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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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雷と雪と足跡

表現の修正をしました。

 (エイレヴェール)の二つ目の月である雪月を迎え、冬枯れの枝を風が揺らす様はとても寒々しい。空には鈍色(にびいろ)の雲が低く垂れこめ、窓の玻璃(ガラス)は寒風でカタカタと音を立てている。


 夕食後のひと時、ディアヌローズは薪がパチパチと音を立てている暖炉の傍らで、揺らぐ炎を眺めながら神経をとがらせていた。


 窓の外をちらりと見たフォセットが、そんなディアヌローズの様子を知ってか知らでか、

「今夜は、雷が鳴るかもしれませんわね」と、独り言のようにもらした。


 途端に、ディアヌローズの身体はピシリと固まった。奏の時からずっと、雷は大嫌いだ。

 フォセットは困ったように笑った。


「雷の鳴る日は、天上の神々が部屋の模様替えをされているそうですわ」

「部屋の模様替え、ですか?」


 きょとりとディアヌローズが小首を傾げると、フォセットは、「ええ」と頷いた。


「家具を引きずったり、持ち上げてドスンと乱暴に置いたり。うっかり倒したりも。その度に、地上に雷鳴が轟くのですって。稲妻が光るのは、地上に落とした物を探すためだそうですよ」


 なんて迷惑な話──。この神話はおそらく雷を怖がる子どもに向けて創作された話だと思うが、神が存在するイストワールでは真実なのだろうか。いずれにしても、ディアヌローズには受け入れ難い話である。


「探し物をするなら、朝になるのを待てばいいのに。それに、家具は丁寧に扱わないといけないのよ」


 ディアヌローズが唇をへの字に曲げると、フォセットは青緑色の目を細めてくすくす笑った。


「そうですわね。きっと昼間はお忙しいのでしょう」


 神話の話はさておき、雷が鳴る前に眠ってしまった方が良さそうだ。ディアヌローズは決心する。

 なのに────

 寝台に入った頃には雷が鳴り始めた。しかも雷鳴と稲妻と、ご丁寧に地響きつきで盛大に。


 こんなにひどい雷は奏の時にも経験が無くて、ディアヌローズは上掛けにすっぽり包まってガタガタ震えた。音は筒抜け。おまけに隙間から光までもが漏れてくる。眠れるわけがない。


 雷の合間に掛け布が僅かに持ち上がって、フォセットが覗き込んだ。


(とばり)を閉めましょうか?」

「お願い、閉めないで!」


 即座にディアヌローズは断った。というより懇願だ。そんなことをされたら、余計に独りぼっちになった気がして怖さが増してしまう。

 見かねたのかフォセットは手を繋いでくれたけれど、全く眠れそうにない。



 突然、雷が止んだ。


 終わったの? ──

 恐る恐るディアヌローズが上掛けから顔を出した途端、真っ白な稲光で部屋の中が明るくなった。


「ひゃう」

 慌てて上掛けの中へ逆戻りして、耳を塞いだ。雷鳴に備える。


 あれ? 音がしない……──

 ほんの少し前まで、稲光と同時に鳴っていた。いくらなんでもおかしい。

 上掛けからのっそりと顔だけ出すと、目の前に見覚えのある光の膜があった。



「稲光だけは我慢するように」


 アルフレデリックの声に、ディアヌローズは掛け布から頭を出して見上げる。

 面倒くさそうな顔をしたアルフレデリックがいた。


「遮音の魔術では稲光は防げぬ。フォセット、帳を閉めてくれ」

「毎年のことなのですから、慣れていただかなければなりませんわ」


 承知しかねるとばかりフォセットが眉を(ひそ)めると、アルフレデリックも負けないぐらいに眉を(しか)めた。眉間の皺が深い。


「寝不足でまた熱でも出されたら私が困る。手間を掛けさせられるのは御免だ」


 甘やかしだと言いたげなフォセットを横目に、ディアヌローズは胸の内でアルフレデリックを応援する。まさか、星まつりでの失敗に救われるとは思わなかった。


「子どもが一度は通る道ですのに……」


 とうとうフォセットは折れて、ディアヌローズは半べそのままアルフレデリックを見た。


「ありがとう存じます」

「……其方の為ではない」


 鼻の頭を赤くして心の底から礼を述べたディアヌローズに、アルフレデリックはあくまで素っ気なかった。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 翌朝。

