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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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悪夢の真実

表現の修正をしました。


 常であれば温和な表情を崩さないミゼリコルドも、さすがに今ばかりは眼光を鋭くしている。


「至急、アルフレデリックと領地のコンスタンティンを呼びなさい。

 アンベールとオードレイはレクタの痕跡を辿り、調査せよ。それから──」


 ミゼリコルドの采配で、皆がそれぞれ散っていった。




 ややあって、アルフレデリックが足早にやって来た。

 無言のままミゼリコルドは視線で庭を示し、アルフレデリックは見るなり瞠目した。


 まず目に飛び込んできたのは血の海に沈む、ひときわ大きな猪に似たレクタの死骸。

 折れた片牙。どす黒い血に塗れた体毛。抉れた脳天は焦げ、絶命の(まなこ)は半開きで虚ろ。短い脚を投げ出し、内二本はあらぬ方向に折れ曲がっている。


 さらに、その奥にも血に塗れたレクタの(むくろ)が四体。

 新雪には桶で撒かれたかのごとく赤黒い血が広がり、血飛沫もいたる処に散っている。

 傾いだ樹木。散乱した枝。中にはかなり太い幹もある。

 随所に見られる、低木の引き抜かれた穴や蹴散らされて剥き出しになった地面。

 清浄な雪は皆無に等しい。



 アルフレデリックは眉間に深い皺を刻み、銀にも見える瞳をミゼリコルドに向けた。


「お聞かせください」

「コンスタンティンは?」

「まもなく」


 長い白銀の顎鬚を撫で、ミゼリコルドは庭の奥を一瞥した。

「では、コンスタンティンを待とう。じきに調査に出た者も戻るであろう」



 アルフレデリックは固い表情のまま無言で頷き、ディアヌローズの寝台に向かった。

 青白い顔で横臥するディアヌローズの傍らには、沈痛な面持ちのフォセットがいた。


「様子は?」

「お怪我はありません。惨状をご覧になって嘔吐されましたの」

「目を離さないでくれ」



 再びアルフレデリックはミゼリコルドと庭の惨状を見据えながら、調査から戻るアンベールらを持った。



 大して時を置かず、領地からコンスタンティンが到着した。

 自ら勢いよく扉を開け、その勢いのままアルフレデリックとミゼリコルドのもとにやって来た。

 庭を一瞥するなり表情を険しくする。


「何があった? ミゼリコルド」

「早いな。調査に出た者が戻らぬうちにとは」

「其方の呼び出しだぞ。すべて投げ出してきた」


 三人は応接卓へと場所を移した。


「私も最初から見ていた訳ではないのだ」


 ミゼリコルドはそう言って、レオナールとクロティルドを呼び寄せた。

 魔獣が現れてから討伐するまでをまずレオナールに語らせ、次にクロティルから語らせた。

 最後にミゼリコルド自身も、目撃した状況と自らの討伐についてを補足した。



「レクタが群れるなどあり得ぬ」


 腕を組んで報告を聞いていたコンスタンティンが訝し気に声を上げたその時、調査に出ていたアンベールとオードレイの二人が戻ってきた。手には遺留品らしき数点がある。


 入室の際に開けられた窓から血腥(ちなまぐさ)い汚臭が流入し、皆が一斉に顔を顰める中、アルフレデリックがすかさず杖を出して空気を浄化した。



「アンベール、報告を」


 ミゼリコルドに促されたアンベールは、胸に手をあてて青漆(せいしつ)色の頭を軽く下げ、礼を執った。


「足跡を辿り、ここからかなり離れたところで籠を発見しました。レクタが五頭であったことと籠の大きさから鑑みるに、最初はクトゥムだったと思われます。

 足跡の大きさからも、クトゥムからグラミ、そしてレクタに変化したのはまず間違いないでしょう。


 また、魔石が道中のところどころに落ちているのを見つけました。これは誘導と巨大化を謀った裏付けになります。


 ──ですが、犯人を特定する物証は見つけられませんでした。

 こちらが回収したものです」


