精霊とお茶会
表現の修正をしました。
近頃フォセットたち側仕えは、人形にディアヌローズと同じ格好をさせるのがブームらしい。衣装ばかりか髪型まで同じにして、長椅子にいるディアヌローズの横に並ばせては微笑ましそうに目を細めている。
みんなに見られるディアヌローズにしてみれば、恥ずかしく堪らない。だが余りにもみんなが楽しそうにしているものだから、止めて欲しいとは言い出せず、ただ胸の内でブームが去ってくれるのを今か今かと待ちわびているのだった。
今も朝食後のお茶を飲んでいるディアヌローズの横には、同じ格好をした人形がいる。さすがにお茶は飲んでいないけれど。
そして、その様子をみんなが眺めている。楽しそうに。愛でるように。微笑ましそうに。
だからディアヌローズは日頃お世話になっているみんなへの感謝と思い、ひくつきそうになる顔に喝を入れて笑顔を貼り付けている。
お茶を飲み終えると、ディアヌローズは人形を向かい合うように膝にのせた。同じ貝紫の瞳を見つめれば、玻璃の瞳に自分の顔が小さく映っている。
ディアヌローズ……──。心の中で呟いた。
イストワールでは鏡が貴重なのか、あまり自分の顔を見る機会がなくて、稀に自分の顔を見ると《奏》でない顔に戸惑ってしまう。だからその度に、顔と名前を紐づける。この顔は《ディアヌローズ》だと。
まるで猫が鏡に自分の姿を見つけた時みたいに思えて、なんだか可笑しくなる。
ふと、人形にまだ名が無いことに気付いた。
なんて可哀そうなことをしたんだろう──。自分には名が二つもあるのに。
どんな名がいい? と人形に問いかけた。もちろん答えは返ってこない。
けれど、ピンと閃いた。
《マノワ》にしよう────
そうすればマノワと話していても、みんなは人形と話していると思うに違いない。なんて良い思いつき。
──呼んだかい?
突然、頭の中に声が届いて、マノワが現れた。
ディアヌローズは鼻息も荒く、人形と一緒にマノワへと向いた。
──あのね、とっても良いことを思いついたのよ。
この人形の名を《マノワ》にするの!
そうすればマノワと話していても、みんなに怪しまれたりしないわ。
挨拶も忘れて一気に語ったディアヌローズに、マノワは顔をげんなりさせて腰に手を当てた。
──いいかい、ディアヌローズ。あたしとあんたが話している時は、それでいいだろうさ。
だが、あたしがあんたと一緒でない時、あんたがその人形を《マノワ》と呼んだらどうなると思う?
ディアヌローズは小首を傾げた。
──えーと……。マノワが、来てくれるわ、ね……。
あっ!
わかったようだね、とマノワは大きく溜息した。
──そうさ。それが一度ならまだいい。でもそれが二度三度と続けば、あたしはあんたの呼びかけには応えなくなるだろうよ。
少し考えればすぐに気付けたはず。ディアヌローズは肩を窄めて俯いた。浅慮を口にしてはならないと祖母から常々注意されていたことを、今思い出した。
──マノワの言うとおりだわ。ごめんなさい。
思いついたばかりで、そこまで考えていなかったの。人形には別の名前を付けるわね。
──ああ、そうしとくれ。
──愚かなわたしに愛想を尽かさないでくれる?
──それくらいであんたを見限ったりしないさ。
それともなにかい、あたしがちっぽけな度量しか持ち合わせていないとでも?
ふるふると、ディアヌローズは頭を振った。
──思ってない。でも、……マノワを困らせた。
──別に困っちゃいないさ。愚かな子を諭すのは、当然だろ?
ディアヌローズは今にも泣きそうな笑みを浮かべる。
──……ありがとう。
──同じ失敗を繰り返さなきゃそれでいいのさ。
で、人形の名はどうするんだい?
──……《奏》に似た名前で、何か考えてみる。《かなで》だから、《かな》。でもイストワールの響きじゃないわね。《なで》……《なでぃ》……。
《ナディ》はどう?
