建国神話(2)
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ディアヌローズがマノワとのお茶会をした翌日。
庭に出る支度を始めようとしたところで、フォセットがやってきた。
「アルフレデリック様より、
『本日より三日間は外へ出ないように』と託かってまいりました」
ディアヌローズは不満げに眉を顰めた。
「グロゼイユを摘んでくるだけでもダメですか?」
「あす中央聖堂で執り行われる婚儀にご臨席されるため、まもなく領主ご夫妻がこの領事棟にいっらっしゃるそうですの。お付きの者も多いので、この部屋から出ないようにとのことですわ」
「ビジュはがっかりするわね……」
しょんぼりとディアヌローズが項垂れると、フォセットは同情するように苦笑した。
「がっかりするのはビジュではなくて、お嬢様ですわね」
「……わたくしもだけど、ビジュも、よ。毎日おいしそうに食べているもの」
「わたくしが摘んできましょう」
諦めきれないディアヌローズを見て、クロティルドが名乗りを上げた。
茜色の髪をしたクロティルドが、だんだん小さくなっていく。その後ろ姿を、ディアヌローズは窓辺で見送った。
ふと、蒼天の髪の男性を思い出した。もしも、クロティルドがその男性と出会ってしまったら──。クロティルドも、レオナールやアンベールみたいに困るかもしれない。ディアヌローズは俄かに気が気でなくなった。
やがて木立の葉陰に茜色が見え、クロティルドが姿を現した。
「さあ、どうぞ」
クロティルドが差し出したグロゼイユの実をディアヌローズは受け取った。どうやら例の男性には出会わなかったようで、胸を撫で下ろした。
「ありがとう存じます。あの……、我儘なお願いをしてごめんなさい」
しょんぼりと、ディアヌローズは肩を落とした。
「我儘ではなく、ビジュに食べさせたかったのでしょう? ビジュが待っていますよ」
「本当にありがとう。すぐに食べてもらうわ」
鳥籠越しに、ディアヌローズはグロゼイユの実をビジュへと差し出す。
「摘んできてもらったのよ。よく味わってね」
ビジュは頭を左右に傾けてから、グロゼイユの実をおいしそうに啄んだ。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
昼過ぎ。ディアヌローズは日課の刺繍を始めた。
以前、みんなに贈った刺繍のハンカチには、少なくない後悔が残っている。聖堂に行くまでの限られた時間の中で、妥協した箇所がいくつかあった。あの時は、時間の無さを自分への言い訳にした。自分の都合で、出来の悪い物をみんなに押し付けのだ。
だから商会での療養を終えてみんなに渡す時、不出来な仕上がりに目を覆いたくなった。あの時はみんなの優しさに救われたけれど、二度とあんな思いはしたくない。
せめて《奏》と同じくらいの腕になって、次に贈るときには後悔したくない。目標は、修了試験の衣装に刺繍した図案が刺せるようになること。
あの刺繍の図案は、月詠家成人となるための課題の一つだった。
まず下層の図案を布地と同じ糸で刺繍し、その上層に違う色糸で違う図案を重ねていく。数種類あるが、どれ一つとっても、技術と手間と時間が必要なものだ。いくら《奏》の経験があるとはいえ、全種類を刺せるようになるには何年もかかるだろう。
そして刺せるようになった暁には、その図案の中から特に気に入っているものを刺繍して、エレオノールに贈りたい。日頃の感謝と、ナディとティーセットのお返しとして。
図案は『門外不出』と祖母に言われたけれど、世界が違うのだから構わないと思っている。自分にとっては数少ないお返しできるものなので、日々研鑽を積んでいきたい。幸い、時間はあり余っている。
とはいえ、今はまだ花の飾り刺繡を教わっているところ。ゴールはかなり遠い。中には見たこともない花の図案や初めて知るステッチもあって、すべて習得するには骨が折れそうだ。だが、なかなかに興味深い。
そして何より、みんなと一緒に刺繍をしながらおしゃべりするのが愉しい。お気に入りのひと時だ。
ディアヌローズは刺繍の手を止めて、顔を上げた。