 回収した籠を応接卓の脇に置き、魔石の入った袋を応接卓にのせると、アンベールはより深刻な表情を見せた。


「そのほかにも遺留品を発見しました。籠の脇に落ちていた瓶と、もう一つは……まずはご確認ください。小袋に入れてあります」



 アンベールの合図で、硬い表情のオードレイが小袋と酒瓶ほどの大きさの瓶を応接卓にのせた。


 アルフレデリックは空になった瓶のふたを開け、僅かに残った液体を見分する。


「興奮剤です」


 コンスタンティン、ミゼリコルドとアルフレデリックの三人は、無言で顔を見合わせた。

 それからアルフレデリックは小袋の口を開け、中身を応接卓に揺すり出した。

 一同は瞠目する。


「……妖石」

 口々に言葉を落とした。


 それらは薄汚く濁った小粒の石。透明感のある魔石や路辺の石とはまったく違う。あれば必ず避けるような禍々しさがあった。



「小粒ではあるが、レクタほどであれば凶暴さを増すのには十分だ。大きくなるのも早かったであろうな」

「誰を狙った? 領事棟においてこれほどの騒ぎを起こすなど、断じて許さぬ」


 冷静に語るミゼリコルドの隣で、コンスタンティンは憤りの声を上げた。

 対面のアルフレデリックは頤を親指で摩りながら、口を開いた。


「ディアヌローズ、と考えるべきでしょう。

 護衛騎士を狙うのであれば、一人の時を狙う。

 ですが、ディアヌローズの存在を知っている者はごく少数。

 理由が分かりません。

 オードレイ、庭へ出るのは毎日か? (とき)は?」


「天候の悪い日を除いたほぼ毎日、課題を終えられると庭へ──」


 話の途中で、フォセットが焦った様子でやってきた。


「お嬢さまが酷く魘されておいでです」




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 ディアヌローズは今、夢を見ている自覚があった。

 なぜなら、《奏の世界》で修了試験が間近に迫った頃、毎夜見ていた悪夢だったから。


 目の前の女性が、黒い光を浴びて(くずお)れ、動かなくなる。


 見る度に怖くて。助けて欲しくて。叫びたいのに、声が出ない悪夢。

 けれど今回は、いつもとは少し違っている。


 身を(よじ)った女性から、庇うように抱きしめられた。

 その瞬間、自分が小さな子供であると自覚した。

 奏のような成人ではなく、ディアヌローズのように小さな子供であると。


 息がかかる程の、ほんの間近で、その女性と目が合った。

 涙を湛えた、慈愛の籠った、貝紫色の瞳と。

 ディアヌローズと同じ瞳の色。


「あなたは誰?」

 訊きたいのに声が出ない。


 まるで気持ちが伝わったみたいに、その女性は涙を一筋零すと言った。


『シェリール……』、と。


 名だ。本当の名だ──。その刹那、理解した。

 耳朶を打ち、心が震える、女性の声。


 大切な名を忘れていたなんて……。


 後悔と自身に対する怒りで、唇をきつく噛んだ。

 でも今はそれよりも、早く確かめないと。


「あなたは(かあ)さまなのでしょう?」


 同じ貝紫色の瞳をした、その女性(ひと)に。

 優しい目をした、その女性に。

 なのに声にならない。


 声を出そうと足掻(あが)いている()に、その女性は頽れた。

 足下で動かなくなった、その女性に縋りつきたい。

 なのに身体が凍りついたように動かない。

 同じ貝紫色の瞳だけが、その女性を映し続ける。


「母さま」と、呼びたかった。

 せめて一度だけでも。


 ごめんなさい。「母さま」、と呼べなくて……。

 ごめんなさい。忘れていて。

 ごめんなさい。間に合わなくて。


 ああ、結局いつもと同じ。間に合わないまま。


 ごめんなさい。何度も哀しい思いをさせて……。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




「ディアヌローズ!」


 誰、だろう──。夢の中で、ディアヌローズはその声を聞いた。

 それからも続けざまに名を呼ばれ、肩を揺さぶられて、漸くアルフレデリックの声だと気づいた。

 でも、瞼が重い。喉は乾ききってかさつき、薄く開いた唇からは息の通る音だけが微かに鳴った。空唾を飲み込んだ喉は痛くて、瞼の内で涙が滲んだ。


