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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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建国神話(2)

表現を修正しました。

 ディアヌローズがマノワとのお茶会をした翌日。

 庭に出る支度を始めようとしたところで、フォセットがやってきた。


「アルフレデリック様より、

『本日より三日間は外へ出ないように』と(ことづ)かってまいりました」


 ディアヌローズは不満げに眉を(ひそ)めた。

「グロゼイユを摘んでくるだけでもダメですか?」


「あす中央聖堂で執り行われる婚儀にご臨席されるため、まもなく領主ご夫妻がこの領事棟にいっらっしゃるそうですの。お付きの者も多いので、この部屋から出ないようにとのことですわ」



「ビジュはがっかりするわね……」

 しょんぼりとディアヌローズが項垂れると、フォセットは同情するように苦笑した。

「がっかりするのはビジュではなくて、お嬢様ですわね」


「……わたくしもだけど、ビジュも、よ。毎日おいしそうに食べているもの」


「わたくしが摘んできましょう」

 諦めきれないディアヌローズを見て、クロティルドが名乗りを上げた。


 茜色の髪をしたクロティルドが、だんだん小さくなっていく。その後ろ姿を、ディアヌローズは窓辺で見送った。


 ふと、蒼天の髪の男性を思い出した。もしも、クロティルドがその男性と出会ってしまったら──。クロティルドも、レオナールやアンベールみたいに困るかもしれない。ディアヌローズは(にわ)かに気が気でなくなった。



 やがて木立の葉陰に茜色が見え、クロティルドが姿を現した。


「さあ、どうぞ」


 クロティルドが差し出したグロゼイユの実をディアヌローズは受け取った。どうやら例の男性には出会わなかったようで、胸を撫で下ろした。


「ありがとう存じます。あの……、我儘なお願いをしてごめんなさい」

 しょんぼりと、ディアヌローズは肩を落とした。


「我儘ではなく、ビジュに食べさせたかったのでしょう? ビジュが待っていますよ」

「本当にありがとう。すぐに食べてもらうわ」



 鳥籠越しに、ディアヌローズはグロゼイユの実をビジュへと差し出す。

「摘んできてもらったのよ。よく味わってね」


 ビジュは頭を左右に傾けてから、グロゼイユの実をおいしそうに啄んだ。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 昼過ぎ。ディアヌローズは日課の刺繍を始めた。


 以前、みんなに贈った刺繍のハンカチには、少なくない後悔が残っている。聖堂に行くまでの限られた時間の中で、妥協した箇所がいくつかあった。あの時は、時間の無さを自分への言い訳にした。自分の都合で、出来の悪い物をみんなに押し付けのだ。


 だから商会での療養を終えてみんなに渡す時、不出来な仕上がりに目を覆いたくなった。あの時はみんなの優しさに救われたけれど、二度とあんな思いはしたくない。


 せめて《奏》と同じくらいの腕になって、次に贈るときには後悔したくない。目標は、修了試験の衣装に刺繍した図案が刺せるようになること。



 あの刺繍の図案は、月詠(つくよみ)家成人となるための課題の一つだった。

 まず下層の図案を布地と同じ糸で刺繍し、その上層に違う色糸で違う図案を重ねていく。数種類あるが、どれ一つとっても、技術と手間と時間が必要なものだ。いくら《奏》の経験があるとはいえ、全種類を刺せるようになるには何年もかかるだろう。


 そして刺せるようになった暁には、その図案の中から特に気に入っているものを刺繍して、エレオノールに贈りたい。日頃の感謝と、ナディとティーセットのお返しとして。

 図案は『門外不出』と祖母に言われたけれど、世界が違うのだから構わないと思っている。自分にとっては数少ないお返しできるものなので、日々研鑽を積んでいきたい。幸い、時間はあり余っている。


 とはいえ、今はまだ花の飾り刺繡を教わっているところ。ゴールはかなり遠い。中には見たこともない花の図案や初めて知るステッチもあって、すべて習得するには骨が折れそうだ。だが、なかなかに興味深い。