──いいじゃないか。《ナディ》……。ああ、いい名だ。
マノワは何度か小さく頷いた。
──マノワがそう言ってくれるなら、《ナディ》にするわ。
──名も決まったことだし、そろそろ帰るよ。
じゃあね、ディアヌローズ。
──ありがとう。マノワ。
ディアヌローズは人形をまた自分に向けて、同じ貝紫の瞳を見つめた。
「ナディ」
人形と名を紐づけるため、
馴染ませ、染み込ませるため、決めたばかりの名を呼んだ。
「あら、名をつけられましたのね」
ティーカップを下げにきたベアトリスが言った。
ディアヌローズはナディをベアトリスに向ける。
「ええ。《ナディ》よ」
「いい名ですわ。しょんぼりされていたので、気になっておりましたの」
まさか見られていたとは──。ディアヌローズは焦った。でもマノワが見えているのは自分だけだ。
「最初に考えた名前ではダメだって教えてもらったの」
マノワを省いて説明すると、ベアトリスは目を瞬かせた。
「人形に、ですか?」
そうなの、とディアヌローズは重々しく頷いた。
「わたくしが愚かだったからよ。でも、赦してもらえてよかったわ」
大真面目に答えた。
ベアトリスは戸惑った表情から一転して、微笑まし気に目を細めた。
「よろしかったですわね」
「ええ。本当によかったわ」
ディアヌローズは大満足で、にっこり笑った。
どうやら、ベアトリスは子どもらしく人形とお話をしていたと捉えたらしい。
マノワの存在を知られず、人形の名もナディと決まって言うことなしだ。
昼過ぎ。
ディアヌローズは気もそぞろで刺繍の練習をしていた。困らせてしまったマノワにお詫びがしたいのに、なかなか名案が思い付かないでいたからだ。おかげで、何度も解いてはやり直すを繰り返している。
「少し休憩されてはいかがですか。その様子では針を指に刺してしまいますわ」
と、マリレーヌが応接卓にティーカップを置いた。
それを見て、ディアヌローズは思いついた。
マノワをお茶に招待したい。エレオノールから贈られたミニチュアのティーセットで。
まずはよく考えてみる。朝の二の舞になっては一大事。また考えなしに話したら、今度こそマノワに愛想を尽かされてしまう。
誰かに迷惑を掛けてしまうだろうか。
準備で側仕えのみんなに手間をかけさせてしまうから、きちんとお願いしなくては。
精霊はお茶を飲むかしら。
誰かに訊くのは無理だから、マノワ本人に要確認。
ディアヌローズは頭の中でマノワに問いかける。
──ねえ、マノワ。
お茶に招待したら、一緒にお茶を飲んでくれる?
──精霊は飲んだり食べたりはしないんだ。
だが、招待は喜んで受けるよ。
マノワは姿を見せないまま、声だけが返ってきた。
──嬉しい。マノワの都合のいい日を教えて。
──じゃあ、三日後にしておくれ。
──わかったわ。三日後の五の鐘に待ってる。
あっ、テチュも招待したいの。
──直接テチュに訊いてみな。
──はい。三日後を楽しみにしてるわね、マノワ。
──ああ、あたしも楽しみにしてるよ。
マノワと約束して、次はテチュに呼びかける。
──テチュ! 聞こえてる?