 諦めて口を閉じると、またアルフレデリックに名を呼ばれて揺すられた。

 仕方なく、もう一度繰り返す。結果は同じで、諦めるのも同じ。

 でも、アルフレデリックは諦めてくれない。


 仕方なく何度か繰り返しているうちに、擦れた息が声になった。空唾を飲み込んで、もう一度。


「……ちが、います。……わたくし、は……シェリール、です」


 それから精一杯の力を瞼にこめた。糸のような隙間から少しづつ瞼は開いて、涙が顳顬(こめかみ)を伝っていった。

 滲む視界の向こうに、アルフレデリックの淡い金瞳があった。


「思い、出しました。──夢を。

 ……黒い、光が……」

「黒い光!?」


 アルフレデリックの咎めるような声に、ディアヌローズは口を噤んだ。

 失敗した──。以前、アルフレデリックから黒い光について問われた時、知らないと(しら)を切ったことを思い出した。口にすべきではなかったかもしれない。



「まずはディアヌローズの話を最後まで聞こう」


 ミゼリコルドはそう言って、寝台脇にアルフレデリックとコンスタンティン、そしてミゼリコルド自身の椅子を用意させた。

 ディアヌローズをクッションに凭れさせ、水を飲ませる。


「では続きを聞かせておくれ」

 穏やかな声で、ミゼリコルドは言った。



 口にしてしまった言葉は戻せない──。ディアヌローズは覚悟を決めて口を開いた。


「夢を、夢を見ました。

 わたくしの、目の前に、……女性が、背を向けて、立っていました。

 ──そして、黒い光が、禍々しい光が、その女性に、絡みついていくのです。

 女性は身を捩りながら、こちらを向いて……。

 わたくしを抱きしめて……。

 目が合いました。……とても優しい眼差しと。

 その瞳は、わたくしと同じ。……貝紫色」



 フォセットは息を呑み、口許を手で覆った。

 アルフレデリックは眉間に皺を寄せ、頤を親指で摩っている。

 コンスタンティンとミゼリコルドのふたりは、黙してディアヌローズを見つめていた。


 ディアヌローズは息を整えると、話を再開する。


「そして、涙を零すと言ったのです。

 わたくしの目を見て、『シェリール』と。

 ……わたくしの名、だと判りました」


 力なくディアヌローズは笑んだ。後悔が胸の底で蟠る。瞬いた目から涙が一筋零れ、そして溢れた。嗚咽をこらえて口を開く。話は後もう少しある。


「その女性は、名を呼ぶと頽れて……動かなくなりました。

 ──あの女性は、……母さま、です。でも……」


 その先の言葉を、ディアヌローズは吞み込んだ。

 あの夢は、どう考えてもイストワール。けれど、どうして転移前からその夢を見ていたのかが分からない。


 なのに呼ばれた名は自分の名で、名を呼んだ女性は母だと直感が告げている。それに、いまは母への思慕が心の大半を占めていて、ただひたすらに母が恋しくて堪らない──。

 止まらなくなった涙は、顎から(したた)り落ちては握りしめた拳を濡らしてゆく。



「その夢を見たのは、きょうが初めてかい?」


 ことさら柔らかな声でコンスタンティンは尋ねられ、ディアヌローズは慎重に言葉を選ぶ。奏のことは話せない。


「……アルフレデリック様に保護される前に、よく見ていた夢です。ずっと忘れておりました。

 ですが、庭でフォセットさんに抱きしめられて、思い出し、ました。

 ……庭!?」


 瞬時に、惨状の記憶がディアヌローズに戻った。

 真っ白な雪の上の、血飛沫と血溜まり。

 血腥(ちなまぐさ)さが甦り、胃液が喉もとまでせり上がってくる。慌てて両手を口に押し付けた。



 アルフレデリックはディアヌローズの額に触れ、治癒の光で包む。

「もう少し眠りなさい」


 すとんと、ディアヌローズは眠り落ちた。



 真顔になったコンスタンティンは、ディアヌローズから目を離さないまま立ち上がった。


「アルフレデリック、話がある。

 ミゼリコルド、フォセット。ディアヌローズを頼む」






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