 そして何より、みんなと一緒に刺繍をしながらおしゃべりするのが愉しい。お気に入りのひと時だ。



 ディアヌローズは刺繍の手を止めて、顔を上げた。

「ベアトリスさん、婚儀にはどなたが参列されるのですか?」


「中央聖堂で婚儀をされるのは、領主様だけですの。列席者も各領地の領主ご夫妻だけですわ。ですが、お付きの者はおりますから、結構な参列数にはなりますわね」



「あすのアウレルーメルの月は、ひときわ美しくなりそうね」

 うっとりと、マリレーヌは群青色の瞳で虚空を見つめた。



「アウレルーメルの月?」

 ディアヌローズは小首を傾げた。


「季節ごとに一度だけ、季節の名を月に冠するのです」

 ベアトリスはそう言ってから、季節の名をディアヌローズに尋ねた。


エアリューリス()エティスタース()アウレルーメル()エイレヴェール()の順なのですよね」

「そのとおりですわ。そして、季節の移ろいで月の色は少しづつ変わっていきますの」



 月の色が変わるのは《奏の世界》でもあった。ブルームーンとか、ストロベリームーンとか名が付けられている。けれど、それらはある条件が揃うと見られるもの。季節に沿うように日々色が変化していくなんて、ディアヌローズは聞いたこともない。


「月の色が変わる、のですか……」


 半信半疑なディアヌローズに、ベアトリスは、変わるのです、と言い切った。


「お嬢さまは夜に、外へお出にならないですものね。

 エアリューリスでは緑。エティスタースには赤。アウレルーメルは黄色に。エイレヴェールでは青へと変わっていくのです。


 ですが色は少しずつ変わっていくので、最も季節の色になるのは、季節ごとに二回目の満月の時だけですの。そして、その二回目の満月の月だけを、季節の名を付けて呼ぶのですわ」



「では明日が、アウレルーメルの二回目の満月の日で、『アウレルーメルの月』なのですね」

「はい。婚儀はその日と決まっております」



 するとマリレーヌが、

「婚儀がある日のアウレルーメルの月は、とても美しく輝くのですよ。黄色というよりは金色に近くて、婚儀を祝福しているとしか思えませんの。特に領主の婚儀の折には、ことさら美しい月になるのです」

 と、今まさに金色の月を見ているかのような表情だ。



「わたくしも見てみたいわ」

 貝紫の目を輝かせるディアヌローズに、ベアトリスは気の毒そうに眉尻を下げた。

「お気持ちはお察ししますが、洗礼を迎えていないお嬢さまが夜遅くまで起きているのは、お許しが出ないでしょう」


「なら、あと二年待たないといけないのね」

 残念──。あす見られないのなら、たぶん《奏の世界》に還っているはず。いや、必ず還ってる。だったら見られなくても構わない、とディアヌローズは思った。



 ディアヌローズの思いを知らないベアトリスは、すまなそうな顔で口を開いた。

「婚儀は毎年あるわけではありませんの。ましてや、領主の婚儀は滅多にございません。お嬢さまが金色の月をご覧になるのは、かなり先になるでしょう」


「領地は、花の女神フェルヴェリーラ様から借りた神様の数だけあるのでしょう?

 たくさん領地があるのなら、婚儀もそれなりにありそうですけど……。領地の数が少ないのかしら」


「少なくはございませんわ。領主の配偶者は、第五夫まで認められておりますし。

 ──建国神話をどこまでお読みになりまして?」


「えーと。……見てみないと分からないわ」



 ベルトで留められた豪華な装丁の建国神話を、ベアトリスは持ってきた。刺繍道具を片付けて書見台を用意すると、ベルトを外して本を開いた。


 ディアヌローズは久しぶりの装飾過多な文字を辿りながら、読み進んだ最後の行を指した。


「『兄姉神 末の女神に倣い 管理者を任ず』までよ」

「では、その先をお読みください」

「か、かみ……がみ、神々、……」


 相変わらず読みにくい飾り文字をディアヌローズは一文字ずつ辿りながら、単語に変換したのち文章へと整えていく。



『神々 人域の者へ杖を与え 選別の(しるべ)とする』

『神々 選びし者を不死とし 地の管理を任ず』



「そこまでで結構ですわ。意味はおわかりになりますか?」

 二行読んだところでベアトリスが尋ねた。


 えーと、とディアヌローズは眉を寄せる。

「神様が杖をくださるのね。杖を、何かを選ぶために使うのかしら……。

 それから、神様が選んだ人を……。えっ、不死!?