 いつもなら起こされる前には目を覚ましているディアヌローズも、さすがに今朝はマリレーヌに起こされた。まだ眠り足りないと言わんばかりに目を擦って、大欠伸をする。


「外は一面の銀世界ですわ」


 魅力的な言葉に、ディアヌローズはぱちりと目を開けて窓辺へ急いだ。玻璃に手をつけて外を見る。冷たさが少しも気にならない。



 きのうの寒々しかった鈍色の空は一転して青く、冬枯れの寂れた庭は真っ白な雪に覆われて眩く輝いている。樹々の梢にも余すことなく雪が積もり、まるで純白の花が咲き誇ったかのようである。



「きれい……」

 思わず漏れた吐息が玻璃を曇らせて、ディアヌローズの掌の跡をくっきりと残した。


「身体が冷えてしまいます。お着替えをいたしましょう」


 マリレーヌに促され、ディアヌローズは着替えて朝食を摂り、ビジュの世話を終えた。

 それからヴィオリナの練習をする。曲は庭を見た時に決めた。最初はヴィヴァルディ。次にカノンをビジュに聴いてもらう。課題はその後で。



 窓辺で雪景色を見ながらひと通り弾き終え、長椅子に戻るとコンスタンティンが訪れていた。

 そしてもう一人。コンスタンティンの隣にいるその人は、微かにクセのある腰に届きそうな白銀の髪と、胸まである白銀の顎鬚を生やした男性。以前、庭で一緒にフェブルを見たことがある人だ。もう一度会いたいと思っていたけれど、名前は知らない。