「ベアトリスさん、婚儀にはどなたが参列されるのですか?」
「中央聖堂で婚儀をされるのは、領主様だけですの。列席者も各領地の領主ご夫妻だけですわ。ですが、お付きの者はおりますから、結構な参列数にはなりますわね」
「あすのアウレルーメルの月は、ひときわ美しくなりそうね」
うっとりと、マリレーヌは群青色の瞳で虚空を見つめた。
「アウレルーメルの月?」
ディアヌローズは小首を傾げた。
「季節ごとに一度だけ、季節の名を月に冠するのです」
ベアトリスはそう言ってから、季節の名をディアヌローズに尋ねた。
「エアリューリス、エティスタース、アウレルーメル、エイレヴェールの順なのですよね」
「そのとおりですわ。そして、季節の移ろいで月の色は少しづつ変わっていきますの」
月の色が変わるのは《奏の世界》でもあった。ブルームーンとか、ストロベリームーンとか名が付けられている。けれど、それらはある条件が揃うと見られるもの。季節に沿うように日々色が変化していくなんて、ディアヌローズは聞いたこともない。
「月の色が変わる、のですか……」
半信半疑なディアヌローズに、ベアトリスは、変わるのです、と言い切った。
「お嬢さまは夜に、外へお出にならないですものね。
エアリューリスでは緑。エティスタースには赤。アウレルーメルは黄色に。エイレヴェールでは青へと変わっていくのです。
ですが色は少しずつ変わっていくので、最も季節の色になるのは、季節ごとに二回目の満月の時だけですの。そして、その二回目の満月の月だけを、季節の名を付けて呼ぶのですわ」
「では明日が、アウレルーメルの二回目の満月の日で、『アウレルーメルの月』なのですね」
「はい。婚儀はその日と決まっております」
するとマリレーヌが、
「婚儀がある日のアウレルーメルの月は、とても美しく輝くのですよ。黄色というよりは金色に近くて、婚儀を祝福しているとしか思えませんの。特に領主の婚儀の折には、ことさら美しい月になるのです」
と、今まさに金色の月を見ているかのような表情だ。
「わたくしも見てみたいわ」
貝紫の目を輝かせるディアヌローズに、ベアトリスは気の毒そうに眉尻を下げた。
「お気持ちはお察ししますが、洗礼を迎えていないお嬢さまが夜遅くまで起きているのは、お許しが出ないでしょう」
「なら、あと二年待たないといけないのね」
残念──。あす見られないのなら、たぶん《奏の世界》に還っているはず。いや、必ず還ってる。だったら見られなくても構わない、とディアヌローズは思った。
ディアヌローズの思いを知らないベアトリスは、すまなそうな顔で口を開いた。
「婚儀は毎年あるわけではありませんの。ましてや、領主の婚儀は滅多にございません。お嬢さまが金色の月をご覧になるのは、かなり先になるでしょう」
「領地は、花の女神フェルヴェリーラ様から借りた神様の数だけあるのでしょう?
たくさん領地があるのなら、婚儀もそれなりにありそうですけど……。領地の数が少ないのかしら」
「少なくはございませんわ。領主の配偶者は、第五夫まで認められておりますし。
──建国神話をどこまでお読みになりまして?」
「えーと。……見てみないと分からないわ」
ベルトで留められた豪華な装丁の建国神話を、ベアトリスは持ってきた。刺繍道具を片付けて書見台を用意すると、ベルトを外して本を開いた。
ディアヌローズは久しぶりの装飾過多な文字を辿りながら、読み進んだ最後の行を指した。
「『兄姉神 末の女神に倣い 管理者を任ず』までよ」
「では、その先をお読みください」
「か、かみ……がみ、神々、……」
相変わらず読みにくい飾り文字をディアヌローズは一文字ずつ辿りながら、単語に変換したのち文章へと整えていく。
『神々 人域の者へ杖を与え 選別の標とする』
『神々 選びし者を不死とし 地の管理を任ず』
「そこまでで結構ですわ。意味はおわかりになりますか?」
二行読んだところでベアトリスが尋ねた。
えーと、とディアヌローズは眉を寄せる。
「神様が杖をくださるのね。杖を、何かを選ぶために使うのかしら……。
それから、神様が選んだ人を……。えっ、不死!?