 地の管理は、領地を治めることだから……。

 神様は選んだ人を領主に任じて、永遠に治めさせる、ということです、か?」


「そのとおりですわ」

 ベアトリスは満足そうに頷いた。


 だが、ディアヌローズは驚きを隠せない。

「不死、というのは本当ですか?」重ねて尋ねた。


「はい。建国神話は、真実が記されているのですよ。

 現にランメルトの領主は建国以来、一度も変わっておりません」



 ディアヌローズは言葉を失った。きょうは驚いてばかりだ。

 以前、建国神話を読んだ時、マノワにも神話が真実か否かを確認した。マノワは迷いなく真実と告げ、ディアヌローズもそれを受け入れた。


 だが、不死となると、さすがに(にわ)かには信じ難い。とはいえ杖は確かにこの目で見ているし、ベアトリスは建国以来ランメルト領主は同じだという。

 ディアヌローズは考えに沈む。


 神に選ばれ、不死となった領主。

 永遠を生きる領主なら、神と対話できるのか──。


 であるなら、どうか訊ねてほしい。

 なぜ、《(わたし)》がイストワールに転移したのかを。

 どうして、《(わたし)》なのかを。

 どうすれば、《(わたし)の世界》に還れるのかを。


 転移して以来、変わらない問い。

 何度繰り返しても、答えの出ない問い。


 《奏の世界》に、還りたい。

 祖母の許に、還りたい。

 《(わたし)》に、還りたい。


 考えないようにしていた、想い。

 思い出さないようにしていた、想い。


 ただそれだけの、ささやかな、願い……。




「……さま、お嬢さま、ディアヌローズ様」


 肩を揺すぶられて、ディアヌローズは我に返った。定まらない焦点を合わせた先に、フォセットがいた。心が追い付かなくて、言葉を見つけられない。


 フォセットは押し黙るディアヌローズの前に膝をつき、青緑色の瞳で見つめた。

「大丈夫ですか? どうされましたの」



 大丈夫──。聞こえた言葉をディアヌローズは頭の中で反芻した。それで漸く、心配を掛けているんだと気付いた。慌てて、口角を上げる。


「ごめんなさい。領主様なら、神様とお話できるのかしら、と考えていたの」


「……そうでしたの。それは領主様にお伺いしてみなければ、わかりませんわね」

 安堵したように、フォセットは言った。


「お会いできたなら、ぜひお伺いしたいわ」

 心からの言葉をディアヌローズは口にした。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 三日経った。

 きょうから庭へ出られる。ディアヌローズは目覚めた時から張り切っていた。

 ところが、フォセットが三日前と同じような顔をしてやってきた。


「『暫く庭へは出ないように』とのことですわ」

「どうしてですか? 

 三日経ちました。わたくし、約束を守って庭へは出なかったわ」


 ディアヌローズは不満をぶつけた。とても愉しみにしていて、諦めきれなかったのだ。

 庭の木々は(アウレルーメル)の色を濃くし、黄色や赤に染まった葉が美しい。玻璃(ガラス)を通してでなく、直に見て、触れて、肌で感じて、季節を満喫したかった。



 困ったように、フォセットは笑んだ。

「ええ。お嬢さまは約束を守られました。

 この度は、庭に不審者が出る、との情報が入ったそうですの。

 ですから、お嬢様を出さないようにと、アルフレデリック様が仰せなのです」



 不審者──。ディアヌローズは、素早くレオナールとアンベールに視線を走らせた。ふたりとも流石に分かりやすく表情を変えてはいないけれど、いつもなら、ほんの僅かでもディアヌローズが見れば合うはずの視線が合わなかった。

 やはり、ふたりは困っている。不審者は上司だと言い出せないでいる、と思った。

 だから自分が言わなければ──。それに、マノワも後押ししてくれた。決して浅慮ではない。


 ──マノワ、見ていてね。


 両手を握りしめ、決意を貝紫の瞳に宿してフォセットを見つめた。


「もしかして、蒼天の髪をした、背の高い男の人のことかしら?」



 周囲が一瞬ざわりとして、それから水を打ったように静まった。






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