 ディアヌローズは足早にふたりのいる応接卓まで行き、丁寧に跪礼(カーツィ)する。


「おはようございます。ご挨拶が遅れて失礼いたしました」

「おはよう。きょうは友人を連れてきた。ミゼリコルドだ」


 コンスタンティンに紹介されたミゼリコルドに、ディアヌローズは再び挙措に気を配りながら跪礼(カーツィ)する。


「ミゼリコルド様、先日は名乗らずに失礼いたしました。ディアヌローズと申します」

「構わぬよ。私も名乗らなかったのだ」


 ミゼリコルドが鷹揚に言うと、コンスタンティンはあからさまにがっかりした。


「なんだ、もう会っていたのか」

「フェブルを共に見たのでな」

「聞いておらぬ」


 そう溢したコンスタンティンは、「まあよい」と、ディアヌローズに緑柱石の瞳を向けた。


「ミゼリコルドは博識でね、大抵のことに精通しているんだ。わからないことは、彼に教えを乞うといい」


 ディアヌローズにとって願っても無い話。ミゼリコルドの話をもっと聞きたいと思っていた。それに尋ねたい事もある。


「とても嬉しいです。ですが、わたくしの為に大切なお時間を割いていただいても、よろしいのですか?」

「其方の目は聡明さを宿していて好ましい。助力を惜しまぬよ」


 隣にいるコンスタンティンは、ぽんと膝を打った。

「では決まりだな」


「ご指導のほどよろしくお願いいたします」

 ディアヌローズも腰を落として礼をした。



 その後、コンスタンティンは、ディアヌローズの弾くクラヴィエールを聴いて帰っていった。曲はパルムグレンのもの。きょうの選曲は冬尽くしだった。




 練習を終えて、ディアヌローズはミゼリコルドと庭へ出た。足跡一つない雪をギシギシと踏みしめながら、並んで歩く。

 いつもの小径は雪に埋もれ、樹々の間の径ともわからない新雪を歩いていくと、後ろ足の長い、特徴のある獣の足跡を見つけた。


「フェブルの足跡だな」

 ミゼリコルドの見立てに、ディアヌローズは相鎚を打つ。

「真っ直ぐ続いています」


 ふたりは足跡を追った。

 すると唐突に、ぷつりと足跡が途絶えた。辺りに続く足跡は見あたらない。


「足跡の途絶えた理由がわかるかな?」


 ミゼリコルドの問いに、ディアヌローズは改めて足跡を観察する。僅かなブレがあった。


「後戻りしたのでしょうか……」

「正解だ。では、そのような行動をする理由は?」

「捕食者の目を欺くため、です」

「正解。では、どこまで戻ったのか」


 ディアヌローズは眉を(ひそ)めた。

「来た道をすべて戻らないのはわかります。……ですが、脇に逸れた足跡はありませんでした」


「其方には、フェブルを捕らえるのは無理なようだ。

 おいで」


 差し出されたミゼリコルドの手に、ディアヌローズは手を載せた。

 すると突然、足元から掬い上げられるようにふわりと身体が浮き上がった。


「きゃぁ」


 身体がふらついて思わず声の出たディアヌローズに、ミゼリコルドは申し訳なさそうな顔をした。


「すまない、驚かせてしまったな。少しばかり風の力を借りたのだ。

 下をごらん。あそこに足跡がある」


 眼下を見れば、ディアヌローズの身体は木の高さほどに浮いている。

 ミゼリコルドの指さす方、辿ってきた足跡の途中に、そこそこの間隔を開けてほぼ直角に足跡が続いているのを見つけた。


「理解できたかな。捕食者を欺くため、脇へ跳んで逃げたのだ。

 では下りるとしよう」


 上昇した時と同様に音もなく雪上に降りると、さくりと足元の雪が音を立てた。


「小さく弱い獣は、逃げる知恵を持っておる。たとえ己よりも強い敵に追われようとも、決して生きることを諦めたりせぬ。我々も見習わなくてはならぬのだよ」


「はい」と、ディアヌローズは頷いた。

 さっそく学びを得たわけだが、どうしても確かめたいことがある。


「──ミゼリコルド様、教えてくださいませ。

 初めてお会いした日、ミゼリコルド様はわたくしに会うために、あの場所にいらしたのではないですか?」


 ミゼリコルドは僅かに目を大きくした。


「偶然ではないと?」


「これまで、わたくしが庭で出会ったのは、お二人だけです。

 お一人はコンスタンティン様。アルフレデリック様のお父さま。

 そしてもうお一方は、ミゼリコルド様です。偶然とは思えません」


 愉快そうな顔をして、ミゼリコルドは長い銀の顎鬚を撫でた。


「何事も機というものがある。まだ時は満ちておらぬ故、今しばらく待ちなさい。いずれ語る時が来ようて。

 だが、そうだな。私がいま其方に言えるとするなら──

 知恵ではなく智慧を、本質を見極める力を養いなさい。

 智慧は強者を上回る力を持つ。精進するように」



 どうやら、この話はお終いらしい──。ディアヌローズにとって、ミゼリコルドとの出会いには少なくない意味があるようだ。智慧を身につけられるかは甚だ疑問だが、心に留めておきたい。

 ミゼリコルドには、もう一つ教えを乞いたいことがある。ディアヌローズは貝紫の瞳を向けた。


「もう一つ教えてくださいませ。フェブルと仲良くなりたいのです」


「どうしてどうして。大人顔負けの洞察力をみせたあとに、何とも微笑ましい願いを口にする」

 ミゼリコルドは好々爺然と笑い、それから愛おしそうに青玉の瞳を細めた。

「追いかけては(かえ)って逃げられることを肝に銘じなさい。冬は食料が乏しい故、庭に野菜や果物を置くとよかろう」


「さっそく試してみます。ありがとう存じます、ミゼリコルド様」

「まずは近寄らず、見守るように」


 顔を輝かせるディアヌローズに、ミゼリコルドは静かに言った。






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