地の管理は、領地を治めることだから……。
神様は選んだ人を領主に任じて、永遠に治めさせる、ということです、か?」
「そのとおりですわ」
ベアトリスは満足そうに頷いた。
だが、ディアヌローズは驚きを隠せない。
「不死、というのは本当ですか?」重ねて尋ねた。
「はい。建国神話は、真実が記されているのですよ。
現にランメルトの領主は建国以来、一度も変わっておりません」
ディアヌローズは言葉を失った。きょうは驚いてばかりだ。
以前、建国神話を読んだ時、マノワにも神話が真実か否かを確認した。マノワは迷いなく真実と告げ、ディアヌローズもそれを受け入れた。
だが、不死となると、さすがに俄かには信じ難い。とはいえ杖は確かにこの目で見ているし、ベアトリスは建国以来ランメルト領主は同じだという。
ディアヌローズは考えに沈む。
神に選ばれ、不死となった領主。
永遠を生きる領主なら、神と対話できるのか──。
であるなら、どうか訊ねてほしい。
なぜ、《奏》がイストワールに転移したのかを。
どうして、《奏》なのかを。
どうすれば、《奏の世界》に還れるのかを。
転移して以来、変わらない問い。
何度繰り返しても、答えの出ない問い。
《奏の世界》に、還りたい。
祖母の許に、還りたい。
《奏》に、還りたい。
考えないようにしていた、想い。
思い出さないようにしていた、想い。
ただそれだけの、ささやかな、願い……。
「……さま、お嬢さま、ディアヌローズ様」
肩を揺すぶられて、ディアヌローズは我に返った。定まらない焦点を合わせた先に、フォセットがいた。心が追い付かなくて、言葉を見つけられない。
フォセットは押し黙るディアヌローズの前に膝をつき、青緑色の瞳で見つめた。
「大丈夫ですか? どうされましたの」
大丈夫──。聞こえた言葉をディアヌローズは頭の中で反芻した。それで漸く、心配を掛けているんだと気付いた。慌てて、口角を上げる。
「ごめんなさい。領主様なら、神様とお話できるのかしら、と考えていたの」
「……そうでしたの。それは領主様にお伺いしてみなければ、わかりませんわね」
安堵したように、フォセットは言った。
「お会いできたなら、ぜひお伺いしたいわ」
心からの言葉をディアヌローズは口にした。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
三日経った。
きょうから庭へ出られる。ディアヌローズは目覚めた時から張り切っていた。
ところが、フォセットが三日前と同じような顔をしてやってきた。
「『暫く庭へは出ないように』とのことですわ」
「どうしてですか?
三日経ちました。わたくし、約束を守って庭へは出なかったわ」
ディアヌローズは不満をぶつけた。とても愉しみにしていて、諦めきれなかったのだ。
庭の木々は秋の色を濃くし、黄色や赤に染まった葉が美しい。玻璃を通してでなく、直に見て、触れて、肌で感じて、季節を満喫したかった。
困ったように、フォセットは笑んだ。
「ええ。お嬢さまは約束を守られました。
この度は、庭に不審者が出る、との情報が入ったそうですの。
ですから、お嬢様を出さないようにと、アルフレデリック様が仰せなのです」
不審者──。ディアヌローズは、素早くレオナールとアンベールに視線を走らせた。ふたりとも流石に分かりやすく表情を変えてはいないけれど、いつもなら、ほんの僅かでもディアヌローズが見れば合うはずの視線が合わなかった。
やはり、ふたりは困っている。不審者は上司だと言い出せないでいる、と思った。
だから自分が言わなければ──。それに、マノワも後押ししてくれた。決して浅慮ではない。
──マノワ、見ていてね。
両手を握りしめ、決意を貝紫の瞳に宿してフォセットを見つめた。
「もしかして、蒼天の髪をした、背の高い男の人のことかしら?」
周囲が一瞬ざわりとして、それから水を打ったように静まった。