三日後の五の鐘に、テチュとマノワとわたしの三人でお茶会をしたいの。
きっと来てね。待ってるわ。
暫く待ったけれど、テチュからの返事はなかった。
それから何度か同じ呼びかけをしたけれど、結局テチュからの返事がくることはなかった。
フォセットたちに人形の《ナディ》とお茶会をしたいとお願いすると、フォセット達は茶器の扱い方を手ほどきしてくれた。
◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆
お茶会当日。
四と半の鐘でディアヌローズは身支度を始めた。髪を梳いてもらう。
「レースバンドをつけてくださいませ。ナディも一緒に」
そう口にした途端、血の気がスーッと引いた。
レースバンドは、聖堂に行った日の衣装の隠しに入れていた。それだけではない。エレオノールから贈られたハンカチも。そして、月詠家成人の証であるブローチまでも。ブローチに至っては、落とさないようにと、わざわざ隠しの中にピンで留めてまでいた。その記憶が一気に甦ったのだった。
貝紫の目を見開いて真っ青な顔のディアヌローズに、ベアトリスとマリレーヌはオロオロするばかりだ。
そこにフォセットがやって来て、コトリと卓上に何かを置き、その手が離れた。
卓上には────
ブローチがあった。
ディアヌローズは息を吞んだ。震える手でブローチを手にして、フォセットを仰ぎ見る。
「隠しの中に入っておりました。女のお子の隠しには、安心して手を入れられますわ。男のお子の隠しには、虫の抜け殻やら小石が入っていたりしますもの」
フォセットは微笑んだ。
「ありがとう……存じ、ます」
目の縁に涙を溜めて、今にも泣きだしそうな顔でディアヌローズは笑んだ。
「さあ、お仕度を急ぎませんと」
フォセットは手早くディアヌローズの髪を纏めると、レースバンドを手にした。
身支度を終え、ミニチュアティーセットの準備も万端にして、同じ格好をしたナディを長椅子に凭れさせた。
フォセットたちには、ナディとのおままごとに見えることだろう。
五の鐘が鳴り終えて間もなく、マノワが現れた。
「ようこそおいでくださいました。お待ちしておりましたわ」
お茶会らしくディアヌローズは挨拶した。敢えて声を出したのは、おままごとらしくするためだ。
──こんにちは、ディアヌローズ。お招き感謝するよ。
マノワも畏まって応えた。但し、頭の中に。
──テチュに声を掛けたんだけど、返事をしてもらえなかったの。
来てくれないのかしら……。
頭の中での会話に切り替えたディアヌローズは、あっという間に普段の口調に戻った。
マノワは苦笑を漏らす。
──気が向けば姿を見せるだろうが、まあ期待しないことだね。
──姿を見せてくれなくても、来てくれたならマノワには分かるのでしょう?
その時は教えてね。
──ああ。わかった。
──ありがとう。
ねえ、見て。ナディもわたしもレースバンドをつけているのよ。
ナディを抱いてマノワに見せると、マノワは目を丸くした。
──こりゃ、たまげた。
笑い合った。たぶんナディも。
それからディアヌローズは教わったとおりの作法でお茶を淹れて、マノワの前に置いた。だが大人の掌ほどのマノワには、ミニチュアといっても盥くらいに大きい。
ディアヌローズは肩を落とした。
──ごめんなさい。……大きすぎたわね。
──構やしないさ。言っただろ、精霊は飲んだり、食べたりしないって。でも、香りは楽しませてもらうよ。
──本当に何も口にしないの?
──不思議かい? そうさね……。あたしらが糧としてるのは『精霊は存在する』と信じる心、といったものだ。
あんたの世界に精霊は?
──『いる』と言う人はいたわ。残念ながら、わたしは出会えなかったけれど。
──おそらく、信じる者が少なくなって絶えていったんだろうよ。
ディアヌローズは小首を傾げた。
──そうなのかしら……。わたしは信じているわよ。
──当たり前だろ。あたしが目の前にいるんだから。
──ふふっ、そのとおりね。
呆れたようにマノワは頭を振った。
──まったく、しょうのない子だよ。
──そうよ。マノワがいてくれないと駄目なの。これからもずっと、お友だちでいてね。悪いところは直すから、嫌いにならないでくれたら嬉しい……。
──この前のことをまだ気にしてたのかい?
言ったろう。あんたは、あたしが加護を与えた、愛し子だ。嫌いになんぞならないよ。
自分を肯定してもらえたようで、ディアヌローズは堪らなく嬉しかった。マノワになら何でも相談できる。呆れられはしてもそっぽを向かれたりしない、と信じられた。
──ありがとう。……ねえ、マノワ。
マノワの助言が欲しいの。わたしが愚かな選択をしないように。
──何があったんだい?
眉を顰めるマノワに、ディアヌローズは庭で起きた一連の出来事と護衛騎士について話し、合わせて自分の考えも告げた。
──あんたが思ったとおりにやってごらん。あんたは思ったことをすぐ口にさえしなければ、正しく考えられる。助言を求める謙虚さも、思慮分別もね。
あたしが見てる。大丈夫だ。
マノワは考える素振りも見せずに、即答した。
──漆黒の闇にいた時も、マノワは『見届ける』って言ってくれたわ。
ありがとう。マノワはイストワールでのわたしの標ね。
──こりゃ、大層なもんに祀り上げられたもんだ。
こげ茶の目を丸くして、カラカラとマノワは笑った。




