかむかする胃を押さえて、ディアヌローズは石床に蹲った。領事棟では、体調を崩す原因となる動物性の食品は一切食卓に上らなかった。気遣ってもらっていたのだと、改めて思い知った。




 どれほどの時間が経ったのか。明かり取りを見上げれば、もうじき日没らしい。

 ディアヌローズは気持ち悪さに耐えて立ち上がり、隠しから釘を取り出した。

 机脇の板壁、腰掛けた時にちょうど背中で隠れる処に、釘で『奏』と書いた。

 これは自分の印だと、以前、アルフレデリックに話したことがある。アルフレデリックが見つけてくれれば、ここに監禁されていたとわかってくれる筈だ。

 何より、バン達はこの文字に意味があるとは思わないだろう。


 それから机の下に潜った。天板の裏に伝言を書く。


『アルフレデリック様

 言いつけを守らなくて申し訳ありません。全てはわたくしの我儘によるものです。アンベールさんとクロティルドさんに落度はありません。罪はわたくしだけのものです。 ディアヌローズ』


『皆さま

 お世話になりました。感謝いたします。 ディアヌローズ』


 机の下から出ると、念のために机の天板側面にも『奏』と書いた。

 それから暖炉の灰と消し炭を文字に擦り付けて、あまり目立たないよう工夫した。この伝言がバン達に見つかることなく、アルフレデリック達に見つけもらえることを願った。




 日はとうに暮れ落ちたものの、幸いなことにほんのりと月明かりが入ってくる。

 一段と冷えてきて、石床にいるよりもマシだとディアヌローズは丸椅子に腰掛けた。だが、スープで濡れたブラウスは肌に張り付いて冷たく、震えが止まらない。


 やがて寒気は怠さに変わった。机に突っ伏した顔がひんやりして気持ちいい。とうとう発熱したようだ。

 もしかしたら、この発熱の原因は寒気だけではないのかも。『心を揺らすと熱を出す』と、散々アルフレデリックに言われていた。


 八つ当たりだとわかってはいても、「アルフレデリックが見つけてくれないからだ」と、つい胸の内で悪態をつく。


 だって、もう夜なのに──。助けて……。

 期待と諦念がせめぎ合う。


 領事棟の部屋を、みんなを思い出して涙が零れる。

 今頃みんなは何をしているだろう。

 怒らせた人が誰なのかはいまだに見当もつかないけれど、みんなに会いたくて堪らない。


 領事棟の自分の居場所で、安心できる部屋で、大切な人たちと笑い合って過ごしたい。

 心を置いた場所で、気の置けない人たちと日々を重ねていきたい。


 なのに、他領に追いやりたいほどに怒らせてしまった人がいる。

 謝罪の機会も与えたくないほどの深い怒りを持っている、その人。

 無自覚ながらも傷つけてしまったその人は、確実に存在する。


 明日には知らない領地に連れて行かれる。

 そうしたら、その人の胸はすくのだろうか……。


 とめどなく流れ落ちる涙を拭おうと、隠しからハンカチを取り出す。

 一緒に出てきた袋を見た、瞬間。

 バラバラだった記憶の断片が結びついた。


 涙を拭うことも忘れて、ディアヌローズはハンカチを隠しにしまった。

 袋の口を広げる。


 星の欠片を一粒、取り出した。






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